人形使い 16

 彼は歩く。ベルクの道を警戒しながら歩く。片手に短剣をむき出しにしたまま進む。








 手にした凶器は軽いが、心情的に重い。短剣を人に向ける行為自体は簡単だ。だがそれを向けるという覚悟が彼には荷が重かった。刃物だ。ふるえば傷を生み、向ければ相手の本能に効果を示す。どちらも人に害をなしていく。








 彼はたとえどんな相手だろうが、刃物を向けたくはない。








 しかしあの場面だからこそ、やらなくてはいけなかった。大人とは自分の責任で自由を手にする生き物だ。彼があのとき、自由に動かなければ、責任は生まれなかった。その責任がなければ、間違いなく彼はころされていた。








 人形遣いは彼を殺せるなら殺す。依頼人二人の護衛にして、最も厄介な存在だからだ。








 だから彼はあえて演じた。演じて見せた。心における刃物の怖さを知って、人に向ける重さを知って尚、己を偽って見せた。












 結果生きている。








 被害者の法則として、何もしない。抵抗しない。抵抗しても、相手が面白がる行動だった。この法則が存在する。弱いからというものでもある。されど現代において喧嘩の強さはあまり関係がない。現代における強さは情報だ。そして、もうひとつは面倒くさい存在になれるかが強さだ。












 現代ならば暴力で勝てなくてもいい。喧嘩になど勝っても負けても価値はない。喧嘩になった時点で敗北だ。だから被害者のままであるなら、被害者のままでいい。あとはその情報をばらまいていけばいいこと。現代の戦いは直接的な暴力でなく、間接的な情報戦になってしまった。








 あとは社会が情報をもとに修正してくれる。徹底的に押しつぶし、平和をもたらしてくれることだろう。










 現代であればの話。ここは異世界。






 自分のことは自分がやるしかない。誰も助けてくれないのだ。








 通りを抜け、住宅地へと進んでいた。




 閑散とした環境。誰のものの足音すら聞こえない。






 その彼の足は止まる。目線が少し逡巡した後に、瞼を閉じた。軽く息をはき、無表情を壊す。この世界に来てから表情をよく動かしたのだ。だから笑いぐらいは自然にできた。








「・・・おかえり、雲」




 彼の周りにも、見える範囲にも雲の姿はない。だが彼は雲の気配を感じ取っていた。見えずとも、わからずとも、近くにいる。






「くきゅ」




 雲の姿はない。だが彼の近くで声がした。子供らしく無邪気な鳴き声を返事に、彼はうなずいた。




「・・・ありがとう・・・君も役に立つ」




 彼は雲を相手には言葉を選ばない。他人に向ける悪意、ほかに向ける悪意などは抑え込むが、雲に対しては抑え込まない。




 雲がここにいるのは、役割を果たしたからだ。生き残ったゴブリンの保護、安全な場所に避難させること。それが終わり次第、戻ってくること。彼の魔物たちは役割を果たしている。どの魔物例外なく彼のために働いている。








「くきゅ」




 当然だという鳴き声が自信を物語っていた。その雲の仕事に対し、彼は首肯で終わらせた。






「・・・君のことだ・・どうせ事の顛末も・・ゴブリンを攻撃した人も・・・誰が敵で味方ぐらいかはわかっているはず・・・相手は善良な人だった・・・今では悪人になっただけで、根底はかわっていない・・・効率を求める中で犠牲があるならば、仕方ないと考えるけれど、必要な犠牲は作ろうとはしない・・・若干の誤差があり、たまに遠回りをするのも癖・・・目が見えず、年配の方だ。効率的で・・現場主義だと思ってる・・・その現場主義が原因で目を失った・・・人の大切なものを知っていて、人に寄り添った方じゃなければわからない弱さをしっている・・・人を導くことをしていた職業の方だと考えている・・・」




 彼は情報を共有しつつ、声のするほうへ視線を向ける。彼の視界には微弱に見える雲の姿があった。表情も体格も視界に砂嵐が舞うかのように、見通せはしない。




 その力はどこかで見たものだ。小さな淑女が使う気配が消え、姿も溶け込むスキルによく似ていた。






「・・・くきゅ」




 同意。




 雲は間を開けたうえで、同意した。






 彼の観察力は見事に的中している。これが現代における他者を観察してきた能力なのだ。培った無駄なスキルは、この世界の価値観において異常性を発揮する。心理学というものは一部あるだけで、彼のように実践されたものはない。






 彼は心理学を学んだことは一切ない。経験主義者の彼は勉学における知識のみを誇らない。そもそも知識など持ち合わせたりもしていない。彼の言葉で、感じ取ったことだけを述べただけなのだ。




 それが正解に当てはまる。






「・・・目を失っても、執着する何かがあるから・・・あそこまで墜ちれる。・・・そのくせ目を失ったことだけじゃ負けたりしない・・・強い人だ。・・・非常に強い心を持つ人生の先輩だ・・・」




 彼は老婆を尊敬すらしていた。目的がはっきりしていて、そのために努力をする人間を。相手が敵であろう、依頼主にとっての害であっても、尊敬をしていた。




 だが、それでも彼は大人なのだ。




 依頼は依頼。仕事は仕事。労働は労働。その責任を果たさなければ、大人たりえない。自由足りえない。




「・・・強い心を持つ人なのに・・・気になることがあるんだ」




 彼は気配も姿も隠れた雲に向け、視線を向け続けた。観察というよりは、監視。冷酷なまでの眼が雲の全身を穿つ。




 その視線を前に雲の体がびくりとはねた。






「・・・あのような人が・・・なぜ僕を宿敵のように、恨みをもったように見ていたのか・・・かかわりもしていない、ただの護衛の仕事をしているだけなのに・・・ね。・・・まるであの人の大切なものを奪ったみたいな・・・その身内に対して向けている敵意だった・・・」




 彼は手を伸ばす、見えづらい姿であろうと一応は見えている。砂嵐がかかった雲の姿の頭部分に手をのせ、引き寄せた。




 彼の腰の側面に雲の頭を寄せる形。




 されど横目の彼は冷酷さそのもの。




「・・・雲、君は何かした?」






 彼の手のひらに伝わる、強い反応。びくりとはねては、わずかに振動する。雲の震えを感じ取ったうえで、相手の反応を待つ彼。その透明で、見えても砂嵐にしか見えない雲は恐る恐る彼を見上げている。それを冷酷な視線が雲の虚像すらも突き通ったかのようだった。






「くきゅ、きゅ」




 していない。




 何度も顔を横にふるう雲。震えは大きくなり、彼の手のひらが頭から離れたりもした。離れたうえで、すぐ頭に乗せ続ける彼の手。雲の反応とは違い、その体は紛れもなく嘘を告げている。






「・・・していないならよかった・・・ならきっと僕のせいか・・・疑ってごめんなさい。・・人は気づかないうちに、誰かを傷つけている・・・傷つけられた人は、知らないところで別の誰かを傷つけている・・・傷のつけあいが、僕たち人間にはある・・・・・・意識しないところで出てしまう。・・・」




 彼の手の圧力は変わらない。




 雲の頭部に乗せた手は引かない。




 冷酷な視線は雲に注がれている。






「・・・気を付けたほうがいいよ、・・・僕も雲も、相手への対応は注意しないとね・・・人間は傷つけられたことを根にもつからね・・・とくに自分と近い存在に対しては、小さなことでも根にもってくれるから・・・」






 誰でもわかるだろう。彼は雲が嘘をついていることを感じ取ったのだ。そのうえで大人の対応として、一歩手を引いた。つまり雲の嘘をあばかず、彼自身が原因として話をしたのだ。彼が悪いからこそ、それを子供に教えるようにする大人の配慮。人は同じ国家の人間である場合、残酷なほどに冷たい。相手と自分を同じか下に見るからこその毒を突きつけてしまう。同じ人間、自分に近いからこその攻撃感情を指し示す。相手が動物であれば、仕方ないと納得するのはそれが理由だ。






 だから怒る必要はない。




 だが、彼の目は配慮と違い嘘をついてくれなかった。




 冷酷な視線こそ、雲の嘘を見抜いた圧力だった。




 言葉にしないだけで、態度に現したのだ。




 彼にとって初めて老婆に出会ったつもりだった。しかしながら相手にとってはそうではない。そのくせ最大の恨みをもつかのように彼に向ける。老婆の家族を害したのであれば、それを直接いうはずだ。恨みつらみは、相手にぶつけてこそ落ち着く心がある。




 それがないということ、相手にとっての敵は、彼の身内なのだ。直接害をしてないからこそ、大人の心をもち、敵意のみで終わらせる。だから彼は雲を疑った。ほかの魔物は彼の望まないことをしない。気づかないうちにすることもあるが、意識をもって問題は起こさない。






 自然と疑うのは雲になる。この魔物はまともではない。通常であれば命令してでも行動を制限すべきなのだろう。だが自由を奪い、責任を負わせるほどの理由が見つからない。その問題ぎりぎりを攻めていくのが雲だ。




 彼の前でそうなのだから、裏ではどんなものか想像すらできない。








「でも、やらなければいけないことが僕にはある・・・」






 彼は雲から手を離した。視線を前に向ける。変わらない住宅地の中を彼は睥睨した。このベルクの人が住む環境から人形を大きく減らす。それは排除しかない。




 人形使いは人々をむやみに傷つけない。人を導いてきたものの矜持がそれをさせる。現場主義の癖が消えないぐらいなのだ。誇ってきたものを今さら捨てるほど、老婆は人間をやめていない。もしやるなら、それが必要な犠牲という理由が必要だ。




「ベルク内の人形を破壊しつくす、そのために雲は必要だ」






 人形使いは彼に対し敵意を持っている。だが恨みを持つ身内に対する敵意であって、それだからこそ抑制した理性があった。ならば彼の中で最も疑われるのは雲だ。雲を直接罰しないかわりに、雲を利用する。疑いの中で罰をする行為こそ最低であろう。




 しかし彼は確信している。




 間違いなく雲が関わっている。




 人形が雲を見た際、きっと強く反応するはずだ。その中で人形だと気づかれたとし、排除でもしていけば、きっと多くの数を連れて撃退しにくる。それは理屈じゃない、感情のものだ。




 危機があれば外敵を排除。雲が狙いなら、必ず仕掛けてくる。




 同時に人形使いは効率を求める。だから人形をベルク内で薄く広げているわけでなく、まとまった戦力としておいているはずなのだ。安全を求めるなら分散管理をするだろう。もしくは戦力を小出しにするように、人形たちをグループ分けして各地に保管。危機があれば、それらを集合させ戦力にする。




 そういう手もある。だが必要な個所に必要な数だけはそろいにくい。分散した以上、必要な個所に招集する場合時間がかかりすぎるのだ。戦力の小出しや、分散管理は重要なものだけにすべきである。




 効率的ではない。




 各地にいる人形は、戦力ではなく監視用。失ってもよい人形たちでしかない。




 そのほうが効率的だからだ。




 ならば彼は試算し、導いた答え。本隊は数か所、それも片手で収まるほどの箇所にわけている程度のもの。安心を求めたわけじゃなく、戦力の軌道としての保管。








 彼の住宅からも近い。また老婆が魔物と依頼主の動向を気づく距離から見て、この住宅地には絶対に人形の群れがいる。それも人々を殺してまで、奪った個所ではない。人形遣いの本質を考え、空き家。もしくは独身のような誰かの家に隠れ潜んでいるかだ。もし戦闘行為になった際被害を減らす考えは相手にあるはずなのだ。持ち主の意志を聞かず、勝手に潜んでいるに違いない。




 家族持ちのところにはいない。いそうであるからこそ、いない。




 懐に手を入れ、とりだしたのは筒状に丸めた羊皮紙数枚だ。丸められた羊皮紙を広げれば住宅地の地図が出る。ベルク内の住居及び、空き家の存在。その中の家族がある家にはバツマークを。独身には三角を。空き家には丸を。




 それを羊皮紙にまとめたのは彼ではない。




 冒険者だ。




 噂を流すついでに住宅地をしらべあげさせた。そもそもこれこそが目的だった。噂を流すことはメインでなく、本当の目的を隠すためのもの。噂を流す冒険者の中で人間と確信し、情報を漏らさないものにだけ与えた仕事。噂を流す人員を時間ごとに離れさせ、別の場所で再開。この行為そのものは実は、大したことがなかったのだ。




 各地を冒険者に回させ、信用できる者が噂を流すついでに調査。時間ごとに場所を離れさせる行為は、見知ったものが同じことを言うだけのうさん臭さを消すだけじゃない。噂の新鮮さも表向き。




 情報。




 家の場所の地図を書かせ、そのうえで家族構成をマークごとに分けさせた。丸も三角もバツも彼が教えたマークだ。彼独自が知れればよいだけのマークゆえにこの世界の誰もが理解できない。情報が漏れたとしても、それは目的がばれることにつながらない。






 彼は雲のために身を低くした。地図を広げ、低くしたからこそ見えるその情報。住宅地、繊細でもなければ緻密でもない。冒険者らしい雑なものだった。家の区間も一切間隔があっていない。されど数だけはあっている。線はフリーハンドらしく、ずれたりしている。だが要所だけはとらえてあるため読めなくはない。




 彼は住宅の一つの丸を指さし。




「これは空き家、人形がいる可能性がある」






 


 彼が地図を取り出した際、驚愕を隠せないものがいた。雲である。彼が調べた時間もないし、冒険者が出したのは噂の指示だけだった。彼の行動を逐一調べていた雲ですら、気づけない裏がある。




 雲の思考を他所に彼はつづけた。






 三角マークを指さした。




「これは独身の人、一人しかいない家だ。もし空き家がなければ、この家に住んでいる可能性がある」






 被害を少なくするのであれば、独り身の家に住む。空き家に住む。人形使いが過去から抜け出せない以上、そうなる。効率的でありながら、時に遠回りをするのは家族という環境を破壊しない道。もし効率だけならば、家族こそ巻き込んで潜むはずなのだ。




 家主の意見すら聞かず、勝手に隠れ住む。床下、屋根裏いろいろある。




 最後にバツのマークを指さす。




「ここには家族がいる。・・・ここには人形はいない。僕が思うのであればここにはいない」




 雲に地図を説明しながら、家々が連なるものと現在地を教え込む。地図は書き方こそ汚いだけで、わかりやすい。だから彼は説明も簡単だった。






 誰かに説明をするというのは良いことだ。言葉に出すことで別の思考が生まれる。頭で考えただけの言葉と口に出し反復する作業は大きく違う。




 雲に説明するさなか、彼は一瞬思考が別のものにすり替わった。




「・・・一軒、一軒回って、人形を順序に調査する・・・住宅地一帯を一つの隠し場所としているのは規模が大きい・・・だから僕と雲で空き家から訪問して調べていこう・・・きっといる・・・分散のように見えるようで、一か所だから。・・・一か所?・・・バレても被害が少なくしたところも、効率的だ・・・最も安全な家族持ちのところに人形を隠さない遠回り・・・・被害を出さないやり方を取らなきゃいけない・・・」






 本来なら空き家にまとめて人形を隠せばいい。今のやり方は住宅地一帯を一つの隠し場所とし、それぞれの家に潜ませる。だがそれではな駄目なのだ。人形を隠す以上ばれてはいけない。空き家では誰かが侵入してしまう。しかし人が住んだ環境であるならば、知らない誰かが侵入する可能性は低い。




 それらは分散でなく、人形使いにとっての一括管理でしかない。一つの区域にまで人形使いの管理は行き届いている。




 建前として考えた場合。




(・・・人間が好きだということ?)




 彼は感情を信じる。理性を信じる。人の精神面を信じる。感情を理性で抑制するのも、さらけ出すのも人間らしくていい。それが人間が高度たるゆえの証明につながる。




 彼は他人が苦手だが、無駄な押し付けはしない。




 雲を相手にするだけで、ここまでするものだろうか。彼は知らない。未来における魔王が雲であり、人類に被害をもたらす害悪。その姿を知らない。だから、人形をここまで隠し、ベルク内に人形を置き続ける意味がわからないのだ。




 いくら恨みがあろうと過剰すぎなのだ。




 彼にとって雲はただの一匹の魔物。




 しかし、ほかの者にとって雲は強大な魔物である。それを彼だけは正しく認識していない。




 その誤差が別の真実を暴き出す。




(・・・雲はそこまでさせる価値がある・・・人間が好きな年配の方が、それを覚悟させる何かが雲にはある)






 別軸から、真なる答えを導き出すのは彼だけだろう。地図を見たうえ、説明を口に出しただけなのにだ。これが彼を怪物たらしめる他者の価値を認める基準。現代人であれば大体がもつものを、彼はそれのみを特価させた。




 だがそれは今必要なことではない。雲に固執する相手だろうと、彼には依頼人との仕事を果たさなければいけない。




 地図を広げたまま、立ち上がる。




「・・・行こう」




 彼と雲は独り身の家を回った。この世界にチャイムはない。独身の家のドアをノックし、出てきた相手に事情を説明し、自宅を調査。その際、彼を見た相手が異常に怯えていたことはどうでもよいだろう。床下を、雲に探らせ。彼は部屋の押し入れ、水場、寝室などといった人のせいかつ環境に直結する場を調べた。




 雲と彼は屋根裏にまで上がり、調べた。






 調査した結果、人形はいなかった。






 思案する彼に対し、すかさず雲は挑発していた。肩をすくめ、彼をあざ笑う姿。彼の自信をへし折るためにやっていた。人は失敗しただけでは何も感じない。失敗したうえで誰かに馬鹿にされるか、被害がでるかで、失敗が怖くなるのだ。そのため彼の考えの間違いを馬鹿にし、自信を砕くつもりだった。






 行動原理は自信だ。




 彼は雲の秘密に気づきかけた。




 それを覆すなら、彼を疑心暗鬼に陥らせることだ。手に入れた答えを間違い、それを恐れれば勝手に人は自分を追い詰める。問題があり解けたとしても、本当に正しいか無駄に時間をかけてくれる。




 馬鹿にすることほど、相手の時間を奪う手段はない。相手の正解を失敗にするため馬鹿にした雲。




 だが彼は無視し、独り身の家から外へ。それを地図上の独身の家全部を回り、今度は空き家を探す。空き家のカギは、行政に頼み込んでいたものだ。これも冒険者に対し、依頼したものである。




 カギを開け、空き家に入る。その際雲を先行させ、彼が後ろに続く。生活空間の場を彼が探し、床下などは雲に探させた。そこに人形の姿はない。屋根裏もいない。






 次の空き家、別の空き家を調べても人形はいなかった。最後の空き家に差し掛かるまでに数時間かかっていた。雲は呆れ顔で彼を見上げている。いないものを探す彼の努力を無駄と感じているのだ。




 そして最後の家を調査。




 雲は床下を。彼はクローゼットを捜索。




 開けた状態で彼は告げた。






「・・・ここじゃない・・・」




 一切人形はいない。




 操作を終え、最後の家を出た。玄関を出て、彼は身をほぐすように肩をまわした。苦労も調査も無駄であったという証明。気苦労だけのものだった。




 それを雲は見届けて口端を大きくゆがませた。




「くきゅきゅ」




 雲は盛大に彼を指さし、侮辱した。彼も外れる。彼の考えは間違いであると刻みつけようとしてた。それが、真実を遠ざける近道だ。




 だが彼は平然としていた。それどころか苦笑すら作り上げていた。






「・・・気づかない?人形は見つけれたよ・・・沢山ね」




 彼は雲の侮辱を一切気にしない。気づかない者の言葉より、確信をえた彼の意志。








「・・・雲に教えていないだけで、ちゃんと僕は見つけたから」




 雲の挑発が一瞬止み、表情が固まる。彼が家に潜む人形をそのまま教えるわけじゃない。そこで教えてしまえば戦闘になる。潜むものを攻撃しようとすれば、命が宿って動き出すに違いない。活動を休止しているだけなものをたたき起こすほど無意味なものはない。




 戦闘は環境を破壊する。家を壊してもよい相手の思考と、壊されてはいけない持ち主の思い。持ち主の立場を鑑みて、放置しただけのことだった。




 押し入れに。ベッドの下に。水場の天井の上に。新しく張られたであろう壁紙を触った感触。




 独身の家に隠れていたものは、ほとんど目がつかず分かりにくいところにいた。空き家の場合はすぐに見つかった。




 雲には探させず、彼が探した箇所だらけにいたのだ。




「・・・もしかして、僕が考えたことが間違いだと思わせたかったのかな?」






 肩をすくめていた雲は消沈し、視線を下げた。




「・・・雲がしたことをやり返してあげようか?確証もないのに、挑発してきた君を煽ってほしい?無意味だし、生産的じゃない・・人の自信を奪う事より、自信を積み上げさせることのほうが大切だよ。誰かの自信は新しい想像を作りだす。その想像は時代を突き進める原動力だ」




 彼は雲と同じにならない。子供と大人。人間と魔物。相容れず、どこかに境界線はあるのだ。いくら心が通じ合う関係でも種族の差は確実にある。その区別があるからこそ、人はいつだって寛容なのだ。




 区別をせず、境界線も引かない関係は長くもたないのだ。ペットのした問題を、本気でしかりつけるだろうか。犬や猫ならば叱るだろう。では昆虫のペットが問題を起こしたら、小魚のペットの問題はどうか。同じ命ではあるが、叱らないだろう。所詮その程度と勝手に思い込むだろう。




 教育の差は確実にある。




 それこそ区別。境界線である。






「・・・僕がなぜ、見なかったことにしたと思う?・・気づいたのに、気づかない振りをしたのはなぜだと思う?・・・それは相手も同じ。人形の保持を願うなら、定期的に確認をするはず。・・・なら気づくはずなんだ。人形を探す姿、そのなかで確実に僕は見られた。・・・数時間もいたんだ。探し回ったんだ。・・・気づかないフリをした僕を、人形使いは気づいているのに」




 彼が調査中、何度も人形に意志が宿りかけたのを見た。それを無視し続けた。どの家にも人形の姿はあったが、一切無視した。空き家にもいた人形も無視、独身の家に潜んでいた人形も無視。雲には教えず、ひたすら彼は探した形を見せた。人形も彼に対し危害を加えなかったのにも理由がある。






「・・・人形使いは人を巻き込みたくない・・・人間が好きだから」




 彼が見逃したからだ。だから人形も彼を見逃した。




 最後の空き家のクローゼット。そこにも人形はいた。




 その人形は押し込まれたように隠れ潜み、両目は間違いなく彼を睨みつけていた。殺意丸出しであり、クローゼットの枠に置かれた彼の手に向け、人形が手を伸ばしてきた。




 だから彼は告げてやったのだ。




 「ここじゃない」




 人形の存在が見つからないことへの言葉でない。戦いはここではないという忠告だ。




 多くの人形を見つけたうえで、放置するなど相手のプライドを刺激することだ。相手の立場を重んじてやったつもりであるし、極力やりたくないであろうものも避けてやった。






 効率でいうならあの場こそ、戦いやすい場であろう。されど遠回りしてまで被害を少なくした人形の配置。




「・・・他者を尊重したいのに、できないのは不便なことだと思う」






 これは人形使いへの挑戦状だ。




 だから彼は歩く。




 その風景には人の姿がないだけで、いつもと変わらない景色があった。人の営みは隠れているだけで、きちんとそこにはある。




 彼の歩みが住宅地から離れるとき、最初に訪れた独身の家から何かが出てきた。それは彼が見つけた人形のもの。ほかの家からも二階の窓から、屋根の隙間から、窓から、人形が出てくる。窓の高さがある場合は人形は転げるように地面に落下。何事もないように立ち上がって彼のほうへ向かってくる。




 独身の家からは家主とは反対側の窓からゆるりと滑り現れる。勝手に隠れ潜んで、勝手に出ていく。その姿は家主に見つからない。見つからないのだから、その存在はいなかったことになる。






 彼が離れれば、その距離に応じて訪れた順に人形は姿を現す。




 そして彼へついてくる。






 隣で歩く雲を凝視しながら、彼の背に合わせて動き出す人形たち。




 それは彼が先導した形の人形の行進だ。




 住宅地を抜ければ、大通り。その大通りに隠れ潜むものも姿を現す。人の営みの場所こそ、人形の保管場所。彼は別の羊皮紙を広げ、先ほどまでの地図はしまった。




 大通りを歩くのは、人形の行進を増やすため。




 彼が気づいた以上、見逃した以上、後がない。逃げようにも、別の場所に隠そうにも暴き出す。それができるからこそ見逃せるのだ。だから人形は付いてくる。




 この道順は明らかに人形が潜んでいると断定した箇所を優先させていた。






 だから彼が進むたびに、人形は増えるし、数の差は不利になっていく。




 だが気にした様子もなく、彼は進む。あらかた回れば、別の羊皮紙。その地図の通りに歩めば、また人形は増えた。






 その数400にも及ぶ。






 そして、最後の羊皮紙を広げた。




 その道順は門へ行く道なのだ。彼は本来この辺りを通らない。だから道がわからなくなる。そのための保険である。人形は今だ彼と一定の距離を置いて歩みを進めている。




 見知った道に入れば、地図は懐にしまう。






 人形は揃った




 彼もようやく揃う。




 門が見えてきた。その門は閉ざされ、地面に赤の液体が広がっていた。門前に液体が広がろうと、その原因であるものはなかった。人形一体すらいない。






 処理済み。ここは雲が人形を皆殺しにした場所であり、人形自体は片づけてあった。




 彼は指をさす、門へ向けて。




「・・・天」




 すぐさま門が大きく広がることで言外の指示を完遂する。門を踏み出せば平原。ここからみた平原の奥のほうに彼の戦力がいた。牛さん、静、華、子犬たちの主力部隊。子犬はさすがに戦闘しない。必要なのは武力なのだ。






 ここからは人形を破壊するための暴力になる。






 彼は一度振り返り、人形に顔を向けた。






 指先を平原に向けたまま彼は口を開く。






「・・・あっちのほうが被害はすくないと思います」






 彼の言葉に先頭の人形一体の口が空いた。






「そりゃそうさねぇ、そうしよう」








 彼は暴力を望まない。望まないが使う。この世界は未だ、暴力がコミュニケーションの一つでしかないのだ。野蛮であるがゆえの、簡潔さ。強くなくては、いけない。弱者無視の人権侵害。




 彼がいた世界のほうが遥かに生きやすかった。




 現代のほうが弱者にやさしい。現代は弱者を切り捨てたわけじゃない。弱者を救済するための一歩を踏み始めただけなのだ。その一歩の時点で不備があることは仕方ない。ならば充実した救済を考えていくだけのこと。成長段階なのに絶望するのはもったいない。




 本当に勿体ない。






 異世界は生きづらい。




 彼は平原へ踏み込んだ。そして彼の戦力たちのほうへ赴いた。一切振り向かず、堂々とした振る舞いは、弱者のようには見えない。怪物という言葉がふさわしい瞬間でもあった。


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