第4章 異変と変革と(中編)
「ふんふんーふ~ふふん」
ボサボサ頭の涼香は鼻歌交じりにパジャマを脱ぐと下着を外すと洗濯機に放り込む。時刻は午前6時半、学校へ行く前にシャワーを浴びるのが彼女の日課だ。
生まれたままの姿で風呂場のドアを開けると湯気が顔に当たり、ざぱぁんっという水音が聞こえてきた。おかしい、この時間御婆ちゃんは台所でご飯を作っているから誰も入っていないはずなのに…そこまで考えると直後に涼香はとある人物の顔が脳裏に浮かび、同時に湯気が晴れ細マッチョで筋肉質の青年の姿が露となる。
「「あっ」」
目が合い、声が重なる。ドアを開け空気が入ってきたせいか湯気が完全に晴れ、お互いの生まれたままの姿が見える状態になり青年の視線は顔から下の部位へ、涼香も吸い込まれるように下へ視線が落ちていく。
そしてたまらず涼香は叫び声をあげた。
「あー、朝からグロテスクなもんみたわ! きーんも!」
「不可抗力だろ! そっちこそ風呂場に誰かいるのくらい確認してから入って来い!」
「あの時間私が入るからズラして言うたやん! なんなん? 一緒に入りたかったん?」
「だーれがお子様と入るか! 胸のデカイねーちゃんとなら大歓迎だね!」
「おたんこなす!! ばーか!」
「ぺちゃぱい!!」
「BかCくらいあるわ!」
お互い順番に風呂を澄ませてから言い合いをしながらご飯の準備をし、火花を散らすにらみ合いの間に飯やおかずを食べる二人に祖母友恵は微笑む。この居間から朝日に照らされる山々を見るのは、もう何回目になるだろうか。我流大輝が峯崎家に泊り始めてから3週間以上が経過しようとしていた。毎朝のランニングで町の隅まで探索範囲を広げるが魔神の剣の反応は相変わらず微弱なもので、それ以上大きくなることはない。しかし、この町に居ることは確かだ。やっていることは雲をつかむような話だが、僅かな手がかりがあるなら探すのをあきらめるわけにはいかない。
その傍らで峰崎家の二人と過ごす日々は、意外にも充実したものになっていった。特に孫娘の涼香とは歳が近いのもあってか家で一緒にいることも多く、話題や価値観が似ている部分は多く次第にお互いを理解していく。
峯崎涼香、16歳。県立笹ヶ峰高等学校に通う1年B組出席番号8番、帰宅部。運動はそこそこできる。成績は中の上。料理は得意で祖母と日替わりローテーションでご飯を作っている。明るく面倒見がよく多少お姉さん気質ありだが、おっちょこちょい。しかし、実は家庭や今まで過ごしてきた環境のせいもあって、子供の頃から常に背筋を伸ばして生きてきたらしい。素を見せたり甘えたりできる人があまりいなかったんじゃないかと思う。
最初の日、涼香に感じた違和感は恐らくそれだ。
顔は笑ってるのに雰囲気は笑ってない。
「大輝君?」
ふと涼香は心配そうな顔で覗き込んできて大輝は我に返る。
「どしたん? すごい難しそうな顔してたで」
「え、あー…考え事」
「ふーん。なぁなぁこれ可愛いない?!」
涼香が手に取って見せてきたのは白いワンピースだった。使われている布も高級そうでハンガーについている値札を見ると税抜き二万五千円超特価と書いてあり、改めて女の子っておしゃれにお金がかかる生き物なんだと再確認する大輝であった。
今日は週一の買い出しの日で、笹ヶ峰からバスを乗り継ぎ一時間半以上先にある麓の街へ降りてきている。いつもなら一週間分の材料を買い込みファミレスで昼食を取ってから帰るのが流れだが、涼香が服を見たいというのでスーパーから一五分離れた場所にあるデパートへ来ていた。土日とあって店内は人でごった返し、一階出入り口付近にあるマクドナルドは満席でその隣の飲食店も満席だったので人ゴミの喧騒から離れた場所の休憩スペースで朝食を取った後、3階の衣服売り場で試着中というわけだ。
しかし、ほとんど女物の服ばかりでお客さんも女性やカップルばかりで店員には「彼氏さんですか?」と聞かれ、しどろもどろに否定するとなぜか涼香から冷たい視線が飛んでくるは、挙句ランジェリーショップという暗黙のルール上男子禁制の売り場へ連れていかれるわで精神的に疲労しきった大輝は涼香がトイレに行っている間、一人自販機横の休憩スペースで燃え尽きた某ボクサーのようにぐったりと座り込んでいた。
「なんか、すげぇ疲れた…」
店内の時計を見ると時刻は午後一時四十七分。この後は映画を見るとかいってたな…自販機横にあるデパートの見取り図で映画館の場所を確認していると、女子トイレから涼香が出てきた。
「なにやっとん?」
「映画館の場所。2時から上映だし、いくか?」
「うん!」
にぱっと花咲くように笑う涼香に、最近大輝はきゅんと来るものを感じるようになっていた。咄嗟に口元を隠しそっぽ向き誤魔化す大輝の行動に、涼香は目をパチクリさせ小さく首をかしげる。最初の頃は会話も少なかったが時間が経つに連れお互いのことを知り、喧嘩で口を聞かない日もあったけれど理解し、今では週一回の買い物へ一緒に出かける仲にまでなっていた。時間の流れが緊張をほぐしたのか、それともお互い相手に抱く信頼度の高さが上がったのか分からないが二人でいることに大輝自身も密かながら、うれしさを感じるようになっていた。
涼香が選んだ映画は、こういってはなんだが、ありきたりなラブストーリーだった。観ていると歯がゆくなるというか、背中がむず痒くなるというか、そんな感じだ。ストーリもシンプルでわかりやすく二人の男女が出会い仲良くなり次第に恋心を抱いていくが、突然離れ離れになってしまう。数々の困難を乗り越え男が助け出し最後二人は結ばれる。あまり映画を見ない大輝にとってはイマイチ共感や惹かれるもものはないがチラリと隣を見ると、涼香はボロボロと涙を零し泣いてたのだ。思わずポップコーンを食べる手が止まり、その透明な滴は彼女の頬を伝っていた。約二時間の映画が終わり外に出ると涼香はまだ泣いており周りからの視線もチクチク痛かったので、仕方なく手を引いて人気のないエレベーターのエレベーターの方へ連れていく。
「お、おい。大丈夫か?」
「ごめん…止まらなくて、変や…なぁっ」
大輝からすれば心にぐっとくる映画ではなかったが、涼香は逆だったらしい。こういう時、泣いてる女の子にどうしてあげたらいいのだろう。彼方此方に視線を放り投げながら色々考える大輝は、ゴホンっと喉を鳴らすと顔を真っ赤にしながら涼香の頭に手を置く。
「む、昔母ちゃんが…泣いている女の子は慰めてやれ! …なんつって」
ぶっきらぼうな態度の大輝は赤い顔をらそっぽに向けながら、涼香の頭を優しく撫でる。しばらくして涼香が泣き止んだのを見計らって大輝は「そろそろ帰る?」と聞く。
「うん。なんか…ごめんね」
赤い目をこする涼香は、照れくさそうに微笑む。その表情は眩しく胸の鼓動が高鳴り、日が重なるごとに愛おしくなっていく。これまで理性という糸が何度か切れそうになる度、会って三週間ほどしか経たない女の子にそんな破廉恥な事は出来ないし、されたほうも迷惑で嫌がるに違いない、と制御してきた。
「わ、わりぃ! ちとトイレ! 待ってて!」
耐えられなくなった大輝は駆け足で後ろの男子トイレに駆け込む。その姿を追いかけて振り向く涼香は鼻をすすりながら毛先を指でいじり、ムスっとした顔でボソリと呟く。
「…へたれ」
デパートを出ると空は暗く街の明かりに彩られている。大輝と涼香は今日買った荷物を持ちなが、10分先にある駅のバス停まで歩いていくことにする。歩道は上着に身を包む会社帰りのサラリーマンやOL、学生などが行きかい車道は帰宅ラッシュの喧騒が飛び交う。
「御婆ちゃんに電話しといてよかったわー、家に着くの8時や」
「ちょっと遠出しちゃったし仕方ないさ」
本当に女の子ってお金がかかるんだな、と手持ちの荷物に視線を落としながら大輝はシミジミ思うのであった。ビル群を抜け駅のロータリー広場にやってきた二人はバス停で次くるバスの時間を確認したのち、駅構内にあるカフェ店に入る。店内は帰宅時間真っ只中とあってスーツ姿の人たちが殆んどを占めており、大輝と涼香は店員の案内で一番奥の窓際の席に案内され腰を下す。
メニュー本で涼香はショートケーキと紅茶、大輝はバームクーヘンとオレンジジュースをオーダーが来るまでの間は他愛無い世間話に花を咲かせた。
「こういうオシャレな店来た事ないから勝手がわからねぇなぁ」
「あんまり外食せんの?」
「コンビニ弁当が多かったから。簡単で手軽だし」
「アカンよ。ちゃんと食べんと! バランス偏んで!」
「気が向いたら……ああっ、いいな。その髪型」
「え?! あ、そ、そう? ってか今更…」
「いやいや! 朝からいいなーと思ってたけどいうタイミングが無くてよ」
「気分で変えてるんよ」
と、澄ました態度の涼香。しかし、今日の髪型は数日前食後に大輝がテレビに出ていた芸能人のツインテールを、可愛いなぁ、と言っていたのを今朝思い出し、やってみたのだ。
気づいてくれて、尚且つ褒めらて口元が緩みそうになるのを堪える涼香のぎこちない表情に大輝は目をぱちくりさせる。
このままではニヤケが出てしまう、と危惧する涼香は誤魔化しに携帯を取り出す。
「そ、そうそう! 大輝君この前教えてくれたアドレス送れんかったよ?」
「えっ、おっかしいな。中学校の時から変えてないやつだし間違えるはずがないんだけど」
「うーん、なんでやろ…まぁええわ。また携帯復活したとき教えてな」
「おう」
大輝は返事し、水を一口飲む。しばらくすると頼んだものが運ばれてきて涼香は携帯でケーキの写真を何枚か撮影、次に食べている大輝を何枚か撮影。口元がすごくニヤけている、実に楽しそうだ。俺の写真なんか撮って楽しいか…? 女の子って食い物の写真撮るの好きなのかな…っと率直な感想を抱く大輝はバームクーヘンを頬張り、オレンジジュースを飲む。その後も話題は切り変わるも断続的に会話は続き、お互い食べ終わるとレジで会計を済ませ外へ出ると携帯でバスの時間を確認する。
「あと5分か、そろそろバス停向かうか」
「うん」
カフェを出た二人は人の波に乗って、駅構内の階段を下り一階に流れ込む。帰宅ラッシュの時間と重なったせいか周りの殆んどはスーツ姿や学生服の人は多いが、反面旅行客かなと思われる私服姿の人もそれなりに見かけるので、やはり土曜日だなと改めて実感する。
ふと、駅の入り口に差し掛かったところで唐突に声をかけられた。
「そこのお二人さん、ちょっと占いをやっていかんかえ?」
振り向くとそこに全身に黒い衣装を纏った背の低い人が手招きをしている。声からして女性だろうか、目元はフードで覆い隠され顔は見えないが口元のシワの濃さから相当年齢は御婆ちゃんくらいじゃないかと窺える。反対側の手には青い水晶玉を持ち、まるで絵本の世界から出てきた魔女のような恰好のその人に不気味さを感じたのか、涼香は眉を顰める。
しかし、大輝はその反対だった。
「面白そうだし占ってもらおうぜ」
「え、えぇ…」
「食われるわけじゃないんだし、いいじゃん!」
前向きな大輝は黒い衣装をまとった占い師に歩み寄っていく。恐る恐る後からつていく涼香は、大輝の後ろに少し身を隠しながら警戒のまなざしで占い師を密かに見ている。
「お主ら、近々とんでもない災いに見舞われるぞ」
占い師は低い声でそう言った。唐突な宣言に大輝は片目を眇める。
「すべてを生み出した母なる空から降り注ぐ無数の光に大地を焼かれ、多くの魂が死にゆく…決して避けられはしない運命を歯車は、すでに動き始めておる。止めることは、もうできない…」
「お、おう」
占いっていうよりかは予言染みてないか、これ。
「人と人ならざぬ者の間に存在する青年よ、覚えておくがいい。人と人は繋がっている…関われば繋がりは生まれ時が経つにつれ捻じり合い深みを増し、例えどんなに距離があろうとも信じる心を強く持てば互いを引き合わせる。決して忘れるでないぞ…」
瞬きの刹那、占い師の姿が消えた。
「え?」
何の予兆もなく最初から存在していなかったかのように、そこに影も形もなくなっていた。駅構内の喧騒がボリュームつまみを回すように戻ってくる。周囲を見回すが、先ほどまで目の前に確かにいたはずなのに見当たらなかった。何処か物陰に隠れたのか瞬間移動でもしたのかもマジックで姿を消したのか、それとも別の方法で…あらゆる可能性を考えたが瞬きの速度で姿を消すなど人間に到底できない。
「え、え…今…」
「うん、あれ…え…?!」
何が起きたのか、その不思議な出来事に大輝と涼香は確認するように互い顔を見合わせる。
翌日。
6時間目の授業が終わり生徒会の仕事も全部片づけ終えた涼香は、生徒玄関で靴を履き替えていると校庭が雨に濡れているのに気づく。あぁ、傘ないや…小さい溜息をこぼしながら外に出ると生徒玄関の柱に誰かが凭れ掛かっている。
何となく察しがつき歩み寄り顔を覗き込むと、涼香のよく知る人物だった。
「よう」
「だ、大輝君!? なにやっとるの…?」
「雨降ってるから傘持ってきた。天気予報で昼から振るって言ってたからよ」
「そうなんや…ごめんね、わざわざ来てもらって」
手渡された傘を開き、二人は学校を後にする。雨粒はそんなに大きくないが雨脚は強く、走って家に帰るころには制服はずぶ濡れでお風呂コース間違いなしだっただろう。案外雨も悪くないなと、涼香は傘で顔を隠しながら小さく微笑む。
二人が向かったのは家ではなく少し離れた、森に囲まれた白い石畳が続く道の先にある神社だった。峰崎神社と書かれたそこは、峯崎家は代々それを守ってきた町を守るご神体が祀られており、定期的に慰め役である舞姫を受け継ぐ者が御神体周りの清掃や花の交換を行うのがあたりまえらしい。
今日はその日で、大輝も付き添いでやってきたのだ。
「ほへぇー…これが御神体か、全然神様って感じがねぇな」
薄暗い寺の中の一番奥に祀られていたのは、蔦に絡まれた太く黒い柱だった。高さは天井まであり表面は全体的に劣化しており年季が入っている。左右に仏像が2体鎮座しており目の前には宗教に関連するだろう小道具や花などが飾って置いてあった。
「これでも一応町の守り神なんよ。その声を聞くことができるのが、うちの父親なんよ」
「声を聞く、って?」
イマイチ理解できない大輝が訪ねると、花を入れ替える涼香はうんざりした様子で話す。
「一般的にお告げっていうんかな。御神体に愛されし者にしか聴けないー、声なんやてさ」
「はーん……なーんかヤバそうだなぁ…」
こんな腐りかけのぶっとい柱が町を守る御神体なのは分かるしかし、声を聴くってなると現実味がない。何か変な魅力に憑りつかれているのか、はたまた単なる幻想か妄想じゃないのかと疑ってしまう。テレビで動物の声を聴くエスパーや死んだ人間の声を聴く能力なる持ち主が時々取り上げられているが、実際のところ番組側が視聴者の涙腺誘うためにあらゆる演出へ編集し試行錯誤している例が多いと聞く。そもそも超能力や魔術は存在するが実際にできるわけでもないしアニメや漫画の世界でもないので、御神体の声を聴くというのもイマイチ信憑性に欠ける話だ。歴代先祖は全員オカルト好きか宗教好きなのかと思いながら御神体を眺めていると、後ろから聞こえる足音に気づき大輝は振り返る。
立っていたのはスーツ姿の男性だった。
「こんにちは」
大輝は軽く頭を下げるが、男性は目で見てから澄ました態度で無視して歩き出す。なんだなんだ、すげぇ感じわりぃ…白髪交じりの角刈りで頑固そうな顔の男性はそのまま御神体のところへ向かい、目の前で立ち止まる。
「掃除ご苦労」
「いいえ、それじゃ私帰るから」
冷たい口調で涼香は鞄を持って立ちあがり大輝の手を引っ張って外へ出る。
「ちょっと待ちたまえ」
不意に男性から呼び止められ振り向く。
「君、その背中に背負っているのは…なんだ?」
「は? なんだっていいだろ」
初対面で大人には敬語を使う大輝だが、この男性には対してはタメ口でいいだろう。ろくに挨拶もできない、基本的なことができない大人を敬う必要はない。
「もしかして…それは剣じゃないのか」
「だったらなんだよ」
男性の顔が少し険しくなる。なんだこのオッサン…正面を向きにらみ合いの体制を取ろうとした時、涼香に強く引っ張られ大輝は寺を後にする。
「なに?! あれとーちゃんなのか?!」
「うん」
二人は帰りに寄ったコンビニの休憩スペースでご飯を食べていた。田舎のコンビニとあって店員と涼香のやり取りは、まるで近所のおばちゃんと子供ものそれに近い。稼ぎは大丈夫なのかと余計な心配をしてしまいそうになるほど店内は閑散としてはいるが、逆に居心地がよかったりする。
「あれで町長なのか…そりゃ町の人等も好か……ごめん」
「ううん。正直わたしもお父さんのことは、お母さんが死んだ後から嫌いだから…」
「母ちゃん?」
「うん、見て見て」
そういって涼香は携帯を取り出し画面を大輝に向ける。写真に写っているのは、長い髪の女性だった。滑らかな川のような長い髪をなびかせ小さく首を傾げ微笑むその姿は見た瞬間可愛いと思うほどの美形で、同時に涼香と顔がそっくりである。
「母ちゃん似なんだな」
「ちゃんと受け継いでるで! えっへん!」
「ふーん……あっ…」
胸は母親のほうがでかいな、この差はなんだろう…神様って残酷だな…。
「な、なんで苦笑うん?!」
「いや別に…」
「なんなん?! 気になるやん! こっち向いてよ!」
「ちょ?! やめって! ジュースこぼれる!」
そっぽ向く大輝の頬に涼香は子供みたいに、頭をぐりぐり押し付け白状させようとする。
「そ、それ、ずっとつけてるよな?」
話題を変えようと大輝は涼香の白い花飾りのついたヘアピンを指さす。
「あぁ…これ。昔、人からもらったんよ、シンプルなデザインで気に入ってるん…もうつけて8年になるんちゃうんかなー」
そういって涼香は花飾りのついたヘアピンを外して手渡してくれた。長いこと使っている割には傷んでいるところも、塗装が剥げて劣化しているところも見当たらない。
そんなに大事なものなのかな…そうぼんやり大輝は花飾りのついたヘアピンを眺める。
その時だ。雨降る外の道を涼香と同じ制服を着た男子二人が、まるで何かから逃げるように走り去っていくのが見えた。
ドクンドクン。魔神の剣の鼓動が頭の中に響く。
「まさか…」
木造校舎の外壁を突き破り舞う粉塵を裂き振り撒く咆哮はガラスを砕き、空気が振動する。鯰のような姿をした黒い異形の怪物は、逃げる生徒を追いかける走り出す。柱や壁を破壊しながら突進す様子はまるでブルドーザーのごとく、数十メートル先を走る数人の生徒目掛け瞬く間に距離を詰めていく。生徒たちが直前で突き当り右の階段をへ逃げ込む。
ゴォン!! という爆音に近い音を立てて校舎の壁やガラスは振動し、黒い怪物は壁に激突し魚のように飛び跳ねのた打ち回る。その隙に生徒たちは2階へ上がる、突然足元が崩れ二人の生徒が体勢を崩し堕ちる。
その下には黒い怪物が鋭利な牙をむき出し、口を開け待ち構えていた。悲鳴に似た叫び声を上げる生徒は、死にたくない思いで手を伸ばす。
その時だった。
階段下にある非常口の扉ごと壁が吹き飛び粉塵を切り裂く一本の剣が、落ちてくる生徒を待ち構えていた黒い怪物の喉下から脳天を貫き向かいの壁に激突しめり込む。
瓦礫の上に落下し一命を取り止めた生徒二人は起き上がり、黒い怪物を持ち去っていった正体を舞い上がる粉塵の中に見た。
頭から荒々しく流れる白い髪をなびかせ、月光のように光を帯びる金色の瞳。手には背丈と同じくらいの大きい鉄の剣を持つその男は振り返り生徒二人に叫ぶ。
「ここは俺が食い止める!! 早く残っている生徒と先生を校舎から非難させろ!!」
は、はい、っと返事する男子生徒は走り去っていく。姿が見えなくなったのを確認し小さく安どの息を吐く大輝は喉元に突き刺した魔神の剣を下そうとするが刃は進まず、ビクともしない。
「なんつう固い肉と皮膚だ…暴れだす前に」
すさまじい衝撃が横腹と右肩を襲う。視線を落とすと黒い怪物:堕神の体から鋭利な刃がいつのまにか生成され、貫かれていた。そこへ更に盛り上がった皮膚が刃の形を取り変化し、ズブッ、ズブッ、と鈍い音とたてて次々に大輝の体を貫き、口から大量に吐血する。
スイッチを切るように次々と感覚が消失し体から一気に力が抜けるも、大輝は足を踏ん張り堕神から離れ魔神の剣を突き立て片膝をつく。
しかし、ここで諦めたらほかに被害が及ぶ。力がうまく入らなくて長い時間がかかるが、もう一度立ち上がった大輝は魔神の剣を構えけたたましく叫び声をあげた。
「…ん? なんだ?」
地面に足をついた堕神の背中が割れる。中から現れた黒い液体は瞬く間に人の形を取り放出されると左右に生える赤い目玉をぐりぐり動かし、むき出しになった刃物のような歯を不気味にパキパキ音をたてながら咆哮する。それは全身に黒光りする鎧を纏う大柄な体躯の武者だった。右手には魔神の剣を優に超える長大な刀を携え、刀身から唾にかけ斬れ味抜群といわんばかりの鋭利な輝きを放つ。
黒武者は獣染みた雄たけびを上げながら正面から突っ込んできた。
「上等だあああああ!!!」
大輝もそれを上回る叫び声を上げ魔神の剣を振り被る。痛みと別に脳から体中の神経を電撃の如く冷たい熱が駆け巡り、心臓という名のエンジンアクセルの回転数が上がっていく。
ガギィン!!! 甲高い金属音と同時に大輝の魔神の剣と黒武者の刀がぶつかり合い青白い衝撃波が炸裂し、粉塵が巻き上がり窓ガラスを吹き飛ばす。両者ともに大きくはじかれ、黒武者は刀を横なぎに構え振りかぶろうとするが大輝は体制を低くしやり過ごす。
耳をつんざく斬撃音と共に景色が半分ズレたかのような錯覚に陥る。壁や柱を問答無用で切り裂いた黒武者は再度上から剣を振りかぶるも、大輝は体を半分ズラし打ち下ろされる刃を紙一重で避けると懐へもぐりこみ横なぎの一撃を放つも弾かれ仰け反る。
「くっそ、かてぇ!!」
奥歯を噛みしめる大輝はさらに勢いをつけ振りかぶった。
その時、黒武者に顔を掴まれ振り回され投げ飛ばされる。教室の壁を貫き廊下の壁を貫き、男子トイレを破壊し校舎の外に放り出された大輝はじゃり広場を転がり飛び上がって静止し体制を立て直す。
「剣も通らない…表面の鎧が硬すぎる。たぶん手応え的に金属製なのは間違いないけど、何処にも隙間はない。唯一あるとすれば顔だけど…あいつ背が高くて飛び上がるかしないと届かんぞ…」
全部の攻撃をかわしても致命傷を耐え得られない時点で勝は見えない。どうすれば…ゆっくりと迫ってくる黒武者を睨みながら必死に考え表情が険しくなる大輝の頬を雨が伝う。
「……そうだ!!」
閃いた大輝は走り出す。向かった先は学校のすぐ横にある鉄塔だ。50メートル以上ある鉄塔の柱部分を駆け上がる大輝が一番天辺に到達する同時に、後を追いかけてきた黒武者が刀を振りかぶり襲い掛かってきた。
ロンダートジャンプで回避する大輝は、そのままの勢いで一番太い電線の上に着地すると反動で高く飛び上がり、それを追って黒武者が電線の上にやってきた。
次の瞬間、バリバリバリバ!! っと青白い閃光と激しい稲妻が黒武者の体を襲う。
「どんな硬い鉄製の鎧でも電気までは防げんよな!! 雨に濡れてるなら尚更だ!!」
空中で大輝は体制を変え魔神の剣を突き立て、黒武者目掛けて急降下。先端を顔面の突き刺し、落下の勢いでさらに奥へ押し込み黒武者は人語ならぬ悲鳴を上げながら全身を纏う鎧に亀裂が走り砕け散った。
―勝った!!
大輝は心の中で快哉を叫ぶ。しかし、黒武者の本体自体は消滅しておらず大輝の体にまとわりつき、締め付けにかかる。冷たい痛みが全身を駆け抜け骨はミシミシと骨は悲鳴を上げ意識が遠のく。段々と地面が近づいてくる、このままじゃ頭から落ちて死ぬ…振りほどこうとする先ほどまで活性化していた神経や感覚はスイッチを切られたのごとく消失しているのに気づき、咄嗟に瞼を閉じる。
ーダメか…。
「起きろ! 起きろ我流!」
まどろみの中に響く聞きなれた声。重い瞼を開けると、最初に目に飛び込んできたのは青空と大輝を覗き見る人たちの顔だった。
その横に、メガネをかけたお河童ヘアーの青年が安どのため息をこぼしている。
「まったく、心配したぞ!」
起き上がる大輝は眠い目をこすりながら首を振る。改めて周りを見渡すと、大輝の周りには北村をはじめお坊さんや礼服を着た人たちが集まっており、よかった、おお無事だった、など安心を喜ぶ声が聞こえてきた。
「あれ…俺…」
さっきまで、確か堕神と戦ってて…。
「どうした? 覚えてないのか?」
「え…?」
「急に山の中へ行くものだから、みんなで探したんだぞ。そしたら我流、山頂付近の道で倒れているのを発見して運んできたんだ…覚えは、ないか?」
「い、いや、だって…!」
心配顔で覗き込む北村の顔に嘘の色はない。おかしい、さっきまで墜神と戦っていて、それで…。
「あれ……あれ…」
あれ…
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