怪物の進撃 7


「うんうんうんうんうんうんうん」




 何度も牢獄の中でうなずく狂人を彼は見た。檻の向こう側、両手には枷がはめられ行動を制限された男を彼は見た。枷から繋がった鎖が壁につながり、檻が開けられたとしても、外には出られない。育ちのよい優男が見た目だけならとれる。狐のような目の細さ、拷問の後からか赤くなった頬。片耳が少し裂け、されど貪欲な感情を隠さない。




 何より若い。






 彼よりも若い。






「・・・ここには少年法もない・・・」






 若い人間が、彼よりも若い人間が牢に閉じ込められている。されど彼が思う以上に、相手は楽しげだった。彼が内心に重みを見せるほどに、相手の感情の明るさが際立った。青少年とも見える相手の現状に対し、彼は法律の重要性を噛みしめる。更生不可能な人かもしれないし、更生できる人間かもしれない。チャンスを与えられず、閉じ込められた。それほどのことをしたのか、それほどのものでもないが環境の整備が間に合ってないか。






「うんうんうんうん」






 若い優男もとい狐顔の男。






 彼は何も言っていない。語る前に彼を見た瞬間にうなずきだした。勝手に自己完結し、納得を見せていた。そして、その中で彼は言葉をつづける気はなかった。






 目を傍らに向ければ、案内役の女性が僅かに身を引いていた。彼と狐顔の男の二名を見ての反応である。状況を知っても尚、乗り気ではないと印象だった。






 日も差さない石の牢獄。じめじめとし、壁の上座に置かれた松明だけが環境を把握させる光源だ。この環境は人が住めるものではない。男性も女性も感受性高い年齢であれば、厳しい環境だ。人の感情を逆なでにする最低の環境だ。










 彼は思う。突然の来訪者である自分、そして仕事内容にない案内。来たくもない場所への訪れ。その時間は業務に差し支えることだろう。その時間は精神に来るだろう。彼のせいで時間をとられ、仕事が遅れ、責任問題が発展する。だからか、彼は告げた。相手への負担を減らすために。






「・・・ここで僕は話があるので、戻ってもらって大丈夫です・・・」






 彼はそう言って、狐顔の男に視線を向けた。もう興味もないといった反応を彼は見せた。だからか視界の片隅で震えながらも女性は顔を横に振った。




「け、結末を知らなければいけないのです」






 自分が何故といった不幸を示すかのような女性の反応。されど彼は気にした。




「・・・案内ありがとうございました」






 彼はコミュ障を発揮した。相手の反応を勝手に予測して、お礼をいう。仕事の合間だから戻ると思っていた女性に対し、先んじてお礼を言おうとしただけだ。決して早く戻れと促したわけじゃない。でも、この場面では見えてしまう。






 そして、彼は気付く。






 またやってしまったと。






 だが今の己は強者だと思い込んだ偽物だ。謝れない。今日、この場面、この環境において彼は謝れない。謝るのは全てが終わった後なのだ。だから謝らず訂正もしない。






 彼の言葉に女性は硬直し、口ががくがくと音をならしていた。






 女性の中にあるのは仕事に対しての責任。この地下牢における怪物への同行。狐顔の男との相対を監視し、何をするのかを見極めなくてはいけない。仕事だからこそやるのだ。仕事じゃなければ怪物と狂人の相手などしたくなどない。






 命が幾つあっても足りない。






 そんな女性の決意も彼には届かない。彼の思考は狐顔の男へと向けられていた。女性がいるのであれば、いない存在として扱うことにしたようだった。






「・・・お話をしても?」




「うんうんうんうんうんうん」






 彼が切り出したが、相手は頷くのみで終わる。うなずいた時点で会話をしてもいいのだろうが、何回もうなずかれると了承を得たのか不明だ。だからか彼は口を閉ざす羽目になった。










「うんうんうんうんうんうん」






 質問も答えもなく、頷くのだ。狐顔の男は彼を見て、頷くのだ。目が開いてるのかわからない細目でうなずくのだ。見られているのは彼の感覚がしっている。見ていないようで見られていることは気配でわかる。






 彼は底辺。相手も底辺、ただし重要人物。この町の強者だった男は、この町の弱者に引きずりおとされた。リコンレスタの地方犯罪組織、ギリアクレスタ。その男はハリングルッズに敗れる前に部下の裏切りによって、権力をはく奪された。殺されることもなく、傷つけられることもなく、突然権力を奪われた。そこから男の転落が始まった。怯えていた町の人々は、弱者となった男に唾を吐きかけた。暴力すら振るわれた。もともと素行の悪い男だ、かつてやった犯罪の天罰がくらったのだろう。そう第三者は勝手に納得する転落っぷり。






 その落ちぶれた男を、リコンレスタに侵略したハリングルッズが捕まえた。リコンレスタの情報を知ろうと色々拷問やらもされたりもした。だが男は話さない。決して何をされても語らなかった。








 それが狐顔の男の簡略化された歴史。






 彼はそれを地下牢に訪れるまでに案内役の女性から聞かされた。詳しいことを省かれつつ、概要だけをつまんで教えられた。女性がギリアクレスタのトップの話を言われる前に伝えた事、それは見るまえの事前情報が必要だと思った。








 狐顔の男は頷くのをやめた。彼を見て、女性を見て。








「お姉さんさぁ、勝手に人の事話すのはずるくないかー」








 狐顔の男は狂人であり。






「まあ話されたことといっても、簡単な状況説明みたいだから許すけどね!」








 人の心を読む。












 狂人の指摘により、女性の冷や汗は激しくなり、体全体の震えが激しくなっていた。ギリアクレスタのトップは人の心を読み、対策を打つ。それをできながら権力を奪われた謎も含め、ハリングルッズは調査をしていた。心を読めるならば、反逆もわかっていたはず。読まれない対策があるのかと思えば、何の魔法も障害にもならない。防壁を張ろうと心を読んでくる。現状、対策不可の相手。








「うんうん、お姉さんわかってくれたかな?人のこというときは、その人の許可を得ようね!!」






 狐顔の男はしきりに女性へと注視する。無垢な笑み、屈託のない笑み、純真な笑み。子供と大人の狭間のまだ穢れていない表情は大人に注意という脅しをかける。口を開けば心の内側を明かす相手、隠したいことも全てさらけ出してくれるものだからやりづらい。案内役の女性など口も開かず、目をそらして必死に耐えている。特に組んだ腕の上を必死に握りしめる手を見れば、恐れる理由が彼にもわかる。






 彼は疎外感すらある。相手のペースを飲まされ、案内役が手玉に取られている。








 果たして何をすべきか。






「何をしなくてもいいんだよ、お兄さん」








 彼は読まれているのかわからない。そもそも人の心を読むというのは到底無理なものだと思っていた。相手が何かをいっても心理学的な知識で適当に言っているようにしか見えない。蓄積された心理データの上で人格ごとの思考を解析して、適当に言っているのではないかと思っていた。






「適当なことじゃないんだけどね!」








「・・・はあ」






 だが彼は読まれていたとしてもかまわない。むしろこの場合において読んでくれた方がいい。




「うんうんうん、今度は開き直りかい?」






 彼の心の開放を開き直りと狐顔の男は取ったようだった。




「・・・心を読んでもらった方が楽なので」






 独特の間合いを持って、彼は返す。狐顔の男などの特殊能力があったとしても、彼にとって意味はない。心を読んだくらいで偉そうにするなとすら考えている。彼は認めていないが、自分は誰よりも劣ると自覚している。認めていないだけで自覚はしている。






 その底辺ごときの心を読んだ程度で大したことはない。




「うんうんうん、リコンレスタを侵略するための駒として必要かい?」






 彼が心に浮かべた事柄。






 在っている。リコンレスタを守るための駒として狐顔の男が必要だ。






「うんうんうん、リコンレスタの情報は渡さないよ!」






 彼が欲しいのは情報ではない。情報とは行動する前に指針を考えるゆえの材料である。彼は情報を得ずに行動をしているからもはや情報の問題ではない。






 そもそも、知性の怪物と呼ばれた彼の悪運の前。






「・・・なるほど」




 彼は思わずつぶやいた。その言葉を狐顔の男は気にしているのか、何度もうなずいた。




 この程度の輩が彼の障害になるわけがない。相手がどれだけ意味が解らなくても無視できる彼に何も怖いものはない。全てが怖く、全てを見なかったことにしてきた彼が地方犯罪組織の元トップごときに遅れをとるわけもなかった。






 この程度おもちゃでしかない。






 だからか、いつもより時間をかけずに解決しにかかる。普段ならばもう少し会話を深め、相手の矛盾をつくところだ。だがその時間すら惜しい。簡潔に、淡々と述べる。






「・・・今、僕が思ったことを読んでください」






 あ、い、う、え、お。






 ひらがなの順番。ア行につらなる子供の勉強文字。それを彼は頭に浮かべた。






「リコンレスタに必要な措置の事かい?」






「・・・なるほど」






 それは彼が本当に考えるべきこと。浮かべていたのはひらがな順。だからこそ余計にわからない。読めていないという矛盾をさらけ出すのは早すぎる。相手の策略かとすれば意味が解らない。






 狐顔の男が心を読んでいるようで読んでいない。






 狐顔の男はわざと嘘をついて、彼の反応を楽しんでいるか。








 その相手の自信、狐顔の男の自信満々な表情はどこから来るのか。彼は観察をし、その正体を探る。嘘など入っていないと思える。冷や汗も書かず、表情の隅から隅までの変化がない。呼吸も荒くなく、平常にように見えた。








「どうしたんだ?読まれて怯えているのか?」






「・・・嘘じゃない」








 そう狐顔の男は嘘を言っていない。嘘をいっている自分を本当だと錯覚しているのかもしれない。だが彼の観察眼をもってしても嘘はいっていないと判断。






「?おかしいこというね!急に嘘じゃないとか・・」






「・・・僕の隣にいる女性の心は読めますか?」




 彼の言葉に案内役の女性が軽く跳ねた。そして凝視するように彼を睨み付けた。自分を巻き込むなという無言の抗議。






「読めるね!」




 狐顔の男は女性を見て、嗤う。




「そのお姉さんは、私を巻き込むなってお兄さんに怒っているよ!!」




「・・・貴方自身の心は見えますか?」






「自分のことだからね!」






「・・・なら」






 彼は軽く息をのむ。






 次につなげる言葉。




 彼自身の心は読めるか、そう尋ねる前に。






「お兄さんの心は読めないんだ。何とか読もうとしているんだけど、読めないね!おかしいね!一生懸命読めるふりしていたけれど、読めなかった。早いね、すごいね、天才だね!」






 彼が答える前の言葉に相手の言葉が重なった。






 まず彼の心は読まれない。この世界において彼の特殊精神構造を突破するのは困難だ。悪意たちの防壁を越え、彼のねじ曲がった精神へとつながらなくてはいけない。数百以上の悪意たちを越えることすら不可能なのに、更に奥深くに存在する彼の心など常人では読めるわけがない。






「お兄さんを読もうとするとねぇ、なんか色々な思考が混じって読めないんだよ」






 彼の中に潜む悪意たちである。悪意たちは無数の人々の感情が連なり、魂と成長を遂げたものだ。その規模は彼個人の片目に閉じ込められ、時間と魔による侵略を避けている。ただ寄生虫のごとく悪意たちがいるのではなく、悪意たちも利益を彼にもたらしている。こういった精神攻撃においては最強の防壁である。










 そもそも悪意たちがあってもなくても、彼の心はよめない。だが必要なのは悪意たちが防壁を作っていることだ。






「だからさ、こっちも聞きたいんだ?」








 狐顔の男の細目が小さく開く。それこそ強敵を目にしたかのような警戒をもった両目が彼を貫いた。






「何者だ、お兄さん。君ほどの人間を俺は見たことがないんだ」








 だが楽し気に問われたことに対し、彼はいつものように答えるのだ。






 無表情で無感情で、両目は死んだ魚のごとく。






「・・・ただの、一般人です」








 彼は答えた。








「嘘だね、あり得ない」






 嗤う。狐顔の男は嗤う。彼を見て、嗤うのだ。






「・・・信じてほしいことです。ただ言われてばっかりなのはあれなので、言わせてもらいます。僕も貴方の事でわかったことがあります」








「何を判ったんだ?教えてよお兄さん」










「・・・貴方は人の心が読める」






 彼はそう理解した。彼の事を読めないからといって読めないと断定はしない。実際彼以外の常人ならば、考える事柄を述べた。その蓄積された考えは経験だ。誰かが教えるからといって教えられるほど、この世界は知識に寛大じゃない。彼以外の心を読み、経験を知った。考える常識などを知った。案内役の女性など狐顔の男の指摘によって顔を青ざめさせたからだ。






 だから信じた。たまたま彼の心が読めなかった。だからそれを補うために読んできた経験の知識を利用した。他の人の心は読んでいる。大した情報はなくても、大した信用ではない。彼が勝手に思うことにした判断だ。






「最初から言っているだろうに、お兄さんおかしい」






 枷を嵌められたうえで、彼を小馬鹿にする。されど目は笑っていず、彼を注視している。






「・・・貴方は、今この状況を楽しんでいる」








「うん、楽しいに決まっているじゃないか」








 心を読めると断定し、この地下牢に閉じ込められて尚笑える若者。彼よりも若く、大人にもなりきれない青少年。果たしてなぜなのか。狐顔の男には枷が嵌められ、拷問もされたような頬の赤みがある。彼に見せた地下牢の演劇みたいな偽物じゃない。牢獄の中に混じった黒い点々とした染みは血によるものだ。






 間違いなく拷問を受けている。






 少年法がないということは、守る術がないということ。拷問はある。環境を見て彼は理解した。だからこそ心の穢れていない青少年に拷問は苦痛でしかないと思える。






 笑える余裕などあるわけがない。




 強がりによるものかとも思った。






 だが見えない。










「・・・なぜ?」






「お兄さんの心は読めないから、はっきりといってほしい」






 狐顔の男は枷を顔の前に掲げ、その隙間から彼を見つめる。読めない。何度も読もうと思考し、能力を行使しても読めない。複雑な彼本人の精神構造も、その前に立ちふさがる複数の悪意による思考。読めばこちらを攻撃せんとする破壊の感情。






 この場において言葉に出すしか会話にならない。




 人間本来の常識を思い知らされる。人間は口によって会話し、音によって心を弾ませる。元来人間は他人を影響下に置いて生存する知的生命だ。それを心を読むだけで完結してしまうことこそ、おかしい事実。それを知らされる。






 何より相手にされていない。








 狐顔の男はそれでも気にしない。






 なぜなら。






 今度は彼の問いが狐顔の男の心情に重なった。






「・・・楽しいからですか?」




「だから言ってるだろ、楽しいってさ」






 今度の意図は違う、彼は今度は環境を目にして口に出す。






「・・・地下牢を?」






「うん」




 即答。




 彼はそうして質問を変えた。






「・・・人は好きですか?」




「うん」






「・・・何が嫌いですか?」




「わかるものもわからないものも全て」










「・・・人が好きですか?」






「うん?さっきと同じ質問だよ、お兄さん少し考え・・・」








 彼は最後まで聞かずつづけた。






「人の反応が好きですか?」






 彼は地下牢に顔を近づけた。無表情に観察するように彼は相手を見続けた。狐顔の男も遠目に彼を観察して、観察している。両方とも譲らず観察をしている。






「当然!」








 拷問も何もかも含め。






「大好きに決まっているだろ!!」








 狐顔の男に弱点はあんまりない。狂人と呼ばれる男は人の反応をみて楽しむやつだ。たとえ自身が拷問されようと苦痛にさいなまれようと、相手の反応があるかぎり壊れない。相手が感情の読める相手である以上怖くない。






 拷問してくる相手が平気で拷問できるものか。






 相手も悩んで必死に自分をおいつめて、他者を傷つける。






 他人を、同性をそう簡単に強姦できるものか、犯罪者組織だからといって秩序がある。いくら拷問であろうと心と体の向かう先は大体異なるものだ。心は純愛を求め、体は仕事のために強姦する。もしくは心が強姦を求め、体は純愛を求める。






 人は決して己を把握できていない。把握しようと心掛けているだけだ。体調が悪いからといって、心が仕事へ天秤を傾ければ、働かなければいけない。心が仕事行きたくないと行けば、体は元気なのに休もうとする。心が働きたくても、体調が悪くて動けない。






 人間は己を制御できない生物だ。






 拷問官の努力と自己制御による狭間を見つめて嗤うのが趣味なのだ。ときよりくる食事を持ってくる係りの人間を嗤うのも好きだ。全て好きだ。等しく人間を愛してやまない。だから己の心も体も人間に明け渡す。その代り、そいつのこころを嘲笑う。








 これこそ狐顔の男の正体。狂人とは常識とかけ離れたものに相応しい。














 だが彼の観察眼は別の答えを捉えた。これも心理である。それは真相のひとつである。










「・・・退屈が怖いですか?」






「ん?少し予想外な」








「・・・自分しかいない退屈な世界は怖いですか?」








「何をいっているのか不明なんだけ・・」




 彼は人差し指を立てた。ほかの指を折り曲げ、牢獄の外側からのんきに条件を述べた。




「・・・ならば与えましょう、貴方を僕が買う」






 その発言に案内役の女性が慌てた。狐顔の男の処遇はハリングルッズでも意見がもめているのだ。彼と狐顔の男の会話に優劣の具合は女性にはわからない。だがわかることもある。彼が勝手に狂人の処遇を決めようとしている。






 案内役の女性の抗議だろうと。






「だ、駄目に決まっているじゃないですか」






 彼の視線は狐顔の男へと向かう。






 されど会話は違う。




 彼は隣にいる女性に向けられている。








「・・・いくらなら売ります?・・・大金貨、3枚ならば出しましょう?」






「大金貨・・・金額の問題じゃありません。これは我々の」






「・・・我々?・・・僕も我々とかとの仲間だと思っています」






 案内役の女性の権限など彼に劣る。リコンレスタ支部の適当な人員である女性と怪物という名の彼の地位が同じわけがない。そもそも狂人の心を読む能力に惑わされず、一方的に質問を叩きつける彼の存在が低い立場だと示さない。








 この場面はこうっているのだ。彼も理解している。






 女性が述べたのは彼を除外した上でのハリングルッズである。リコンレスタ支部としての見解と。








 彼が述べたのは彼を入れたうえでのハリングルッズである。ハリングルッズの中でも有名な立場としての見解だ。






 支部と有名な立場。どちらか上か嫌でもわかる。






 怪物の経歴が物語る。




 歯向かうものは排除、邪魔になったものも排除。






 果たして女性自身はどうなるか。むろん、女性自身も立場は理解している。だが仕事である以上、意見を述べなければいけないのだ。口にチャックと無言を貫くわけにはいかないのだ。






 女性と彼、立場の違うもの同士視線を交わさず小さな対立を迎える。






 それを狐顔の男は見て心を読み取る。状況を読み取る。






 彼の心は読めない。だけど心を読む相手は一人じゃない。案内役の女性もいれれば二名だ。その中で比較的情報をしっていて、心の防壁が弱いのは案内役の女性だ。








 だから読んだ。




 心をよんだ。状況も環境も、彼の事も含めて心を読んだ。どうでもいい事柄から含めてよんだ。同じ支部の男性と恋愛関係に発展したことすらも含めて読み込んだ。












 そして彼が巷を騒がす怪物と知った。






 リコンレスタという町を騒がした狂人と。






 王国という町以上の規模で騒がした怪物の格差を知らされた。








 それを知って狂人は嘲笑う。








 ここまで無包囲に敵に回して生存する異常な人間。怪物は人間を周りに付けず、魔物を周りに付けている。果たして彼という存在が狂人程度で収まるかすらも考えた。






 読めない彼の思考。






 案内役の女性が再び言葉に詰まったのをしり目に彼はつづけた。






「・・・僕もあなたもハリングルッズの仲間でしょう。なら、少し静かにしてもらえますか?仲間外れにした責任を押し付けない代わりに、貴女は口を閉ざす。どうですか?」






 もはや何も言わせない。言えば詭弁が返ってくる。






 案内役の女性が途中で口を挟んだ結果、怪物の僅かな指摘が跳ね返る






「・・・貴女に責任はない。僕だけにあるんです・・・これで少しは安心しましたか?」






 果たして彼と狂人、どちらが心を読めるというのか。安心も何も震えが収まらない案内役の女性。狂人と怪物に挟まれた女性。会話の邪魔すらさせてもらえず、排除された。








 排除したのち、彼は狐顔の男に問うた。






「・・・僕は貴方を買う。でも何もしない。・・・食事は与えます。寝る時間も与えます。拷問はしません。暴力は嫌いなので・・・あなたに平穏をあげましょう」






「へぇ寛大だね、でもいいのかい?平穏の中で遊んじゃうかもね、俺」






「・・・貴方の面倒を見るのが楽しい人間であれば遊べるかもしれません」






 狐顔の男は楽しそうだ。心を読めない相手の対応の先が読めない。その久しぶりの未知に興奮すら覚えていた。






「・・・貴方の平穏を守るのは魔物です。・・・ゴブリンとかいう種族の魔物が貴方の面倒をみます」








「・・・は?」






 人間が面倒をみる、その王国として当たり前の常識。






 彼にとって魔物が面倒を見るのが常識






 王国と彼の面倒を見るという常識のすれ違い。そして、彼も文化の違いを知っている。だからか、彼は笑うのだ。無表情から笑みへと昇華させる。ハリングルッズ、リコンレスタの人々、そして狂人。全てを脅してきた彼の笑みが仕事を果たす。






 笑顔とは暴力だ。




 相手を安心にさせる。






 相手を不安にさせる。






 この矛盾を抱えた最強の暴力だ。






 理解し、王国の文化を理解し、人間の反応を楽しめる狂人の反応を魔物によって否定する。






「・・・だから言っているでしょう?貴方は退屈なのが嫌いだ。だから僕は人間ではなく、魔物によってあなたの退屈を生み出す。」








 狐顔の両目は開き、彼を睨み付けていた。




 笑いも余裕もない狂人の顔。






「・・・その顔が見たかった。・・・人の心を読めるのでしょう?・・・それは貴方がギリアクレスタのトップの人物だからだ・・・どんな環境でも楽しめる人間だからだ・・・きっと常識人がみたらあなたは異常者なんだ・・・でも異常者が全てのジャンルで異常なわけじゃない」






 異常者だから、全て異常なのはこの世にいない。計算が得意な天才であっても人が恋しいし、天才な画家であっても、人から離れられない。殺人鬼ですら、人がいなければ殺せない。






 相手が人間である以上、人間から離れられない。人が嫌い、人と離れたい。そういった人間がいてもおかしくはない。だがそれは自分に対し、自信がないから人を嫌っているだけの弱者だ。弱者は強者を引きずり落とす。自分の内心で、相手を無条件で見下し、必要ない人間だと心で引きずり落とした。








「・・・人の心を読めるのであれば、魔物の心も読めるかもしれません。読めないかもしれません。どっちでもいい。だがあなたを世話する魔物は貴方の事を知らない。貴方に何も思わない」






「俺を恐れさせればいい、どんな魔物だって怖くはない。むしろ魔物も脅かす俺の存在力アピールのチャンスさ」






 強がりである、狐顔の男の必要な努力措置。








「・・・舐めないでほしい。これは僕の魔物が面倒をみるんだ。・・・きみごときに僕の魔物が怯えるものか」








 さりとて彼にもプライドがある。彼は彼以上に魔物を否定されるのが嫌いだ。それこそ表情に殺意をまぶすほどには嫌いだ。






 彼は王国にとっての悪役だ。有名になりすぎた。その有名さは地方を越え、王国の中で歴史に小さく記された。町一つ支配した程度の狐顔の男は、王国に名前を知られていない。リコンレスタが酷い町だぐらいしか有名じゃない。あくまでリコンレスタがメインで、ギリアクレスタのトップの名前など目立つわけもない。






 彼には怪物というブランドがある。そのブランドはもはや、一人歩きをし、他人の風評被害を煽るのだ。怪物の支配下の魔物。そのブランドで育った魔物が弱者か否か。






 ゴブリンが弱者であるのは本当だ。




 怪物が育てたゴブリンが弱者か否かはわからない。






 怪物の魔物は、通常の魔物よりも性能が異なる。それを女性から盗み見た狐顔の男にとって余裕はない。








「お兄さんさ、最低だよ」








 そう、彼は最低だ。






 年下を脅し、退屈が嫌いな相手に退屈を与えようとする外道。それが彼だ。物理的な暴力を振るわない代わりに、精神的な暴力を好む。それでも相手に極力負担のない方法でもある。






 だが何より恐ろしいのは。






 いまだに。






「俺に何をさせたいのか聞かせてもらってない」






 脅しは聴かされた。狐顔の男が恐ろしがる手を打った。だが要求を伝えたうえでの脅しじゃない。一方的に脅しを伝えた上からの要求なのだ。脅迫にも手順がある、だがこれは違うのだ。








 狐顔の男でもわかる。








 




 怪物は脅迫をしていない。






 単純に事実を述べただけだ。その中で狐顔の男が嫌がることを提案しているだけなのだということも知った。提案だけで胸糞が悪くなるならば、本気の脅迫とはどういうものか。知りたくもあり、知りたくもない。








「・・・貴方に、ギリアクレスタのトップに再び君臨してもらおうかと」








 全てはリコンレスタの平穏のため。






 彼は伝える。






「・・・ハリングルッズの支配下に収まったうえで、貴方はギリアクレスタのトップとしてリコンレスタに君臨する」








 これが彼の要求。至極まっとうなやさしさ。ハリングルッズ側が求めていない答えの一つ。この町は壊滅させる。その意思を無視し、彼はハリングルッズが上司とした地方犯罪組織の再生を求めていた。










「お兄さんは、馬鹿なのか、俺は引きずり降ろされたんだぞ」






「・・・なにから、引きずりおろされたと?」






「知らないわけがないだろ、お兄さんさ。俺はギリアクレスタのボスにして偉大な町の支配者だった。その俺が部下に裏切られたことを」








 彼は知らない。知らなくても問題はない。






「・・・裏切られたくせに元気なんですね」








「何が言いたいんだいお兄さん」








 狐顔の男も冷や汗が出だしているようだった。案内役の女性など失神しかけているというのに、冷や汗で誤魔化せているのだ。






「・・・僕は貴方が引きずり落とされたということが嘘くさいと思っている。・・・違う、貴方は勝手に降りたんだ。相手のせいにして降りたんだ」








 心を読めるとは恐ろしいもののはずだ。








「お兄さん、心読めるのか?」






「・・・いいえ」






 彼に嘘はない。






 だが心を読める以上に、恐ろしい相手などいるわけがないと信じたのも事実。








「・・・・貴方は降りた。反逆かどうかはわかりません。ですが貴方は自分から降りて、自分から逃げた。・・・その理由」








 狐顔の男はもはや笑ってすらいない。拷問も好きだ、尋問も好きだ。相手の心を読んだうえで笑えて楽しいから。








「・・・飽きたから」






 そう飽きた。人間にとって飽きは精神疾患の一つでもある。生活が儘ならないものにならず、生活が満たされ過ぎた人間に発症する病。贅沢病の一つ、飽きが来たのだ。








「・・・退屈なのは好きですか?暇なのは好きですか?・・・このままいても飽きるだけです。体に痛みを味わって、退屈をしのぐぐらいなら、再び飽きた世界に戻りませんか?」






 彼の問いは淡々としていた、それに対し狐顔の男は顔を横に振ることでこたえた。




「お兄さんさ、退屈の怖さを知っているかい?」






「・・・嫌というほどに、時間の恐ろしさに震えたことすらあります」






 そう彼は己を震わした。その様子を狐顔の男も見た。そして溜飲が下がったのか、狐顔の男が続けた。それは独白に近いものだった。








「・・・ギリアクレスタで降りた理由はあってるよ、お兄さん。本当に心読めないくせに、読んでくるね。怖いくらいだ。俺怖いよ、お兄さんのその読み。・・・だから言うね、お兄さん。ギリアクレスタのトップに戻ってまたつまらない世界を味わうぐらいなら」






 彼は指を立てた。二本の指だ。狐顔の男の会話をまたしても中断して彼のターンへとつながった。








「・・・世界を楽しみたいなら結構。でも僕は退屈よりも最悪な暇をしっています。貴方はまだ暇を知らない。この牢獄の中で色々な人と関わっているからこそ、暇じゃないのでしょう。きっと一時間、二時間の一人の時間など休憩時間でしかない。・・・退屈より暇の方が怖い」








 彼は告げた。指の数は、彼が告げる事柄の数だ








 一本は退屈、二本はその先にある暇。








「退屈よりも怖いって、あるわけないだろ。お兄さんさ」








「・・・暇は何よりも恐ろしい。無駄に時間をつぶし、自分を見つめ直させる時間があるから」






 彼は三本目の指を立てた。




 暇が三本目だ。








「・・・もう一度いいます、協力を。嫌なら最悪な退屈の時間を再び噛みしめてください」






「嫌だといったら?」








 彼も狐顔の男も決して譲らない。贅沢病の退屈、そして暇。貧乏暇なしといった貧乏人は時間を労働にあてる。だが労働に当てずに済む無職は、時間の退屈さと、退屈さの集合体暇とも戦わなければいけない。暇だからお金もらえずに死ぬということは、仕事をすればいい。仕事をしても退屈だけどお金もらえれば死ぬことはない。






 でも働けず、退屈で暇な時間があれば、自分を思いつめる凶器になりえる。自殺とは自分を追いつめることで果たされるものだ。では時間を有意義に使うものが自殺するかといえば確率は低い。時間と自分、その中で退屈を感じ、その先の暇を噛みしめて、自分を見つめ直す。自分を見つめ直した先に自分で自分を攻撃。その先の結末が自殺だ。






 暇は死につながる。現代病にして贅沢病の一つ。それをこの世界の住人は理解せず、彼は理解した。












「・・・貴方に暇というものをあげましょう。死ぬことはない、魔物たちが食事も衛生環境も整えます。ゴブリンですがきっと慣れることでしょう。・・・僕はゴブリンに命令します。貴方の言葉に耳を貸すなと反応するなと。拷問は絶対にしない。会話もない、尋問もない。ただ生きるだけ。生きるだけの生き地獄をあなたにあげます・・・暇とは人の心に闇をもたらす最悪の一瞬なんだということを思い知ることでしょう・・・」








 嘘ではない。






 彼の物言い、それは客観的な事実。狂人にとっても彼が嘘は言ってないと理解している。退屈だから拷問をうけ、尋問を受けることになった。痛みがあってもたえられる。拷問や尋問なども耐えられる。観察も耐えられる。






 果たして耐えられるか。






 暇を。






 怪物はもはや暇を恐れているように言っている。王国に有名な怪物。女性から読み取った知識が狐顔の男に真実を語る。この人を人とも思わない人でなしが、恐れる暇とは何か。






 そもそも狐顔の男が恐れる退屈の怖さを知る怪物とは何者か。






 この世界において退屈とは贅沢だ。王国のエリートも大手の商社の者も忙しくても退屈ではない。日々生きるため、給料を得るために頭を悩ませる日常だ。中間層も底辺層も退屈ではない。退屈になるということは死に直面する案件だ。だから退屈なぐらいなら別の物事への努力をもたらす。






 退屈とは。物事がうまく行き過ぎた者の、恵まれ過ぎたものの持たざる者にとって許されない罪なのだ。






 そして怪物は持たざる者なのだ。






 地位を持たない。悪逆をもたらす。無法にして無謀。その人間が退屈の怖さを知るなど死へといざなわれる案件の一つだ。その場しのぎではない。退屈よりも上があるという。








 暇。




 休憩中に挟む、暇とは違う。仕事を首になった暇とは違う。






 退屈が幾つも重なってできたのが暇なのだという恐怖。






 味わいたいとすら思わない。退屈ごときで反逆させた男にとって。








 暇は味わいたい案件じゃない。








「お兄さん、まさか退屈とかいうもので俺を攻略するとか」












 あり得ないのだ。元とはいえ、町一つを支配した地方犯罪者組織のトップに対し、暇と退屈で攻略とかありえない。


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