―胴―
いつしか雨は止み、雲の切れ間から陽が射してきた頃、仲間はずれにされたヒツジは、しょんぼりと水たまりを覗きました。
すると、そこには二本足で立っているヒトの姿がありました。
水たまりに映るヒトは、ヒツジが右に動けば右に、左に動けば左にと同じ動きをします。
それを見てヒツジは、自分がヒトの姿になってしまったことに気がつき、途方に暮れてその場にしゃがみ込みました。
そして、ヒトになってしまった自分の体をしげしげと見回していると、隣にいつの間にか自分を見上げる黒いウサギがいることに気がつきました。
「やあ、ヒツジカイ君。僕は黒ウサギ。よろしく」
と、黒ウサギはヒツジにお辞儀をしながら言いました。
「ヒツジカイ?」
と、ヒツジが聞き返すと黒ウサギは、
「そう。君はヒツジカイ。ヒツジをカウ者さ」
と答えました。
仲間から受け入れられず困っていたヒツジカイは、
「君は、どうやったら僕が元に戻れるのか知ってる?」
と尋ねました。
黒ウサギは空を自分の長い耳で指しながら、
「君は空に浮かぶヒツジ雲のことを考え、そして自分に気がついたからヒツジカイになった。だから、もしヒツジに戻りたいのなら、考えることをやめて自分を無視すればいい」
と答えました。
ヒツジカイは、
「ありがとう。でも、なんだか難しくてよくわからないや」
と首をかしげました。
すぐには戻れそうにないと思ったヒツジカイは、ぼんやりとヒツジたちを見ていました。
すると、その中に黒いヒツジが一頭いることに気がつきます。
黒ヒツジは、なぜか慌てた様子で周囲をキョロキョロと窺っていましたが、ピタリと動きを止めると急に走り始めました。
それにつられて、ほかのヒツジたちも黒ヒツジの後を追って走り出します。
それを見ていたヒツジカイは、慌ててヒツジたちを追いかけました。
ヒツジたちの向かう先には崖があったのです。
しかし、四本足のヒツジたちに二本足のヒツジカイが追いつけるはずもなく、距離は広がるばかり。
そんなヒツジカイを見かねて、横についてきていた黒ウサギはヒツジカイをひょいと抱えると、ぴょーんぴょーんぴょーんと飛び跳ねました。
あっという間にヒツジカイと黒ウサギはヒツジたちに追いつき、その行く手を阻むようにヒツジカイは前に立ちはだかりました。
いきなり目の前に現れたヒツジカイと黒ウサギに、ヒツジたちは驚き慌てて止まりました。
しかし、黒ヒツジだけは止まることなくヒツジカイへと向かって走り続けます。
その必死な勢いに押されて、ヒツジカイは向かってきた黒ヒツジを思わずよけてしまいました。
黒ヒツジはそのまま崖下へと落ちて地面に叩きつけられ、そのまま動かなくなってしまいました。 崖の上から言葉もなくその様子を見ていたヒツジカイは、慌てて崖下へ行こうと周囲を見回しました。
しかし、垂直に落ちる崖は左右に延々と続いていて、簡単には下りられそうにありません。
何もできずオロオロとするヒツジカイに黒ウサギは、「さっさと行け」と言って、なんとヒツジカイを崖下へと蹴り飛ばしました。
「えっ?」
と短い声を上げて、ヒツジカイは崖から落ちていきました。
それを追って黒ウサギは崖をぴょんぴょーんと飛び降り、ヒツジカイを地面近くでキャッチするとストンと軽く着地しました。
そして何事もなかったかのように、ヒツジカイを黒ヒツジの前へと下ろしました。
ヒツジカイは、顔を引きつらせて信じられないという視線を黒ウサギに向けました。
しかし黒ウサギはそんな視線を気にもせず、
「君が今見るべきはこっちなのか?」
と、地面に横たわる黒ヒツジを見ながらヒツジカイに尋ねました。
その言葉にヒツジカイは、口から出かかっっていた文句を飲み込むと、黙って黒ヒツジへ視線を向けました。
黒ヒツジの体はしぼんだ風船のようで、ピクリとも動きません。
ヒツジカイはそばにしゃがみ込むと、その黒い体に手を置きました。
黒ヒツジの体は少し温かく、しかしみるみるうちに冷たくなっていきました。
どうしたらいいかわからないヒツジカイは黒ウサギを見ましたが、黒ウサギは目を閉じて首を左右に振るだけでした。
黒ヒツジは、もう死んでいたのです。
魂の抜けた黒ヒツジの体を見下ろしながら、ヒツジカイは自分が逃げたせいでこうなったのだと強く唇を噛み締めました。
同時に、なぜ黒ヒツジはあんなに必死だったのかと疑問に思いました。
「どうして……」
そうつぶやいたヒツジカイに黒ウサギは、
「君が、本当にその理由を知りたいのなら、そのヒツジを食べればいい」
と言いました。
仲間を食べるということにヒツジカイは戸惑い、しかし黒ウサギは、
「自分のせいだと思うのなら、なおさら食べたほうがいい。そのほうが彼女も、ただ空の雲になるよりも救われるだろう」
と付け加えました。
ヒツジカイは、しばらく黙ったまま考えていました。
そして、
「そうだね。今度は、真っ直ぐに受け止めないとね」
と涙を堪え、声を震わせながら言いました。
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