ローレライの火種 11

 彼はそれからも異質なことを繰り返した。授業の合間にソファーを持ち出し、テーブルを必ず離れた個所に設置した。その際置くときには、汚れをその場に残さないよう注意はしていた。だが魔法の訓練もただの授業の合間にもその場に適したソファーを必ず持ち出した。生徒が気付かないうちに設置され、撤去され、また別の場所に設置。






 彼は誰にも気づかれず、いつの間にかいるのだ。その授業のところに必ずいる。その授業はアーティクティカが現れるところ、カルミアが現れるところ、ローランドが現れるところ。この3人の登場人物の誰かが現れるところに出てきた。






 彼は授業なのにソファーに座る。その姿は彼自身でも、よくないことだと自覚していた。だが自覚していてもやっている。彼は常識人であるし、そこそこ真面目であろう。ルールを愛し、ルールの中の自由を愛す。自分で考えたくない系、底辺。それが彼だ。






 武器の訓練の授業。ローレライは剣と槍の国だ。白兵戦をメインとした軍事で、魔法使いはサブになる。しかしサブといってもメイン級に重要視されてもいる。文化のなりたち上、剣と槍が活躍してきた国家だからこそ、それが前提だ。弓はない。弓を鍛えるほどの余裕も、資源もない。弓は訓練に多大な時間がかかる。弦を引く訓練、矢を射る訓練。当てる訓練。手間がかかりすぎる。矢を使うのもあり、平原からなる小国では資源の消費が激しかった。それより訓練する手間が同じで、資源のかからない魔法使いを用意した方が安上がり。






 遠距離、戦闘支援を特化した魔法使いが弓の代わりに役立っている。






 魔法の訓練は全生徒が強制的に教育を受ける。その中で適性を持つ者、剣や槍よりは成果があるものは魔法使いがメイン教育とされ、剣、槍訓練を受けられない。






 彼の知識でいうならば、体育館。






 彼の知識の中では体育館はフローリング加工ににた木々の床面であった。






 しかしこの学園では、石だ。ただの石を削り凹凸のない形に加工されたものだ。表面にはギザギザの跡をつけ、床面が濡れたとしても滑りにくい。そこで剣のグループ、槍のグループに分かれて授業を受けるものたちがいる。そのグループは魔法を使うグループとは違い、権力によって分かれている様子はない。






 平民も貴族も同じグループで訓練させられる。平民は有事の際貴族を守る盾として、貴族は平民から信頼を勝ち取り、自主的に盾にするため。そこでいじめをする貴族などは、数少ない。平民から嫌われても、裏切られるだけだ。それをされたのが昔の内乱。国が王国派、軍国派、自国政府派になったのだ。




 自国政府が内乱を起こした貴族から嫌われたため、裏切られる余地を作ったために起きた内乱。それは王族から見れば貴族も下の立場。貴族からの下の立場は平民だ。裏切られることを二度としたくない政府。その立場を第三者の目で見た貴族が自主的に平民の強さを自覚し、裏切られないようにしていた。








 アーティクティカは平民から好かれた。




 その証明が、平民から好かれたことによる力の証明は現にある。今も昔もアーティクティカは強い。








 貴族は武器を持つ必要が無い。




 平民は武器を持つ必要がある。






 貴族は武器の授業を受ける必要がないのだ。ただ名目上、自己防衛の義務があるから義務的に学ぶだけだ。貴族を守るのは平民だ。その平民に顔を売るために貴族は授業を共にする。






 魔法の授業で階級で別れたのは、平民と貴族では魔法の授業の質が違う。貴族が質の高い授業を受けることに対し、平民は才能が見いだせていないものだけは平均的な授業を受ける。その中で才能があったものだけ貴族と同じ授業を受けられる。貴族に対する忠義と、魔法の才能があったものはその場で、自分で従う貴族を選ばされる。選んだ貴族と共に行動し、それの為に死ぬ。貴族と共に行動する際、歯向かった場合、従った場合、貴族の為に働いた場合の良い点と悪い点を教え込まれ、従った場合は家族にかかわる補助が受けられる。




 その補助はローレライにしては破格で、魔法の才能がある平民が選んだ貴族を裏切ったことは一切ない。






 魔法の才能を持つ平民を貴族と同じ授業を受けさせるのは、その平民が有能だと自覚させること。その他の平民とは違う有能さがあると見下させるため。其の優越感を才能がある者に、そして未来を安定させることによって平穏を得る。貴族が才能ある平民を保証し、家族を補助する。






 平民が貴族を裏切ったことは一度もない。






 彼が調べた限り、ローレライにおいて平民迫害の事実はない。実際貴族は、他の国と比べ平民を手厚く歓迎している。才能がある者も、無いものも、全員に価値があると考えているようだ。自分の盾にするために、自分が好かれるように同席を拒まない。実際、自分の盾になって死んだ平民には、家族の補助をしている貴族も多い。








 彼はそういう歴史は嫌いじゃない。文化は嫌いじゃない。善意ありきの補償より、悪意ありきの補償より、利益を見込んだ上の補償の方が好ましい。無償の愛より、有償の情のほうがありがたい。必要以上に気を遣わずに済むし、線引きが出来る。






 忠義の国、ローレライ。






 打算あり機でも平民と貴族は密につながっていて、王族と貴族がつながる国。








 そう思い、彼はお菓子を食べる。






 さすがにハーブティーを本日、6杯ほど飲んだ。彼の胃袋は大きくない。それだけで体内の水分は十分以上にとっている。だからお菓子だ。自分でやいたクッキー。適当な形にし、星型、丸型、四角、三角、それぞれの形の枠で作り上げたクッキー。焼き加減も材料もネットで転がっていたレシピを記憶の中から引っ張りだした。前の世界の材料などこの世界にない。だからそれに似た材料などで代用。






 程よくやけたクッキーがテーブルの皿の上に山盛りになっていた。一つの大皿を覆い尽くすほどのクッキー。この世界に焼き菓子はあれど、クッキーは今のところない。彼が知らないだけであるかもしれないが、彼の持つ知識ほど深められたクッキーなどはない。




 ただ何度もこういうことをしていたせいか。狐顔の男は自分の腹部を抑えていた。






 狐顔の男はグロッキーな顔をしていたため、少し席を外させた。体調が突然悪くなったのか、急激な変化に彼は休憩を促した。その彼の提案を聞いた狐顔の男は更に、体調を悪化させたのか、全身を震わせていた。その姿を見て、休憩をさせようとしたが、頑なに狐顔の男が否定する。大丈夫という言葉をもって狐顔の男は彼の心配を拒絶。






 まるで、休憩したら切り捨てられる非正規社会人のようだった。






 彼はそういう頑なな狐顔の男の意外な真面目性を評価し、とにかく何もないから休ませた。その際、何度も彼をチラ見し、背後をやたら警戒するようだった。ただチラチラ彼を見続けながら、休憩に入った。






 だから彼一人。






「・・・無理はさせないようにしないと」






 彼はしみじみとひたるように独り言をこぼした。この非常識行為、授業の合間にソファーなどといったことには訳がある。理由があるのだ。だから彼自身も正直胃が痛い。人からの視線、奇天烈な人間を見る目、異常性を図る目。それぞれの視線を感じながら、必死に非常識をやっている。






 その痛みが狐顔の男を苦しめたのかとすら彼は思った。




 しかし、あり得ないと否定した。






 狐顔の男はリコンレスタを裏切り、弄び、人を集め、組織化した。






 楽しみのためなら何でもできる男が、その程度で精神を病むわけがない。






 彼は常識的判断によって、狐顔の男の突然の体調不良は違う案件によるものだとした。それは聞くまでもない。聞くことによって、逆に悪化させるかもしれない。再発させるかもしれない。だから聞かずに、知らないふりをすることにしていた。






 ただ狐顔の男は、彼の傍にいて、彼が何をしでかすか、彼が自分に何をしてくるかが怖くて体調を悪くした。それだけだ。知性の怪物は本人不在であっても英雄を倒せる人間。歯向かおうとしたもの、歯向かった者、邪魔をするかもしれない者も含めて排除してきた。






 その中に無能を排除した過去はない。




 ただ今後あるかもしれない。




 その先例に狐顔の男自身がなりたくなかった。






 知性の怪物と共に行動し、体調を崩し肝心なところで役に立たない。その意味は、排除に足り得るのでないか。その恐怖が狐顔の男の精神を摩耗させた。心が読める男にとって、人の心は読めて当たり前。読めないことこそ異常なのだ。




 彼の心を読むのは未だに不可能。それどころか最近は心を読もうとすると、多大な感情の渦が逆進撃を開始してきて、狐顔の男へ牙をむいてくる。だから読もうとすることすら諦めた。






 読めない、読ませない。心も行動も意味がわからず、その突拍子のないものは重大な策略に繋がっているのでないか。






 そのとき一緒じゃなければ、策略に巻き込まれて排除される。それをしてきたのが彼の過去。知性の怪物としての過去。






 ギリアクレスタとしてリコンレスタの町一つのトップでは勝ち目などない。




 置物として策略の中に沈むか、傍にいる装備品として策略に巻き込まれずに生存するか。その選択の中では狐顔の男は生存のため無理をするしかない。かつては自分の命すら駒だった。だが彼の前では命すら駒になりえない。






 無価値なまま終わりたくない。だからこそ狐顔の男は無理をして、体調を崩した。それだけだ。






 彼が一枚、また一枚とクッキーを齧っていると一人の男が近づいてきた。それは貴族以上の人間にして、怒りを表した生徒でもある。アーティクティカ侯爵の娘、ベラドンナは授業の最中彼がしていることを目で通し、見なかったことにしている。彼はそんなベラドンナの様子を知り、怒られないことを理解し、続行。






 アーティクティカが許した。




 アーティクティカはローレライの高位貴族。それが認めた彼に対し、訪れられるものは自分の力を高めたい者、彼の意見を聞きたい者、彼に顔を売りたい者などといった、彼を通したことに恩恵がある者たちだろう。






 しかしその場合怒りを表すなどおかしなこと。彼の機嫌を取り、彼から利益を出さなければいけないのだ。怒るなど不利益しか生まない。








「・・・まってました」






 ただ彼は薄幸したかのように微笑んだ。不幸せさを感じさせる、微弱な笑み。恵まれたものと恵まれない者。彼は自分が恵まれたものだと信じてやまない。他人がどうであろうと彼は恵まれている。五体無事に生きているだけで幸せだ。






 それを知って、彼は自分の表情を幸が薄いように見せかけた。






 怒りを表し、アーティクティカの後押しの平民に対し怒りを見せる者。それは距離が手を伸ばしても届かない距離。来訪者が手に持つ剣を振れば届く距離。テーブルから少し離れた位置まで来たものは怒りをあらわにした。






 整った容姿を激情に飲ませた者、それはこの国の継承者である、ローランド。




「貴様!!」








「・・・ローランド様、まっていましたが・・・・なんの用でしょう?」






 ソファーに深く座り込み、手にしたクッキーを齧る彼。ふてぶてしく、不幸さを蔓延させた彼の笑み。不気味すら演出するように、とにかく尊大に、幸薄く、嘲笑でない哀れみすら感じさせるように必死に彼は演じていた。






「由緒正しき、学園で、教師でありながら貴様!」






 ローランドの怒りは爆発し、言いたいことが言えないでいる。キーワードを一つずつ言って、感情を落ち着かせようとしているのか、ワードを言った気で説明をしようとしているのか。






 それを彼は指摘しない。本来ならば煽る気でいれば指摘して、馬鹿にするのだろう。






 しかしながら彼はそれをしない。






「・・・教師でありながら・・・とは?」






「教師とは!教えるのが仕事だ。学ばせるのが仕事だ!自分から仕事を放棄し、あまつさえ寛ぐなど言語同断」






 権力者は、一族の子孫にあたるまで当たり前の教育を行う。指導者としての義務。教育者としての義務。支配者の義務、被支配者の義務。それぞれを当たり前に教え込まれ、時に理不尽を容赦なく与える天罰の役割。






 彼はあえて、このようなことをした。






 アーティクティカを無視したローランド。アーティクティカが保証した彼。






 その彼が問題を起こした場合、権力者はどう動くのかが見たかった。






 アーティクティカの婚約者でありながらローランドはカルミアを愛している。アーティクティカから距離を置くようにして、自分の想いに悩んでいる。責務に悩んでいる。






 その子供の想い。道が多く、未来の分岐点は沢山ある。その分岐点を一つにしぼり、必死に成長をしようとする王族としての重荷。その重荷のなかで自分が好きな相手が婚約者とは違う立場の貴族。










 そして支配者としての責務の役割。






 この学園でアーティクティカに保障された彼を否定できるのは、それ以上の立場でしかない。学園側もできたが、学園の用意した防衛戦力は倒した。それどころか狐顔の男が心を読んで弱点を掴んだため、もはや学園は彼の邪魔を表だってできなくなっていた。






 アーティクティカは学園に復讐する権利を持つ。ローランドがカルミアが、他の貴族が平民が、アーティクティカを無視し、何もできなかった。学園とて、権力を持ち込めないとはいえ伯爵以上、王族の絡みにかかわれるわけもない。学園長自体が伯爵程度、学園次長も伯爵なのだ。ただ歴史が古いほうが学園長で、新しいのが学園次長でしかないのだ。




 カルミアに口は出せても、ローランドには口は出せない。




 その結果、無視の事件が起きた。






 無視の事件の管理責任を学園に問うことはできる。しかしアーティクティカはしなかった。ただ彼を選び、学園に入れただけだ。その彼が学園で何をしても、防衛戦力を排除された時点でもはや抵抗は無駄なのだ。






 学園は役立たず。アーティクティカは動かない。






 それ以上の立場などローランドしかいない。






 この平民である彼の授業冒涜をいつまで許すのかを試したのだ。






 他の貴族からきっと苦情が来ただろう、ローランドに。アーティクティカの不甲斐なさより、報復だと頭の良いものほどわかる。知恵の足りない者はローランドに訴え、知恵が足りるものもローランドしか対処できないと苦情を言ったはずだ。






 名誉正しき学園の授業を乱す彼の存在。






 ローランド一人ならば、我慢したかもしれない。アーティクティカを裏切ったことを、自覚して罪悪感を抱くローランドなら。ただ一人でなく、他の貴族が訴えているのだ。その訴えは正しく、無視することこそ正しくない。








 彼は間違っている。それを彼は自覚している。






 彼は確信していた。






 ローランドが来ることを。








 だから大量にクッキーを作ったのだ。彼が授業の間に見ていたのはローランドの周りにいる貴族たちの動きだ。会話は読めずとも彼を見て、ローランドに訴える姿は、苦情しかないだろう。其の苦情を訴える貴族たちの数が大幅に増えた時点でクッキーを焼いた。出来立ても、冷めても、どちらも食べれるクッキーで歓迎するために。










「・・・正しいことをおっしゃられる。・・・貴方は正しい、ローランド様」






「ああ、そうだ!私は正しいことを言っている!だから貴様は教師として自覚を持ち、その冒涜行為を」








 彼はローランドの怒りを受け止めるように手を広げた。右手にはクッキーの食いかけ、左手には真新しいクッキー。






 そして両方のクッキーを口に同時に入れた。同時に齧り、同時に飲み込む。








「・・・冒涜行為?・・・美味しいことが冒涜ですか?」








 彼は嘲笑気味に煽った。






 その瞬間、ローランドの沸点が急激に上昇したのだろう。怒りが感情の表現を越え、無表情にしずまりかえっていた。その手に持つ剣を上げるようにし、ソファーに座る彼へ切っ先を向けた。








「貴様、立て」






 ローランドの静かな怒り。拒否を許さない静かな命令が体育館に伝わった。ローランドが彼の元に訪れてからか、誰もが授業を放棄していた。その光景を前に、義務を忘れ固唾をのむ生徒たち。




 彼はクッキーを一枚手に取ってから、立ち上がる。








「・・・立ちました・・・それで次は何をいたしましょう?」






 ローランドは出来うる限り怒りを殺しているのか。






「ソファーから離れて、そこにならべ」












 喉を震わす怒りの声を抑制させ、無感情なまでの命令を飛ばしてきた。その場所の指定は剣の切っ先によるものだ。切っ先が何もない場所を指定。背後に迫る壁も、左右に迫る壁もない。体育館の広い区域。




 その区域を切っ先で指定され、彼は歯向かうことなく従った。






 彼は指定された個所まで歩き、それをローランドが切っ先を向けたまま距離を開け追従する。








 そして彼が足を止めれば、剣の届く距離でローランドが足を止めた。








「貴様、私を冒涜するのはローレライへの侮辱だ」






「・・・失礼・・・貴方はまだ、ローレライの支配者じゃないですか?・・・自分が得られる未来を前提に偉ぶるのは少しばかり浅慮かと」






 彼は肩をすくめた。その姿にローランドは再び怒りが宿ったのか、剣を持つ手が震えた。






「チャンスをやろう・・・貴様は無防備だ。・・その発言を撤回し、今までの態度を改め真面目に職務につくことを約束すれば、命だけは助けてやる」






 ローランドの警告。慈悲深き王子は最後まで剣を振るわないように自分を制止し、彼へ反省を促した。






 しかし、彼はそれを。




「・・・」






 鼻で笑った。音に出さずとも、鼻をぴくぴくさせるようにして、侮辱したのだ。








 その瞬間、ローランドの糸が途切れ、彼へと肉薄していた。駆け出すわけでなく、右足を踏み込ませたうえでの上段切り。彼の肩口から股へかけた切っ先の軌道。ローランドの剣なそれなりに有能で、人を魔物を両断できるほどには鍛え上げられている。






 だから彼が何もしなければ死ぬ。




 その切っ先が彼の肩口までかかる瞬間。




 その動きは止まった。






 ローランドは怒りのまま、制裁を加えている。そこに手心を加えるわけがない。




 しかし一撃は止められている。肩を切り裂く寸前、拳一つ分の距離にて動きをとめた。ローランドの思惑とは違うものに、焦りがあふれ出していた。






 ここで狼藉物を排除し、貴族たちに、カルミアに支配者としての顔を見せる。そういう旨みと彼が従うならば許す慈悲深さ、そのうえで罰を与える、徹底した支配者の顔を見せるつもりだった。






 無防備な平民。




 防衛戦力を無効化したのは、事実。でも無防備であるならばたいしたことはない。それに大したことがあったとしても、自分は王子。きっと抵抗はされても、排除はされない思惑もあった。仕返しされない思惑があった。






 しかし予測とは違う。






 肩口まで届かず、それどころか距離を開けたうえで一撃は止まった。徐々に押し返されるようにローランドの力を跳ね返すように剣がうごめいていた。ローランドが力を加え、切り裂こうにもそれ以上の力でローランド側に押し返される。




 まるで何者かに掴まれているように。






「・・・剣を振り切りましたか・・・僕は弱いので死んじゃうところでした」






 彼は微笑む。たとえ内心が本気で怯えていたとしても、余裕を表に出す。もともと弱みも強みも表に出ないのだ。彼は自分の意志で強いというイメージを先行させるように作り上げていた。






「くそっ」






 ローランドの剣が彼に届かない。その押し返される剣はやがて天井を切っ先が差す位置で止まった。






「・・・ローランド様、貴方が動かなくても、僕を真面目にする方法はあったんです」






 彼は微笑し、ただ一歩距離をつめた。剣の切っ先は天井を向くように中心で上げられている。見えない何かがローランドの一撃を食い止め、無力化させた。剣を手放し彼へ暴力を振るう選択もある。しかし、それが通じるとは思えない。何より剣を自由にさせるため、焦りがローランドの選択肢を奪う。




 剣の主導権を奪う事、奪って彼を切ること。








 彼は歩み寄る。




 ローランドの両手が剣の主導権を奪おうと焦る。彼が近づくことに焦る。それが表情に現れてしまっている。焦りと恐怖。見えない何かと不気味な微笑の彼。






「・・・僕が授業を冒涜した?・・・ええ、しました・・・でもベラドンナ様には怒られていません・・・問題があるなら、注意されています・・・この学園にいられるのも、冒涜しても怒られないのも・・・全部ベラドンナ様の御威光あってのもの・・・」






 彼は微笑む。




 肩をすくめ、独特の間をあけたうえで彼は語るのだ。








「それ以上は言うな!!」




 ローランドは頭は悪くない。子供なだけで経験がたりないだけだ。彼よりも経験が薄く、彼よりもスペックは高い。ただ人の心を推測するのと、人の重さを知るのが彼の方が上だったこと。








「・・・ローランド様」






 彼はただ微笑みながらつづけようとした。その言葉に感情はなく、表情だけが感情を示す。






 それをローランドが予測し、続きを言わせないように首を左右に振った。剣の主導権を奪おうと必死にあらがった。続きを言わせる前に切り捨てる。






「・・・どうして、ベラドンナ様に言わないんですか?」






 淡々と彼は言い、淡々とローランドの心の隙間を見抜いて貫く。微笑をやめ、無表情の人形とかした彼。ただ観察するように、ただ虫を見るように、人形が悪意の片目を携え、ローランドを捉えていた。






 アーティクティカに言えば、そもそも解決した。






 彼はアーティクティカの力によって学園にいて、冒涜をできている。






 アーティクティカに物事を言えるのはローランドのみ。ベラドンナが、たとえいじめ事件の主犯とされていても、権力としてはアーティクティカよりローランドの方が上。








「私が解決すべきことだからだ!だからベラドンナに頼らなかった!それだけだ!!」






「・・・それなのに・・・自分からは動かない。見てました・・・ずっとね。・・・貴方は他の方から苦情を言われるまで動かなかった。・・・貴方一人しかいない授業で僕が冒涜行為をしてても文句はなかったかもしれません・・・でも貴方より、ベラドンナ様より立場は低いが貴族様がいた・・・その貴族様がローランド様に訴えた」








 彼は歩み寄り、ローランドの真横に立った。






「・・・誰かから言われないと動けないんですか?・・・いいや違う。・・・貴方は誰かから言われなくても動ける人だ。・・・だって責任の重さを知っている子供なのだから・・・大人になろうと頑張る子供なのだから・・・大人に気に入られたい・・・親に信用されたい・・・そのために・・・誰かが望む姿を必死に演じてきた・・・わかります・・・」






 真横に立つ彼は、観察するようにローランドの横顔を見つめた。その彼の視線とローランドの視線。僅かにローランドからすれば彼の周りが暗闇にすら見えた。






 あくまで感覚的なものだろう。周りが見えていないだけかもしれない。






「やめろ、やめろ」






 ローランドは彼が言う続きを予測したのだろう。ただ恐れるように、彼の視線と口から逃れるように身じろいだ。しかし剣を持つ両手も体の動きも誰かに押さえつけられるように動けない。








「・・・・アーティクティカ様を裏切った貴方は、ベラドンナ様を利用できない・・・誰かを介さなければ、動かない。・・・だって誰かがいえば・・・動いたのは誰かのせいにして、必死に自分を言い訳して動けるからです・・・子供でも大人でも・・人のせいにすれば動けるのは一緒・・・この騒動の一つにあるのは貴方のせい・・・僕がいるのも貴方のせい・・・貴方はベラドンナ様を頼れないという常識を捨て、ただ偉そうに命じるだけでよかった。・・・ベラドンナ様に対し、僕を追い出せと命じればよかった・・・・でもできない・・・・だって裏切ったんですから」








 ローランドは沈黙し、彼をただ化け物を見るようにしていた。彼をメインとし周りは暗闇に落とされたかのように意識できなかった。






「・・・・この学園で唯一・・・僕に命令できるのは・・・ベラドンナ様です・・・貴方じゃない。・・・さあベラドンナ様に命令すればいい・・・・僕を追い出せと・・・その子供のような頭で考えることもない・・・単純なことです・・・ただ従うかはともかく・・・裏切った人の命令を聞くかはともかく・・・きっとベラドンナ様は僕を追い出しました・・・貴方の命令であれば・・・」








 アーティクティカとは忠義の貴族。






 王族を前に裏切らないのがアーティクティカ。






「・・・貴方の王族としての立場で動いたのは悪くない・・・悪いのは貴方の頭の悪さだ。・・・少し考えればわかることを覆い隠す頭が・・・全て悪い。・・・ベラドンナ様を裏切って距離を置いて、逃げている貴方ごときが・・・その恥を無視し、命令すらできない人間」








 彼はつづけた。




 無言のローランドを無視し。








「・・・ベラドンナ様に今からでも命令したらどうです?・・・ベラドンナ様から逃げている自分の姿を無視して、都合よく命令したらどうでしょう?・・・王族として貴族を纏める姿を見せられます・・・でもできない・・・カルミア様は素敵な女性でしょう?・・・ベラドンナ様よりも素敵なんでしょう?…僕は自由恋愛主義者です・・・立場など忘れて好きにすればいい・・・・ただ貴方たちの文化がそれを許容かするかはしりません・・・カルミア様を愛し、婚約者を裏切った貴方。その・・自分で何もできないから裏切った婚約者に頼る支配者・・・皆さんにはどう映るのでしょう?」








 淡々と語る。




 その口調は、音量はいつからか二人だけしか聞こえないように小さくされていた。ただ彼が続けるたびにローランドの心をえぐる重さがあった。








「・・・貴方は初めから勝てる戦いを放棄した・・・僕はそれを知っていました・・・暴力に頼れば勝てるなんて…子供の発想でしかない・・・大人なら・・・子供の手法すら予測して対策するんです・・・貴方が大人になればわかることでしょう・・・子供の時の貴方より大人の貴方の方が厄介だと、自己審査をしてください・・・暴力も怖いが、からめ手を使える大人のほうが怖いってわかることでしょう?」






 彼はそうして、クッキーを持った手を。






 ローランドの口元に運んだ。








「・・・美味しいかは知りませんが、毒は入ってません・・・食べなさい。・・・一応はしたがってあげます・・・冒涜をやめればいいんでしたね・・・その条件に・・・それを食べなさい。僕がつくって・・・ちゃんと味見はしました。まずくはないかと思います・・・それを食べたらあなたの立場を重んじて、命令に従います・・・建前は・・・そうですね。ローランド様に・・・ローランド様の威光を恐れた狼藉者とでもしておいてください・・・」






 彼は軽く口元をゆがめた。








 クッキーを持つ手はローランドの口元で止まっている。






 口をあけず、ローランドは拒絶するように。






「・・・食べなきゃ、僕はいつまでも狼藉行為とやらをします・・・たべればいいんです・・・死ぬことはない・・・苦しむことはありません・・・ただ食べて、自分の不甲斐なさを噛みしめろといっているんです・・・できませんか?できないなら・・・わかりますね?」






 そしてローランドは口を開けた。




 悔しさよりも、彼に対し涙の抗議をしながら。






「・・・裏切りものが・・・なかないでください・・・泣くくらいなら・・・誰かを好きになるな」






 彼はその涙の表情に対し、内心狼狽えながらも表に出さず。






 クッキーをローランドの口元に放り込んだ。




 ローランドの吐息が彼の手元にかかるが、気にすることはない。人の息など水分を含んでいるため、湿っている。








 涙をこぼし、動けない体を前にローランドの自由になる少ない感覚。味覚がクッキーの味を知り、程よい焼き加減。噛めば甘味が出てきて、食感がサクサクとしたもの。中には木の実でも入っているのか、大きな粒が混ざっている。其の粒を歯で砕けば、それは自然がもたらす苦み。木の実独特の苦みとクッキーの甘味。それらが絶妙に表れ、苦みがあるから甘味が引き立ち。甘味があるから苦みが好ましく感じられる。






 美味しかった。




 ローランドは誰にも見えない位置で涙を流してクッキーを味わった。クッキーの味わいと人生が一瞬で負ける苦みを噛みしめさせられた。見えない何かに押さえつけられた上、剣を振るえなければ弱者という現実。無様な姿をさらす屈辱。






 ローランドは負けた。






 ただ彼はローランドの名誉までも奪う気はない。だから彼はローランドと戦う前には暗闇に落としていた。その暗闇になればローランドも冷静であれば気付くだろう。それを王族の責務がある人間に対し、煽りまくった結果、怒りで沸騰。怒りで我を忘れたやつなど周りの些細な状況ですら気づかないのだ。






 だからローランドが負けたことを誰も見えていない。








 それを彼は伝えず、クッキーを最後まで王子が食べ終わるまで持ち続けた。


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