―頭―

 ヒツジカイは、最初に黒ヒツジの手足をムシャムシャと食べ始めました。

 するとヒツジカイの体の中に、ひりひりと焼け付くような気持ちが流れ込んできました。

(……私は、なんであの子から目を離したの? なんで、ちゃんとあの子を見ていなかったの? 私の大切なあの子はどこ? どこにいるの? 早く出てきて。姿を見せて……)

 それは、黒ヒツジの焦りと後悔でした。

 それを知ったヒツジカイの体は、少し黒くなりました。

 次にヒツジカイは、黒ヒツジの胴をモグモグと食べました。

 すると、今度は頭がぐるぐるして胸が締めつけられるような声が聞こえてきました。

(……私は、いつでもあなたのことを想っているわ。あなたが自分らしく、自分の道を自分の足で歩いて行けるように。私がいなくなっても大丈夫なように。忘れないで。あなたの中には、いつでも私がいるということを。忘れないで。忘れないで……)

 それは、愛という名の永遠に対する希望でした。

 そして、ヒツジカイの体はさらに黒く染まりました。

 次にヒツジカイは、黒ヒツジの頭をガリゴリと食べました。

 すると、今度は波紋のように静かに揺れる想いが胸に伝わってきました。

(……私は、あの子のために何がしてやれたのだろう。何か残してあげられたのだろうか。少しでもあの子が道に迷わないように、迷っても道が見つけられるように、私の生きてきた道が、あの子にとって意味のあるものであればよかったのだけれど……)

 それは、去り行く者の残した者に対する心配と未練でした。

 遂にヒツジカイは真っ黒に染まり、その手には黒ヒツジの角だけが一対残りました。

 黒ヒツジの記憶に触れて、ヒツジカイは気付きました。

 崖に向かって黒ヒツジが走り出したとき、群れにいなかったヒツジは誰だったのか。

 そして、そのヒツジはその後どうしたのかを。

 ヒツジカイは黒ヒツジの角を強く抱きしめ、

「ごめんね、母さん。もう忘れない。ずっと僕と一緒だよ」

 と、涙を流しながら言いました。

 それを見ていた黒ウサギが黒ヒツジの角を撫でながら、

「そうだ。忘れるな。そして考え続けろ。その意味を」

 と言うと、角の一つが変化して黒い光沢のあるツノ笛になりました。

「寂しくなったら、この笛を吹くといい」

 と黒ウサギは言い、ヒツジカイはツノ笛の表面に映る黒い自分を見ながら「うん」と頷きました。

 ヒツジカイの返事に黒ウサギも頷くと、

「じゃあ、行くか」

 と、目の前にそびえる崖を見上げて言いました。

「そうだね」

 と涙を拭いてヒツジカイも立ち上がり、ツノ笛を腰に下げると、もう一つの角を腕に抱え、そのまま黒ウサギの背中におぶさりました。

「何をしている?」

 と、黒ウサギは自分の背中に寄り掛かるヒツジカイに怪訝そうに尋ねました。

 それにヒツジカイは疲れた様子で、

「落ちることはできても、僕にはどう考えても登れそうにないからね。帰りもよろしく」

 と、自分より小さな黒ウサギの体に体重を預けながら答えました。

 黒ウサギは眉間に皺を寄せて黙っていましたが、ため息をつくと、

「しっかり掴まっていろ」

 と言って、ぴょんぴょんと崖を登り始めました。

 崖の半ばまで来ると、それまで黙っていたヒツジカイがぽつりと言いました。

「僕がヒツジカイになっていなかったら、母さんは死ななかったのかな?」

 黒ウサギは崖をひょいひょいと登りながら、

「終わりは誰にでもやってくる。それに終わった事実は変わらない」

 と淡々と言いました。

 そんなことを言っている内に黒ウサギは崖を登り切り、ヒツジカイはその背から下りると崖下のほうへ振り返り、何かを考えるように「でも……」と言葉を漏らしました。

 そんなヒツジカイに黒ウサギは、遠くにある大きな木の下でのんびりしているヒツジたちを見ながら言いました。

「君がヒツジカイになっていなければ、母親はもう少し生きられたかもしれない。それでも、いずれは死ぬ。ヒツジカイになった君は、仲間を助け母親の気持ちを知り、その意味を理解した。もし君がヒツジだったなら、母親が死んだときに何ができたと思う?」

 その問い掛けにヒツジカイは何も答えず、黙ってツノ笛を見つめると、持っていたもう一つの黒い角を崖の先端に立てました。

 そして、その前で跪きツノ笛を胸にしばらく目を閉じました。

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