四章 宿命

 目的地は公共の体育館だった。怜子について建物に入り、階段で地下に降りる。

 広い板敷の武道場。控えの間に入り、怜子は道着に着替え、優花にも道着を渡す。

「優花も着替えな。篠ちゃんはそのままでいいよ」

 着替えが終わると、二人に先に道場で待っているように指示して怜子が一度、外に出ていった。

「優花殿、怜子殿は何をしようとしているのでしょう?」

「さあ・・・実は昨日の夜、姉さんにメールで相談したら、篠を連れて来いって返事があっただけで・・・」

 怜子が道場に入ってきた。右手に刀を提げている。礼法に則った所作で歩んできて、クルッと転身すると刀礼をして正座し、刀を脇に置き、そのまま無言でじっとしている。

 少しして、道着を着た老人?が入ってきた。

「あっ? 青木先生!」

 優花が驚いたように言う。声が裏返っていた。怜子が無言で目線だけ動かして優花を窘めるように見たので、優花が声を潜める。

「誰です?」

「姉さんのお爺様で、剣武天真流の創始者、青木宏之先生よ」

 青木先生が覚束無い足取りで道場の中央に進んでくる。その後ろから背の高い白髪頭の門弟らしき腰に刀を差した人物もついてくる。

 青木先生が道場の中央まで来ると、ふいに横に向き直った。

 それに合わせて門弟が間合を取って立ち、腰の刀をゆっくりと抜き、静かに振りかぶっていった。

(あれは、真剣だ・・・)

 青木先生は門弟に背を向けている。その上、軽く目を閉じて眠ったようにしている。門弟が上段に真剣を構えたまま、にじり寄っていく・・・。

 門弟の腕前は確かであることが誰にでも判る。だが、青木先生は見るからに頼りないように見えた。フニャフニャととらえどころが無い。小学生の蹴りでも倒れてしまいそうに見える。そんな爺様が真剣を持つ相手にどうするのだろうか?

 門弟が無声で斬りつけた。遠慮なく下段まで斬り下げている。

 だが、青木先生はフワリと綿毛が風に舞うような軽やかさで悠々と躱して転身すると、無刀捕りにしてしまっていた・・・。

 無刀取りと言えば、柳生新陰流のお家芸のように思われているが、実際には無刀捕りの技は多くの古流柔術流派に含まれていて、篠も当然、心得ている。

 しかし、後ろから斬りつけられたのを躱して制圧する技など見たことも聞いたこともなかった。しかも、真剣である。失敗したら命が無い。

(すっ、凄い・・・相手の殺気を読み切っている。これは技ではなくて、心を読む術なのか?)

 優花が憧憬の籠もった目で青木先生を見つめた。青木先生は、照れたような無邪気な顔で微笑んだ。いたずら小僧のような笑顔だった。

「君が、優花君の従姉妹の篠さんかい? どうかな? 何か参考になったかな?」

「はいっ! 迷いが晴れました! 有り難うございましたっ!」

 篠の目に自信が蘇っていた。


 青木宏之は、もともと演劇を志していて「トレーニングになるだろう」と考えて身体を鍛えるために空手道を始めた。その空手道の流派は、戦前にスパイ養成を目的にした陸軍中野学校で空手術の教官をやっていた江上茂という師範が創始した流派だった。江上師範は「一撃必殺の突き技」を追及して実験のために自分の身体を何万回も突かせて研究したという。そのため、技は優れていたが身体はボロボロになっていて、若かった青木の秘めた才能を見いだして代稽古を任せるようになった。

 若くして空手界の鬼才に見いだされた青木は、期待された以上に空手の技術を先進的に進めてしまい、最早、空手道とは異質な技法体系を作り出してしまう。

 そして、新体道という名前をつけて独立する。

 この新体道は、かつて江戸時代中期に一世を風靡した心法の剣術、無住心剣術の再現を目指して作ったといい、技よりも心法を磨くことをもっぱらにしていた。

 日本の剣術が剣禅一致を説くように、日本武道が目指す最終目標は宗教的な悟りの境地である。我も無く、敵も無く、ただ大自然の気の流れに従うのみ・・・というのが青木が到達した悟りであったという。

 無論、お題目だけでは誰も納得しない。武道の世界ならば、実力で制圧して見せねば誰からも尊敬されないのである。

 青木の下には空手家、プロレスラー、キックボクサー、総合格闘家、中国拳法家、古武術家などが多数、腕試しにやってきた。が、一蹴されて、あまりの実力差に涙を流す者がいたり、心酔して入門を願い出る者など、様々であった。

 しかし、青木は元来、武道家らしい性格ではなかった。どちらかと言えば芸術家タイプなのである。新体道を後進に任せて、自身は書の道に入る。

 天才は、一流を極めてからも別の分野も極めるものだと言われるが、青木がまさにそうだった。中国書法で日本を代表する第一人者になってしまったのである。

 青木宏之は武道の世界で生きながら伝説となった。

 そんな青木が、新世紀に相応しい新しい武道を興そうと研究し始める。今度は居合術の流派だった。数多ある古流剣術、居合抜刀術の流派の技を研究し、山に分け入り、竹の試斬で技を練った。

 そうやって創始したのが剣武天真流である。

 伝統に則り、伝統を超える・・・。それが青木流の武道の在り方である。

 篠は、そんな青木の武道人生についてはまったく知らなかった。優花も、たまたま誘われて見学した居合道場が剣武天真流だっただけで、青木がどれだけ有名な武道家だったのか?ということは知らなかった。

 いつも、直接の指導は怜子だったのである。

 だから、青木が演武したのは、この時、初めて見たのだった。噂には聞いていたが、神業としか言えない。失敗したら死ぬ・・・そんな稽古をやらせる筈もなかった。

 体育館を出る時に、優花は怜子にそっと質問してみた。

「うん・・・優花のメールを読んでたら、宗家がやってきて質問されたんだよ。それで、事情を説明したら、じっと黙って瞑想してるみたいになったんだ。そして、連れておいでなさいって言われたんだよ。それだけ・・・」

「はあ・・・」

 怜子すら知らないことがあった。青木はかつて、ソニーが超能力研究所を開設した時に、世界中から集められた超能力者の調査で唯一、本物と認められた人間だった。

 それはテレパシーの実験であったという。

 場所はソニーのビル。

 別の階に脳波計をつけた弟子を待機させ、青木も脳波計を装着して、じっと瞑想状態になる。その状態で弟子が突き技を出す瞬間の脳波の動きを察知したのである。

 古来、剣の達人が遠く離れた者の殺気を察知したという逸話を再現してのけたのだ。

 青木は、これまた古来の達人伝説を現実化してのけたのである。

 仏教で縁起の法則と言われる。この世に偶然は無いという理論である。すべての事象は必然性があって起こっている。

 篠が現代にやって来たこと。

 丸目蔵人佐が追ってきたこと。

 篠が優花と出雲に出会ったこと。

 青木と出会ったこと。

 すべてに意味がある!

 篠は、それを悟っていた。恐れることは何も無い。


 希望を抱えて帰宅した時、出雲が段ボールの荷物を持って、待っていた。

「篠ちゃん、丸目蔵人佐が、ここに来たよ」

「えっ?」

「まさか・・・」

 優花も篠も絶句した。

「斬った時の感触で、篠が生きていると判ったらしい。刀に血も着かず刃先が少し潰れていたらしいから、気づいたんだろう」

「それで、お頭は何と?」

「果たし合いをしたいそうだ。邪魔が入らない場所で・・・」

 邪魔が入らない場所ということは、邪魔者は斬るということを意味する。篠が拒めば、それだけ被害者が増えるということなのだ。

「どうする?」

 出雲がいつもの様子と違う。まるで別人であった。

「ちょっと、待って・・・。それって篠に戦えってことなの?」

「お前は黙っていなさい。これは篠が自分で決めることだ」

 出雲は鉄のような表情だった。蔵人佐と何を話したのだろう?

「言うまでもありません。私がお頭と戦って止めます」

 篠が自信と闘志を覗かせて応えると、出雲が微笑んだ。

「そうか? それなら、俺も助太刀させてもらおう」

「ええっ?」

「お父さん、何言ってるの?」

「まあ、心配するな。俺はこれでも合気道一級なんだぞ?」

 出雲がいつもの能天気な性格に豹変した。

「いくら、強いって言ったって、四百年も過去の人間だ。ヤツが知らない現代の道具を使えば、勝てないことは無い! 俺に任せなさいっ!」

 出雲のハイテンションぶりが逆に不安を誘った・・・。


 早朝、篠はセーラー服にサポーター姿、出雲は迷彩服で玄関を出た。秘密兵器?を入れた段ボールを車に積める。

「私達を置いていくつもり?」

 居合の道着を着て模擬刀を持った優花と、白臘棍という中国武術で用いる中国原産の柳科の木の棒を持ってカンフー着を着た美幸が現れた。

「おいっ、借りを返してやるから、有り難く思えよっ!」

 美幸の言い草が奇妙なので、篠も優花も思わずプッと吹いた。

「来るなっ!・・・って言っても無駄みたいだな? よし、二人とも車に乗れ!」

「やったぁ~!」

 優花と美幸が顔を見合わせて喜ぶ。が、美幸がハッとした顔でそっぽを向いた。

「いいか? 二人とも、篠ちゃんの邪魔にならないように、危険だと思ったらすぐに逃げるんだぞ? わかったな?」

「わかってるよ。あんな化け物、私達じゃどうにもできないことぐらい解るよ」

「そんなに凄いの?」

「美幸、怖い?」

「まさか~」

「甘く考えない方がいい。警官隊をあっという間に全滅させた化け物だ。まともに戦っても勝ち目はない」

 車のキィを挿し込んで、エンジンをかけながら出雲が真剣な顔で窘めた。

「父さん、そんな相手にどうして戦いを挑むの?」

 優花が最も疑問だったのが、そこだった。

「それは、家に帰ってから説明する・・・」

 そう言うと、出雲がアクセルを強く踏み、車が加速した。

「出雲殿、私のせいで済まない・・・」

「何、言ってるんだ。家族を護るのは、当たり前だろ?」

(やっぱり、母さんは、こんなところに惚れたんだろうな~?)

 優花は、ふと、そんなことを考えていた。

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