彼と雲 13 終
彼は大商人との上から挨拶のあと、自室で落ち着いていた。この宿の自室は彼に与えられた格安の物件。彼だけしかおらず、今後は彼関係のものしか泊まれない。丁度よく魔物の数、全員分のベッド。その一つに腰を掛けていた。彼以外起きているものはおらず、全員が寝ている。
彼は己が置かれた状況を全くといって理解していない。
表のボスたる商人から裏のボスたる彼へのプレゼント。無料ではないのは繋がりを隠すため。だが完璧に隠すためではない。あくまで隠したという建前のものだ。王国に潜むものや、上級階級にいるものたちには一瞬で気付かれる。大商人が自分から公表した中での行動だ。
何も知らないものでもわかりやすく。
大商人は彼に対し、完璧に降伏したわけじゃないという意思の示し方だった。その意思を外に見せつけるための行為なのだ。だが実際は大商人は彼へと降伏している。しかし、そういう隠しをすることにより、一つの敵対行動を誘導できることでもある。
彼と大商人は敵を作るタイプの人間だ。
大商人を倒すのか、彼を倒すのか。
皆は思うだろう。自分が倒すのではなく、仲たがいさせる方向へ誘導したほうがいいと。
悪意ある第三者は、画策するはずだ。知能があると優秀であると思いあがるものほど、裏をかこうとする。人の行動を悪い方向へともっていこうとする。従順関係をいじくるための、悪意ある作戦を。
そういうことに思考をもっていかせるための大商人の策略でもある。
そして、大商人は彼も同じことを考えていると信じている。
なぜなら、彼は料金を払うのをためらっていない。降伏したことを知りながら、無料というものを求めない。必要なものは払い、何もなければ放置。
邪魔になれば排除するという怪物特有のそれを隠していないからだ。
彼は怪物。
怪物たる彼の思考を勝手に予想し、勝手に大商人が場面を描く。宿の外で彼を待ったのも、いちいち報告したのも。
第三者は思うはずだ。いちいち表立って報告など必要はないと。その大げさな報告を見て思うはずなのだ。誰かに見させるための行為。怪物へと反逆するための弱みをさらけ出していると。
むろん、反逆などするわけがない。彼という存在、部屋の窓側で見下ろしていた怪物の目をみれば嫌でもわかる。あの目は人の悪意をため込んだものだ。何十という数ではない。何百という数以上ため込んだものだ。町一つ。ニクスフィーリド一つ。冒険者ギルド一つ。手玉にとって、崩壊させかけた男の一つの手。
その被害が悪意という感情となりて、彼の目に宿っている。
その目は牢獄のように見えた。実際は悪意という感情が身を守るための箱庭が彼である。だがそんな事実は知らない大商人からすれば、人の魂を食らう死神そのものにしか見えないのだ。
捉えて永遠の地獄を見せる牢獄。
敵対者の成れの果て。
その事実を見て、結果を見て。
怪物へ歯向かうものはニクス大商会には存在しえない。
そのような事実を彼は知らないのだ。大商人がそういう企みと第三者が悪意を持っている事実すら知らない。あくまで何もない無害な一般人と彼は自負しているのだ。
気付けば彼の耳に届く音があった。
音を拾えば、彼の視線はそこへと向かう。鼻歌なのか、口から出した歌なのか。小粋なリズムに合わせて、体を小刻みに揺らす雲がいる。ベットに腰かけて、揺れる雲の体はメトロノームの針が左右に振れる針そのもの。その独特の音程は、しいていうなれば陽気なものだとはいえる。聞いたことがないために判断はつかないが、民族的な歌に違いない。音量は低く、誰かの睡眠を妨害するものでもない。逆に聞いていれば、眠たくなってくる感覚すらあった。
むろん、これは雲の意志誘導の一つである。呪いを介さない微弱な誘導。無防備をさらした存在にしか効かない感情操作だった。
安眠を促す歌でもある。精神安定であり悪夢を掻き消す歌。その歌が流れたときから、魔物たちの寝顔に変化があった。平穏な寝息を立てていたものが、安らかな笑みすら浮かべだしていた。
その歌は雲から流れ、どこの器官で発するのかわからず、彼の耳元へと届く。雲は起きていて、誰かを起こすわけでもなく小さなリズムを刻みたてる。
雲は両目を閉じていた。
「・・・」
それは彼が見ても見た目相応のものではない。歪なものだ。子供の魔物でありながら、どこか神秘さを感じる。子供が起こす空気ではない。大人が呼び起こすものでもない。芸術家が芸術を生み出すかのごとき、感動がそこにはあった。
陽気な音と揺れる雲の体。ベットのきしみ音。全ては調和され、雲という芸術家がこの場を支配する。
「・・・」
彼は口を開けなかった。なぜなら彼も歌に合わせて目を閉じてしまっていた。暗闇があるからこそ、そこに入ってくる情報に集中できる。歌が耳から伝わり、落ち着く心を更に研ぎ澄ます。
気付けば彼も雲に合わせていた。
「・・・・」
彼は歌っている。
人の耳には届かない音域。小声というより、息が音色を作り上げていた。彼は人前で歌わない。そもそも歌わない。その彼が正しく文化的な音を立てる。雲が陽気さを歌えば、彼はそれに続く雑音をつづけた。
彼の慣れない息の歌。その歌すらも雲がサポートするかのように音を合わせてくる。最初は雲がペースを握り、今では彼が歌をペースを握る。彼が音程を変えれば、雲も音程を合わせていく。不協和音であるはずが、調和された世界を部屋に築き上げていた。
やがて歌が終わる。
視界を閉ざしていた彼は、ここでようやく目を開いた。
ベットで腰かけたままの雲がにっこりと彼の目覚めを出迎えたのが見えた。
「くきゅ♪」
歌とは難しいものではない。歌とは心が導く有様を現実に示す行為のものだ。美しきものも、繊細なものも、恐ろしいものも、全ては歌で片付く。逆に歌という万能性はどこにあっても、どこの世界であっても変わらない。
いつだって歌は人の心を動かすものだ。思考誘導が通じない鉄壁の彼であっても、単純作業の前では無力なのだ。
歌は単調で、複雑で、繊細で、楽しいものだ。
雲が小さく拍手する。魔物たちを起こさず、されど彼を祝福するかのような笑みをもって拍手する。ぱちぱちぱち。音は響かず、幻想の音だけとして彼の耳元に届いて掻き消える。
「・・・」
彼は雲に歩み寄る。そのさなかでも拍手はやまずに、雲の視線は彼だけをとらえ続けた。視線は瞬きと共に途切れた。彼の手が伸び、雲の頭部を捉えた。手のひらが雲の頭部を優しく触れていた。
そして撫でていた。
「くきゅ、くきゅきゅ」
驚愕ではない、想定したものを雲は得て喜びを見せているだけだ。こうすれば彼は、自分を撫でる。そういった企みがあり、成功しただけだ。されどその先は想像できてなかった。
「・・・雲はすごいね」
その言葉だけは想像できず。
喜ぶ表情も放棄し、まじまじと彼を見つめていた。撫でられる中、その祝福の甘さを感じることなく、雲は真顔で見上げていたのだ。
彼は視線を合わさない。
彼は言葉で評価しない。口を開いて評価しない。ただ適当に撫でて、それで終わる。どの魔物に対しても口を開いて語ろうとはしない。人前で話すのは苦手だが、魔物の前で話すのは苦手ではない。
だが彼は魔物の前であろうとも、言葉で評価しない。
その彼が言葉にして褒めていた。
「・・・雲はすごい」
彼は何故言葉にしたか。彼は言葉にして物事を形作るのが、好きではない。本当の信頼関係とは言葉ではなく、態度で示すものだと憧れているからだ。一々形作らずとも、流れのように信用が生まれるものだと信じたいからだ。
そう、彼は理解している。
「・・・凄いけれど」
撫でる手が止まる。祝福は終わったが、雲のまじまじと見つめる視線は止まらない。
「・・・もう少し子供らしくてもいい」
そういって彼は雲に目を向けた。視線同士がぶつかり、まじまじとした雲の表情。その表情を見て尚、彼はつづけた。
場の空気の読み方。歌にしても何にしても、表情の作り方から、媚びの売り方まで全てを網羅しているかの如く。ほしいときに欲しいものを予測し、行動する姿。
子供ではありえない。
「・・・君は子供だけど、子供じゃない」
大人のありさまだ。
だから彼は言葉にして、表す。子供のときから培った信頼関係は、態度で示すことに憧れる。だが、初めから子供の姿をした大人に対し、示すのは態度ではない。
一線を引いた言葉が一番ふさわしい。
「く、きゅ・・」
目を見開き、唖然としたもので口を開く雲。その子供にしてあり得ぬものを見つめ、冷徹な視線をつづけた。彼は雲を攻めているわけじゃない。怒っているわけじゃない。
雲に対し、彼本来の毒を吐こうとしているだけだ。ほかのものには聞かせられない。華や静にも牛さんにも小鬼や子犬にも聞かせない。
「君は手間がかからなすぎる。僕も君もお互い信用してないからこそ、行う配慮なんだろうけど」
彼は雲を信用していない。歌に乗せられたとしても、相手が雲だからこそ乗っただけだ。無防備をさらして殺される関係ではない。だが単純に信用できない。
そして雲もまた彼を信頼はしていない。執着をしても尚、信頼はできないでいる。
言葉にして、態度にして、お互いがお互いを否定する。その言葉を彼は口にし、雲もまた口にした。
「くきゅ」
信頼など雲と彼の間にはない。だが彼はもはや雲なしではいられまい。彼を取り巻く状況もそうであるが、雲なしにおいて潤滑なものなどありはしない。リザードマンの静よりも器用であり、華よりも周りが見えている。彼に妄信する牛さんよりも状況を見渡す、このアラクネたる雲より優れた魔物が彼の魔物にはいないのだ。日常においても歌の場面においても、存在感は示されている。
彼の心を色々な意味で動かすのは、雲だけだ。日課に成った魔物との生活の中ですら、雲にだけは常に新鮮さを見せつけられる。飽き飽きとしたものですら、雲といれば退屈はしない。
雲もまた彼なしではいられない。
お互いがお互いを刺激しあっている。良い意味、悪い意味であっても、彼の生命を守るのが雲ならば、雲の日常を守るのが彼なのだ。
「雲、君はすごい」
雲は睨み付けるかのごとく、眉をひそめた。その視線をそらさず、雲の右手の人差し指が彼を差した。
「くきゅ!」
彼の言葉に反応したのではない。彼の言葉を無視し、雲は言ったのだ。お前は僕のものだという意思表示の鳴き声を示したのだ。態度と鳴き声で同時に示したのだ。
「・・・君になら僕は素直になれる気がする」
「・・・くきゅうぅ」
雲は肩をすくめ、しかめっ面を見せつける。嬉しくないといった反応を特典に彼の冷徹な視線に立ち向かう。
彼は魔物相手に素直なつもりだった。しかし雲だけを相手にすると自然と、毒が出てくる。これは彼本来ため込んでいた感情の毒だ。日常においても他の魔物にすら見せない毒。雲には通じない。他の魔物に当てれば傷ついてしまうほどのものだが、雲は気にしたりしない。
雲もまた彼に対し、他の魔物や人間に見せない執着ぶりを見せつける。毒を当てられようが、執着をもって叩き返す。それが一人と一匹の関係だった。
この世にはいろいろな動きがある。彼と雲が毒と執着を見せている中でも動きがあるのだ
王国は捨てたものではない。王族が力を持ち、貴族の派閥は力が非常に弱い。王が一声かければ、貴族はこびへつらいながら付き従うことしかできやしない。権力の統一がなされた国家であり、周辺国家においてもその存在感は無視できやしない。
王国の商人も捨てたものではない。金さえあれば、自分の商売さえ守られるならば非常にしたたかだ。民衆もまた同じ。冒険者ですら同じ。傭兵も何もかもが、自分という価値を守れるならば状況を気にしたりしない。
人間はなれるものだ。環境においても、新しいものが生まれ出ようとも。自分さえ無事であるならば、木にはするが何もしたりしないのだ
されど慣れない人間というのはどうしてもいる。
そこは活気のある酒場だ。色々な客が意気揚々と酒を頼み、飲みあう。食い物があれば、食い物で踊る。美人な従業員がいれば、お調子者が声をかける。無礼講であっても、無法ではない。皆、一線を越えないぐらいで、自分の楽しみを謳歌している。。
一つのテーブルに一人だけ座る男を覗いての話だ。その男は42という年齢でありながら、老いに負けず信念を燃やす男だ。両目の間に一筋の古い傷跡。魔獣の爪を受け、裂かれた傷跡が生々しく残っている。若いころは映える金髪が、今では苦労による白髪交じりだ。埃交じりと称されるが、金髪が白く錆びただけと歳を誤魔化す苦労をしている。
人体の急所における部分、胸部から肩口にかけ赤の薄いプレートのような防具をつけている。一体型らしく、一枚の金属を人型に合わせただけかのような簡素なつくりの金属防具ともいえる。足もとの装備も貧相だ。赤で染色した、作業服のようなズボン。そのつま先から足にかけ、人の血管のようなペイントが黄色く塗られていることぐらいしか、工夫している点はないといえる。
この男の装備はどことなく貧相である。名高い装備ではない。
だが男の隣にかけられた一本の槍。それだけは違う。見れば見るほど生命の危機を感じるほどの禍々しさを解き放つ、黒槍だ。パイプを斜めにきったときに生じる、鋭い切っ先。そのような形を先端で表されているが、切っ先から持ち手の部分まで血管がらせん状に張り付けられたようなデザインだった。持たずとも、ときおり脈を打つ螺旋の血管。あくまでモチーフであるくせに、槍は鼓動を繰り返している。切っ先から放たれた鼓動が持ち手までに流れる。それを何度も繰り返す、黒槍。
魔槍、ジャッジメント。
その槍は持ち主の能力を引き上げる。選ばれた主人に対し、生命を要求する。敵であっても味方であっても構わない、生命を与えなければならない。
この槍は魔に対する絶対の耐性を持っている。この槍は人に対する絶対の耐性を持っている。この槍は生命に対する敵対者である。
その槍を装備した男こそ、王国出身であり、戦闘力だけにおいて王国最強の冒険者。ベルナット。ランクにしてSという評価を受けた男だった。
「怪物を討伐する」
理由は今のところ表されない。唐突にして、突然の目的。この男は横暴で野蛮である。信念もあるが、それに巻き込まれると厄介だ。だが、この男は王国最強にして。
王国最大の善人だった。
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