第三ノ変『飛行術』

 神奈川県の北部にあるS市の郊外に、その巨大な学園はあった。

 幼稚園から大学まで一貫した教育をする学園の名は「武京学園」という。

 ただし、普通の学校ではない。

 それゆえに、別名がある。

「武侠学園」というのが通称であった・・・。


 櫻澤茜は、今泉洋、高田正義と共に、この学園の門をくぐった。

 ここに来るまでが大変だった。

 茜は、三歳の頃に両親に連れられて東京見物に出た時以外に山中の家と町の学校を往復するくらいしか遠出をしたことがなかった。ちなみに、その旅行中の列車事故で両親が亡くなったと祖父から聞いていた。

 茜は、修行を兼ねて片道四十キロを越える学校までの道程を徒歩で通っていた。

 小学生の頃は暗いうちから走って登校。授業が終わってまた走って帰る。これを繰り返していた。お陰で小学生にしてマラソン選手のような脚力が備わったのだが、実はそればかりではなかった。

 祖父の指導で「軽功」の訓練も同時にやり、走るのを通り越して、障害物を飛び越すような方法で、直線距離で学校を往復していた。

 軽功とは、元祖パルクールとでもいうべきだろう。

 お陰で、中学に上がった時点で、学校までの片道を一時間半くらいで走破するようになっていた。

 祖父からは、「縮地法」も習った。脚力でなく、体幹部の重心移動を先導させる走法である。軽功は上下の動き、縮地法は前後左右の動きに優れ、二つを合わせることで全方位へ重力を無視したように動くことができる・・・と、祖父が教えた。

 そんな修行を小さい頃からやっていたから、茜は乗り物に乗った記憶がなかった。

 バスの中では車酔いになるし、特急列車の中でも気分が悪くなる。仕方がないから途中で降りて、ドン行で一駅、二駅を我慢してはホームに降りて休み、体調が戻ってからまた乗る・・・というのを繰り返して、早朝に出発して、普通なら昼前には到着する予定だったのに、学園に到着したのは夕方になっていた。タクシーから降りた時には、茜はバテバテになってしまって、運転手が、「このまま病院に行きましょうか?」と心配していたくらいである。

「いくら何でも、ここまで乗り物に弱いのって極端過ぎだろ〜?」

「そういえば、合気道の名人が電車に乗ると電磁波の影響で具合が悪くなるって話を聞いたことありますね?」

 呆れた顔の今泉に、正義が苦笑いしながら応えた。

 二人に引きずられるように門をくぐった茜は、げっそりした顔で校舎を見上げた。

「すみません・・・私、もうダメだから、祖父と替わります・・・」

「えっ?」

「アレ、やるの?」

 ぐったりしていた茜が、しゃきっと顔を上げる。別人のような顔付きである。

「ほう・・・、これが佐伯が作った学校か?」

「で、出た?」

「茜ちゃん・・・じゃなくって、櫻澤先生、ですか?」

「ああ、孫が世話になりましたな。小僧、もう身体は大事ないか?」

 いきなり、小僧扱いされて、正義が絶句する。外見は美少女のまま、中身が九十過ぎた爺さんなのだから、どうも、反応に困ってしまう。ひょっとして、この少女にからかわれているだけなのではないか?という疑念が消えた訳でもない。

「今泉君だったな? 佐伯は達者にしておるか?」

「はっ? はあ、達者といえば達者ですが・・・」

「そうか。楽しみじゃな〜。ハッハッハ」

 ズンズンと進む茜に、首をひねりながら二人はついていった。

 理事長室は一番奥の校舎の最上階にある。五階建ての五重塔を模しており、一見、天守閣にも見える。

 歩いている間に校舎内を眺めると、各教室と中庭で、様々な部活動をやっていた。

 テコンドー、太極拳、ウーシュウ、シラット、JKD、詠春拳等々、圧倒的に武術のサークルが多い。

「面白い学校だな? 佐伯らしい。いや、結構、結構・・・」

 空手や柔道、剣道、合気道、少林寺拳法等は武道場で練習しているのだろう。教室で練習しているのは少人数のマイナーな武術サークルばかりだった。

 校舎内で生徒とすれ違うと、やはり、茜の美少女ぶりが目を惹くようで、ざわつきだした。スマホでメールしたり、写メを撮る者も増えていった。

「茜に悪い虫がつかんようにせんといかんな・・・」

 茜が憮然とした顔でつぶやいた瞬間、前を歩いていた正義は背筋に殺気を感じて、振り向く。と、茜がジロリとにらむ。

「んっ? 何だ、小僧?」

「あっ、いえっ、何でもありません・・・」

 エレベーターで五階まで乗って降り、今泉が、正面の部屋の前で立ち止まった。

 理事長室と書かれた札がかかっている。

「ここで、佐伯先生がお待ちしています」

 ドアをノックしようとした寸前、中から、「入れ・・・」と声がした。

「失礼します」

 ドアを開けて、三人が入る。

 数十年ぶりに再会した親友二人は、絶句して互いを見合った。

「佐伯・・・か?」

 茜が、目の前の老人をじっと見つめる。しわくちゃの顔に禿げ上がった額。老人性シミが多い。そして、車椅子に乗っていて、点滴のチューブが左腕に繋がり、ナース服の美女が傍らに立っている。

 佐伯も、茜をじっと見つめている。

「梅雪さん?」

 茜の祖母の名を呼んだ。似ているのだろうか? 茜が生まれる前に祖母は亡くなっているのでわからない。

 当人達がわからないので、今泉が紹介した。

「佐伯先生。こちらが、櫻澤先生のお孫さんの茜さん・・・の中に入っている櫻澤柳一朗先生です」

 全員の沈黙が、しばらく続いた・・・。


「なるほど、一週遅れでお前は死んでいた訳か?」

「うるせーな。お前は修行が足りないから、そんなボロボロの身体で生き残ってるんだろうが?」

 シュールな展開になっていた。佐伯童玄は、茜の身体に入っている死んだ親友の話を、まったく疑うことなく受け入れていた。

「長いこと会わないうちに、随分、口が悪くなったな〜。まあ、いい。お前が武当派の極秘伝、帰神融魂之法を伝授されていたから助かる。張恩傑掌門は、こうなることも見越していたのかもしれん」

「で、俺を呼んだ用向きは何だ? まあ、だいたい、察しはつくが・・・」

「今泉君から大体のことは聞いた。お前のところに徐雲の一派が来たんだろう?」

「そうだ。あれは厄介だな。昔のようにはいかんぞ」

 佐伯童玄は、戦後に教育事業を始めていた。武道禁止令を廃止する運動にも中心人物として参加し、武道が解禁されると同時に、武術を教育の支柱におく学園を作り、大きくしていった。

 初期の頃には柳一朗も協力していたのだが、組織拡大と商業主義に走り過ぎることを批判して袂を分け、自分は山中で隠棲するようになった。

 けれども、決定的に反目した訳ではない。柳一朗は、「ある物」を佐伯に預けていた。

「徐雲は、アレを狙って来たんだろう」

「そうだろうな」

「しかし、どうする? 柳一朗、いくらお前でも、七人の中国を代表する武術名人を相手に戦うのはきついだろう?」

「八人だ。徐雲のヤツも、以前よりずっと内力が上がっていた。ヤツが一番、手ごわいかもしれん」

「あの〜、警察に相談した方がよくないですか?」

 今泉が二人の話に割って入った。

 二人が、チラッと今泉に視線を向けて、プイッと無視した。

(えっ、そこで無視すんの?)と、今泉は内心、ムッとした。

「その小僧はお前の孫だったな?」

「うん。どうだ、使えそうか?」

「ああ、そうだな。で、他の者は?」

「用意はできている。後は、お前が指導すれば、充分、対抗戦力になれるだろう」

 佐伯童玄が、ニヤリと笑った。シワに埋もれた両眼が怪しく光っている。

「先生、そろそろお薬の時間です」

 ナース姿の美女が事務的に喋った。

「何だ、お前。不健康だな〜? その看護婦さんはお前の愛人がコスプレしてんのか?と思っていたら、本物だったのか?」

「ハハハ・・・、そんな元気はないよ。上矢君は私の秘書兼専任看護師だよ。それにしても、本当にお前は口が悪くなったな〜? ハハハ・・・では、失礼させてもらうよ。後の話は上矢君とやってくれ・・・」

「おいおい、秘書に話して大丈夫なのか?」

「ハハハ・・・大丈夫。いい忘れていたが、上矢君は私の内縁の妻だ・・・」

 上矢に押されて車椅子に乗った佐伯童玄が退室していった。

「何だ? やっぱり、コスプレさせてたんじゃね〜か」

 茜が悪態をつくと、今泉と正義もため息をついて、ソファーにもたれた。

「俺も疲れたから、茜に替わるぞ。この術は長時間は保たないんだ。眠っ・・・」

「あっ、ちょっと、櫻澤先生!」

 一瞬で眠った茜の様子をうかがっていると、パチッと眼を開いた茜が、あくびをかみ殺しながら大きく伸びをした。

「あ〜、しばらく眠ったから、落ち着きました。すみません。祖父が失礼しました」

 ペコリと頭を下げる。

「あ〜、もうっ! 混乱するっ! どっちがどっちなんだか、よく判らないよぉっ!」

 今泉がソファーの上で悶えた。

「お祖父さん、また、結婚したんだ・・・」

 正義がウンザリした顔をする。

「またって・・・何回目?」

「確か、六回・・・いや、七回目かな?」

「ちなみに、正義君のお母さんは、何回目の奥さんの子供なの?」

「さあ〜? 聞いたことないから、わかりません」

 佐伯童玄が、根っからのエロ爺さんだということだけは判った・・・。

 しばらくして、上矢女史だけが戻ってきた。ナース服からきっちりしたスーツ姿に変わっている。有能な女秘書の雰囲気であったが、タイトスカートから伸びた脚には網タイツにエナメルの赤いハイヒールと、この辺は童玄の趣味なのだろうと思われた。

「後の話は、私がするようにと童玄から申し付けられて参りました。申し遅れました。上矢ルイと申します」

「すみません。こちらも祖父は引っ込んでしまいましたので、私が代わって承ります」

「あなたが、櫻澤茜さんですね?」

「はい」

「先ほどの話をもう一度、いたしましょうか?」

「いえ、聞いてましたから大丈夫です」

「そうですか? では、単刀直入に戦略的話に入らせていただきます」

 上矢女史の有能さは、軍師としてのものだったことに、三人は気づいた・・・。


 陽も暮れて、街灯が灯っている学園の塀の外に、二人の怪しい男がいた。

 一人は、雨も降っていないのにコウモリ傘を持っている。

 もう一人は、髭モジャで赤ら顔。

 黄飛鴻と酔鬼張三。

 二人とも軽功に長けた武術家である。

 とりわけ、酔鬼張三の軽功の術は鬼神の業だといわれ、空を飛んでいるかのようだから、飛行術と呼ばれたという。

「徐雲殿の命令は、やつらのアジトを突き止めろということだったが、どうする? 張三殿。これは、ちょっとした城のようなものだぞ?」

「うむ、ちょっと、探ってくる。黄先生は、待っていてくれ」

 酔鬼張三が、二メートル以上ある塀を簡単に飛び越えていった。巨大なコウモリかフクロウが飛んでいったようである。

 黄がじっと待っていると、張三は三十分くらいして戻ってくる。

「ここは、武術の学校だな。しかし・・・」

「何だ?」

「子供の遊びだ」

「子供の遊びか? 我らの力を舐めておるのかな?」

「だろうな・・・」

「にしても、あの娘は美味そうだったな」

「俺は、あの小僧を食ってみたかった」

「二人とも中におるぞ。食うか?」

「抜け駆けは徐雲殿が許すまい」

「一カ月も待つのは、堪えられぬ」

「当たり前だ。我らも食らわねば身体が朽ちる」

「鼠や蛇では腹の足しにならん。やはり、ヒトでなければな〜?」

「では、町でヒトを食おう。この町は、なかなか活気があるが、街灯が少ない。ヒトをさらって食うのはたやすい」

「そうだな。そうしよう・・・」

 街灯の下で恐ろしい話をしていた二人の魔人は、さっとかき消えるように闇に飲み込まれていった・・・。

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