第一章:隻眼の騎士 I
城内にある鍛練場で、一年に一度、グングニルとガーディアンの新人同士が手合わせをする、という催し物のような物がある。最初は仲間内だけでやっていたのだが、ガーディアンは普段要人の後ろに突っ立っているだけだし、グングニルはそもそもお目にかかる機会が少ないから、と今では城で働いている手隙なものは殆ど見学に来る。
………のだが、今年のそれは異様な空気に包まれていた。
「シアンちゃん、あのさ……」
「何でしょう、隊長。」
「確かに俺はあいつの鼻っぷしを折ってやれ、と言ったよ。」
「はい。」
「だけど、『再起不能にしろ』と言った覚えはなあああああいっ!」
グングニル隊長兼司令官であるベラムは、この事態を引き起こした長剣使いの新人を叱責していた。
しかし、その張本人はそれを気にも留めず、自分の剣では無く儀仗用のサーベルを鞘に納めると、数歩先で伸びている男を一瞥した。彼の手に剣は無く、白目をむいて気絶しているのでせっかくの整った顔が、もう、いろいろと可哀想なことになっていた。そして首には、赤い筋。
「再起不能…どこにも怪我はさせていませんが。首の皮をほんのちょっぴりスパッとやっただけで。」
長い銀髪を一つにまとめ、彼と言えばいいのか彼女と言えばいいのか迷う程端麗な顔立ちに、小柄な体躯。そして明らかに浮いている無骨な黒い眼帯を左目に着けた、長剣使いのシアンは、それだけ言うとベラムに背を向けてはじき飛ばした男の剣を回収しに行った。
それを見たベラムは眉間を軽く押さえ、
「駄目だあいつ。全っ然分かってない。」
と低く呻いた。見に来ていた観衆達は、一体どのようにして男が倒されたのか未だ理解出来ていない様だった。
シアンは倒れた男に近づくと、肩を軽く蹴った。覚醒した男の手首を掴み、半ば無理矢理に立たせると、もう片方の手に持っていた剣を渡す。
「すみません、大切な剣なのに…。見たところ刃こぼれとかはしていなそうなのですが、はじき飛ばしてしまって。」
シアンが開口一番謝罪の言葉を言ったので、目の前の男は少し目を見開いた。
「首、大丈夫ですか?」
少しだけ皮が切れ、血がにじんでいる首を指さしながら聞くシアン。
「いや、これは自分がシアン殿に至らなかっただけですので。しかし見事な太刀筋だ。貴方のような手練れの剣士と相まみえた事、誇りに思います。」
と、男は言った。観衆達は試合が終わったのでわらわらと自分の持ち場に戻り始めた。
一方シアンは、
「ありがとうございます。あの、貴方が今年のガーディアンの新人の中で一番強いと聞いていたので、少々調子に乗ってしまいました。あんなに早く決着が付くと思っていなかった物で…貴方の剣を見ることができませんでした。」
「それは…要するに、自分が予想を超えて弱かった、と?」
「ええまあ。しかし、これも何かの縁です。これからもよろしくお願いします。えっと…お名前、何でしたっけ。」
「……ルフレ、です。」
容赦の無い精神攻撃で追い打ちをかけていた。
その会話を片耳で聞いていたベラムは、グングニルのもう一人の新人である、デヴィド―この人はちゃんと戦って勝った―に、シアンを官舎まで連行するように命じてから、あっと声を上げ、自分も官舎へ走った。隊の皆に言うべきことをすっかり失念していたことに気づいたからだった。
***
官舎に入ってすぐ、長槍を立てて持てる位天井の高い玄関でシアンとデヴィドを待っていたのは、シアンと同じベラム隊に属しているソールだった。彼はシアンと一番歳が近いこともあり、何かとペアを組まされる事が多かった。しかし彼はシアンより頭一つ以上背が高く、二人が並ぶととても面白いことになる。
「戻ったなお二人さん。デヴィド、すぐに君のオスカー隊長の所に行ってくれ。話したいことがあるらしい。シアンは、ちょっとついてこい。」
ソールは横に立っていたデヴィドに指示を出すと、行くぞと言い、歩き出した。
「シアン…ちゃん。歩きながら説明する。」
以前ベラムが、「これからシアンのことはちゃん付けで呼ぶように!」
と勢いに任せて作った規則のために話しづらそうにしているソールの横を歩きながら、シアンも少し困った顔をした。
「やっぱり慣れないです、それ。」
「あー、敬語も隊長規則によって禁止だ。」
「む…」
「あの人の無茶な規則はまあ、置いておくが―」
ソールは歩幅を緩めてシアンの横に並んだ。そして声を小さくして言った。
「半月後、第一王子のフィン殿下の成人の儀と、その後に舞踏会が行われる事は知っているな。」
シアンは声を出さず、ただ頷くことでそれに応える。
「通例通り、グングニルは城内の警備で、うちの隊は会場内担当となった。」
「はい。」
「で、だ。これは君の入隊が決まってすぐにベラムが決めたことなんだが…。シアンちゃんには、舞踏会に参加してもらう事になった。」
「……はい?えっと、つまり、他の参加者に紛れて中の警備に当たる…という事ですか?」
「敬語。―まあ、平たく言えばそうなるな。確認のために今のうちに聞いておくが…。シアンちゃん、ダンスとかは―」
「全く。あ、でも剣舞ならなんとか―」
「しなくていい。なんとかしなくていいから。」
ソールがため息をつきながらこの上なく苦い顔をするので、シアンはいたたまれなくなって、
「そ…それで今日は何を?」
話題を変えることで打開を試みた。
「ドレスの衣装合わせ。」
「はい?ドレス?」
シアンの表情が強ばり、足が止まる。
「だから、舞踏会で着る…って、シアンちゃん、何故に止まる。」
「それって帯剣―」
シアンが後ずさる。
「不可だろ、普通。…シアンちゃん?」
「帯剣…不可…」
シアンがくるりと後ろを向き、脱兎の如く走り去ろうとする寸前、ソールが彼女の外套のフードを掴んで引き留める。
「ぐっ…は、放してください。」
「今放したら確実に逃げるだろ。」
こうなったら…と外套の留め具に手を掛けると、それを見たソールはひょいとシアンを肩に担ぎ上げてしまった。
「あ、よせソール!剣が鞘走る!」
第一声がそれかよ、とソールは笑いそうになったがそれは内心に留め、
「何故逃げようとしたか、言え。内容によってはベラムに進言してやるから。」
「…あまり言いふらされると困る事なんですけど…」
いつの間にかそこは官舎の中では無く、どこかの渡り廊下にさしかかっていて、特殊部隊であるグングニルの印が入った外套を着た男が、サイズは小さいが同じ官服を着たシアンを担いで歩く様子はかなり目立っていた。
その間彼女は、
「自分は社交の場に出たことが無いから、何をしていいか全く分からない。」
とか
「今まで男装ばかりしてきたから、ドレスなんて着たことないしそもそも似合うわけがない」
とか
「というか、肩や腕には刀傷が付いているし眼帯も外すことはできない」
など色々な事を言ったが、ソールは
「教えられるから大丈夫だ。」
「そんなの着てみないと分からないだろ」
「それくらい、なんとかなる」
と言って取り合わなかった。シアンが不満げに足をばたつかせてソールの胴鎧をがんがん叩くと、
「まあ一応、隊長に言っておくよ。」
苦笑と共にそう返された。
それから少しして、ようやくソールはシアンを下ろした。今まで官舎と鍛練場と王宮の一部しか行き来したことが無かったシアンは、長い柱廊を抜けた先にあるこの区域にあしを踏み入れたことは無く、
「………ここ、どこ。」
目の前の大きな扉の前にただ立ち尽くしていた。
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