ローレライの火種 3
そうしてソラは自分の胸に手を当て、軽くお辞儀をした。この大陸に頭を下げる文化は少ない。しかしながら小国ローレライには一つ。古臭い考えがある。礼儀正しさ、次なる手を持つ弱者は頭を下げることをいとわない。その知識を侯爵の娘は持ち合わせていた。
だからか、お辞儀を見た瞬間。
侯爵の娘は警戒するかのように転校生を見た。
「ローレライの歴史に興味があり、またローレライの食文化にも興味があります。趣味はとくにありませんが、今は皆様と同じ勉学を励み、皆様の国の素晴らしい文化に触れていきたいと考えています」
当たり障りのない会話。平民でありながら平民らしくない。次なる手を打つ、貴族かのように。
だからか自己紹介が一通り終わった後、教師が悩むかのようにソラを見た。
「ソラ君の席はどうしようか」
この教室は余計な一人が入ったせいで他の教室と比べ、狭苦しい。むろん本当に狭いわけじゃない。ただ他のクラスより一人多いだけだ。それなのに、もう一人突然の転校生。
場所など決めていなかったに違いない。もしくは侯爵の娘が座る入り口付近。そこが本来の座席だったのかもしれない。侯爵の娘の席は一つ離れるかのように誰からも離されている。教室の空間が広いためか、無駄に座席はある。その空いた座席が娘を囲むように置かれているだけだ。
ほかにも空いた座席は一つある。
ローランド王子の近く。くせっ毛の娘の近くだ。
だからか、くせっ毛の女性が小さく震えたかのように手を挙げた。
「わ、わたしのちかくの空いた席なら如何でしょうか?」
おどおどしつつ、決して躊躇わない主張。その目はソラを確かに捉え、一瞬、獲物を見るかのような眼光にすら見えた。
だがそんな女性の主張もむなしく。
「先生、僕が決めてよいでしょうか?」
肝心のソラが口を開いたのだ。ソラの声は聴くと安心する、ほんわかした声なのだ。日々の喧騒すら忘れ、ただ無垢な自分に戻れるかのようなものだ。
「あ、あいいぞ」
ソラの声に導かれるように、否。ソラの声に聞きほれたかのような教師が一瞬、反応に遅れた。しかしすぐに追いつくように返事を返していた。
「なら」
ソラはそういい、先ほどのくせっ毛の女性の主張なども無かったことにするかのように突き進む。その際は侯爵の娘へと向かい。
そして隣の席に勝手に座り込んだ。
軽く、ソラが手をあげ。
「先生、ここがいいです」
しかしソラの座った席、その隣は侯爵の娘。誰もが口を閉ざし、空気を凍らせた。理由は侯爵の娘。しかし一人では表だって原因を言えない。理由を言えない。数という力があって、初めて侯爵に対し意見を言えるのだ。選ばれた手段と状況化でない限り、発言はできなかった。
だから、ソラの主張が誰も反論せず通る。
その際、教師ですら何も言わなかった。そもそも言う気がなかったのか。貴族の子がもめ事を起こした際、必ず貴族の親へと情報が通る。侯爵の娘の出来事も侯爵の親へと伝わるのだ。その伝達速度は一年後へ伝えられる。ここは権力を一時的に遠ざける学園。貴族の地位が髙ければ高いほど、外への情報速度は遅い。
その遅さが、人間関係に権力の有無差を忘れさせてしまう。されど記憶の片隅にある地位の形だけがあるため、誰もが口を出せなかった。
ソラは侯爵の娘に対し顔を向けた。怪訝な様子でありながら、娘も視線を向けている。そのため、視線がかみ合った。
はにかむような無邪気さをソラは娘に解き放つ。子供が大人になりかわる中間のような青年。子供特有の柔らかさと大人が持つ余裕の表れが、独特の感覚を保つ。その無邪気さに毒はなく、すさんでいた娘の心に少ししみわたっていく。
「ソラです。座った状態で言うのではなんですが、お隣大丈夫でしたか?」
気遣うかの様子をソラは見せていた。自分の地位を含んでいるのか、貴族の隣。しかも侯爵の娘の隣だ。誰もが座らないからこそ、座った部外者。他国であり、新人であるがゆえに、事情をしらない。平民と貴族の差はしっているのだろう。その表情に多少、緊張が見えている。
「かまわないわ。どうせ空いているもの」
しかし、平民相手に貴族の力を見せるほど小さいプライドでない。娘は、髪を少し掻き上げて、仏頂面に答えた。所詮相手は平民。所詮空いた席。
誰が座ろうと関係が無い。
それより自分がいたところにカルミアが座っていることのほうが癪だった。侯爵の娘の心のほとんどはカルミアに向いている。そのため、平民のソラが隣に座る暴挙にすら関心が持てなかった。されど、ソラは娘の態度に、答えに。
はにかむような表情を浮かべた。
「本当に助かりました。もし拒絶されたらどうしようと思っていたところです。ローレライの文化を学び、ローレライの人の言葉を聞く。それが目的なのに、肝心の隣席の方に嫌われたら計画がくずれちゃいます。あははは」
それは娘の心に多少突き刺さる温かみだった。一か月の間、婚約者のローランドには逃げられた。カルミアがいつの間にか隣に座っていた。貴族たちを、無駄口を叩かない作法だと思っていたら、負け犬認定されていたから相手にされていなかった。その中での人間性をぶつけられたのだ。
「ふん、いちいち平民なんかを拒絶なんかしたりしませんわ」
まあ娘の態度は基本、偉そうである。しかしながら平民からの評価は意外と高い。平民はローレライの国民である。ソラは他国の、大国のほうの王国の民である。ローレライが王国の民を傷つけたとなれば、口実に戦争をふっかけられてもしょうがない。ローレライはローレライの民しか罰せられないのだ。
だからか、ローレライの平民は娘に近づくことなどできなかった。罰せられる恐怖と、助けたい思いと味方だと言いたい思いを隠すしかできないのだ。それを表だって出せないローレライの平民。貴族と平民の地位は歴然だ。持たないものだからこそ、学園といえど態度を改める。
そんなのを知らず、安全だからこそ容赦なくかかわる他国の平民。
ソラはそうして、娘と第一印象を迎えた。
教師が教室全体の動揺を無視するように、次の工程へと進めていく。転校生の紹介。朝の挨拶などを色々と述べている。
その中でソラは笑みを絶やさず、教師の方へ向き直っている。ときおり娘に対し顔をむけ、笑みを向けてくる。
それを娘は軽く受け流したまま、顎で前を見ろとソラに指示する。
休憩時間になっても、ソラの周りに人は集まらない。何故かは簡単だ。隣に侯爵の娘がいる。平民も集まらなければ、貴族も集まらない。貴族は平民に興味がない。しかしソラの実家の財力に興味があるのか時折ちらちら見ている。平民もソラの容姿と財力の前にか目を欲望にたぎらせチラ見している。
侯爵の娘の隣の席を何故選んだのか。財力の謎、実家の謎。ソラの実家の持つ財閥の力。謎が謎を呼び、とにかく人の目を集めた。しかし侯爵の娘が隣にいるため、ずっと見ていられるわけでもない。
娘はそれを知り、鼻で笑った。
侯爵の娘にとって、自分が疫病神な扱いなのだと知ら締めさせられた。ソラと会話したくても、自分がいるから会話ができない。ソラは平民。自分は侯爵。ソラは力のある財閥で、自分は侯爵の娘。貴族でないからこそ、他の貴族から財閥の興味をもたれる。平民と同等の地位だからこそ、教室の他の平民から興味をもたれる。
その興味を娘が邪魔している。事実を噛みしめさせられ、悔しさを怒りに奴らの不甲斐なさを馬鹿にするしかなかったのだ。
しかしソラは気にした様子はない。金のかかったであろう、黒皮のカバンから教科書やノートなどを取り出していく。娘は一目見ただけで大体の価値がわかる。ソラのカバンは家畜の皮などでなく、高名な魔物の皮から作られたものだ。そのカバンを形成する縫い目なども寸分の狂いもなく軌跡のように続いている。安物は縫い目が雑になりがちで、糸がほつれぎみだ。それが一切ない。また高名な魔物と判断したのは、カバンの茶色の内装に、術式が組み込まれているからだ。
なんの術式までかはわからない。しかし文様のような図形がかかれ、それは教科書にソラが触れるたびに発色している。持ち主識別の術式かもしれないと娘は思った。術式に耐えられる皮、家畜などでは決してありえない。また厚みがあるのか、教科書を出す音が外へ伝わりにくいようだった。ソラは何回か内装に教科書をぶつけているが、音が響かない。安物はすぐに反響する。
そうしたことからか、娘はソラが本物の金持ちだと理解した。持ち物だけで相手の正体を探るのも貴族の目。また持ち物だけ豪華にしても、仕草や表情で誤魔化すタイプもいる。それを見抜く勉強もされている。
しかしこの程度。貴族ならば大体ができる。金持ちかどうかなど持ち物で理解できるのだ。だからソラが持ち歩くカバンを見た瞬間に、貴族の目は欲望にぎらついた。他国とはいえ平民。財閥とはいえ平民。金を毟ることを頭に入れているようだ。
その貴族たちの様子を娘は否定したのだ。
この学園は科目ごとに教室が変わる。あくまで日常をこなす教室と授業をこなす教室は違う。どの授業においても教室は移動する。日常を熟す教室は、誰かの授業の教室になることもありえる。
だからか、学園では机に物をいれておかない。物はカバンにいれ、常に持ち歩く。
自分の席であるが、机にいれる空間などはない。脇にかけるのでなく、かばんは足元に下す。今回はたまたま、日常を熟す教室で自分たちの授業を行うのだ。基本カリキュラムは学園が定め、学年ごとに授業を勝手に決められる。内容は貴族も平民も王族ですら変えられない。絶対的な授業の予定があり、強制的に受けさせられる。
娘の不完全な感情を知らずか、ソラは顔を向けている。まだ初日のくせに、随分と踏み込む転校生だと娘は思っていた。
「えっと、その。申し訳ないんですけど、お名前は?」
ソラは平民でありながら、侯爵の娘へ距離を詰めようとしてくる。しかし娘はひねくれた性格だ。元々高貴な性格であるが、ここ最近において、少しひねくれてしまったのだ。だからか、娘は偉そうに語る。
「ベラドンナ・アーティクティカ。アーティクティカ侯爵の娘、ベラドンナよ」
ローレライにおいてアーティクティカ侯爵の名は有名だ。絶対的、忠実者の名声を保ち続ける貴族。その忠実さは、ローレライの貴族の模範となったほど有名だ。かつてローレライは三つの内戦に分かれていた。東西南に分かれた内戦。東が王国、西が軍国の勢力、南がローレライ独自の勢力。東は王国の潤沢な資金の援助を送られ、西は軍国の装備をおくられ、南は自分たちの外交で必要なものを賄った。もともと南の勢力がローレライをまとめていた。だが、小国とは大国によって動かされるもの。東の代表である侯爵。西の代表である別の侯爵。そして南の王族。欲望にまみれた侯爵たちと付き添いの貴族。それらが大国の干渉によって強制的に分裂させられたのだ。
自分たちが勝てば次の王。
自分たちが負ければ、王は終わる。
そのなかでアーティクティカ侯爵とその友人の侯爵だけは南の勢力に残り続けた。大国から援助を受ける東と西に勝るわけもない。絶望的な戦力差が2倍ほど、東の勢力にも西の勢力にもつけられていたのだ。しかしそれでもアーティクティカ侯爵は、決して恐れなかった。圧倒的な戦力差によってか、本来の王ですら弱気であった。その王をしかりつけ、殴りつけてでも、諦めさせなかった。
王を殺すのでなく、王を生かす。
その忠義は本物だった。
武勇も本物だった。
力無き忠義など、偽りでしかない。徹底的な訓練。民は徴兵制でなく、志願制。志願した者に対し、家族の補償を約束。もし志願したものがしんでも、家族は侯爵が、国が守ると絶対的な約束をし、契約書まで書いたのだ。アーティクティカ侯爵は約束したら破らないと有名であり、志願する者は絶えなかった。
絶望的な差であれど、下も上も決してあきらめさせてもらえなかった。アーティクティカ侯爵が諦める様子を見た瞬間、平民だろうと王族だろうと殴るからだ。しかしあきらめず、最後まであがいて死んだ者に対しては涙をみせてまで褒めたたえた。そして、遺体は絶対に探し出した。
平民だろうが、必ず探し出した。遺体が見つからないのであれば、遺品を見つけ出し、遺族に渡した。そして部下たちを集め、死んだ遺族の前で偉そうにアーティクティカ侯爵は言うのだ。
遺族が親ならば、親の敬意を守るように偉そうに言った。
忠義に死んだ者。その死んだものを生んだ親である、皆敬意を示せ。
遺族が残された妻や、子どもなのであれば。
忠義に死んだ者、その死んだ者が作り上げた家族である。未来の忠義者たちだ、皆敬意を示せ。
相手を偉そうに尊重し、偉そうに評価する。アーティクティカ侯爵は脳が筋肉的ほどに単純だった。しかし、その姿を見て平民も従うのだ。決してないがしろにされるのでなく、貴族として侯爵は義務を果たしてくれる。王族を殴りつけたことをしれば、平民自ら処罰を覚悟で侯爵に忠言を示すほどにまでだった。
その忠言をもたらした平民は侯爵に怒鳴られ、抱きしめられ、褒められた。怒られるのか褒められるのかよくわからない。しかしそうした理不尽さが人の心を掴みあげた。
対する東西の勢力たちは平民からは嫌われていた。大国からの干渉に飲み込まれ、自分たちの主君を裏切るやから。また平民を使い捨てにするやり方。全員やる気など出るわけもない。
士気などは大きな差があった。アーティクティカ侯爵に率いられた兵は志願兵。その志願兵は家族の未来は安定していると安心し、主君たる侯爵が死ねばわからない。だから侯爵の為に命を投げ出す覚悟で戦う者が多かった。東西の勢力の兵士など自分の命惜しさ、家族の将来が不安で死ぬことすら恐れた。
士気の差が大きな勝敗を分けた。
王族を殴りつけ、平民を殴りつけ、しかし絶対に裏切らない忠義の侯爵。王族からも平民からも保護者のように扱われたのだ。
だから志願兵たちは相手を容赦なく殺すし、躊躇わない。自分が死ぬことすら躊躇わず、侯爵の為にささげた。国のためじゃない。志願兵は侯爵の為に死んだのだ。王族ですら侯爵が怖くて戦い、侯爵のために命を危険にさらしたのだ。
東と西が互いに力を削る最中に横から殴りつけ、最初に東を撃破。東の勢力を侯爵が強制的にまとめ上げ、勝手に西に戦線を拡大。しかしながら、東のものたちすら、侯爵の恐ろしさと魅力にひかれ自分から従いだす。東と南の両勢力を確保したアーティクティカ侯爵は、西をすかさず殴りつける。容赦ない志願兵たちの猛攻の前に、強制されていた西の兵士たちが逃げ出し、撤退。休みどころがないまま、追い詰められ西の勢力は滅んだ。
その後アーティクティカ侯爵の名声は高まり、次の王族かという噂すらあった。しかし侯爵はその噂を全否定。いらないとばかりに、そのまま自分の領地に戻る始末だった。その際、戻る際、領地は王族に返す代わりに、兵士たちの遺族を必ず面倒を見ろと使者を送り付けていた。もし面倒を見なかった場合、第二の分裂を起こすとアーティクティカ侯爵の名前で脅迫されていた。
そして実際にやるのがアーティクティカと実績で証明されている。
だから王族は死んだ兵士の遺族の面倒を見た。志願兵たちだけであるが、強制された兵士たちの遺族には何もない。だから強制された兵士たちの遺族の怒りを鎮めるため、鬱憤を晴らさせるため、東、西のそれぞれ率いた侯爵たちを、自分たちの元領地の首都で張り付けにしたのだ。身動きとれない反逆者たちに平民たちの石のつぶてが飛ぶ。そうやって鬱憤をはらさせ、この内戦は強制的に終了させられた。
アーティクティカ侯爵は忠義の象徴である。その際、王子だったのがバルキア王なのだ。弱気な親の姿、アーティクティカ侯爵の偉そうで強い立場の態度。そのふたつの姿を見て育ったバルキア王が、侯爵の娘との婚約の話を進め、ローランドと侯爵の関係を強くしようとした。
アーティクティカ侯爵の名は健在だ。偉そうでありながら、平民のことを切り捨てない。
だから平民たちにとって娘は、尊敬の証なのだ。現に娘は平民を無視しない。他の貴族とは違い、決して否定してこない。偉そうに、上から目線で助言をこぼす。挨拶をされたら相手が平民でも、偉そうに返してくれる。
侯爵の娘、ベラドンナは間違いなく。
アーティクティカの血を引くのだ。
「こ、侯爵!!ぼ、僕はなんてことを」
ソラの顔色は青ざめている。ベラドンナの発言に、ベラドンナの貴族の名前。ソラはローレライの文化を学びに来たといっている。そういった人間が貴族社会に出る際、馬鹿にされないようある程度知識を高めてから現地に来るものだ。だから、アーティクティカの名の意味をしっているのだ。
ローレライに侯爵は二人しかいない。昔は4人でも、裏切りによって二名が死亡。
その後新たな侯爵は作られていない。
アーティクティカ侯爵とその友人の侯爵。互いに敵対せず、裏切らない。その友人の侯爵の子供は学園にいない。歳が離れすぎた大人として王城で勤務している。
「気にしなくていいわ、学園じゃ大したことないもの」
アーティクティカ侯爵は過去の物。今では死に絶え、子孫が家を継いでいる。本物でなく、子孫という残り香でしかないのだ。学園なんて昔はない。少し前にできただけで、物心が多少ついた時点で学園に放り込まれる。年齢が二ケタになったことに、ようやく放り込まれる環境で、権力の恐ろしさがわかるわけもない。学園に行く前に親に権力の差を教育されても、長い学園生活によって忘却していく。
しかし、ソラはそれを知り、この学園の貴族たちよりも慌てていた。ベラドンナはその姿を馬鹿にするでなく、ただ見つめた。平民を侮辱するときは、裏切ったときだけだ。裏切り者には制裁を、従う者には祝福を。だからか、ベラドンナはソラの慌てっぷりを馬鹿にする出なく、ただ観察した。
「アーティクティカ侯爵のご令嬢、ベラドンナ様。無礼をお許しください。知らないとはいえ、他国の平民とはいえ、名高きアーティクティカ侯爵様に失礼な口を開いてしまいました」
ソラは席から慌てて立った。取り出し損ねた教科書が音をたて、机の下に落ちる。しかしそれすらも忘れ、ソラは席を尻でけるように後ろに送り出す。空いた空間に膝をついた。
膝をつき、勢いのまま床に頭をつけるソラ。
「お許しを」
権力に媚びるのか。権力に慌てるのか。ベラドンナにはわからない。しかしソラの様子は本物の平民である。他国の平民であり、力のある財閥。学園の一年分の経費を払えるものが唯の財閥などでない。下手をすればローレライの弱小貴族を上回る財力を持っている。
他国の財閥は、この国の貴族すら上回る。
計算高く、ベラドンナは頭を回す。別に口の利き方など興味はない。平民が挨拶してくること自体、無礼なのだ。しかしながらアーティクティカの家訓において、従うものに祝福を。忠義者に怒鳴りこそすれ、侮辱はしてはいけない。また褒めなければいけないと定められている。間違った忠義に怒鳴り、その思いをほめたたえる。
「別に構わないわ。本当に口の利き方ごときで怒りを覚えるほどでもないもの」
家訓に従い、自分の計算に従う。ソラの財閥は力を持っている。大国に組するとはいえ、財閥。小国ローレライの安定のためには、こういった平民だろうと財閥の力が必要だ。
だから、ベラドンナはつづけた。ソラが決して頭を上げず、敬意を示す姿に対し。貴族としての義務を果たそうとしたのだ。
「許すわ。平民なんかに言葉の聞き方など強制しないわ。あくまでアーティクティカは志願によるもの。兵も忠義も志願によるものが好ましいわ。口の利き方ごときで、有益な敬意を示すものを失う事こそ恐れることだわ。だから許します。さあ、表をあげなさい」
いつの間にか教室中の視線をベラドンナは集めている。しかし無視した。もとより敵対者に成り果てた連中。それより他国とはいえ、敬意を示す相手を引き留めるほうが優先される。この教室において平民と、ソラ以外は大体が敵なのだ。平民は貴族たちが怖くて、ベラドンナに近づけないだけだ。それを加味しても、知らないとはいえ近づくソラは貴重だった。
他国の平民にローレライの貴族たちは力づくを行使できない。
今のうちに、自分へ意識を寄せる必要があると思い、ベラドンナは許した。もとより怒っていないし、気にしてすらいない。平民なんかに口の利き方を求めるのは、貴族の名折れ。
アーティクティカは王族すら殴ったのだ。自分の家が上を殴りつけておきながら、子孫が下に口の利き方で文句言うのは恰好が悪い。
それでもソラは頭を上げず、立ち上がらない。
好ましく思いながら、ベラドンナは言う。
「それ以上、膝まづくのであれば、アーティクティカの名前に泥を塗る行為とみなします。小国とはいえローレライの侯爵。名高きアーティクティカは決して、その蛮行を許さないでしょう。されど、平民に対し、必要以上に求めるのは酷なこと。だから今すぐ頭を上げれば、問題はなかったことにいたしましょう」
そう、ベラドンナは他国の平民だからこその恩赦をソラに与えた。本来のローレライの平民に対しても恩赦を与えるが、わざわざ警告などはしない。忠義者に怒ってから、褒めたたえはする。怒るのでなく、恩赦を与えたことなどアーティクティカ侯爵の歴史の中でベラドンナが初めてだった。
「ありがたき幸せ」
ベラドンナの恩赦に対し、ソラは本当の感謝を込めるように返事をしている。その姿は自国の平民がアーティクティカの名にひれ伏すにふさわしい姿。
ベラドンナの許しを得て、ソラは顔を上げた。そして、再びソラはベラドンナを見つめた。
「ああ、立ち上がって次の準備をすることを許しますわ」
「ありがたき幸せ」
ベラドンナが許せば、その通りソラは行動を開始する。自分の椅子を元の位置に戻し、落ちた教科書を拾って机に置く。
本当に欲しかったもの。
本当に欲しかった光景。
なぜこんな自分が手に入れたかったものが、転校生に出来るのか。まるで心を読まれているかのように、ただほしい光景をソラは初日で見せていた。初日だからこそ、敵対者だらけの環境だからこそ、ソラを手元に置きたいとすら思った。
状況を判らない者に対し、状況がわかっても敵対しない立ち位置までに運び出す。その思いがベラドンナには確かにあった。
ベラドンナ自身の尊厳を奪わず、ソラは初日で見せた敬服の姿。次の日は同じかもしれない。しかしその次の日が環境になれるかもしれない。環境になれた人間は環境に支配される。其のことにベラドンナは僅かに恐怖を覚えている。
「安心を、ベラドンナ様。僕はローレライが好きです。アーティクティカ侯爵様の名高き功績も大好きです。またベラドンナ様の懐の広さも大好きです」
そう、ほしかった言葉を欲しい状況下で送ってくれる。
初日にして心の弱さを読まれているかのようだった。
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