英雄と外道 少し前 1

 英雄が来る前、それは二日ほど前の事だ。




 その情報は誰にも伝わらず、狙われるべき脅威についての対策を誰もがとろうとしていなかった。ベルクに住む人々も怪物が討伐されるという情報すら流れていない。






 その中でつかんだのがいる。




 大商人。グラスフィールの商人連合のトップにして、彼の影響下に入り込んだ老。この情報を受け取ったのは、英雄が怪物を討伐するという準備をし始めたときだった。人間が動けば必ず跡が残る。それは英雄が怪物の痕跡をたどったように、大商人もまた英雄の痕跡をたどっていた。








グラスフィールの大商人の家は豪華である。ただ質を求めたものであり、成金みたいに金をばらまいたわけじゃない。その一室は、風情というものを理解している。木目の刻んだ石造りの四方。彼に与えた住居と同じ製法、中央のテーブル。そのテーブルは魔力を一切帯びていない、捩子曲がりの木と呼ばれる高級材木を使用したものだ。見た目に関しては通常で売られるテーブルと何ら変わりない。






 だが違う。






 このテーブルは一瞬で異常であるとわかる。この世界に蔓延る魔力が一切近づこうとせず、吸着していない。人間に魔物に植物に石ころにこびりついて離れない魔力。共生を強制する魔力らが強制できない相手。






 そのテーブルも彼に送り付けたものと同じ。






「どうしたものかの」






 その顔は醜悪だ。濁り切った眼は、欲望一筋に向かう悪意のそれ。怪物の傘下に入ったはいいが、怪物に全て従うわけじゃない。人間の失敗作たる彼と敵対しないための策でしかない。ニクスフィーリドと大商会の合併、ニクス大商会を実質上取り仕切る男は、事実上二つの選択肢が与えられている。






 彼と敵対する気はない。






 英雄が敵対行動のための準備を始めたことを伝えるか、伝えないかの二択だ。






 腕を組み、自室の長椅子に座る。背もたれに背を預け、愉快そうに笑みを浮かべていた。怪物の傘下になって手に入れたニクスフィーリドの構成員は言う事をよく聞く。だが大商人の言葉ではなく、怪物という脅威から言う事を聞いているにすぎない。武力に関しては大商人の方が上であるが、何故か怪物のほうだけを恐れている。






 穢れ役を行うに適した駒、ニクスフィーリド。






 彼に情報を渡さなければ、ニクスフィーリドの部分が剥がれて落ちる。






 彼に情報を渡せば、ニクス大商会の裏のトップを奪われ続ける。






 成り上がりたいわけじゃない。成り上がるほどの欲望はあるが、リスクがありすぎる。怪物という脅威に渋々やらされている感覚をアピールする。その中で怪物がいなくなっても、自分たちは無理やりやらされていたと主張できる。






 だが、残念なことに。






 ニクス大商会は大商人だけの力では抑えきれなくなっている。






 怪物への信奉者が僅かとはいえ生まれてきているのだ。大商人の武力側から数人。ニクスフィーリドの構成員たちから数十人。商人は怪物という脅威だけであるから、まとまっただけだからなんとでもできる。だが最近は怪物の影響力を強化して、自分たちの利益を上げようと画策する商人たちも出てきた。






 怪物も大商人も二人がそろわなければ、崩壊の道をたどるだろう。一人ではだめだ。二人じゃなければならない。大商人たる老と怪物たる若人。


















「飲まれたか・・・これだから失敗作は恐ろしい」






 魔力のもたないテーブル。それはこの一室を見渡す限り、本当に異質。部屋の家具たちは全て魔力を帯びており、存在を主張している。だが魔力の持たないテーブルだけは存在を主張しない。主張しないことこそが、大きな主張という存在。




 ニクスフィーリドの構成員、大商人側の武力、商人たちの欲望。どこまで抑えられるか。抑えようとすれば、どこまででもできるだろう。答えなど悩むまでもない。されど、上手くはいかない。怪物は主張しないテーブルと違い、主張してくる。しかもこの世界の魔力から拒絶されたというアピールをもって、大きな騒動を起こし続ける。








「魔力無しのくせに、よくもまあ儂を悩ませる」






 背中を預ける椅子は常に大商人を支えてきた。悩んだ場面、葛藤する場面、敵対者が別の敵対者と手を組んで妨害をしてきたり、色々な場面でも椅子に座って対処を考えてきた。






 思いつかない。






 一人、怪物を人とカウントできるだろうか。無表情の人形にして、最悪な化身。片目に映る悪意の群れ、あれはグラスフィールで見かけたときよりも酷く悍ましくなっている。






 あれの一部になりたくはない。悪意の群れの、一個の感情に成り果てる。そういう未来もある。敵対という道を進めば、勝てる戦いであろうと勝てないかもしれない。怪物は何もしていない。だが悪意をばらまくついでに、被害と魅力を振りまいてきたのだ。






 無表情の人形。されど強烈な被害をもたらす怪物。怪物が歩くたびに、奪われるものが大きすぎる。怪物本人の言葉は丁寧だが、人をみていない。己を見た中での、他人の無価値さを心の中で見定めた者の目だった。






 あれは人を見て、人を見ていない。飾り物とすら認識していない。だからこそ、その目に留まりたいという人間の感情を刺激する。強烈な悪意と被害の人形に、見てほしいという、認めてほしいという一部の感情を大きく跳ね上げさせる。




 置物にすらなれない価値から、飾り物程度の認識を怪物に持ってほしい。この勢力が徐々に増えてきている。たかがニクス大商会になって一か月もたたないうちだ。






 浸食が早すぎる。その怪物の魅力に囚われた者たちの心に悪意はない。日常から生まれる悪意すら、生まれた瞬間に吸い取られるように怪物に奪われた。だからストレスの原因となる負は一切ない。






 不安も恐怖も怪物の指揮下における負の感情が、一部の人間にない。それも全て怪物に媚びを売る一つの理由だ。怪物側に奪われそうになった人材は、他の者たちと比べ明るい。ただ悪意がなければ、人間はくるってこわれる。善意だけしか残らない人間なぞ、生きる意味を失って廃人になる。それを防いでいるのか、多少の悪意だけは信奉者たちの心に残している。






 大商人は頭を抱えている。






「・・・情報を掴んだのは、信奉者だったな」






 この英雄が怪物を狙ったという情報を掴んだ。その掴んだ奴はニクス大商会の中でも特に影響力の大きな奴だ。今は怪物の近くで仕事をしたいという本人の意思で、ベルクに送っている。




 奴は多忙だ。日々のスケジュールや、利益の清算、敵対者の判別。色々やらせてきた。精神をすり減らし、時折長時間労働になることすらあった。時折といっても単に数か月ぐらいだ、数か月自宅に戻していないだけだ。大商人も若いころはよくやっていた。むしろこれでも少なくしているぐらいだ。ただ、敵対者の判別については、今の方がきついと思われる。




 下の働きを否定する気はない。自分の働きも否定したくないから、下の働きを認めるだけだ。自分がやったよりも難しい案件は数多い。




 有能な奴は、有能な分だけ仕事が振られる。潰れてはならない人材であるが、常に動いてもらわなければいけない人材。その奴は、怪物の影響下に入った瞬間心が楽になったといっていた。




 怪物のおかげで、日々の恐怖がなくなった。怪物がいるおかげで無残に殺される心配はない。自宅に帰れない、自身の生まれた意味を考える休憩時間は終わりを告げた。




 薬に頼らずとも、怪物がストレスの元をけしてくれるのだ。




 大商人は少しばかり後悔している。こういう人間の奪われ方がある。怪物がいてもいなくても長時間労働は変わらない。されど長時間労働をしても尚、怪物がいるおかげで楽という連絡。




 巨大な不安は、怪物に吸われる。怪物という脅威と共に、怪物という利益をもたらす害虫。怪物は自身の配下の負を多少残して、多大に奪う。それは個人において負える精神圧迫を極力減らしくれるという、精神安定剤でもある。






 奴は大商人を裏切らない。だが怪物を裏切れなくなった。大商人は生活を、怪物は精神を、安定させてくれている。その奴が自身の利益と大商人の利益を合わせた上での報告。






 英雄。






 英雄を邪魔したほうがいいという上申。




「・・・ふざけるなよ、怪物め。奴を奪われると多少厄介だ」




 大商人の悪意交じりの言葉であるが、怪物は近くにいない。生まれた悪意は魔力に奪われ、食われていく。人間の視界に入ることなく、即座に消える。






 その報告には次の点も書かれていた。






 大商人のことだから、手を出すか、出さないかで迷うだろう、といった連絡。






 手を出したほうがいい。もう、どっちにしろ手遅れだ。貴方ならわかるだろうという連絡があって、そこに終わる。実際の連絡は丁寧である、簡潔に大商人が頭でまとめただけだ。










「わかっておる、わかっておるよ」




 辟易としたように、ため息をこぼした。利益を考えれば、怪物側に立つ。されど利益だけでなくても怪物に付いた方がいい利点もある。商売についても、人間社会での関係でも、怪物は大いに役立つ。








「英雄の到着を遅らせてやるとも。怪物への情報連絡もしていいと手紙を出してやるとも」






 大商人の脳裏には怪物の手のひらで転がされるイメージしかなかった。見下されることもなく、見上げることもされず、ただの置物未満の相手として転がされる。そういうイメージしかわいてこなかった。
















 大商人の思いとは裏腹に彼は別の事に悩んでいた。大商人に与えられた一室の中で、床においた水桶をずっと見つめていた。ただしくは水面に映る己の姿だ。




 伸びきった髪は厄介だ。目元を隠すほどの垂れ下がった黒髪は、手でどかしても元の位置へとすぐに戻ってくる。弾いても掬いあげても、元の位置で目元を隠す。




 見づらい。彼はそうして水桶の水面に映る自身の姿を見つめた。ある程度の身だしなみは異世界であっても整える。文化人である以上、顔洗いも歯磨きも日課のごとくこなすのだ。その中でどうしようもないものもあった。




 髪だ。髪型なぞ彼は興味ない。それこそ坊主頭でもよいのだ。だがこの異世界にて坊主というものを見たことがあまりない。下の階級である貧民も中流階級である平民も上流階級の貴族も皆、髪型は整えている。時に髪がない人もいるが、ないなりに短く切り目立たないようにしている。それこそ、坊主などといったものですらない。








「・・・切らないと」






 指先でつまんでは離す。ぱらぱらと指から離れては額に当たる髪。独白的に零れた言葉は、水面に向かった自身へのもの。




 この世界に来て慣れた行為だといえる。自室の水桶という文化人ギリギリのあれであるが、それでも彼はこの世界の人々が行う日々を否定しない。恵まれた文化から、出遅れた文化の違い。家電一つで生活を補う恵まれた文化と、人の手を介さなければ何もできない文化。その違いの差を彼は馬鹿にしたりしない。






 世界には世界の常識がある。国には国の常識がある。秩序があり、ルールがある。それを彼は彼なりに守るのだ。守らなければ無法。守れば常識人。








「静、髪を切って」


「ぐ!!」






 彼は自分で髪を切らない。指でつまみながら、水面から目を離さずに言う。命令口調かもしれないが、彼なりの親しみの声だ。それに彼の髪を切るという支持を静は朗らかに喜びの声を上げている。




 彼からすれば髪型などといった細かい作業は静が一番適していると判断している。オークは色々物事を見れるが、細かい作業には大柄な肉体が災いして向いてない。牛さんはそもそも刃物が持てない。ゴブリンやコボルトに無防備をさらすには少し怖い。




 雲は論外。








 雲に刃物を持たせて無防備をさらすなど論外。彼は確信している、殺されたりはしないが、信用しているという情報を与えるつもりもない。彼は雲は嫌いじゃない。意外と好きだったりする。だが好きだからといって、信用するかどうかは別の話だ。






 静なら寝首を欠かれることはない。怪我をさせられるほど不器用じゃない。






 前かがみで水面を覗いていた体性をやめ、正座へと足を組み直す。そして姿勢をまっすぐにし、軽く指で後ろ髪を掬いあげる。あまり後ろ髪は伸びていないが、一応伸びているというアピールだった。




 そして、静が櫛と小さな片刃を用いて、彼の後ろへと回った。この世界に櫛はあった。この世界の人間は独学で櫛を作り出した。どの世界も恵まれた文化も恵まれていない文化も変わらず、櫛はある。その静が使用する櫛は値段最低のものだ。長持ちもするかもしれないし、しないかもしれない。そういった金属製の櫛だった。






 櫛で紙を少し掬う。少し掬って軽く揺らし、髪の数を減らす。まばらになったところで片刃の小さいもので軽く撫でる。撫でるように小さく振られた片刃が掬われた髪を抵抗もなく切り落としていく。櫛の上を通る髪が一部、切られては繊細な揺らしで頭皮へと戻る。髪を一度で切るのでなく、まばらに、長さを調整しながら切っていく。






 静は真剣に。




 彼も真剣に。




 静はとにかく流れる作業で手早く髪を切り落とす。彼はとにかく動かないようにと息すら極力抑えて作業を進行させる。






 主人たる彼を配下たる静が切っていく。魔物に髪を切らせるなど聞いたこともないが、彼は気にしない。彼は文化人だと自負している。されどこの世界の誰が、魔物に髪を切らせるというのか。




 平和、平等。そういった類を彼は意識しているわけじゃない。ただ単に静のほうが信用できるし、何より人間に切らせると緊張する。金もかかる。髪を切る人間に対し、恥ずかしさすら覚える。




 自分みたいな人間が来て、申し訳ないという感情が先に来る。彼は自身を底辺だとは思っていないが、実際は底辺だろうと自覚している。自覚したうえで、自覚していないようにするために魔物に切らせている。






 面倒なのだ、底辺は。






 一々言い訳がましいことを自分に言い聞かせなければならない。






 現実逃避癖は未だに治らない。ただ、一応は改善をしていると思われた。






 彼が髪を切られている最中、他の魔物たちも彼の元へと集まり出している。彼が髪を切る中で周囲にゴブリン、コボルトといった魔物たちが並んで座り出していた。もともとやることもなく、暇をどう潰すか考えていた。その中で珍しく彼が魔物に何かをさせている。その姿は日常といえば、日常だ。だが、彼という主人の髪を触れている魔物の姿は別だ。ゴブリンもコボルトも固唾をのんで見守っている。






 トゥグストラ、オーク、リザードマンという3幹部を手中に収め、アラクネという危険生物を魅了する彼の無防備な姿。その3幹部の一匹、リザードマンというプライド高い魔物が心からの忠義を示している。






 低俗な魔物ほど思う。




 彼の後ろ姿、リザードマンの立ち位置。




 暗殺という危険な思考。いきなり隣人を殴ったらどうなるかという暴走思考が人間にはあるように、魔物にもある。ただ人間は理性でそれを押さえつけ、魔物は本能で抑えつける。頭の中で考えることと、体が反応することは別だ。




 だが思ってしまう。




 無防備だと。




 ゴブリンたちなんかはそう思ってやまない。コボルト達に関しては特にいうことはない。彼の近くで臭いをかぐぐらいしか興味が無い。




 だがゴブリンたちの危険思考をかぎ取ったのか、可愛らしい鳴き声が小さく響く。それはゴブリンたちやコボルトとといった低俗な魔物にしかわからないように。声自体は彼も聞こえるが、意味はわからない。






 それは格下を嘲る鳴き声だ。生命としての格上な強者がもたらす、威圧でもある。ゴブリンたちやコボルトたちが見守る背に近づくもの。複数の足をもち、人間の上半身を持つ魔物、雲のものだ。






「くきゅ」






 ゴブリンたちの背後でただ鳴き声をもらした。その声は彼や3幹部の魔物たちが聞けば、ただの鳴き声にしか聞こえない。されどこれは警告の声でもある。ゴブリンに対しての警告だ。






 アラクネは最悪だ。






「くきゅきゅ」




 ゴブリンたちの背に氷が張り付いたようだった。威圧によるものと、格上の存在による恐怖。アラクネという種族の残虐性。そのすべては、雲が子供であろうと例外なく畏怖するものだった。






 これに手を出したら、容赦はしない。




 言外のものだ。ただの鳴き声に意味はない。だが、ゴブリンたちが多少危険なことを思っただけで、釘をさすあたり勘は良いといえる。






 ゴブリン一匹、一匹の背に指を滑らせ、背中から心臓の位置まで指を滑らせる。そして心臓の位置になると軽く指でつつく。離してはつつく。もはやゴブリンたちからしてみれば、冗談ではないだろう。






 低級魔物とはいえ、魔物は魔物。生物の弱点の一つ心臓ぐらいゴブリンですらわかる。心臓の位置で指をつつかれた行為の意味もわかる。だが、本気で彼に手を出す気はない。ただ無防備だから少しばかり変な考えをもっただけのことだ。実際、彼とゴブリンたちだけになっても手を出す気はない。






 それが通じないのが雲なのだ。






 全部のゴブリンにそれを行った後、乗り出すような体制でゴブリンたちと密着した。雲のおなかと、両手。それぞれ別の部位といえどゴブリンに触れた瞬間。






 殺意を軽く飛ばした。






 警告と釘さし。




 及び報復。




「くきゅ~~」






 少しばかり、楽しくなったのか。雲は誰にも見えぬように口端を小さくゆがめた。酷く凄惨なものを思いついたかのような表情だ。次は何しよう、何して脅そうとかいう最低な考えを持ち出した瞬間。






 雲の頭部を掴む大きな手が、思考を邪魔した。毛むくじゃらの大きな手が雲の頭部を掴み、軽く持ち上げたのだ。






「ぶい!」




 3幹部の一匹にして、オークの華。彼の持つ魔物の中で最もゴブリンやコボルトたちに優しい親分だった。雲もちびっこ軍団というゴブリンたちやコボルトが認めたリーダーである。だが、それ以上に自分たちを守ってくれる親分には尊敬を持っている。雲に対しては畏怖を、華に対しては敬意を。彼に対しては全てを。






 華は雲やゴブリンたちにわかるように会話という鳴き声を鳴らす。豚鼻であるし、筋肉が浮き出ているせいで可愛くはない。されど、優しさはある。その優しさからくる、ゴブリンたちへの哀れみ。雲がゴブリンたちの背中に何かをして、ゴブリンたちが怯えていた。




 その姿だけで華は雲のことを掴みあげたのだ。






「ぶい!」




 虐めてはだめだという鳴き声。怒っていますという、鼻息を荒くさせるアピールすらする。実際はそこまで怒っているわけじゃない。ただ表向きに態度に見せるようにしているだけだ。






「くきゅ~~」






 むろん、雲は否定せず、判ったよーといった鳴き声だけで返す。言い訳も雲はしない。別に言い訳すれば、ゴブリンたちが何を思ったかを伝えれば一瞬で状況は変わる。魔物も人間も理性や本能で隠しているが、実際は何も考えていない。




 行動を抑えているだけだ。




 もしかしたらというチャンスをみせたら、何かしらアクションを起こす。






 彼の前で伝える気はない。彼の信用を得ている3幹部の前で語る真実などない。彼から信用を得る気など一切ないし、3幹部からも信用を得たいと思わない。自身が格下だと思われているうちはチャンスであるとすら思っている。








 だからこそ、雲は華に歯向かわない。したがっている、自分は子供というものを前面に押し出していく。そういうスタイルを維持するのだ。






「くきゅきゅ」




 掴みあげられた中で、雲はゴブリンたちに謝罪する。ごめんねという軽い謝罪。されどAランクの魔物、殺意を視線にこめ、ゴブリンたちに飛ばすことだけは忘れない。震え上がっていたゴブリンたちは更に大きく身を震わせた。






「ぶい!!」






 彼の前、ゴブリンやコボルトといった弟分の手前。華は怒るしかない。掴みあげる手の圧力を高め、指先から雲の頭部にかける力をこめた。指先が万力のような重み、ぎしぎしという音。人間からすれば拷問だが、魔物からすれば少し痛いだけというものだ。




「くきゅきゅきゅ」




 ごめんなさい。






 そう深く謝罪したフリで誤魔化し、大慌てする子供を演じていく。今はばれていない。華と雲の小さな争い。静はわき目もふらず集中しているため、状況を理解していない。彼の髪の事しか考えていない。だがそれでも一人だけは見ていた。




 華と雲の小さな争い。




 コボルトでもゴブリンでもない。一人だけ、魔物たちが主人と認める、一人だけの彼。彼が見つめて、華と雲を交互に見渡し、最後に雲だけを見続けていた。








 雲は謝罪しながら、ゴブリンたちを見ながらも、本当の視線は彼の床に落ちた髪に視線が向いていた。その視線の先を彼が見つめ、自身の髪を見ていたと認識した。








 しょせん髪。






 されど彼の視線は小さく雲を見つめていた。何か嫌なことが起きる不安。それを途端に感じ取ったからによるものだ。






 気配の少ない彼の視線なぞ、雲が気付くわけもない。気配を隠すこと、精神防御力に関しては誰よりも格上の底辺。その底辺が視線程度に気配という異物を入り込ませるわけがないのだ。

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