第4章 異変と変革と(前編)



「いいものやるよ」

真っ青な空の下。桜の舞う季節、ピンク色の花びらの絨毯に埋め尽くされた神社の敷地の片隅で嗚咽まじりに泣きじゃくる少女に歩み寄ってきた男は、やさしく頭を撫でるとポケットから白い花の飾りがついたヘアピンを取り出す。

「お守りだ」

そういって少女にヘアピンを手渡すと、男はもう一度やさしく頭を撫でる。頭から垂れるように流れる髪の間から覗かせるやさしい笑顔、元気な声、あたたかい掌。空気を送り込まれているみたいに心臓の鼓動は加速し体や頬が熱を持っていた感覚を今でも覚えている。

涙で視界は歪み、どんな顔だったかハッキリ覚えていない。

男は立ち上がると少女に軽く手を振り、何か大きなものを担ぎ走って去っていく。どこの誰とも知らない、どこに住んでいるのかも知らない、たぶん今さっきであったばかりの赤の他人だが、強く胸が締め付けられる衝動に駆られ、気が付けば遠ざかる後ろ姿を追いかけて走り出していた。

「待って!」

手を伸ばし、必死に呼び止める。しかし、小学生の狭い足幅では近づくことすらできず、それでも、段々と遠のく大きな背中に私は手を伸ばす。




聞きなれた警告音、目覚めの時か。

まどろみの中に響いてくる耳障りな音に眉をひそめながら、手さぐりで畳をたたき暴れる携帯をつかみ指操作で目覚まし時計を止めた。布団から起き起き上がるも、眠気で遠い世界を浮遊しているかのようにぼんやりする意識で定まらない視線は一点をじーっと睨む。

なんで小さい頃の夢を…。

脳裏にある僅かな夢の残像、という名のパズルピースは纏まることなく消えていき気が付けもうどんな夢だったか、夢の中に出てきた人がどんな声だったか思い出せない。

まぁいいや。息を大きく吸う。ただが夢。またいつか見る日が来る…掛け布団をはぎ取り起き上がる私は身支度に入る。ピンクのダボダボの寝間着を脱ぎ捨て制服に着替え、後ろで髪を括り鏡の前で一回転し身なりチェックし終えると自分の部屋を出て一階の居間へ向かう。

「おばあちゃん、おはよー」

「おはよう。涼香」

居間では既に同居人の祖母友恵(ともえ)は朝食を取っていた。テーブルに並べられた今日の朝食はワカメの味噌汁にさんまの塩焼き、つるりとした目玉焼きに沢庵とシンプルな内容だ。炊飯器のふたを開けると漏れ出る湯気から香る炊き立ての匂いを鼻裏で堪能しつつ、艶のある白米を自分の茶碗に盛り付ける。

「いただきます!」

醤油をかけ箸先でさんまの身をほぐし、やわらかい肉の部分とご飯を一緒に食べる。醤油の効いた魚の肉と温かい炊き立てご飯の触感に舌鼓を打ちながら、更に目玉焼きを追加。

あぁ…美味い、口の中で広がる美味の化学反応を噛みしめていると、顔に視線を感じる。

「今日始業式の入学式のスピーチするから早く学校に行くいうてなかった?」

心配顔の友恵に言われて涼香の箸が止まる。そういえば昨日は予行演習で学校にいって朝の8時前までに行ってリハーサルやるんだった…。

ぎょろりと今の時計を見ると、時刻は午前七時四七分を指示している。

「うぎゃあああああああああ!!」

悲鳴に似た声をあげながら涼香はご飯と味噌汁を口の中に流し込み牛乳を一気飲みすると洗面所で歯を磨き、新品のスクールバッグを肩に担ぎ傷一つない真新しいローファーを履き、いってきます!! っと玄関を飛び出す。目の前には生まれたときから今までずっと見てきた田んぼに深緑の山々が広がっており、涼香は雲ひとつない真っ青なな空の下、田んぼの中に通ったアスファルトの道を蹴って走る。

春の朝は少し肌寒く、呼吸するたびに冷たい空気が喉と鼻を突く。学校まで歩いて二十分かかるが走ればギリギリ間に合うはず。京都の山奥、山岳地帯に属する小さな町”笹ヶ峰町”には信号もなければ横断歩道もない、足止めを食らう要素がどこにもないド田舎町の唯一の利点といえるだろうか。

しかし、涼香は反射的にピタリと足が止まった。

「よう峰崎、おはよう」

差し掛かった桟橋のところで、待ち伏せしていたといわんばかりに立っている三人組のうち一人の男子生徒が話しかけてきた。柔道部に所属しているようながっちりとした体形、金髪で少し色黒な男子生徒の耳にピアスをつけており、制服の前のボタンを全部開け入学初日から悪ぶってます感を醸し出している。その後ろで桟橋の手すりに腰かけている二人、うち一人はツインテールでスカートの丈が膝より上で、残り一人はお団子ヘアーでぱっつんお河童髪型の女子生徒は嫌味な笑みを浮べながら涼香のほうを見てくる。

中学では、クラスの中に確実にいる、かっこいいやかわいい系が集まるイケテルグループに属する類の連中で態度もでかく涼香自身あまり関わりたくない嫌いな人種なのだが、何かとチクチク絡んで来たり嫌味を飛ばしてくるのだ。

どうせまた何か言ってくる、これ以上足止めを食らうと間に合わなくなる。

「おはよ」

短く返事すると足早にその場を立ち去ろうとする。

が、ツインテールの女子生徒が生足で行く手をふさぎ、涼香は再び足止めを食らう。

「なんやの!」

「でしゃばんなや」

な、なんなん朝っぱらから! 面倒くさ!

「ちょっと金に困っとるよな、くれや。な?」

がっ、と金髪の男子生徒が丸め込むように涼香の首に腕を回し耳元でそう呟く。まただ、中学校一年から何度か脅されるたび恐怖に負けてお金を渡していたのが原因で、今もこうして威圧的な態度でお金を要求してくる。一回だけ断ったことはあるのだが、そのあと校舎裏に連れていかれレイプ寸前まで痛めつけられたこともある。その時は幸い学校の先生が見つけて助けてくれたのだが、中学校の先生はイジメを相談しても話は聞くだけで何も対処してくれず、その実態は生徒たちから反感や反撃に、いじめに怯え飼いならされているだけの無能な公務員だった。更にはイケてるメンバーたちがLINEで裏グループなるものを作って地味な生徒や見た目気持ち悪い生徒など悪口を言い合い、自殺に寸前までいった生徒もいたのだ。

その主犯格が、この三人組である。警察が事情聴取しに来たときも何人かの生徒が口裏を合わせて警察の取り調べを掻い潜り、結局真相は分からないまま終わった。そんな連中と高校ではクラスが違うので顔を合わせることはなくなり安心していた矢先の、これだ。

「お前のところ町長と御神体がある神社の神主やっとる親父がおるし、たーんまり稼いどんやろ? びんぼーな僕たちに少しくらい分けてくださいよー? まーいひーめーさーまぁー?」

更に顔を近づけてくる金髪の男子生徒を振り払う涼香は、ダッシュでその場を脱した。高校からは負けないと誓った。中学校の弱虫な私とはバイバイしたのだ、屈してはいけない。

その強い思いを抱きながら、涼香は何かを振り払うかのように真っ青な空の下を駆ける。




”時の明”は時計塔であり、京都駅改札口前にある待ち合わせ場所スポットの一つだ。

五月の長期休み真っ只中とあって改札口は人でごった返し、出てくる人の数のほうが多い。キャリーバッグを転がす外国人や会社か何かの旅行中なのか集団など、遠出する装備と服装の人が流れていくのを時の明にもたれかかりながら呆然と眺める青年が一人。

ボサボサの髪に太い眉で芯の通った強い瞳で白いパーカーとジーンズに運動靴と軽装で、背中には布で覆われた背丈ほどの板を担いでいる。

「悪い、かなり混んでいてな。ほれ」

「お、サンキュ! いくか」

歩み寄ってきたお河童ヘアーのメガネ男子北村からミスタードーナッツの袋を受け取る我流大輝(がりゅうだいき)は、チョコドーナツをつまみながら歩き出す。人の波に乗って駅構内を流れていき長い階段を下りると二人を出迎えたのは、背丈がそろった高層ビル群と雲一つない青空を背負い聳え立つ京都のシンボル、京都タワーだった。

「ひょー、でけぇなぁー…!」

「我流は京都初めてか?」

「愛知にいるとき修学旅行で一回だけ来た事ある。中学校のだけどな、京都と奈良に」

「オレは東京だったなー。二泊三日でライオンキング見たっけ」

「東京のほうがおもしろそ、おお?! なんだの美味そうな食い物!!」

「あ、おい!」

まるでおもちゃを見つけた子供のようにお土産屋のショーウィンドウに走り出す大輝を見る北村は、相変わらずだなと苦笑いあとを追いかける。ウィンドウに張りつく大輝の首根っこを掴み引きはがす北村は、そのまま引きずってタクシー広場で一台捕まえ乗り込み運転手に行先を伝えると京都駅から出発し、京都の町中へ入っていく。

「追悼式まで二時間、渋滞も考えるとギリギリってところか」

「どこら辺にあるんだ?」

「町から離れた山岳地帯の麓だ。距離がある…あと、ついてきてもらって、なんか悪いな」

「気にすることはねぇ! 家にいるだけで暇だったから、丁度良かったよ」

そうこう話しているうちにタクシーは四条河原町に入った。休みの日とあって歩道は人でごったがえし道路に何人かのガードマンが警棒片手に立っており交通整理をしているが、渋滞のせいか先ほどから渋滞の列は動く気配はなく、車の窓の外からぼんやり聞こえてくる喧騒をBGMに瞼が落ちる。しばらくして、大輝は爆睡し北村は携帯画面を見つめ車中殆ど会話のないタクシーは京都の中心街を抜け背丈のそろったビルは減り、田んぼと山々の景色に切り替わる。

そして約一時間、二人を運んだタクシーは停車した。

「つきましたよ」

「ンアー…よく寝た」

「二〇〇〇円で。あ、領収書はいいです」

金を払ってタクシーから下りた二人は、京都駅から車で一時間かかる山の麓へやってきた。ビルも民家も見当たらない、周りは畑と田んぼに囲まれた殺風景な田舎の風景の中にズラリと並んで止まっている一般車両に交じったテレビ車両数台と報道陣の群れ。

その奥には人だかりができている。

「まるで祭りみてぇに人がた沢山いるなぁ」

「まだ式まで時間がある。適当にブラブラしてるか」

「おうよ」

大輝と北村は式会場を内を歩いて回ることしにした。均等に並べられた折りたたみ椅子はざっと見て五十を超えるのではないかと思う数で、その前にはテントが張ってあり中にはお坊さんと役員らしき人たちが紙を片手に話し込んでいる様子がうかがえる。来ている人たちの殆どは礼服か黒い服が多く、あらかじめ大輝も目立たない派手でない服で来てほしいと話を聞いていたので今日は色のきつくない服装なのだ。

「ん? なんだこれ」

ふと大輝は、背丈の何倍もある石の前で立ち止まった。まだ真新しく、さわやかな白っぽい中目石の正方形で表面はツルツルで景色を反射し、白く細かい字で沢山の人の名前が刻まれていて下には花が添えてある。

その少し上には金枠のプレートが飾ってあり、慰霊碑と書かれていた。

「空中分解した彗星の隕石で死んだ人たちの墓だ。2年前の4月30日、当時地球に最も最接近して話題になったアーレス彗星が最も地球に近い軌道まで来たとき彗星が破裂し、破片が隕石となって地球にあちこちに降り注いだ。その一つが日本の京都にある小さな町に落ちて壊滅、殆どの人は死んで戦後最悪の自然災害となった」

「は、はっぴゃくにん…?!」

その驚愕な人数に大輝は再度慰霊碑を見る。

アーレス彗星のことは、当時大輝もテレビ報道で知った程度の知識しかない。テレビの画面越しだが、隕石が落ちる前と落ちた後の比較映像を食い入るように見ていた記憶がある。知る限りでは隕石落下後、市が復興は不可能と判断し町は廃棄され、かろうじて助かった住民も他の場所へ移住して現在は立ち入り禁止区域で一般人は入れないらしい。

「とんでもねぇな…」

計り知れない隕石の威力と被害を改めて実感し、大輝は唾をのむ。科学技術が発達した現在でも人間は自然の力に勝てない。隕石落下に限らず、これまでにあった数々の大災害の阪神淡路大震災や新潟中越沖地震、岩手三陸の津波など多くの人が命を落とし、そのたびに人々は二度と繰り返さないと対策を練るが、それもまた人間の中で生み出された知識の範囲内に過ぎず、いつか想像や想定の超える大災害がやってるかもしれない。それが、アーレス彗星からの隕石落下だ。自然は時にどのような形で人類に牙を向き襲い掛かってくるのか。その危機に直面したとき、自分ならどうするだろうか…。

ピーンっ、という唐突な機械音で大輝は我に返る。

ポケットから携帯を取り出しメールアプリを立ち上げ、受信したメールボックスに来ている受信済みメールを開くと書かれた文面に大輝は眉をひそめた。


”助けて”


「どした」

「メール来たんだけどよ。送り主が出てなくて、助けてしか書いてないんだよ」

「んー、バクじゃないか? その機種不具合ネットニュースで出てたぞ」

ほぉーんっと適当に反応しながらジーっと送り主の表示がない助けての文面を見ていた大輝は、メールをアプリを閉じてポケットに携帯をしまう。

その時だ。

ドクンドクン、っと鼓動を打つ音が聞こえてきた。

咄嗟に反応し振り向き警戒の視線を放り投げる大輝。この音は魔神の剣から発せられる、堕神出現の知らせだ。身構えて背負っている板に手を伸ばす。

ドクン、鼓動の心拍数が一段階跳ね上がる。突然、板と布が弾け飛び魔神の剣が露になり大輝の髪も白に変わり後頭部から腰にかけて荒々しく流れ、鋭いまつ毛に縁どられた瞳の色は月光のような金色になり目元や頬に深く濃いシワが浮き上がり、先ほどまでとは異端の姿へと変化を遂げる。

「お前、その姿…」

「説明は後だ! 下がってろ!!」

周りからの視線や、北村の腫れ物に触るような目に大輝は苦虫をつぶすような顔をしながら、両手で魔神の剣を下の砂利に押し付け抑え込む。魔神の剣のことや、持つと容姿が変わることはクラスメイトの白鳥と高田以外知らないので北村が驚くのも無理はない。

柄から伝わる魔神の剣の鼓動は全身の血流を加速させ筋肉は熱を持ち、全身の神経が稲妻を帯びたかのようなスパークする感覚が体全体を暴れまわり、大輝は奥歯を噛みしめる。

「くっそ!! どうなってんだ…!!」

今までにない事態に困惑する大輝を他所に魔神の剣の鼓動は更に強く早く加速する。

次の瞬間、大輝はロケットのようなスタートダッシュで飛び出す。砂利と粉塵が巻き上がり、砂埃を立ち上げながら走る大輝の足の回転速度は駆け上がるように上昇し、自分の意志とは反して体全身の筋肉や神経伝達へ強制的に働きかけてくる感覚が大輝を襲う。

「まさか…剣に操られているのか…?!」

魔神の剣を使い始めて半年になるが己の意志とは関係なく剣が発動し、勝手に容姿が変化することなかった。まるで血の通った人の心臓染みた鼓動が柄から手に伝わり神経にもっと動けと言わんばかりにチクチク急かし体のあらゆる部分や神経を煽り、全身の筋肉がオーバーヒートするくらいに熱く燃え滾り血流の脈打つ速度が上昇する。

大輝は森林に入りKEEPOUTのバリケードを突き破り、そのまま深い森の中へと姿を消したのであった。




山の地平線は沈んだ夕日の名残かぼんやりと赤く、見上げると暗闇の彼方には幾つもの星が輝いている。辺りも暗くポツポツ点在する民家の明かりが徐々に月初め、少しずつ気温は下がり肌に当たる空気も冷たくなっていく。

ズズっと鼻をする涼香は制服のポケットに手を入れながら下校していた。

「やだなぁ」

うつむき歩きながら今日のことを思い出す涼香はボソリと呟く。

結局新入生入学式のリハーサルには遅刻して先生に怒られるし学校で例の3人組に絡まれるわ、教室では嫌な視線を浴びまくりで聞こえてくるヒソヒソ話は私自身に対する、ちくちくした嫌味ばかり。町長である父の態度とやり方が気に食わない人も多いらしく何故か八つ当たりの的がこちらに矛先をむいている。おかげでようやく親と家の仕来りの呪縛から逃れられるオアシスになるのではと期待していた先三年間の高校生活は今日の教室のクラスメイトの反応を見限り、儚い夢に終わったと悟った涼香は大きなため息をこぼす。

「はやく出ていきたい…。こんな町…あんな親…あんな家…なんでいつも…」

溢れそうになる涙を我慢する涼香は、きゅっと下唇を噛みしめる。

普通学校でのイジメなどは親や教員に相談して解決してもらう、対策してもらう、助言をもらうものなのだが涼香のおかれた環境は特殊である。周りからの冷たい視線は圧のあるイジメなどの原因は父親で相談できるわけもなく、クラス担当の教員にいたっては今日のホームルームの生徒からのからかいに押されぱなしで反撃する様子もなく中学校の無能な担任と同じ匂いがしたので、本能的に相談したところで助けてはくれなさそうだと思った。友達も、私がいじめられるようになってから一人、一人と離れていき気が付けば周りには誰もいなった。一緒に暮らしている御婆ちゃんには心配をかけたくはないので話していない、母親は小さいころに病気で他界していない。

こんな状況を6年続けてきて、今までよく保ったなと改めて自分で関心する。

「あと3年頑張すればいい…」

そう自分に言い聞かせながら、涼香は踏み出す足に力を入れる。辺りはすっかり暗くなり、帰路の速度が上がっていく。

ふと涼香は、街灯に照らされたス停に差し掛かったところで立ち止まり目を見開く。

「え、なに…?」

バス停前で何かが落ちている、というより誰かが倒れていた。一瞬死体かと思い反射的に数歩距離を取ったが、興味心が足を動かし恐る恐る近づいてみる。顔を覗き込むと、16~18くらいの男性で仰向けに倒れていて全身に噛まれた跡などはなく、野犬やクマに襲われた形跡がないを確認し小さな安どのため息。もし近くにいるなら、こんなのんびりしている場合じゃない。逃げなければならない。

しかし、よく見ると顔や手には数か所小さな傷がついており、衣服も片腕の裾が破れ水分を吸ったのか肌に張り付いているように見える。傍に男性の背丈と同じぐらの両刃の剣が落ちていて、周りには白い毛が散乱。

更に近づいてみると腹式呼吸による寝息がすー、すーっと聞こえてくる。

「い、生きてる…」

涼香は制服のポケットから携帯を取り出す。






暗闇に輝く無数の星々を切り裂く一つの閃光は滲んだ赤い尾を引きながら流れ落ち、粉々に砕け散り無数の流星となって星へ降り注ぐ。空を泳ぐ光の川は大地に落ち、邪悪なる巨大な存在を生み出し、争いが起き、人が死に、街が滅び、文明が消え去る。人はそれを記憶にとどめ後世に伝えようと、あらゆる方法で、もっとも長く残る方法で刻む。

二度と同じ過ちを繰り返さないように。勇敢にも挑んだ一人の戦士と邪悪なる巨大な存在を封じ込めし三聖人の戦いを舞とし受け継ぎ、来るべき日のために次の世代へと繋ぎ。


時は流れ、


果てしない暗闇の宇宙空間を彷徨うDNA因子は瞬く間に幼虫のような形を取り、やがて人の姿へと変わり不思議な輝きを体内に宿し、現世へ産み落とされた赤ん坊は元気な声で泣き出す。

「よく頑張ったな!」

男性が泣いている。赤ん坊を抱きかかえる女性は病に倒れた。

「お母さんどこ…?」

成長し大きくなった女の子は叔母に問う。虚ろな目な視線の先には女性の遺影を飾った仏壇が鎮座していた。その目の前に座る男性の顔はやつれ髪はボサボサ、近づいてきた女の子に裾を引っ張られるが反応はなく、死んだように、ただ俯き座っている。

「ワタシは、妻の愛した町を守りたい」

「知らん! でていけ!」

男性と叔母の言い合い。それをふすまの向こうで聞いている女の子は耳をふさぎ、泣いている。

「なんで、私ばっかり…」

学校の机に”無能な町長の娘”と大きく書かれた落書き。椅子はなく、机には意図的につけられた大きな傷が何か所もある。ロッカーにはゴミが詰め込まれ、下駄箱の外靴に大量の画鋲が入っていた。日に日に増す周囲からの嫌がらせ、同時に積もるストレスと嫌気、不満、恐怖、怯え、段々と離れていく友達の背中は冷たく振り返ったときの視線は、まるで腫物を見るような軽蔑の眼差しに変わっていた。日が終わるたびに涙を流し、学校の屋上から飛び降りようと考えるが女の子は一歩手前で後ろに下がり思いとどまる。

手に持っている白い花の飾りがついたヘアピンを握りしめながら。

「町の資金だとかいって自分ところの寺に注ぎ込んとるらしいぞ、他にもー…」

「やーねー、これ以上町の税金あげられたら生活できへんわ。うちらの声にも耳傾けんと、なにに金使っとるやろな。あの町長は」

周りから聞こえるヒソヒソした嫌味。女の子の耳に届くたび、心臓を針で刺されるような苦しみが襲う。

「もう嫌だ、こんな町」

叔母と二人で暮らす平凡な日々。しかし、父親に捨てられ、町の住民からは八つ当たりの矛先を食らい、憎しみと怒りの念は肥大化していく。

叔母に相談できない、心配をかけたくない、一人でやっていくしかない。

その強い思いは女の子から少女へ変わる彼女の、孤独な戦いの日々の始まりでもあった。





「…だはっ!」

大輝はバネのように跳ね上がり、しばらく硬直する。足にかけてある分厚い毛布、手先から伝わるフカフカの布団の感触。

畳が敷かれた見慣れない部屋で大輝は目を覚ましたのだ。

「なんだ、今の…ゆ…」

思い出そうとするが夢の残骸は段々と薄れていき、何だったか分からなくなる。

ズキンっと、全身に痛みが走る。筋肉痛や肉離れよりはるかに強い痛みに顔をゆがめながら立ち上がる大輝は、枕もとに魔神の剣がおいてあるのに気づく。

「……俺、あれ」

確か北村と京都に来て魔神の剣が暴走して、それから…。思い出そうとするが記憶の霧が先を拒み、しぼりだそうと眉を顰めるが一滴も出てこない。

同時に、自分の体に視線を落とすとピンクのシャツにひざ丈までのズボンと女性ものっぽい服装になっているのに気づく。魔神の剣も裸でおいてあるということは誰かがこの部屋まで運んできたということ、動けない状態だったってのか。

「あ…」

ふと声のほうを見ると、制服を着た少女が襖を開けて立っていた。まぶしい生足に背丈は低く細い、髪を後ろで括り少し顎が角ばった丸顔で短いまつ毛に縁どられた大きい無垢な瞳は警戒気味に大輝を見ている。

この何とも言えない気まずい空気に耐えかねた大輝は、小さく手を挙げた。

「お、おはよ…ございます…」




飲み物を口に流し込むような勢いだった。ホカホカのご飯を頬張り、味噌汁と魚、卵焼きを交互に手を付けながらお代わりした回数は実に4回。普段なら朝飯を食べ終わっても半分以上残っているのだが、大輝がごちそうさまをして食べ終わる頃には炊飯器の中はほぼ空っぽになっていた。

「うわぁ…」

「なんとまぁ…」

その驚異的なたべっぷりに少女と叔母は目を丸める。

「こんな飯が美味のは久しぶりだぁ~、あんがとね!」

幸せな顔で食いすぎにより膨らんだお腹をさする大輝は、湯のみのお茶を一口飲む。

「体は大丈夫?」

「おうよ! ちょっと彼方此方痛いけど大丈夫!」

大輝は元気よく片腕ガッツポーズし、少年のようにニィっと笑う。

「それはよかった。小保田家さんの処へ運んだ時はひどい状態だったって聞いていたから、心配だったんよ」

「あー…はははは。色々あってさ! 気が付いたら気を失っていて…」

と適当に笑いながらごまかす大輝も、実は状況をよく理解できていない。少女に誘われて寝ていた二階の部屋から一階の居間へ行く間や、朝食を取る傍らバックグラウンドで記憶を出来る限り掘り返したが、北村と追悼式会場に行って魔神の剣が暴走してから先がぷっつり切れていて一向に思い出せない。

「涼香、そろそろ学校に行く時間やろ」

「そうだった、行ってくるで」

制服姿の少女涼香は傍らにあるスクールバッグを持って立ち上がり、居間を後にする。姿が見えなくなるまで目で追いかけていた大輝はゴロンと後ろに倒れ込み、居間の襖から顔を覗かせ引き戸の玄関を開けて外へいく涼香の後姿を見送ると状態を起こす。

なんだろ、っと変な引っかかりに大輝は片目を眇めながら湯呑に入った残りのお茶を飲む。

「”神を切り裂き魔を滅する伝説の剣、魔神の剣。”」

ピタリ、と大輝のお茶を飲む手が止まり、恐る恐る御婆ちゃんに視線を向ける。

「そんな怖い顔せんでもええ。あの剣がそうなんじゃろ?」

素直に首を縦には触れなかった。大輝も使い始めて半年で人から聞いた程度の知識しかないが魔神の剣の存在は現在殆ど知られておらず、もし知っている者が現れたらそれは堕神かまたは関係する連中かもしれないので警戒したほうがいい、と教えられた。

しかし、優しそうな眼尻でニッコリしている御婆ちゃんからは堕神を匂わせる要素は一切なく、居間の壁に立てかけてある魔神の剣も沈黙している。

「魔神の剣を持つ者は白い髪を纏い金色の瞳を宿し、神を斬り裂き魔を滅する力で何千万もの邪悪なる存在を討ち取ったとされている。我が家は代々、太古の昔よりご神体を守り慰める役目を荷ってきた。故に大昔の先祖たちが残し来た古文書や記録で、目にした程度じゃがな」

御婆ちゃんは立ち上がると背を向け縁側に行き、朝焼けに照らされ影を落とす山々を眺めながら指摘する。

「お主…まだ傷は癒えておらんじゃろ」

「え」

「魔神の剣は絶対破壊の剣、その力は膨大で使用者の寿命と魂を食らい力を発揮する。並の人間では触れることもできない、強靭な肉体と精神を持つ選ばれた者にしか扱えない」

「詳しんだな…」

大輝は湯呑に視線を落とし、続ける。

「いいんだよ。どうなろうと戦うだけだ…守りたいモンのために」

そう、あの日誓ったんだ…。

「あんさん、剣に導かれてここへ来たんやな」

「え…あー……言われてみればー…」

今までにない反応の仕方だったのを覚えている。ということは、この近くに今までよりも強大な堕神が潜んでいるってことなのか…。

記憶を探ってると、縁側から居間へ戻ってきた御婆ちゃんはニッコリ笑顔で提案を出した。

「しばらくうちに泊って行ったらどうや?」

「へ?!」

「ここで何かやることがあるんじゃろ、雨風しのぐ場所があってもええやん」

「あ、ありがとう。でも…」

まいったなぁ…長居するわけにもいかないし北村にも心配かけちまってるだろうし。数日姿が見当たらないってなると捜索願だされて大騒ぎになりかねな…

「あれ…」

「どないしたん?」

「あ、いや。なんでも」

なんだ今の、一瞬頭の中が白く…。逃げていく手綱を掴んだよう感覚に大輝は妙な焦りと底知れない虚無に背中が汗ばむのを感じた。なんだろう、ここで手を離せば繋ぎとめている何かが消えてしまいそうな気がしてならない。

確認のため記憶を探る大輝とは別に、おばあちゃんはしゃがみテーブルの下に置いてある何かを拾い上げる。

「おや、あの子ったら」





涼香は2時間目から学校へ向かった。

正直行きたくないけど、入学して二日目で休むよりハマシだと自分に言い聞かせながら校門をくぐり生徒玄関でうち履きに履き替え、重い足取りで中央階段を登り二階の一番奥にある教室を目指す。

ガシャン、というガラスの割れる音が聞こえた。ドアが吹き飛び教室の中から、いつもチクチク嫌味を垂れ流してくる金髪の男子生徒が廊下の壁に背中から叩き付けられた。

「ゆ、許してくれ…! 頼む…!」

いつもふてぶてしく威張っている面影はなく、情けない態度の金髪の男子生徒の必死に教室に向けて許しを請う姿に涼香は状況が理解できず唖然と見ている。

ふと教室から誰か出てきた。他の男子生徒の頭を鷲掴み引きずるそいつは、金髪の男子生徒の首根っこをつかみ持ち上げると乱暴に廊下の壁へ叩き付けた。涼香のよく知る、いや、今朝家で顔を合わせたばかりだから顔見知り程度だ。というより今は家にいるはずの彼が何故、学校で喧嘩しているのか理解できなかった。

「多数人数で一人虐めてそんなに楽しいかよ! えぇ?!」

「ち、違うんや…オカンに頼まれて…!」

「お前は母ちゃんに頼まれたら人殺すのかよ! やっていいことと悪いことの判別くらいわからねーのかよ!! どうなんだデブ!!」

「ぐああああ!! やめて…ぐるしい…!」

彼は金髪の男子生徒の首根っこを掴む手に力を籠める。喧嘩というよりは一方的な拷問に近い、その様子をクラスメイト達は怯えた様子で教室の中から見ていた。何個か机は転がり教科書やノートは散乱し教室の中で台風でも起きたのかと言わんばかりに暴れた跡が見受けられる。

「よう」

「…よ、よう。じゃないって! これどういうことなん?!」

「なんでイジメられてること黙ってんだよ! 全部こいつらから聞いたぞ!」

「え…」

ど、どういうこと、

「家に弁当忘れるから届けてくれって頼まれて学校まで来たはいいけど来賓用の玄関いっても警備のオッサン寝てるわで、仕方なく後者の中ぐるぐる回ってたらここについてよ。教室の外からこっそり見てたら机にたくさん人が群がってて、会話聞いてたら気になったから聞き出したら」

大輝は金髪の男子生徒を廊下の床に放り投げる。

「この町の町長のバックには政府のお偉いさんがついてて直接文句も言えないから娘に八つ当たりしてるだとよ、本当ふざけた話だよな!!」

更に教室の中へ入り隅っこに身を寄せているクラスメイト達を睨む大輝は叫ぶ。

「テメェ等全員帰ったら親に伝えろ!! ただ何かされたり言われるのが怖いだけでビクビク怯えてるだけの肝っ玉の小さい小物共がッ、今度同じことやったら家に直接殴り込みにいくから覚悟しとけよクソ野郎!!!」

机を蹴り飛ばし放たれる怒号に圧倒され完全に教室の隅に追いやられたクラスメイト達から視線を切る大輝は、ロッカーに立てかけた布で覆われている魔神の剣を担ぎ教室を出る。騒ぎを聞きつけたのか教室の外の廊下には生徒のやじ馬ができており、後ろのほうで七三分けのほっそりしたキザな風格の先生が生徒の群れをかき分けながら進んでくる。

大輝はその先生の首根っこを引っ張り制のやじ馬から出ると同時に廊下の床へ放り投げ詰め寄り、首根っこを掴む。

「あのクラスの担任か?」

「そ、そうだが。なんだね君は…」

「我流大輝ってんだ。覚えとけ、アンタ先生ならいじめられてる生徒の相談くらい乗ってやれよ、もうちっとクラス全体を見渡せよ無能が。生徒が怖いなら先生やめちまえ」

眉間に怒りの皺が浮かび上がり、鋭く吊り上がった瞼に縁どられた強い瞳から放たれる威圧感を至近距離で受けた先生は蛇ににらまれたカエルのごと硬直し、大輝から解放された後も放心状態となっている。

大輝はそのまま静かに学校を立ち去ったのであった。




その後駆け付けたほかの先生たちによって事態は一旦収拾し、大輝の手によって試合後のボクサーのような怪我を負った男子生徒数身は保健室へ搬送。学校側としては不法侵入し生徒に危害を加えた犯人を突き止めるべく警察に連絡しようとしたが、直前で涼香が止め事の経緯を事情説明し更に現場に居た生徒たちの話から情報を得た教員陣は校長許可の元、その日は全授業をつ潰し一学年全クラスで大規模な話し合いが行われた。一学年全クラスの殆どが涼香と同じ中学校から流れてきているので虐めている者たちも多数混じっているが、逆に虐められているのを遠目で見て逆に自分へ白刃の矢が立つんじゃないかと怯え助けられた無かった者のほうが実は多く、中には虐めていたがやらなきゃグループから外されるなどに怯えていた生徒もいたという。このようなことが二度と起きないように一年生全生徒へ教員や指導部からの厳しい注意喚起があった後、今まで虐めてきた者たちからの謝罪が行われた。下駄箱に画鋲を入れてごめん、机を彫刻刀で掘ってごめん、教科書かくしてごめん、うちズック隠してごめん、集団で取り囲んで悪口言ってごめん、LINEで匿名の名前使って悪口言ってごめん、他にも数えきれないほどの謝罪の言葉が押し寄せ正直途中から内容は覚えていない。だからといって6年間受けてきたイジメの傷が癒えた分けでないが、ようやく長きに渡る戦いが終わるのかと思うと心臓から重りが外れ脱力感が半端なかった。

気が付けば外は夕暮れに染まっており、涼香は一人で帰宅している。

ふと、桟橋の手すりに乗って夕日をぼんやり眺める後姿を見つけ駆け足で近づく。

「なにやっとんの」

涼香が声をかけると、その人は恐る恐る振り向き気まずそうな顔をしていた。

「…ごめん」

へー、一応常識はあるんだ。

「そのなんていうか…あぁいうの見過ごせなくて、ついカっとなって」

目を泳がせながらしどろもどろの大輝の様子に涼香は微笑む。

「本当、とんでもないことやってくれたわ。おかげであの後大変やった」

「…け、警察来てた?」

「大丈夫やったで。ここ交番もないし来るってなると一時間以上かかるから」

涼香は桟橋の手すりに上がると大輝の隣に腰かけた。点在する電柱の向こう側、低い位置にある夕日は周囲の空をオレンジ色に照らし、白い枠に縁どられた雲はどんよりした影を落とし、山まで続く田んぼの水面は赤く染まっている。

静かな時が流れ、二人はその景色を無言で眺めていたが断ち切るように涼香が口を開く。

「好きじゃないんよ、この町。親のことで言われたり、神社の仕来りや受け継ぎがどうとか…息の詰まることばっかりなんやで。早う卒業して上京したいわ…」

生暖かい風が吹き、涼香の髪が揺れ手で直しながら続ける。

「ほんのちょっとだけ好きになれそうな気がしてきた、そんな気がする」

「そか」

大輝はニィっと笑う。

手すりから飛び降りて下に着地すると、大輝は振り返る。

「帰ろうぜ、腹減った!」

「え?」

「あ、そうか。しばらく世話になることになった、よろしく!」

「は……? はぁあああああああ?! なんで?! なんでなんで!!」

「婆ちゃんがしばらく泊まって行けっていうからよ。それに俺、ここに用事があってきたみたいだから終わるまでは帰れないんだよなぁー」

学校を出た後、町のあちこちを歩いて回ったが魔神の剣は沈黙したままだった。が、あの大きな反応は間違いなくデカイ堕神が近辺に潜んでいるのを訴えていたから時間をかけて町を散策しながら探し出そう。しかし、困ったことに携帯はポケットの中に入っておらず北村達との連絡手段もない、何処かで落としたのだろうか。

最悪GW過ぎても帰るようなことになった場合、北村や他の皆に事情を説明して納得してもらうしかないなぁ…。

「それホンマなん?」

いまだ信じられないと言わんばかりの顔で涼香が訊ねてくる。

「嘘じゃねーよ、早く帰らないと日が暮れて真っ暗になるぞー」

「あ、ちょ」

駆け足で走る大輝のあとを追いかける涼香は、その大きな背中に、いつだったか見た夢と同じ残像が重なり目を見開くが瞬く間に消え去る。

まさかね…自分の勘違いだと割り切る涼香は唇をかみしめ泣くをの我慢しながら、ひそかに思うのだった。


ありがとう。と。

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