怪物の進撃 7.5

フードの男にとってあり得ないことだ。ベルクの広場には薄暗さが残っていた。今は昼間だというのに、日が遮られ、薄い闇の煙が広場を包んでいたのだ。おびただしいほどの血液、呪詛に近い魔の根源。見たこともない怨念に近いものが広場に漂っていた。






 その煙を見ているだけで体が重くなる。普段の力がまともにでず、歩くことすら神経を使う。






 またその広場にはいくつかの死体が転がっていた。いくつかの人だったものが転がっていた。強制的に腐らせたのか、腐ってない部分と腐った部分の合成人間が幾つもあった。






 全てベルクの住人。




 違う、ベルクの住人に紛れ込ませた間者たちだ。ハリングルッズの被害はなかった。フードの男の記憶にハリングルッズに所属するメンバーはいなかった。だが対立組織の間者たちなのは知っていた。それなりの立場を得たフードの男は多少、人の顔を覚えていた。顔が腐りかけようとも顔が無事だった死体を少し見れば大体わかる。






 間者だけを腐らせた。死体にして転がせた。



 そして再びあり得ない者を見た。記憶に刻まれた栄光を手にした男の姿があった。永遠に倒されず、寿命以外に殺せないと思われた存在が。



 死体となりはてていた。英雄として、栄光を掴んだ男は死んでいた。


 胸部に穴が開いた状態で、苦悶の表情を浮かべて倒れていた。息などしていない。後ろから一撃を食らったようなのも血液と服の損傷から理解した。またそのとき何かを引きずり出したような跡があった。肉体の血管、繊維などが後ろに何本か出ていることが証拠だ。






 フードの男は信じられなかった。




 眼前の光景は偽物ではない。




 本物だ。




 黒い煙、呪詛に塗れた環境、怨念が転がる広場。






 フードの男は実力者だ。戦闘に関し、それなりに強い。だから立っていられる。それでも油断をすれば気を失う重さがある。広場こそ、英雄を殺した環境。死体があるからではない。この広場に満ちる怨念たちをみればわかる。








 王国最強にして最高の英雄が最低最悪の魔物に負けるという事実があり得ないことだ。王国に名を轟かす善人にして、王国民の守護者が。






 この呪いステージによって嬲られた。








 この腐った死体、死体の数々は英雄によって殺された。フードの男が近寄って死体の死因を探れば一発でわかる。鋭い刃物で心臓を一突き、頭部を一突き。手刀による惨殺、槍による惨殺。どれも一撃で死んでいる。






 苦しめさせずに、一撃。






 英雄以外にありえない。きっと怪物に操られたものたちを開放するために殺したのだ。だが怪物はこんな残酷なことをするだろうかという疑問もある。無駄な残酷さを示すだろうかという意味だ。




 フードの男が悩み始めた瞬間、別の事にも気づいた。






 そして英雄も死体も死んだばっかりだ。死体から抜けてく熱がフードの男でも感じ取れるからだ。心臓が鼓動を止め、脳が仕事を放棄した。そこから生じる熱の減少。生命を燃やせなくなったものたちの残り香があった。








 ベルクは怪物の支配下だ。








 怪物はリコンレスタにいる。オーク、リザードマン、トゥグストラを集め、リコンレスタへと赴いている。その怪物をリコンレスタから離さないために、フードの男はベルクに来た。怪物の忘れ物を取りに来るために、だから余計なことに気を使わせてはいけない。








 怪物の留守中に起きた事。






 そして、怪物では英雄に勝てないはずだ。






 そう誰もが思っていたことなのだ。英雄は自分からベルクに訪れた。英雄の行動を阻害できるものなど限られている。ハリングルッズですら英雄が来る場合逃げるのだ。英雄は生きる善人して、最善の災害だ。王国に仇なす、敵を打倒してきた。ハリングルッズが表立って悪事を働かないのも、英雄の存在あってのこと。








 でも勝てるとすれば、怪物しかいないのも事実。ベルクに英雄の死体が転がった。ベルクの支配者は誰か。またリコンレスタにいるため、怪物の犯行は不可。怪物はやらずに、英雄を倒させた。








 誰に。






 誰に英雄を倒させた。








 知的欲求が止まらない。フードの男の欲求は止まらなかった。もとより、フードの男は怪物に対し悪いイメージのみを持っていない。それなりの良いイメージすらもっている。








 一貫した合理主義。徹底的な排除主義。








 無駄を嫌い、合理的に人を貶める。








 人を腐らせ、英雄に人を殺させるなど、怪物のやり方ではない。怪物はもっと丁寧に、大胆に、英雄を殺して見せるだろう。だから怪物個人の手によるものではない。








 だが怪物の留守に英雄がベルクを訪れるのも都合が良すぎる。ハリングルッズが英雄の訪れを察知できなかったのも都合が良い。








 もし怪物がハリングルッズの情報を掴むのを阻止していたとすれば。






 怪物個人の力ではできないだろう。ハリングルッズを出し抜くのは個人では不可能だ。英雄ですらハリングルッズを越える情報は持てまい。だが怪物が所有するニクス大商会の力があれば行けるかもしれない。






 ニクス大商会、大商人がまとめた組織。ベルクの地方犯罪組織ニクスフィーリドとグラスフィールの商人の連合組織。大商人が裏で手を貸した。違う、裏どころか怪物が真の支配者なのは誰もが知っている。






 怪物は大商人に手を出させた。






 怪物はベルクに英雄襲来と同時にリコンレスタに来た。






 怪物は決して逃げない。己の敵になるものすべてを排除しようとする。だから逃げずに排除する。ハリングルッズから怪物にリコンレスタに来るように伝えたのだ。ここに不信感がのこった。ハリングルッズは怪物をリコンレスタに召集した。






 なぜか怪物の連絡が届かなかった。






 本来使うルートが使用禁止になったり。






 たまたま郵送人が怪我をしたりして、遅れた。






 数回ほど送ろうとして失敗した。






 ぞくり、とフードの男の背筋を冷やす。怪物は英雄の情報をハリングルッズに悟らせなかった。ハリングルッズからのリコンレスタ招集を何らかの手段で遅らせた。






 タイミングが良すぎた。






 リコンレスタ招集の連絡が届いたと同時に怪物は指示に従った。怪物は3匹の魔物を連れた。メインの戦闘できる魔物は他にいないはずだ。ゴブリンか、コボルトか。無理だ。いくら怪物の魔物であろうと、ゴブリンやコボルトで英雄に勝てるものか。






 誰なら勝てる。






 怪物は魔物を主力に添える。人間を極力連れず、魔物のみに特化している。魔物を信用しているのか、わからない。魔物は人間より信用ならない。だからわからない。








 誰がやった。






 怪物の指示によって動いた人間がいるのか。






 その答えは自分から訪れてくる。






「くきゅ♪」








 フードの男にとって聞きなれない鳴き声だ。そもそも聞きたくない鳴き声かもしれない。フードの男は気だるい体を無理させ、鳴き声のほうに体を向けた。










 地面に倒れ伏し、穴の開いた胸部から血液を垂れ流して死んだ英雄の近く。起き上がることもなく血液の海は石畳を漂って赤で浸す。赤が浸され、ぴちゃぴちゃとその上をあるくものがいる。






 複数の蜘蛛の足が血液の海を歩く。その足の持ち主は一匹の魔物、アラクネだ。






 にたにたと気色の悪い笑みを浮かべ、フードの男を見つめていた。






「くきゅ♪」






 そう、怪物にはもう一匹いた。なぜ頭に浮かばなかったのかすらわからない。その魔物は子供だった。大人のアラクネならともかく、子供のアラクネに勝てるわけがない。その考えが浮かんで、即座に捨てた。










 そのアラクネは大人のアラクネより気配が気色悪かった。フードの男はアラクネに直接あったことはない。健康な状態で決してあったことはない。だから正常なアラクネを知らない。






 されど、これは正常なアラクネなのか。








 片目が赤く、その瞳は悪意に浸されている。見るもの全てに不安と害意を見せる感情の渦が轟いていた。






 片目が蒼く、その瞳は善意に満ちている。見るものすべてに安心と祝福を見せる感情の渦が住み着いていた。






 両方の目は感情に支配され、それぞれ色が違った。オッドアイと呼ばれる瞳。






 アラクネはこういう目か。






 怪物の片目よりは悪意の数が極端に少ない。されど怪物には善意など混じっていない。純度100の悪意が片目に映ったのみだ。それよりも純度を低くした悪意をアラクネはもっていた。






 もう、フードの男は悩まない。






 英雄を殺したのはアラクネだ。一目見れば異常性がわかる。怪物みたいに悪意交じりの目を持っている時点で通常じゃない。そのアラクネの可能性を思わなかった。正しくは思いたくなかった。






 アラクネはハリングルッズが怪物に与えたものだ。アラクネは人間のような知性をもった数少ない魔物。残虐性が高く、信頼性のない魔物だ。目立ちすぎた怪物とあわよくばアラクネと相打ちにさせようと送り付けた魔物だ。










 最悪の魔物と名高いアラクネの種族。Aランクにして悪名を轟かす種族と一個人として名を轟かす英雄。それが一個人のアラクネによって敗北した。種族が有名だから恐れられたアラクネは、もはや存在こそ許されなくなる。








 その魔物は怪物の配下だ。






 英雄を討伐した魔物は怪物の配下だ。








 この情報だけで王国に多大な負担をしいる。英雄の損失は計り知れない。この場合、英雄損失の負担を国が与えてくるだろう。誰に対してか、アラクネに対してか。飼い主である怪物に対してか。






 怪物にアラクネを渡したハリングルッズか。






 ただではすまない。






 王国も容赦はしなくなる。






 英雄がベルクに訪れる情報すらハリングルッズは掴んでいない。もし掴んでいれば、もう少し手ぬるい結果をもたらしたことだ。怪物を罠にはめ、英雄に殺害させる。英雄に撤退させ、怪物と引き分けにさせる。




 想像のつかない結末だった。






 英雄の行動はハリングルッズも注視している。なのに情報が下に降りてきていない。ハリングルッズ上層部がわざと黙って、下に情報を渡さなかった。それはありえない。たぶん上層部も知らない事実なのだ。








 気付けば、アラクネがフードの男の眼前にいた。










「くきゅきゅ♪」






「英雄が死んだ。我々の敵、英雄が死んだ」






 フードの男はアラクネに対し警戒をしている。重い体に鞭をうち、拳を握りしめた。英雄を殺したのがアラクネならば、フードの男ごときでは相手にならない。






 アラクネとは信用のならない魔物だ。怪物の配下であろうとアラクネは信用できない。裏切りも残虐性も有名な魔物。弱みをみせれば噛みついてくる。だからこそ強みを見せて警戒を果たす。








「くきゅきゅ♪」






 そんなフードの男の決意を雲はにたにたと口端を歪めて見つめている。










 手を出せば死ぬ。






 フードの男はアラクネに勝てない。アラクネはもはやアラクネじゃない。感情のオッドアイ、また小さな体からあふれるエネルギーの全て。Aランクの魔物以上のものだ。










 無残に死なないために、勇気を振り絞る。どうせ死ぬのであれば戦士として死ぬ覚悟がフードの男にあった。








「英雄を殺したのはお前だな、アラクネ」




「くきゅきゅ♪」






 確認したのは、ただの会話でしかない。アラクネがやったのはとっくの前に知っている。単純に口が寂しいから、会話を投げかけたのだ。








 どうせ相手にすらならない。アラクネもフードの男も、相手が相手にならないと理解している。アラクネにとってフードの男は弱い。フードの男にとってアラクネは格上の存在。相手にすらならない。相手にしてもらえない。








「我々・・・私は、怪物の忘れ物を取りに来た。蜘蛛の魔物から受け取れと言われている」






 警戒を隠さず、フードの男は要求を告げた。ここで繰り出すのは戦闘じゃない。相手が攻めてこない限り、何もしてはいけない。勝てないのもあるが、無駄なものは好まれない。あくまでハリングルッズは怪物に仕事を要請したのであって、怪物の力をそぎに来たわけじゃない。








 だがフードの男の会話からか。




 アラクネは笑みをやめた。きょとんとした表情で、そこからフードの男に対し首を傾げた。






「・・・怪物から蜘蛛の魔物に聞けば、わかると聞いた」






 アラクネは首をかしげたまま、答えなかった。だが少し悩むそぶりを見せだした。顎に小さな握りこぶしを添え、悩んだそぶりをアラクネは見せだした。






 彼の癖がアラクネにうつっているのだが、フードの男は気にしたりしない。








 そしてアラクネは握りこぶしで手のひらを小さくたたいた。








「思い出したなら、渡してほしい。一刻も早く私はリコンレスタに戻らなければならない」








 そのフードの男の要求にアラクネは肩をすくめて返した。






 馬鹿にした様子ではなく、アラクネは顔を左右に振っている。




「・・・急いでいるんだ。忘れ物をはやく」






「くきゅきゅ」




 左右に顔を振るアラクネ。それは否定のものだ。笑みが消え、真顔のアラクネはひたすら左右に顔を振る。






「・・・まさか、無いのか。忘れ物は」






「くきゅ!」






 フードの男はアラクネに対し、問うた。答えなど帰ってこないと思っていたことだ。だが肯定の鳴き声が響けば、嫌でもわかる。








 フードの男はベルクに招かれた。






 なんのために。






 怪物がリコンレスタから離れるため?それはあり得ない。悩むほど数秒、フードの男がリコンレスタにいては邪魔だった。それが事実。






「はめられた!!」






 そう、フードの男は怪物にとって邪魔だった。だからリコンレスタから離れさせた。普通に離れろといってもフードの男はいう事などきかない。あくまで怪物をリコンレスタから離さない名目としてでなければ動かなかった。








「くきゅきゅ」








 アラクネは冷静にフードの男を見つめた。真顔らしく、子供らしさはない。大人が達観したように、フードの男を観察している。






「今すぐ戻る」






 そのフードの男が重い体でありながら、ベルクを出る決意をした瞬間。フードの男の裾を掴むものがいた。動き出した矢先に、誰かが引っ張った。思わず歩みをとめ、その相手を見る。






 アラクネがフードの男の裾を掴んでいる。




 笑わず、怒らず、怪物みたいな無表情でフードの男の行動を阻害する。








「・・・離せといったら」






 アラクネの方が実力は上、勝てない勝負に戦わされる現実。アラクネは怪物の要求を見事に果たさんとしたのだろうか。








「そういえば、怪物から伝言があった」








 親が子供に伝える、教育の言葉。






「よいこにしているように」








 怪物自体が悪い子なのだ。そんな悪い子の支配下にあるアラクネはもっと悪い子だ。






「・・・くきゅ♪・・・」






 そして。






 アラクネは口を開いた。






 鳴き声を発揮していた時とは違う、空気の変わり方。








 それは大人が策略をたくらむ悪い空気だ。






「・・・よいこにしようのはんたいは、わるいこでいよう」








 子供が発するには深みのある声だ。変声期を迎えた男のごとき声が、子供の魔物から発せられる。彼のいう事をアラクネがまともに聞くわけがない。






 彼が本当に守らせたいことは、伝言ではなく直接言われる。






 これは暗号だ。




 彼がアラクネの天邪鬼な部分を信じての暗号だ。




 よいこにしよう。








 悪い子でいろ。






 この場合の悪いことはフードの男の邪魔をするということ。






 声の特徴も歪である。






 だが何より。






「話せるのか、人の言語を!」






 魔物が人の言葉を話す。アラクネは知的な魔物だ。だが人の声を発するには器官がない。またアラクネに人の言語を理解するほど、人に寛容さはない。フードの男は驚愕からか、恐れからか、もはや精神に落ち着きはない。






「はなせてなにがわるい。はなせないのがおかしい」






 昔はたどたどしかった会話も、今では普通に話せる。英雄の心臓を取り込んだアラクネにとって、言語など敵ではない。






「あり得ない。魔物が魔物が」




「まものでもはなせる、どりょくをわすれなければ」






 ふふとアラクネは笑う。努力は人間のものだけじゃない。魔物にも適用する魔法の言葉。






「あれ・・・しゅじんのめいれいもまもらなくては、ぼくがあやういから」






 もはやフードの男に警戒の色はない。衝撃の真実がフードの男から戦闘に対する気力を奪う。






「怪物に勝てるわけがない。人語を話す魔物を生み出した」






 それも自分から集めた魔物じゃない。ハリングルッズが怪物に害をもたらすように渡した魔物が、言語を話した。






 もう、怪物の邪魔をする気力などフードの男になかった。リコンレスタに戻る使命も忘れていた。言語を話せる魔物を生み出す偉業の前に、恐れしかなかった。








 アラクネは強い。フードの男よりも。






 言語を話すアラクネは強い。フードの男の常識を殺した。








 怪物は、怪物が育てる魔物は常識など通じない。






「アラクネ、いつまで私はここにいればいい」




 もう、リコンレスタは怪物の手に落ちている、そう仮定して急ぐのをやめた。魔物に言葉を教える以上に難しいことなどありはしない。ベルクの留守を任せたアラクネは適任だ。英雄が死んだのもうなずける。






 魔物一匹に英雄を殺させる策略。






 ならば怪物本人が動くリコンレスタの未来。この二つを考え、フードの男はリコンレスタは怪物に落とされたと思う。怪物がリコンレスタで何するかしらない。されどフードの男では思わない結末がもたらされるだろう。




「いつまでもといいたい。でも、しょうじきじゃま。すこしやすんだら、でてけ」










 こういう魔物を生み出せるからこそ、怪物は怪物なのだと。






 このわずかなベルク滞在の期間でリコンレスタは落とされる。アラクネから与えられた予想外の自由な選択。この時点で勝ち目など初めからないことをしった。


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