第一ノ変『猛虎硬爬山』

 二十一世紀を迎えても、長い伝統を誇る歴史的拠点は変わらない。

 河南省嵩山少林寺。ここは世界に名高い少林武術の総本山。

 大ヒットした映画以来、多くの武術学校が設立されては消えていったが、少林寺に伝わる武術は失われることなく伝えられていた。

 しかし・・・その夜、中国武術の名門、少林寺に恐るべき敵が訪れた。

 いきなり山門の門扉が大砲を食らったように破砕され、三メートルはある大槍を持った小柄な男と、杖をついた男が現れた。

 武僧たちが何事か?とおっとり刀で飛び出してくる。皆、棍を持っていた。

 中国武術の総本山と言われながら、その実、少林寺は棍法(棒術)が有名だった。拳法や各種の兵器(武器)は、棍法で練り上げた身体であってこそ真価を発揮すると考えられていた。

 これは、武当派の武当剣法が有名であったのと似ている。

 武僧たちが二人の侵入者を取り囲んだ。

「貴様らは何者だ? 少林寺に何の用があって、こんな真似をする?」

 中年の筋骨逞しい教練が質問すると、杖をついた男が一歩前に出た。年寄りのようだが異様な精気を発散している。いや、妖気と言うべきだろうか?

「方丈に会いたい」

 方丈とは、他派で掌門と呼ばれる一門の代表者のことで、仏門である少林寺の呼び名である。

「方丈に? 何の用がある?」

「こちらの李先生と手合わせを願いたい・・・」

 大槍を持った小男を見た教練が、一瞬、たじろいだ。眼光が赤く燃えるように怪しい色に見えたのだ。

「方丈と手合わせなど・・・ふざけるなっ!」

 若い武僧たちが激高して棍で打ちかかった。が、小男が大槍をグルンッと回して棍を弾くと、先頭の武僧の眼前に立っていた。

「うっ、いつの間に・・・」

 数mの距離を一瞬で縮めた小男の掌が武僧の腹に触れたと見えると、フンッ!という気合と共に武僧が吹っ飛んで後ろの仲間に当たり、そのまま数人が重なり合って将棋倒しのようになった。

 打たれた武僧は背骨が折れて胴体がぐにゃりとあり得ない角度に曲がって死んでいる。

「何ということを・・・阿弥陀仏・・・」

「総師範?」

 教練の背後から少林寺の総師範、孫武が現れた。少林寺をビジネス戦略で売り出そうとしている若い方丈と違い、武僧達に武芸を教える師範の中で最も高齢であるが、それでもなお、誰も実力で及ばず一身に尊敬を集めていた。

「方丈は海外へ行っておられて留守での〜。拙僧が留守を預かっておりますので、御用件は拙僧がうかがいましょう・・・」

 穏やかな表情を崩さずにそう言った孫が、じっと小男を見つめて驚いた顔に変わる。

「これは・・・李書文先生? いや、まさか・・・あり得ぬ・・・」

「ほほう・・・さすがは少林寺の総師範ともなれば判るようですな。左様、こちらは神槍李と呼ばれた六合大槍の術と、『李書文に二の打ち要らず』と恐れられた我が国の武術史上で最強と噂される八極門の李先生です・・・」

 杖をついた男が言うと、孫はブルブルと震えた。

「しかし・・・李先生は、遥か昔に亡くなられたはず。私が李先生にお会いしたのは、先生が亡くなる一年前で、その頃、私はまだ子供であった・・・」

 孫の動揺は、「拙僧」が「私」に変わっている点でも明らかだった。

「フフフ・・・確かに、ここにおられる李先生は、一度、この世から無くなられたが、わしの秘術によって蘇られた・・・」

「何? 蘇った・・・とな? まさか、それは・・・反魂の外法術」

「さすがに知っておられるか・・・」

 孫の額に脂汗が滴った。

「なるほど・・・それで合点がいった。拙僧の知る李書文先生は、勝負に関しては厳しく妥協しない方だったが、弱い者をいたずらに嬲り殺すような非道な方ではなかった。反魂の外法術で蘇った者は人の心を持たぬという。李先生を魔人にして操るとは、お主は何者じゃ?」

「徐雲と申す」

「徐? その名も聞いたことがある。昔、大戦の渦中を狙って、各派を襲撃して回り、武林の盟主になろうとしたが、武当山で敗れて幽閉された者が徐という名だったと聞く。まさか、生きておったとは?」

「よく、ご存じじゃのう? 左様。わしは武当山で敗れてずっと幽閉されておった。しかし、長い幽閉の期間はよき修行にもなった。わしは崑崙派に伝わる邪眼功の修練を積み、半年ほど前に完成した内功の力で武当山を脱出した。そして、反魂の外法術を遣って我が門派を立てるために、まず、中国武術史上最強と呼ばれた李書文先生を蘇らせた・・・」

「まず・・・とは?」

「無論、各門派の名だたる遣い手を蘇らせて我が門派を史上最強とするのが目的だ」

「阿弥陀仏・・・何と、恐ろしいことを・・・」

 孫が合掌して祈った。

「かつて、わしが武林の盟主を目指しながら失敗したのは、いかにわしが超絶の武功を体得したところで、独りだけでは無理があったからだ。しかし、弟子を育てる余裕はわしにはない。ならば、かつて各派にこの人有り!と称賛された達人たちを蘇らせて一門を立てればよい・・・と考えた。既に各派の秘伝書を奪っていた中に反魂の外法術のやり方を解いたものもあった・・・あ〜、これは失礼した。反魂の外法術は、少林派のものであったな?」

 皮肉混じりに言う徐雲の言葉に孫の顔色が曇った。

「それは・・・古来より密かに伝わる術の中でも最も邪悪なものとして、我が派で封印されてきたもの。術が伝承されていたものではない。拙僧も直に見たことはない」

 孫の顔に怒りの感情が沸いていた。一門を侮蔑されて怒らない者はいない。

「だろうな。わしがとっくの昔に奪っていたのだから、空箱を偽って守らせたのだろう。天下の名門も姑息な真似をする・・・」

 徐雲が嘲笑するが、孫は反論できない。

「先代から聞いてはいたが、まさか、このようなことが現実になろうとは・・・」

「ここまで話を聞いた上は、どうする?」

 徐雲が残忍な顔で問い詰めると、孫は一瞬、苦渋の表情を見せた。が、決心したように平静な顔に戻って宣言した。

「反魂の外法術は決して世に出してはならぬものだった。封印するのも拙僧の責務であろうか。皆、手を出してはならぬ。これ以上、犠牲者を出す訳にはいかぬ。では、李先生。お相手をお願い致そう・・・」

「総師範! お待ちください。このような狂人のタワ言に総師範が付き合う必要はございません。ここは私にお任せください!」

「ならぬ! 心配無用じゃ。全ては御仏のお導きである・・・」

 孫が教練を制して前に出る。

 少し半身に構え、ゆっくりと羅漢拳の構えを取った孫に対して、李書文が槍を徐雲に預け、無造作にスタスタと近づいていく・・・。

 すると、孫が構えを解いて両腕を自然に垂らした。

 かまわず李が軽く掌を出すと、孫がその腕を掴んで引き落としながら激しい震脚と共に体当たりをする。

「心意把?」

 教練が驚きの顔をするのと、徐雲が「しまった」と言うのが同時だった。

 少林寺の極意秘伝『心意把』は、一撃必殺の発勁の威力が知られていたが、遣える者がほとんどいなくなったと噂されていた。教練も存在は知っているが学んではいない。徐雲も名称は知っていたが、見るのはこれが初めてだった。

 まさか、初手から極意の技を繰り出して来るとは徐雲も予想外だった。

 孫の激しい震脚で石畳にヒビが走る。一撃で打ち殺す剛拳が心意把の要で、あまりの殺傷力から極意秘伝とされたのだった。

 もっとも、老齢の孫にとって手合わせが長引くのは不利であり、また、李書文程の達人に中途半端な技を仕掛けてもどうなるものでもないことも熟知していた。初手から最高の奥の手を捨て身で仕掛けて相討ちを狙ったのだ。

 が、完全に極まったと見えた心意把の一撃を受けた李書文は、何事も無かったように無造作に掴まれた腕を折り畳んで孫の腹に肘を当て、フンッ!と激しい気合と共に震脚をドカッ!と踏み鳴らす。

 と、石畳の石が砕け飛び、深く足がめり込む。孫の震脚の十倍以上のエネルギーが発生したのが判る。とうてい、人間のできる技ではなかった・・・。

 一瞬の間があって、ゴブッという音と共に、孫の口から血が噴出した。肘で肋骨が砕かれ肺を突き破っていた。

「猛虎・・・硬爬山・・・」

 血ヘドを吐きながら、孫の口から李書文の遣った技の名前が出た。

 猛虎硬爬山とは、李書文の得意技で誰にも打ち破ることができなかった必殺技として有名だった。本来は、最初の一撃は牽制で、二撃目で極める技だったが、李が遣うと牽制の初撃だけで相手は絶命してしまったことから、「李書文に二の打ち要らず」と恐れられた伝説の技だった。

 虫の息で教練の腕で抱き起こされた孫は、無感情に見下ろす李書文を見つめたまま涙を流していた。

「無念。幼き日に見た神槍李に憧れ武芸を学んだ己が、魔物になって蘇った神槍李に殺されるとは・・・いや、猛虎硬爬山で死ぬるは御仏の慈悲か・・・」

 奇妙に自虐的な微笑を浮かべて孫は息絶えた。

「いくら少林寺の極意である心意把を遣っても、李先生とは内力(内功ともいう)に大きな差がある。勝てる道理もあるまい。しかし、李先生に二撃目を出させたのは、さすがは名門の総師範とほめておくべきか・・・。おいっ、この男以上の実力の者が少林寺にいるか?」

「おらぬ・・・。総師範が皆の師父にして少林寺の最高の遣い手だ。俺にチカラがあれば師父の仇を討つものを・・・」

 教練は涙ながらにそこまで言うと、後は嗚咽で言葉が出なかった。

「そうか・・・ならば、長居は無用じゃな」

 そこまで言うと、忽然と二人の魔人の姿はかき消えた。ただ、夜の闇に徐雲の哄笑が、いつまでも響いていた・・・。

「あれは・・・悪魔だ・・・誰も勝てない。勝てる道理がない・・・」

 教練は呆然とした顔で、うわ言のようにつぶやいた・・・。

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