「よく覚えてるのな」

「もちろん。私から、誘ったんだから」

桃はマスターに同じ物を注文をした。

僕は読みかけていた先ほどの小説の続きを読みはじめた。

なんでだかわからないが、それが、僕の、精一杯だった。

目の前に桃がいて、どうにかなりそうだったのだ。

どんな顔をして、何を話せばいいのか。

アールグレイティーとチーズケーキが運ばれて来て、静かにそれを口に運び、飲むという作業を繰り返す桃をチラチラと見ながら、最初の一言を探していた。

「ねえ」

ティーカップを机の上に置いて、桃は溜め息を吐いた。

「なんか、言って」

桃は、しびれをきらしたかのように、声をだした。

「なんかって」

「あーとか、うーとか」

「子供かよ」

「私、精神年齢は、結構低い方だと思うの」

「確かに」

「確かにってー。もー、ほんっと、ひどい」

一年前、こんな風に話すことができるなんて、思いもしなかった。目の前の桃は嬉しそうに笑っているし、僕もそれと同じように、嬉しそうに微笑んでいるのだろう。

「あのね」

桃は、ゆっくりと、声をだした。

「考えたんだけど、実家に、戻ろうと思うの」

「実家って、静岡の?」

「うん。なんだろう、この都会の喧騒に疲れちゃって。のんびりと再出発したいなと思って」

「だって、DV男から逃げてるって」

「追ってないわよ、もう」

「わからないじゃないか」

「わかるの。私ね、あなたと出会ってから、自分がいかに甘えていたか、身に染みてわかったの」

「だけど、色々と、まだ」

「やり残してることは、もう、これだけなの」

桃の顔は、晴れやかだった。

「肩の力が抜けたっていうのかな、誰かと比べて、自分を保っていたのが馬鹿みたいに思えたの。田舎で、自分は自分なんだって認めた生き方をしてみたいの」

僕は、手に持っていた小説を右端に置き、両手を前で組んだ。

「田舎出身だからわかるけど、閉鎖されているし、今より自由はない。喧騒だって、関わらなければ、自由でいられるじゃないか。今の環境を捨てて前の環境に戻ることになったら、また同じことの繰り返しになる。それでもいいのか」

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