セブンブレード 武侠学園
長野峻也
序ノ変『飛天剣法』
西暦1945年8月、極東の島国「日本」に新型爆弾が落とされた。人類が初めて手中にした核兵器「原子爆弾」だった。
丁度、その頃、中国内家武術の名門「武当山」に異変が起こっていた・・・。
険しい山道を登ると武当派武術の道院がある。
櫻澤柳一朗と佐伯忠志は、中国の道服を着て、掌門(日本で言うところの宗家。つまり一門の代表責任者)の張恩傑を訪ねていた。
二人は陸軍中野学校に学び、満州の顔役といわれた甘粕正彦(満州映画協会理事長)が組織していた甘粕機関の要請で、軍事探偵(特務機関員)として中国各地を調査してまわっていた。
当時の軍事探偵には武術の遣い手が選ばれることが多く、苛酷な任務は時に戦闘になる場合もあった。特に甘粕機関は、外務省要請の特務機関員とは違って、機密任務を担うことが多く、満州国を支配する関東軍所属ではなく独立した隠密機関だった。
張作霖爆殺、柳条湖事件等の数々の謀略工作の裏に甘粕正彦と大陸浪人達の暗躍があったともいわれる。
大陸浪人と呼ばれた者には、馬賊の大頭目になった小日向白朗や伊達順之助がいたが、軍事探偵に雇われた者には、戦後に日本空手協会の会長となった中山正敏、実戦合気道の達人と絶賛された養神館合気道の塩田剛三、最後の忍者と呼ばれた戸隠流忍法の高松寿嗣、日本少林寺拳法を創始した中野(宗)道臣等、戦後の日本の武道武術の世界をけん引した人物も多かったが、彼らは生涯、軍事探偵としての具体的な仕事については黙して語らなかった。
櫻澤と佐伯も、剣術・居合術・柔術・空手・合気術等を一通り学んでいたが、特に櫻澤は天分を備え、中国各派の武術家と交わり、太極拳・形意拳・北派少林拳・白猿通背拳・八卦掌・八極拳・蟷螂拳・洪家拳等々、各派の中国武芸を短期間で修得していた。
中でも、ここ武当派では豪放磊落な性格の張掌門に気に入られ、特別な指導を受けた。
気に入られた切っ掛けは、櫻澤が「自分は日本の軍事探偵である」と、隠すことなく明かしたからで、そんな重大な秘密を話してしまう櫻澤の仁義に篤いところに、張掌門がすっかり、ほれ込んでしまったからだった。
櫻澤の裏表のない率直な性格は、張掌門の気質にもぴったりだったのだ。その上、とてつもない武才の持ち主であることも見抜かれていた。
それで、張掌門直々に秘伝の剣法を伝授したのであった。
道院の中に入るのは佐伯は初めてだったが、櫻澤は数カ月滞在し見慣れていた。
ところが・・・。
「櫻澤。これは・・・」
佐伯が呼びかけても、櫻澤は茫然としたまま応えない。
道院の床にはおびただしい鮮血がまき散らされ、屍々累々のありさまだった。たいていの者が喉を斬り裂かれて絶命している。武術に長けた道士達が一太刀で急所を斬り裂かれるというのは、どれほどの遣い手だったのか?
「・・・おい、しっかりしろ!」
櫻澤が血の海の中で力なくもがいていた男を助け起こした。
右手に半分に折れた剣を持っている。高齢の張掌門の身の回りの世話をしている男で、姓を劉といった。
「柳さん? お嬢様がさらわれて、掌門が・・・あの化け物と戦って・・・」
柳一朗から採った中国名の名を呼び、必死の形相でそこまで言うと、口からゴボリと血泡を噴いて力尽きた。
「お嬢様というのは、掌門の娘の梅雪か?」
「おい、あの化け物ってのは・・・まさか?」
佐伯の言葉に、櫻澤は無言でうなずくと、劉を静かに横たえ、見開かれたまぶたを閉じてやり、折れた剣を手から外して両手を胸の上で組み合わせてやった。
「そうだ。武当派武術の総本山でこんなことができるのは、ヤツしかいない・・・」
いつも泰然としている櫻澤が、珍しく感情を顔に出している。
(この男でも怒ることがあるのか・・・)
佐伯は、長い付き合いで初めて親友の怒った顔を見ていた。
櫻澤と佐伯が道院の惨状を発見した同時刻に、武当山の頂きでは、二人の剣侠が戦っていた。
一人は長い白髪白髭をなびかせて白い道服をまとい、長剣を片手に鋭い目付きで、全身から鮮烈な気迫が溢れている。少なくとも齢七十は越していると思われるが、精気に衰えは感じられない。まるで仙人のようである。
武当派掌門、張恩傑である。
もう一人は、三十を少し越すくらいだろうか?
黒い髪に白いものが混じって年齢不詳に見せてはいるが、野生の獣のような精気を発散させ、こちらも長剣を持っている。
二人は物理法則を無視するかのような体術で岩壁を斜めに駆け、空中を飛ぶように飛翔し、互いの剣を烈しく交錯させている。
「さすがは武当派掌門にして武林最強の剣術、飛天剣法の遣い手と言われるだけのことはある。でくの坊の弟子達とは雲泥の差だな。他派の中にも、これほどの絶技の持ち主はいなかったぞ・・・」
若い方の男が、不敵な微笑を浮かべて老齢の道士を称賛した。
「娘を人質に取るとは卑劣なヤツ。お主が噂に聞く外法の術士、徐雲であろう。何が目的で我が武当派に仇を為す? 梅雪はどこに隠した?」
徐雲と呼ばれた男は、邪悪な顔で哄笑した。
「娘を人質に取るだと? 貴様の娘は点穴して納屋に閉じ込めている。えらく美形だから、お前を殺した後で妾にしてやろうと思ってな。我はただ、貴様を殺して武林第一の腕を証明したいだけのことよ」
徐雲の言葉を張掌門が笑い飛ばした。
「外道めが、いつわりを申すな。お主の真の目的は我が派に伝わる秘宝であろう?」
張掌門の言葉に徐雲がニヤリとする。
「それも有る・・・。が、まずは貴様を倒して、ゆっくりと頂戴する!」
徐雲が猛烈な速度で迫り、剣を連続して刺してくる。張掌門が太極剣法の粘の技法で受け流すが、徐雲の剣は途中で二つに分かれ、一つが掌門の肩を刺し貫く・・・。
とっさに地を蹴って間合を取るが、掌門の肩から腕へと血が流れてくる。止血のために点穴するが、傷は左肩甲骨を貫通しており、左腕はもう動かせそうもない。
「双剣か・・・姑息な真似をせねば、この爺ぃに勝つ自信がなかったか」
荒い息で精一杯の皮肉で責めたが、もはや老いた身に勝ち目はなくなった。
「奥の手は隠しておいてこそ意味を持つ。これも武術の策の内。姑息であろうと効果的ならばそれでよい。それに、腕が互角なら傷を負った方が負けよ・・・。老いぼれは、あの世で呪いの言葉を吐くがよいっ!」
徐雲が二つの剣を目まぐるしく回転させて迫ってきた時、黒い影が二人の間を駆け抜けた。隼か?と思ったが、その影は張掌門をかばうように立った。
「柳一朗!」
櫻澤が張掌門をかばって、徐雲の前に立ち塞がり、遅れて佐伯が梅雪を連れて掌門のかたわらに寄り添った。
「お父様!」
「おう、無事であったか?」
「掌門。こやつは私にお任せください・・・」
櫻澤が張掌門に呼びかけ、そっと、掌門の長剣を受け取った。すかさず、佐伯と梅雪が掌門を抱きかかえるようにして座らせる。
「誰だ? 貴様・・・武当派の者か?」
「武当派ではないが、張掌門に教えを受けた者だ。義によってお相手する」
「何者かは知らぬが、この徐雲に立ち向かおうとは笑わせる。よかろう。先に冥土に送ってやる!」
徐雲が先手を仕掛けようとした時、櫻澤の剣先が眼前に迫っていた。気配も何もない。まったく反応できなかった。
驚いて飛び退く。と、いつの間にか背後を取られる。ギョッとして岩壁を蹴って間合を取ろうと逃れた。が、恐るべき速度で飛翔した櫻澤が徐雲の前に降り立った。
恐怖にかられた徐雲が慌てて双剣を目茶苦茶にふるったが、櫻澤は剣を一合することもなくスルリと背後を取っていた。
徐雲のスピードは張掌門を上回る速さで、神速の域に達していた。が、櫻澤は見えない速さ、超神速と呼ぶべき域に達し、しかも使っている技は張掌門と同じものだった。
「ひ、飛天剣法?」
徐雲が驚愕の声で呻いた。
「フフフ・・・柳一朗・・・こやつ、もう飛天剣法の絶招(必殺技)をものにしおったのか?」
張掌門が愉快そうに笑うと、徐雲は青ざめた顔で櫻澤を凝視した。
「本当に・・・飛天剣法なのか?」
あまりの速さの違いに剣を交えることすらできない。
(これが飛天剣法の真法なのか? だとしたら自分など、とうてい、及ばない)
徐雲は戦慄した。武林最強と自負していた自分を遥かに上回る者がいるとは夢にも思わなかった。
「そうじゃ。わしのような老いぼれにはこの剣法の真価を引き出すことはできぬ。だが、これで良き後継者を得た。いかなる剣法の絶技も会得する者がおらねば消え去る。この飛天剣法は武当派の剣法とは少々違っておってな。わしが若い頃に武林の優れた遣い手たちとの手合わせの中で磨いて完成させたが、弟子の誰もできるようにはならなんだ。これはわし一代限りかと思っておったが、この男の剣才を見込んで教えてみたら、創始者のわし以上に遣うようになるとは・・・? ハッハッハ・・・道家のわしも仏が説いたという縁とやらを信じたくなったぞ」
張掌門が愉快そうに笑う・・・。
「待て・・・この男。漢人ではないようだが? 異国の者に継がせても良いのか?」
徐雲が吠える。中国人は民族意識がことの外強い。そこを責めれば突破口があるかもしれないとする策略だった。
「かまわん! この櫻澤柳一朗は仁義を知っておる。武当派武芸を継承するに足る者ぞ」
張掌門がそう言うと、徐雲は観念したようにうなだれ、双剣を落とした。
万策尽きたことを悟ったように、徐雲は観念した。櫻澤は、剣指を作って点穴で穴道を突き、徐雲を気絶させた。
「ところで、柳一朗。突然、戻ってきたのはどういう訳じゃ?」
傷の手当をされながら張掌門が質問する。
「掌門。私の祖国が戦争に敗れました。アメリカが新型の爆弾を使ったのです」
「そうか・・・それなら、ここに留まってはくれぬか? このまま中国人として武当派を蘇らせてはくれぬか? 梅雪と夫婦になって残ってくれぬか? 娘もお前を好いておる」
梅雪が赤くなってうつむいた。
佐伯が口を挟もうとするのを手で制して、櫻澤が応えた。
「他国の侵略を図るような愚か者達に支配されていたとはいえ、私の祖国は日本です。国が復興するのに私は力を尽くさねばなりません。大恩ある掌門に別れの御挨拶をするために戻りましたが、まさか、こんなことになっているとは・・・」
「ああ・・・武当派が蘇るには長い時間が必要だろう。お主がいてくれれば心強いのだがのう〜」
憔悴し切った顔の張掌門と、悲しげにうつむいた梅雪に、寂し気な顔を向けて微笑むしかできない親友の横顔を、佐伯忠志は生涯、忘れることがないだろうと思った。
その日から二十年後、張恩傑は永眠した。
櫻澤柳一朗は、その間に幾度となく中国を訪れ、武当派門人を育てて張の後継者も選び、自らは決して掌門を名乗らなかった。
しかし、その間に梅雪と夫婦になって日本に戻り、一女をもうけた。長年の労に報い、張は櫻澤に、武当派に伝わる宝である神剣を贈るよう遺言していた。外法道士、徐雲が狙っていた武当派の秘宝というのが、これだった。
更に年月が過ぎ去り、新しい世紀を迎えた。武侠達も新しい世代に変わった。
真の物語は、ここから始まる・・・。
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