彼と雲 11

声にもならない悲鳴が響く。口元を糸でふさがれた支部長の悲鳴は誰にも届かない。されどその糸は赤に塗れて液状のものは中から表へと浸食している。表情は苦痛まみれであれど、何も届かない。体にまとわりつく糸、全身を蔓延る麻痺のような痺れ。




 支部長は今糸でぐるぐると巻き付けられている。糸で作られた簀巻きの姿で床に転がされていた。




 口元に入れられた肉片など飲み込んでいた。息ができないのと悲鳴を上げるのに邪魔だから飲み込んだ。口元をふさがれた以上、吐き出すことすらできない。吐き出せないならば飲み込むのみだった。毒物を飲み込ませて殺す手間よりも殺した方が効率がいい。




 だから気にせず飲み込んだ。その後雲に肉の正体を明かされたが、動揺など特にない。支部長もニクスフィーリドの長たる中年も人肉に抵抗はない。




 そういった世界で生きてきて、そういった世界で敵対してきたのだ。喧嘩は同程度の存在から発動する、社会のイベントなのだ。同レベルで生きて、戦闘能力以外、大体が似たり寄ったりの経験を積んでいる。














 気絶した後に首元の神経を殴打し、一定時間とはいえ麻痺を起こさせていた。反射すら残らない。感触も神経がなければ伝わらず、言葉にできない全身が人形のような感覚の無さを演出させていた。それでもこの世界の魔法ならば治る。この程度であれば魔法で治ってしまう。




 現に首から下は動かずとも、その視線だけは見下ろしてくる雲を睨み付けているのだ。魔法を発動する隙を伺っているのだ。抵抗すらしないわけではない。抵抗してやろうと盛大に企てているのだ。気絶に関しては冒険者ギルドという環境を優先したために生まれた隙。支部長としての職務を果たそうとした付け。






 もはや冒険者ギルドを破壊しても殺す覚悟が支部長にはあった。






 それを雲の魔眼は読み取っていた。心の感情を徐々に貪る魔の障壁を魔眼は突破し、感情の内側を覗き込む。深淵を覗く者は、深淵に覗かれるという。だが雲にはない。






 この程度深淵ではない。




 ただの感情を覗き込んでいるにすぎないのだ。






 深淵とは雲が心酔する一人のものの心のみ。全ての悪意を吸収し、行き場のない魂や感情を己の目に閉じ込める異常者のみであった。その心は覗けない。魔力が無く心の障壁は何もないはずなのだ。だが届かない。その異常者はただ己の拒絶という感覚のみで、全ての異能をはじき出しているのだ。






 魔力もなく、戦う力などない。されど今では怪物と名付けられた強者。






 弱者であり、強者な存在と比べれば、魔法だけに特化した支部長など餌でしかない。








 そもそも雲の能力は感情を読み込むだけではない。本質は別にある。






「・・・なかないな・・・あんまり・・・」






 雲は少し飽きていた。神経を殴打して麻痺させた。口元に送り込んだ肉片など多少は悲鳴をあげるスパイスになるかと思っていた。




 だがならない。




 それもそのはずだろう。その程度で全てを投げ出すには人生とは安くない。






 支部長は多くの犠牲をもって冒険者ギルドを発展させた。いかなる手段をとろうともだ。




 かつてベルクには冒険者しかいなかった。衛兵もいたが、それよりも多くの冒険者たちがいた。魔物と戦い勝利を重ねる強者たちが多くいた。その強者たちはベルクを楽園と呼んでいた。好き勝手やっても何をやっても許される無法地帯。騎士もおらず、誰も抵抗できない。衛兵は人を相手にする弱者向けの職業だ、常に強者と戦い続ける冒険者に叶うはずもない。




 冒険者たちは傲慢に振るっていた。横暴を働いていた。男も女も子供も老人も関係が無い。己の趣味嗜好に混じって好き勝手に甚振られていた。誰もが戦えず、奪われる日常。予算も少ないベルクでは、騎士をやとうことも出来ずにいた。冒険者に唯一対抗できる行政側の騎士もいない。抵抗できる存在は誰もいない。






 抵抗すれば死体となって転がった。ここは監獄。逃げようにも強大な城壁という檻がベルクの住人の道を狭めて落とし込む。外は魔物だらけ、されど内側は人間による地獄。逃げ道などどこにもない。




 逃げれるのも戦えるのも強者のみ。






 それを作り上げたのは支部長たる女である。弱者を弱者とたらしめることにより、冒険者側の秩序を作り上げた。住人を生贄にし、好き勝手にする条件として冒険者としてのルールを作り上げた。魔物を殺せ、外から資源を取り立てろ。ギルドにおさめて、逆らうな。




 その分鬱憤は下にしてもよい。




 この価値観をもたらしたのは住人のせいだ。行政のせいだ。何もかも安さを求めた慣れの果て。冒険者たちの、ベルクでの給料は遥かに安い。ほかの冒険者ギルドよりも極端に安いのだ。だがここは楽園。金よりも金がいらない世界になっている。




 治安を維持するための税金を住人たちは拒否した。領主は税金を上げようとしたが住人たちは大きく抗議を行い撤回させた。商品から税金を取る消費税という形も商人たちが暴動をおこし、撤回させた。ありとあらゆる税金を拒否し、暴動。男も女も老人も子供も全てが行政側の行動を否定し邪魔をした。




 行政は暴動を起こそうとする庶民を処罰しようにも、手段が無い。手段を作ろうにも作れない。赤字を増やさぬように、必死の節制を行い現状維持のみでギリギリだった。




 そうなったのも領主が民思いだったからといえる。正しくは民が恐ろしくて、嫌がることができなかったからともいえる。ここはベルク。カシックスの森とも呼べる魔物領域の最前線。あそこからあふれる魔物たちと住人たちの感情。二つの脅威があり、領主は現状を維持するしか選択肢がなかったともいえた。






 圧政をするには度胸が無い。税金を搾り取ろうにも住人たちは抗議をする。その抗議は王国にもあまり見ない大きな暴動だ。物が壊れ、道路を破壊する。店が壊され、けが人は増える。他の領地から見てもベルクは異常であろう。何故何もしないのか、何故手を打たないのか。






 こうなる前に。こうなってからでは遅い。税金とは国民を苦しめるものである。だが同時に税金とは国民を守るためでもある。弱者を守るための剣、強者の地位を誇る盾。




 その税金を異常な暴動で防ぎ続けた結果、予算不足という言葉に陥った。そこの隙をついたのが冒険者ギルドだ。






 治安を格安に。




 魔物も格安に。




 資源も格安に。






 嘘のような本当の話。値段が安いものに行政は喜び、税金の安さに住人は喜びをみせる。だがそれは一瞬で終わる。安さには質を求められない。安くてもよいというのは物の価値だけではない。人間も安ければ安いなりの悪さがあった。




 住人が一人殺された。次に女性が乱暴された。老人が金を奪われた。子供が餌となり、魔物をおびき寄せる生贄となった。




 だが誰も邪魔はしない。行政は邪魔をしない。領主は邪魔をしない。怖いからではない。その安さを捨てられないから、残したままなのだ。






 行政が何かを言えば冒険者ギルドはすぐに安定したかもしれない。だが領主も行政も冒険者ギルドには何もしない。立場をあえて領主の方が上だとギルドは敬意を払っていたからだ。現に冒険者ギルドは行政側には媚びを売っていた。邪魔だてをする住人達より、利益を出してくれるギルドを優先するのは当然だ。






 今では住人たちは何もできなかった。その弱者。もともとは自分たちが悪いという感情も、何もしらないのだから生まれるはずもない。






 その弱者たる住人の意識を改善させたのが、ニクスフィーリドの長、もとい中年だ。中年が声を荒げて、税金を否定した住人たちが悪いと説教を施した。子供一人一人であろうと怒鳴り散らした。老若男女関係ない。全員に説教し、冒険者側には何も言わず姿を隠した。




 とにかく住人全てに説教した。自分たちが悪いと。自分の悪いところを突きつけられ、反発したものもいた。だがそれでも説教を施した。傲慢さをすてろ。全ては自分たちが招いたことだと、言葉を荒げた。常に喧嘩を生み出してきたが、だがそれでも中年は声を荒げた。殴りかかられた痣を顔に作りながらも、必死に訴えた。






 自分たちが招いたことは、自分たちで何とかするべきだと。






 そこに賛同者が一人現れた。一人現れれば二人現れた。三人目、四人目と徐々に数が増えていく。宗教のようでありながらも、宗教らしさがなければ太刀打ちできない。






 冒険者の数は少ない。だが質は住人よりも遥かに上だ。




 だから数によって質を超える。




 住人たちはそうやって陰に隠れて中年の思想に触れて、思考をゆだねた。行動をゆだねた。その委ねられた中年は真っ先に冒険者の中でも弱い奴を襲撃。その次に弱い奴。とにかく弱い奴を手当たり次第に襲撃した。死んでも住人たちは止まらない。殺されても止まらない。恐怖が勝ろうとも、この状況を何とかしなければならない。引き起こした自分たちが止めるのだと、自己責任という宗教が自体を過激化させていく。




 利益の収奪。冒険者側に組する商人への襲撃。冒険者側も抵抗しようとしているが、数が少ないために手が足りない。ギルドに組する奴の家が破壊された。それを守ろうにも手が足りない。処罰しようにも手が足りない。そうやって起きた住人と冒険者ギルドの戦い。






 住人は一人ではない。その旗印たる中年が指示を出し、その指示通りに襲撃をしていたからだ。歴戦の猛者も食事に毒を盛られては勝ち目がない。戦闘力で勝てなくても、冒険者が何かしら食べるもの、装備するものに猛毒を塗れば殺せるのだ。間違った知識を冒険者に与えれば、勝手に死ぬのだ。この辺りは平和だと冒険者に伝え、それを信じた冒険者は寝ている最中に暗殺されたりもした。




 楽園は楽園ではなくなった。






 支部長が作り上げた生贄の構図。




 中年が作り上げた反撃の成り上がり。






 そしてベルクは二つの勢力に分かれた。




 冒険者ギルドと中年が率いるニクスフィーリド。戦力さはギルドの方が上だが、戦いをさせないことでニクスフィーリドの方が常に影響力を保っていた。






 最悪な楽園に最低の住人がいる。






「・・・貴様が、下等な魔物ごときが!」




 見下されようとも演技で激怒する。支部長には感情を偽るほどの余地がある。






「・・・かとう?・・・きみはみくだす。・・・・ぼくは、こたいをばかにするけど・・しゅぞくぜんたいをみくだしたことはない・・・きみはつまらないね・・・こころにかくしたよゆうも・・・なにもかも・・・やっぱり・・・さいごにたよれるものがあるやつは・・・ほんきをかくそうとする・・・」






 雲は感情をけし、まるで怪物になりきったかのような無の仮面をかぶり出した。激怒の演技と無の仮面。お互い演技であるが、実質さは変わりない。演技であるが、本心でもある雲。激怒の演技であるが、本心の見下す支部長。






 もはや意味はない。




「・・・きみは・・・もはや・・・」






「・・・冒険者ギルドの建物自体を守ろうとした結果がこれ!今後一切、魔物と相対するときは犠牲をいとわない。たとえ冒険者がいようともそれごと殺すこととし、未練を切り捨てる!」






「・・・ふーん」






 激怒の演技であるが表情はそれらしい支部長。






 雲は飽きていた。生かすのも殺すのも。生殺与奪すらどうでもよくなっていた。だからか、雲は支部長へと背を向けた。彼が歩くようにのんびりとされど音を極力出さぬように踵を返していた。






 隙なのか。隙ではないのか。






 そんなことはもはや支部長にとってどうでもいい。瞬時に魔力で糸を断ち切る。体は神経が麻痺のため動けないが必要はない。支部長クラスならば狙いをつけた相手ぐらい、動けずとも殺せる。






 簀巻き状態の原因たる糸は魔力で切り裂かれ、実質自由の姿となった。








「・・・」






 支部長は殺すときに声をかけない。だが殺意は飛び出した。魔力が支部長の眼前に魔力の球体を作り上げる。冒険者ギルドを崩壊せしめるほどの大きな魔力の渦。その魔力の渦が行動を開始し、雲の背中へと放たれた。








「・・・まほうをつかえるやつは・・・いつだって・・・まほうにたよる」






 雲が指を鳴らす。






 突如支部長の内臓が激痛を発した。膨れ上がる熱の本流。神経がないにも関わらず吐き出される痛みの衝動。




 体内から何かが爆発し、全ての内臓が逆流するかのような気持ちの悪さ。だが破壊力はなく、肉体の皮を突き破るほどのものでもなかった。だがその痛みとともに魔力の渦は消失し、破壊のエネルギーはどこにもいなくなっていた。






 雲が二度目の指をならす。






 その瞬間、支部長は嘔吐した。雲の指からなる音につられるように、それは引きずり出された。胃液とともに二つのものが喉元を越え、口から外へと吐き出されていく。ほかに内容物はない。それだけが叩きだされて、姿を現した。それは球体だ。




 それは普段見慣れているものだ。ただし全容を見慣れているものではなく、一部の姿で見慣れているものだ。






「・・・これは・・・目?」






「・・・にくすふぃーりど おさの めだよ・・・だがきみはきにしないだろう・・・きにしなくていい」








 そう人肉ごとき、人の目ごとき、支部長は気にしない。食っていようが食わされていようが気にしなくていい。






 だが自分に残る違和感だけは残っていた。






「・・・すっきりしただろう・・・これできみは・・・きみのいしをもって・・・かいぶつの・・・てした?・・・しもべのぼくをころせるのだから・・・よろこべよ・・・ねじまげられた・・・いしをとりもどしたんだ・・・」






「意志を取り戻す?貴様は」






「・・・くちをひらくな・・・きみはつまらない・・・ぼくはね、ほんきにならないにんげんがきらい・・・あまいにんげんはすき・・・どりょくするにんげんはすき・・・いしにしたがってうごくにんげんはすき・・・そのにんげんをじゅうりんするのは、もっとすき・・・でもほんきにならない・・すぐあきらめちゃうにんげんは・・けんおすらおぼえる・・・できないでしっぱいする、そんなにんげんをいたぶるのはすき・・・しっぱいしているにんげんをばかにするのはすき・・・でも、こうどうもせずもんくだけいうやつはきらい・・・」






 雲は無表情だ。感情すら無へと転じて、言葉だけが早口で紡がれる。






「・・・なにもせずに・・・すべてをきりすてちゃうなんて・・・ろんがいでしょ・・・だから、さきほどから・・・さいしょから・・・きみのいしはゆうどうしておいた・・・」








「・・・先ほどから「くちをひらくな・・・これできみはひらけない・・・」








 支部長の戸惑い。その疑問。だがそれを上書きする雲の言葉。その言葉以降、支部長は口を開けなかった。魔法ではない。魔力ではない。体に紡がれた精神異常のものでもない。






「・・・ん~~ん」




 開こうとしても開かない。






「にくすふぃーりどのおさは・・・きみをよっぽどうらんでいたらしい・・・これほどまでのまりょくをもつ、きみを。あやつれるとは・・・きみはひどいことをしていたんだ・・・よくわかるよ・・・このぞうお」






 雲は一歩支部長へと近づいた。逃げようにも、口を開こうにも支部長は何もできない。己が出来ていたこと全てができない。歩くのも口を開くのも手を開くのも。出来ていたことが出来ない。






 逃げることすら、だ。






「・・・ねたばらし・・・ぼくは」






 雲は感情を読める。だがそれは副産物でしかない。本当の能力における副産物でしかないのだ。雲の能力の本質とは手にしたものの感情を構造を支配するのだ。だが、それは実際に手にしたものでしかだめだ。手にする条件というのが、自分の手で殺し体内に取り込むという行為。






 気に入ったものを殺して、体内に取り込んだ。それによって中年の恨みの意志を支配した。肉片をもって報復の呪いとして支配した。中年の恨みとは支部長への自信の源、魔力に対しての恨み。肉片へと宿した呪いは、思考の誘導への呪い。




 支部長の魔力があったからこそ、ニクスフィーリドは冒険者ギルドを殺しきれなかった。支部長がいたからこそ、住人達が被害にあった。最初は住人のせいであっても、さすがにやりすぎたのだ。殺すのも犯すのも法を無視しすぎるのは、やりすぎたのだ。冒険者による軋轢が住人たちの感情を支配した。その恨みを血肉に宿した思考をもって誘導させる。雲の思い通りに誘導させるという呪いとして昇華した。






 ニクスフィーリドの長と雲の約束




 条件がもう一つある。約束をするのだ、本当の意味で感情が死ぬ前に、約束をするのだ。雲は約束を破らない。その約束を果たす条件として、協力させるからだ。雲は協力者を裏切らない。協力者は死後も雲の力で役立つからだ。






 支部長が最初に使った風の魔法。出会った瞬間に潰された風の魔法。その原因となる肉片に思考誘導の呪いが込められていた。その血肉に触れたものは思考を誘導される。ただし触れた瞬間に込められた呪いしか効果が無い。その後付けができない呪いであれど、雲は必要十分だった。魔力の壁を崩せなくていい。両手を呪いに浸食させ、支部長の両目に呪いを叩きこむ。視界潰しにしたわけじゃない。視界たる眼球に呪いを込めたかったのだ。






 支部長は魔力抵抗が強い。戦闘経験もそれなり。いくらアラクネであろうと支部長クラスに簡単に勝てるわけがないのだ。気絶させたのも衝撃からではなく、練りこんだ呪詛が誘導しただけにすぎない。本能を刺激し、意識を奪えとねじ込んだものでしかない。




 思考誘導。魔力抵抗の強い支部長にはこのぐらいしなければ思考を誘導することなどできない。序盤が魔法を使い、目に肉片を撃ち込まれてから魔法を使わなかったのはそのためだ。使えるチャンスが無いから油断を待つという方針を雲から与えられて、無意識にそう願っただけなのだ。




 強制的な命令はできやしない。人間の意志を他人が捻じ曲げるなど簡単なことではないからだ。だからこそ誘導というあくまで本人の意思による行動をさせた。








 そして飲み込ませた眼球。






 これの意味は。






 視界とは人間にとって世界だ。世界を直接感じるための重要機関。耳よりも口よりも鼻よりも身近に世界を感じるための、人間としての本質。






 生きるとはなにかを考えさせる、最強の器官。それが目なのだ。






 人間は目を失えば世界を失う。支部長にとって目は世界ではない。支部長にとって魔法こそが世界なのだ。二つの眼球を取り込ませ、その二つにそれぞれの呪いをこめた。




 一つは魔力を操る意志の破壊。




 一つは自身の自己管理の放棄。






 魔力を宿らぬ生物など存在しない。魔力は感情を呪いを食い殺すありふれた微生物みたいなものだ。だから呪いは長続きなんかしない。感情も長生きなどしない。いずれ忘れて消える存在達だ。その存在であるが、一時的な効力ぐらいならば引き出せる。




 魔力があるのは仕方がない。だが魔力があっても操るための意志がなければ意味がない。肉体を操ろうにも操るための意志がなければ意味がない。二つとも意志という共通があれど、まったく異なる立場に存在する意志だ。前者は自分の意志、後者は本能の意志。






 その二つを雲は眼球に込めた呪いで撃ち殺した。




 その二つがなくなった時点で雲の勝利だった。






 糸を操るまでもない。糸で操作する必要もない。












 雲は微弱な笑みを浮かべて近づいていった。支部長に近づいただけであるが、支部長自体に興味はない。その下に零れる糸くずしか興味が無いのだ。身をかがめ、糸くずを拾い上げていく。支部長はこの隙だらけの姿が相手でも何もできなかった。






 何もしようとすら思えなかった。正確には何をすればいいのかがわからなかった。






 魔力を練ろうにも練れない。魔法を発動しようにも発動しない。体は動けない。魔法も使えない。口すら開けない。行動が何もできないのだ。




 自由になるのは表情だけ。




 悲痛な表情を雲に向け、懇願するかのように涙の筋が零れ落ちていく。騙れればいいのに、語れない。意識があるのに、意志がない。






 切り捨ててきた支部長は、切り捨てられるものが何もなかった。弱者を切り捨てて、本当の意味ですっからかんな存在と成り果てていた。






 雲はやがて糸くずを拾い終えた。両手がふさがるほどの糸くず、それを束ねるように口元から新たに糸を紡いでいく。糸くずを包み、持ちやすさを重視した糸の袋。こぼれないように全体をつつみ、球体もどきとなった糸の袋を満足そうに作り上げた。




 球体の中心を人差し指で持ち上げ、変なバランス感覚を見せつけた。そのバランスのまま、支部長の近くに転がった眼球二つを空いた手でつまみ上げた。口元に再度眼球を放り込み、ごくりと飲み干した。




 今度は呪いの為ではない。今度こそ用が済んだからこそ、体内に取り込んだ。呪いの形はここには残っていない。すべて支部長の中に放り込んである。






「くきゅ♪」






 魔物として、愛想よく笑みを浮かべて雲は踵を返した。






 その足はギルドの入り口近くまで到達し。






「にくすふぃーりど、ごじゆうに」




 その言葉を残してギルドを後にした。






 雲という存在が消え、呪いは本性を現した。雲は約束を守った。殺してきた相手であるが、律儀であった。決して勝てないと思っていた存在が今では殺せる状況。






 その呪いはマヒしていた神経をたたき起こした。たたき起こし、その神経は呪いの意志に従うようになった。その手は動く。その足は動く。だがそうじゃない。






 その自由になった両手は自身の首へと殺意を向けた。悲痛な表情と涙が止まらぬ支部長。もはやどうしようもない。怪物をたぶらかした時点で、雲という存在を殺せなかった時点で死は決まっていたのだ。






 どうしようもない、やるせない気持ちで。








 死にたくないと思って。






 自分の手に殺された。

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