彼と雲 12 (平和な回その2)

 色々な出来事があれば思い返すこともある。ニクスフィーリドしかり冒険者しかり。宿が燃え住居がなくなったこともしかり。




 彼は何かがあれば空を見上げる。見上げるものがなければ、思考を張り巡らせる。過去を思い返し、他人事のように記憶を見上げるのだ。










 子供から大人になったときに忘れるものがある。毎日が非日常のような新鮮な感覚。世界の全てが自分中心に回っていると信じた幼さ。自分は優れ、誰にも負けない何かが備わっていると思い込んだ記憶。大人は駄目で、自分はそうならないと信じた反骨心。




 正しさと悪さの狭間で揺れ動く無邪気だったあのころ。








 誰もが感じて、誰もが刻んだ。




 子供のころの出来事は、大人になれば果てへと消える。忘れちゃいけない未来の渇望は、消してしまいたい過去へと消える。悪いことも恥ずかしかったことも、渇望も夢も全て。






 自分から消そうとしてしまう。








 だが、彼には何もない。刻んだものも刻みたかったものも何もないのだ。孤独で生きてきた人間がそのような当たり前を知ることはない。世界に対し刻んだものなぞ何もない。刻まれたことは、唯一無二の存在は己であると幼いうちに学んだことだけだ。










 宿題をやったかすらも忘れた。勉強というものをやったかすらも忘れた。誰かと遊んだことだけはないとは覚えている。消そうとしても消せない過去として未だに残り続けているからだ。一緒に協力プレイを楽しんだ過去すらもない。






 何も印象がないから消えてしまうだけのことだった。あの頃はよかったという記憶すらもない。






 彼にとって空っぽの人生であったといえる。現代でそういう生活をした人間が別の世界に来たからといって変わりっこしない。世界が変わった程度で変われるほど、素直な生き方をしてこなかった。






 彼は現代で趣味があった。他人に馬鹿にされないための趣味。旅というものだ。未知なる世界を知るために自国の開発された場所を旅する。誰かにとって発見された場所でも、彼にとって未知の世界。




 自国の文化を学んだ。ノートにとったものとかではなく、曖昧な見て感じ取っただけの勉学だ。面倒くさがりやな人間が、わざわざ記帳するわけもない。写真も撮らない。頭に記憶するだけ、そして時間が掻き消すだけの単純な記憶。






 そういう体で旅をしていた。学生のときの記憶か、無職のときの記憶か。その辺の確かなところは覚えていない。覚える価値が無いからだ。




 彼は天邪鬼だ。誰かに馬鹿にされるのを嫌う。馬鹿にするのも嫌う。だが馬鹿にされてもかまわないし、馬鹿にしてもかまわない。どうせ消える。記憶の中で忘れたいと思い込んで、本当に消してしまう。








 彼は家族に第三者にそう言って自国を旅するといった設定で馬鹿にされない選択肢をとった。でも、実際は馬鹿にされても構わない。恥ずかしいのもあるが、恥ずかしいと思ったことすら消えることだ。その時その時必死に生きれば勝手に消えていく。思い出が上書きされ、脳内のキャパシティーを勝手に消してくれるはずだと信じた。






 彼は旅をした。




 だが本当に旅をしたかったわけじゃない。






 本当のことを言おう。






 彼は死体を見に行っていた。人間の死体を見に行っていた。






 自殺の名所たる山を見に行った。木が連なって、海のように広がる森林にまで見に行った。海に行った。誰かの死体が流れているかもしれないと思ったからだ。川に行った。誰かが自殺して、流れているかもしれないからと思ったからだ。そして行った先々で死体たちを見た。全てに合掌し、遺言書ぐらいは誰かの目に届く場所においた。彼は自分から届けないが、せめてといった償いで人目の付く場所に置いた。死体の場所を書き加えた別紙を添付し、入ってきた位置で濡れない箇所に置いてきた。






 彼は自分の価値を知るために、価値を自分から捨てた死体を見に行った。






 その時だけ自信をもって言える。その時の光景だけは一つも消えていない。






 とても悲しいものだと泣きそうになった。






 彼は人間の死体を見慣れている。彼が本当に怖いのは死んでいるようで生きているものだ。一つ一つの場面で彼は本気で恥ずかしがるし、怒りもする。感情があるままに、泣きもする。






 だが遠い目で過去を思えば、消えていく。






 彼は活躍しない。行動を自分から行わない。勉学を励まない。努力をしたくてもしようとしない。仕事も生きるため。死にたくはないからするしかない。努力や勉学のためじゃなく、生きたいから仕事だけは探す。お金を得なくてはならない。






 そんな彼は異世界に来た。現代から別の異世界にだ。剣と魔法のファンタジー世界に彼は足を踏み入れた。魔物もいた。魔法もあった。剣もあった。中世のような文明が循環し始めた世界に彼は足を踏み入れてしまった。






 彼は人間と歩みを共にしていない。しないと決意したわけじゃなく、何もしないから歩みを得られないだけだ。そんな彼は異世界で人間ではなく、魔物を共にした。仲間にしたといってもいい。魔物にして破格のクラス、Aランク。彼は魔物のランクを知らないが、見た目で強いと勝手に判断した。




 次に魔物の子供二匹をかった。豚のような人型の魔物。トカゲの人型の魔物。その二種類の魔物の子供を買った。金で命が変える現実を知識だけでなく、経験として積んだ。




 死にかけの魔物を手に入れた。彼が本気で怯えた経験は未だに残っている。死体であれば、とても怖くない。きっと合唱するぐらいには驚かない。でも生きているからこそ、怖いといえる。




 危険な魔物を手に入れた。それは子供だが、人を見るような目をしていない魔物だった。無邪気そうな笑みで世界を騙せると信じ込んだ哀れな子供だ。だが彼は見抜いた。危険である。どうしようもない信用ならない獣だと一目で見抜いた。








 これは彼の自白。懺悔みたいなものだ。悪いことなど何もしていないが、ただ記憶の整理として懺悔という形にしたほうが思い返せるためだった。






 彼は世界を憎まない。恨まない。そういった世界で生まれ、そういった生き様を与えられたとしても恨んではいない。憎んではいない。彼はそこまで余裕がない。












 彼は人を見慣れている。人の生死も見慣れている。生きている人間も死んでいる人間も皆、尊敬に値すると信じ込むぐらいには見慣れている。気配も視線も微弱な反応全てを感じ取れるぐらい感覚は成長している。








 彼の住居は別の宿に変わっている。燃え尽きた安宿では寝る場所もままならないと、次の宿を探したのだ。彼が泊まろうとすれば、どの宿も満員だと断ってきた。




 だが一つだけ認めた宿があった。料金も格安である。だが見た目は正直値段に見合わない。悪い意味ではない、あまりにも内装のレベルが高かったのだ。




 外観は他の宿屋と変わらない。




 だが違う。木目を付けた石造りなのだ。石造りの建物でありながら、見える範囲全てに着色を施し、木目のような模様を付けている。触らなければわからないが、触れば冷たい感覚で石だとわかる。それが見た感じ木造にしか見えない。




 通路から、自室の中まで全て。




 高級宿のようなものであるが、客層はあいにく彼一人しか見当たらない。受付もいるが、客という存在は彼一人。上の階層にあがっても、客層は彼一人しか見当たらない。




 落着きと温かみを覚えさせる住居。




 その値段は彼が住んでいた安宿と何一つ変わらない。それが彼を唯一迎え入れた宿だった。






 このような宿。値段が格安。受付の彼を敬うかのような対応。あれは敬意というよりかは信仰に近い。






 その自室で一晩をすごし。ふと窓から外を見下ろせばあり得ないものが見えてしまっていた。






 彼は気配にも微弱な視線すらも敏感だ。






 だからこそ、眼下に広がる光景を信じてはいない。ニクス大商会の表の代表、大商人。強情の商人であり大商人でもある。その老人が睨み付けるように彼を見上げていることも嘘のようだと思いたい。その背後に100にも勝る人員が待機していることも幻想だと信じたい。












 窓を閉めているため、よく音は聞こえない。








 だが一つ言える。






 大商人は口を開いている。言葉を発している。彼が窓で自信を認識したと思った瞬間に口を開いている。だからこそ、彼は急いで窓を開けた。自分に向けてなのか、誰かに向けてなのか。






 大商人たる大企業の社長のような存在に彼は急いで窓を開けるしかなかった。




 だがいかんせん遅すぎた。




「ニクスフィーリドは本日をもって商会と合併。ニクス大商会として再誕を果たす」




 その言葉は聞こえない。彼が急ぐあまり耳を研ぎ澄ませていないからだ。まだ窓を開けるのに手間取っているからだ。




「怪物たるお前にはふさわしくないじゃろう。だがニクス大商会をお前に託し、それを地盤固めに使え。その宿もお前の為に用意し、お前が好き勝手にしても困らない規模で立て挙げた。全てお前のために用意した。ただ今のところ。ハリングルッズにいる間は、どうせ動けないじゃろうから儂が動かす。それで文句はあるまい。お前の予想通りの結果であろうが、それよりも早く動けたと自負しておる。儂は、わしらは全てお前のために動いた」




 大商人は息を吸い。






「裏切ることはない。裏切ることの怖さをお前に抱かないものはいない。お前は失敗作、誰よりも恐ろしく、危険な男。ハリングルッズもグラスフィールの商人連合もお前のえさ場でしかないんじゃろう。だからこそワシ等はお前に委ねる。そして、ここまで望み通りの展開を用意してやったんじゃ。だから」




 彼が窓を開け切った。






「協力してもらう」






 その言葉だけが彼の耳に届いた。






 そして反射的に彼も答えた。答えざる空気を大商人と背後の人員たちが作り上げているからだ。全員が横目でそらすことなく彼を真剣に見つめていたからだ。






「・・・できることであれば」






 言葉を濁してではあるが、応じることとなった。底辺は数の暴力に弱い。答えを曖昧にして恨みを買うようなことなどできやしない。何をいっていたかもすら、聞き返す勇気もないのだった


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