怪物の進撃 5

 彼の心臓は爆発しそうだった。緊張と声を高らかに上げないといけない恐怖。何もせず幽霊のようでいられる自分をすてる覚悟。この世界は力が必要だ。法律はある、権利と義務も一応ある。でも彼にとっては好ましくないものだった。






 彼が動かなければと口を広げるぐらいには好ましくない。




 人々の視線が集中し、背後からはフードの男の視線。魔物たちが彼の周囲を守護しているといっても、今この場においての攻撃者は彼だった。




 現実を突きつける暴力。






 理想を語る暴力。




 言葉だけの真実は、誰もが苛立ちを覚えている。リコンレスタの人々もそう、語る彼も自分に対してそう思っている。身振りなどいらない。手ぶりなどいらない。真実を語る口は無の表情をもって紡ぎ出す。焦りは駄目だ。語る人物が焦れば焦るほど、聴く者は焦るかもしれない。でも焦った人物が目の前にいると逆に落ち着くのも人間だ。




 焦った誰かが何とかしてくれると。






 焦った誰かに責任を擦り付けてと。






 結果が悪ければ焦った人物のせいだと。






 擦り付けが始まってしまう。






 弱者は強者を弱者にする。人の為に行動をする先導車という強者。成功すれば強者の功績の利益を貪り、失敗すれば自分は嫌だったと不利益を回避する。






 強者は強者たらしくあるために、弱者を切り捨てる。薄情な世界だ。だが強者を弱者へと引きずり落とすのも弱者なのだ。奈落に落ちた人間を引きずり落として、仲間にする地獄の住人。だから強者は弱者にかかわらない。






 弱者の根源は環境のせいにするもののせいだ。健康的な人間が環境が悪いと己の価値を否定した結果、弱者の未来を生み出す。






 この世界は誰も救えない。誰も救える環境じゃない。






 彼は恨まない。この世界を。理不尽を。






 恨めるわけがなかった。彼だってそうだ、この世界の価値観を抱いて生まれれば、きっとそうなっている。彼には自信を成長させる努力をしてこなかった。好きなことに、楽なことに逃げてきただけなのだ。




 誰かを馬鹿になどできるわけがないのだ。






 このリコンレスタの人々を馬鹿にすれば、自分を馬鹿にすることになる。








 そんなの嫌だ。




 動きたくないという本心。その心の本音を吐き殺し、押し殺した。




 彼は動いてしまった。余裕などあるわけない。苦しいに決まっている。人前で行動するのも、弱者な自分が更なる弱者に同情を抱くのも辛いに決まっている。押さえつけようとせずに、何もなかった自分にいられない。






 弱者は世界に下剋上をしかけるべきなのだ。身近な世界、視界に広がる街並み、殺風景よりも殺伐とした環境。この環境を変える勇気を持つべきなのだ。素敵な幸せを得られると自信を持つべきなのだ。






 その自信の源。






 暴力だ






 純粋かつ何事にもいきわたる暴力がもたらす産物だ。暴力が不幸を呼ぶのと同時に、暴力が勇気と幸せを生み出す。個人が束になったところで絶対に敵わない暴力。




 あくまで現代人に適したものではない。






 それは現代人に考えをもたらしたのが圧倒的強者、国家だからだ。強者たる国が弱者たる国民を支配し、保護した。支配下にある国民は恨みも文句もいっていい、働きさえすればいい。病気になってもいい、守ってあげよう。動けない、働けない、年をとって思うようにならない。大丈夫生活は保護してあげよう。支配者が気に入らない、ならば決めていい。未来が不安、ならば未来を面倒見よう。未来の面倒を見るのが少し伸びてしまう、ふがいなさを許せと謝罪する。






 敵から守るための力を持った国家。国民を救済するために、日常に専念させるために税金だけで済ませてくれた。








 観てみろ。この世界よりも前の世界のほうが強かった。支配者たる国は、民に厳しく恐ろしくもあるけれど信用ができた。国は信用できないといいつつ、国を信じるほどには妄信的でいられた。金の価値、治安も国が全て守ってくれた。彼はただ生きるだけでよかった。




 生きてさえいれば、何をしなくても殺されない。






 彼が何もしなくても、守ってくれた。










 生きる権利と生きる義務はあるが、殺される義務もある。弱者が声を上げても弾圧される世界がここにはある。前の世界は弱者が声をあげれば、強者たる国民が可哀想の感情をもって救済を果たしてくれていた。






 この世界にそんな余裕のある強者は少なかった。可哀想という目線を持てる強者が少なかった。心の余裕にして、経済的、文化的な余裕が全く足りていない。




 彼は前の世界だけしか知らなかった。弱者が生きづらく、票という名の権利を果たしても効果がないと諦めていた。でも行動すれば変わるという希望はあった。行動すれば叶うという幻想があった。




 弱者が生きていける前の世界。確かに弱者はどの世界でも生きづらい。前の世界は弱者が恥を我慢することによって、生命の危機を放棄できた。










 弱者に引きずられても引きずり落ちない。それは行政だ。ほかの人々の想いからなる弱者救済の代行者、行政があった。






 でもない。ここにはない。






 何にもない。






 弱者はむごたらしく死ぬ。










 彼は見たものを、見てきたものを捨てられるほど残酷じゃなかった。








 彼は声を淡々と貫いた。








「・・・だから、僕たちはいきるべきなんだと思います。貴方方はきっと何も思ってくれない。でもいつかはわかると思います・・・いつか・・・いつかわかる・・・それは未来の話です」








 だから彼は思う。






 生きることとは決意なのだ。






「・・・・これから無くなる未来よりも・・・これから生まれる未来を見つけませんか?」










 暴力の根源たる魔物を見せつけ、彼は冷酷に睨み付けた。無の表情でありながら虫を見るかの如く冷酷な視線。睨まれた人々は息をのんで口を閉ざした。背後にいるフードの男も口を開けず、飲まれるしかなかった。言っていることは大したことではない。でも雰囲気が違う。魔物を引き連れ、暴力によってミディアレスタを壊滅させた。平和を語るにしても、ハリングルッズの手先にしてハリングルッズを脅す災厄。






 その彼は理解させない矜持をもって人々を弾圧する。内心にバクバクと破裂しそうな心臓を抱えて語るのだ。震えそうな弱い心を押しつぶしてでも見せるのだ。






 強い言葉を放つのだ。






 強い言葉を使うほど己の弱さが引き立つ。その事実を知りながら彼は強い言葉を示すのだ。








 彼の力とは。






 他者に対し、必要なことを嫌がってでも見せつける。






 その人間の決意なのだ。












 弱者は強者を引きずり落とす。だが彼も弱者だ。力を持っただけの弱者だ。下手をすればリコンレスタの住民一人にも喧嘩で勝てない。されど強者だ。この町ひとつの犯罪者組織を壊滅させる強者だ。






 彼は最低の策を考えている。






 強者がやるにしては杜撰。稚拙な思考が勇気をもたらす。心臓が血液を、肺が酸素を取り込み、高らかに口を広げた。現実を突きつけ、彼に怯えつつ、彼に怒りを覚える人々。真実を伝えるだけの連絡係は恨まれ、貶される。心地の良い夢はない。彼を利用しても永遠の盾にはなりえないのだ。




 動かずに得られる未来などこない。誰もが知っていて、目をそらした現実。直視させられた自身の未来をもってしても、心が震えるのみで閉じこもる。






 誰も口に文句を出さない。これが行動しなかった弱者のありさま。彼が何をしても黙るのだ。彼はその有様を見つめ、自分の姿を人々に照らし合わせていた。かつても今も彼はリコンレスタの人々と変わらない。




 彼と人々が違うのは。






 生命を、人生を全うしたいという思いの差だった。彼は平凡を好み、目立つのを避ける。でも人並みな幸せは得たい。仕事をして、働きたくないという思いを持ちたい。お金を稼いでも、全然足りないという日常に不満を持ちたい。買いもしない宝くじに当たって、大金持ちに。








 そんな人生を追いたかった。今更追えるわけでもない。それよりも人並みになれない酷い人々を見れば、抱いた夢は錯覚じゃなかったと思えた。










「・・・どうせ皆死ぬ・・・あなたたちは今この場で」






 彼は片手を上げた。






 反応したのは一匹だ。彼最大の魔物トゥグストラ。黒い巨躯を持つ闘牛が彼の行動に対し強く反応を示した。彼は事前に相談をしていない。魔物たちに説明をしていない。されども魔物たちは己の役割を無自覚に理解をしていた。






「ぐるるるるぁぁぁ!」






 小さく吠えたトゥグストラもとい、牛さんの咆哮。人々が震えるだけ程度の圧をもった殺気を周囲にばらまいた。鋭い魔物の眼光、大きく口を開けたときに見える牙の鋭さ。魔物が一歩踏み出せば、人々は震えを大きくした。






 守りの盾は、攻撃者への転換をとげる。






「・・・どうせ死ぬ・・・変わらないならこの場で」








 彼が一歩踏み出した。人々が涙をため、恐怖からか手を前へと出していた。恰好もなにもない、ただの近づくなというアピール。






 彼は無視した。




 弱者の想いの果てを無視した。






 一歩彼は踏み出した。






 牛さんも彼も共に一歩を踏み出した。






 距離が近づく。






 人々は逃げない。逃げたらどうせ死ぬ。この場においても未来においても死ぬ。そもそもついてきたのはそっちのほうが楽だからだ。人々だって理解している。彼が語る意味を知っている。動かなければいけないと火をつけようとしているのもだ。








「・・・手加減はしません・・・どうせいらないのなら・・・しんでしまえ」






 彼は言いたくなどない。でも言う。わざと表情を無にし、これから強い言葉を語る自身でありたいと偽った。人々は聴きたくなどない。でも聞く。わざとしなくても恐怖に生じる表情のつっぱりぐあい。これからも弱い自分であると思い込んだ。








 でも、






 ハリングルッズに殺されるか。






 彼に殺されるか。






 地元の犯罪組織を軽く壊滅させ、半殺しとかいう程度で収めて放置した。この町において動けないというのは恐ろしいことだ。半死であれば生きたまま臓器をとられる。薬につけられる。殺されるのはまだまし。女性であれば酷い目にあう。子供であっても酷い目に。








 彼は残酷な獣だ。








 果たして誰が救う。








 人々は逃げない。彼の言葉に心打たれたわけじゃない。逃げたところで殺されると理解しているからだ。さてどうする。どうしたら助かるか。






 そして、考えるまでもなく。






 彼を倒せば命は助かると認識させられた。勝てるわけもないが、ただで殺されるなんてありえない。






 彼は無をもって侮辱している。ごみ虫程度の人間だと人々を見つめている。そんな奴に殺される。犯罪者組織は利益として人々を傷つける。だが彼は人々は利益にすらならないと否定して傷つける。






 許せるものか。




 無理やりに燃えさせられた怒りが沸々とわきたった。恐怖が強く、体は震えた。でも心は理不尽に対し怒りを覚えた。自分は価値がないと人々は知っている。だが無価値だと信じてはいない。どこか心の底には優れた自分を描いているのだ。






 一人が握りこぶしを作った。二人が握りこぶしをつくった。三人目が彼を強くにらんだ。4人目がポケットの中から金属片を取り出した。5人目が自分の未来を悲観した。6人目が絶叫した。






 何人も何人も彼という敵に対し、心を突きつけた。理不尽という暴力を見せる彼、人々は集団という力を少しずつ理解した。








 どうせ敵わない。








 その第三者の自分が自分の心を覚ます瞬間。








「・・・むごたらしく・・・町の片隅に捨ててあげます」






 彼は嗤った。






 わざと笑った。




 口端を小さくゆがめ、目は心底馬鹿にするような冷酷さを示した。






 むろん、全部わざとだ。彼の経験上、勇気をもった自分を否定する自分が現れる。そのタイミングを大体読んでの発言だ。






 それを彼は知っている。だからこそ第三者の自分を無視させるほどの怒りを人々に与えた。








  結果、第三者の自分を無視して、人々が震え立った。己を侮辱し、己を価値がないとゴミとして扱う彼に突撃をした。殺される、むごたらしく。ごみにされる。無価値だと知っても有用な資源であるとうぬぼれる人々。その人々はタダで死にたくないと突撃を開始した。






 それでいい。






 彼は思いたつ。






 受け止める気はない。






 だが否定をしない。






 ここで彼が暴力によって沈めれば、人々は勇気を出せなくなる。だが素直に受け止めれば痛みが訪れる。痛いのは嫌だ。怖いのも嫌だ。つらいのはもっといやだ。








 でも一番嫌なのは。






 自分が嫌なことを人に平気ですることだ。






 彼は拍手した。人々が殺到し暴力に塗れるより先に。牛さんが人々に対し咆哮し攻撃する前に。






 大きな拍手だった。同時に彼は懐から取り出したコインを人々に対し投げつけた。一枚ではない何枚も手のひらに握ったコインはお金だ。一番最低の貨幣、銅銭である。銅銭をなげ、中には銅貨もこめた。銅銭と銅貨は違う。銅銭が100円に対し、銅貨は1000円みたいなものだ。






 ベルクであれば銅貨一枚と銅銭数枚で2日ぐらいならば快適に食事にありつける。それを握りこぶしに込めてなげたのだ。一回ではない。何回も懐にいれては人々になげつけた。実際には当てないように人々の空中へと投げた。






 人々の怒りが爆発した。だがちゃりんちゃりんと床を叩く音。その音を前に人々は目を向けずにはいられなかった。かつてきいた、魅力的な音。この音を聞くたびに財布を確かめ、いくらかと気にした過去を思い出す。気付けば足をとめ、その正体を探し出す。




 お金だ。








「・・・やればできるじゃないですか・・・やれば動けるじゃないですか・・・」






 大きな拍手を彼はしていた。そして拍手の合間に金をなげた。下品でありながら下劣でありながらも彼は投げた。今の彼にとって銅貨も銅銭も大した価値ではない。それでもお金は投げたくなどない。下品だ。






 怒りはお金の落ちる音で消される。怒る前に拾いたい。だがゴミになりたいわけじゃない。でも一人が手を拱いている間に誰かが拾いだした。一人が拾えば幾つもの人々が拾い出す。




 ゴミになりたくないのに、金を前に乞食になる。






 無様だと泣きながら人々は金を拾った。拾えば飯を食える、宿に泊まれる。安全を買える。






 敵わない相手に暴力を見せようとした。だが相手は命をとるのではなく財力というものを見せてきた。心の変化を読み取った一瞬のやり取り。






 これでは一切殺されても仕方がない。




 そう思い込んだ瞬間。






「・・・泣くな!!」






 拍手をして、恫喝をした。




 人々は声の主を見つめた。金を拾いながら、泣きながら声の主を見た。そんなの知っている。声を荒げないイメージで恫喝をした相手。嗤っていた表情は無表情になって人々に怒る相手を。






「・・・貴方方は生きている!!・・・勇気を見せた!!・・・生きるためにお金を拾った!!・・・無様だと思うかもしれない!!・・・でも泣くな!!」






 無理やりだ。






 彼の理屈は無理やりだ。








「・・・泣いちゃだめなんだ!・・・泣くのは全てが終わった後で泣くんです。一人で誰にもみられずに泣くんです」








「・・・泣いたときに胸の中にあった感情が終わってしまう」




 悔し涙も。






 怒りも。






 感動も。






 泣いた瞬間に外にあふれてしまう。涙とは自分から感情を捨てるためのシステムだ。泣いた瞬間、その思いは二度と体へと戻ってこない。あふれだす思いはあれども、その時泣いた感情は決して戻らない。








 彼は自分の胸を軽くたたいた。ものすごく自分に対し泣きたい。でも泣けない。強い言葉を持って、暴力をもって、お金をもって、真実を語って。




 人々を傷つけている。






 その事実が彼の心を大きく泣かす。でも泣かないように歯を噛みしめた。






「・・・なげた僕がいうことじゃないですが・・・お金は拾う物じゃない・・・受け取るものなんです」








 人々は何も言えなかった。相手はゴミのように見下すくせに、その言葉に心を浸食される。かつて仕事の報酬としてお金を受け取っていた日々を思い返す。楽をしたばかりに苦労をさせられる現状。








「・・・今は拾ってもいいです・・・でもあなたたちはいい加減拾うのではなく・・・受け取る未来を・・・手に取るべきなんです」






 どうすればいい。






 人々は思いの丈を彼に視線として投げつけた。






 人々は何もしなかった。生きるだけで何もしなかった。だから何かをするといっても、何もわからない。行動をしたくても、何を行動すればいいのかわからなかった。




 彼に尋ねるしかないのだ。








「・・・リコンレスタの皆さん・・・・僕に手を貸しませんか?・・・きっとうまくはいきません・・・雑なことをたくさんします・・・下品なこともします・・・下劣かもしれません・・・でもお金は受け取れるかもしれません・・・食事は手に入るかもしれません・・・ただ何もせずには生きられない環境になります・・・これは僕からの提案です」










「・・・皆さん・・・小さな子悪党になりませんか?」












 引きずり落とせばいい。この町の住人よりも犯罪者組織よりも、敵対者を引きずり落とせばいい。強者を弱者に引きずり落とせばいい。よくあることだ。誰かの足を引っ張るために、自分の価値を下げる。自分の価値以上に誰かを蹴落とせばいい。出る杭を打つ。






 杭はリコンレスタの人々だ。




 打つのもリコンレスタの人々だ。






 だから彼は稚拙で杜撰な仕事をする。成功よりも失敗なんかよりもどうでもいい。






 小さな子悪党大作戦。






 これは子供が考えた酷い内容の作戦。でも上手くはいかずとも、行動すれば結果を得られる。失敗も成功だとしても結果を得られる。






 人々に与えよう。上から目線の考えで彼の心は痛むが、与えよう。






 人々に挑戦するということの意味を思い出させるために。

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