彼と雲 6

彼は構わない。相手がいかなる行為を起こしたとしても、反応を返さなくてもよいのだ。己の判断と行為のみが伝われば、それだけでよい。




 だからこそ、相手の反応に興味が無い。一方的に伝え承諾を得させる。






 相手が戸惑いを見せたところで、止まるほど彼の社交性はまともではないのだ。






 そういう風に行動し、ニクスフィーリド側からもそういう風に見えている。






 だから何故、宿を焼いたのか。その理由を求めることは一切ない。その行動した理由よりも、行動後の対処を求めている。






 彼は告げた。






「・・・貴方達のせいで受けた被害を償っていただきたい」






 独特である一歩遅れたかのような感覚のずれ。口が開いてから少し時間が立ってから行動する会話術。彼の両手は組まれ、膝の上に鎮座している。敵地でありながら微塵も感じさせない、自己主張。落着いていることをこれまでもかと主張し、逆にペースを初手で奪っていくスタイル。






「被害は償う」




 相手方、椅子に座る中年のみが口を開く。わかっていたこと、彼という相手の情報を知るがゆえの迅速さ。拒否をすれば破滅が待つ。初めに喧嘩を売ったのは自分たちである。巻き込みたくなかったとはいえ、巻き込んだのは失態である。




 だからこそ飲み込んだのだ。






 被害額が大したことはないと。怪物は口に出さないが、一部を除き全て補償するつもりであったのだ。補償する前に、彼という怪物の行動が早すぎた。冒険者を巻き込む形で時間を稼いだつもりだが、それすらも巻き込んで被害者という形に仕立て上げた。




 怪物は冒険者の罪を問わず、裏に潜むものを特定させた。素人まじりであろうと、全てを疑うかのような怪物の日常には同情を感じずにもいられない。




 怪物の要求。




 補償。






 しかし怪物は次にこういうだろう。自分を償わせる前に、他人のことをあえていう。他人を巻き込む形で行動させ、最後に自分の要求を突きつける。






 波が立たないやり方。




 この国の民では思い描かない、一応は他人への配慮。








 宿の被害。住人たちの私物。






 彼という怪物への補償。






 宿の被害、住人たちの私物に関しての補償などいくらでもどうなる。されど怪物への補償がいかほどになるかが不安である。それだけしか心配事はない。










「・・・宿の人たちの被害を償っていくこと、代わりの宿が見つかるまでの金銭の保証・・・」






 他人を巻き込んで、自分への配慮。






 これは手慣れた民衆対策なのだろう。酷い行いをしてきたものほど、必ず他人を巻き込む形で交渉してくるものだ。自分たちの要求を突きつけるだけでは誰も動かない。正しいことを主張するだけでは、人の心は動かない。




 また一人だけ利益を得るものを、嫉妬という感情を持つ他者が許すはずもない。彼という存在は今でこそ影響力が高いゆえに大きな被害を受けてはいない。だが影響力が落ちた瞬間に敵対するものは出現してくるだろう。それらを考えてこそ、弱者という立場。同じ被害者という形で他人を巻き込んで、恩を擦りこんでいく。






 被害者でありながら、加害者になっている。




 交渉とは相手に対し、自身の利点と他人の利点と責任を擦り付けていくことなのだ。






 だからこそ、今回においてニクスフィーリドは受け入れなければならない。ニクスフィーリドが拒否れば加害者であることも踏まえ、攻撃の口実にされる。現在されている攻撃よりも上回る悲劇が待ち受けている。現状負けてもいないが、勝ってもいない。




 戦争状態に近い状況で、負けることがわかりきった押し合い。








 怪物はつづけた。






「・・・それらを果たすことと・・・もう一つ」






「わかっている・・・お前に対しての」






 そう、これは既定路線。




 次に怪物の要求は自身の被害を補償しろという点。これ以上奪っても、同じ立場の他人に対して施しても意味がない。




 だからこそ、一歩反応が遅れることになった。








「・・・全てを補償してください」






「す、全て」






 がたりと席を立つ中年の男。額にある冷や汗と予測からずれた感情の路線。他人を巻き込む形で行われる交渉には、ある程度の配慮で限度が決まる。






 他人を巻き込むのは、自分だけが保障される利点が浮きでないため。巻き込まれた側と巻き込んだ側。交渉した側。それぞれの利点を平均して配当する。多少色がつくことがあっても、それに対し口を挟むほど何もしてない人間も愚かではない。我慢できる配慮をお互いに持つ。それが他人を巻き込む利点なのだ。






 自分が色をつかせて、敵意を得ない利点。それを放棄。






「・・・何を驚くのでしょうか?・・・全てを補償するべきなのは当たり前。・・・ああ、僕個人の補償はいりません・・・被害なんて大したことありません」






 彼は軽く手を振るう。どうでもよさげに、かったる気のふるまい。




「・・・はぁ?」






 この交渉の全ての意味の破棄。怪物が出向き、行動した理由が他人の為。そういう善人ぶったことを、ボランティアの人間のように言っている。




 だが、そんなはずもなく。






「・・・僕個人の補償ごときどうでもよいんです。・・・貴方方が負うべきなのは全てだ。宿の全て、周りに与えた全て。・・・・・・」






「・・・それぐらいなら補償でき」






「その程度で済むとでも?ニクスフィーリドさん、貴方方は非道な行いをした。宿を焼き、住人の持ち物、生命を奪おうとした・・・住人たちの思い出も焼こうとした。誰かが手にした思い出も焼き切った。奪いすぎです・・・ニクスフィーリドさん・・・奪いすぎたんです。・・・」








 感情はない。意味が解らないといった中年の表情すらも、冷淡な人形の怪物が見下している。冷めた目、敵意すら抱くものではない。軽蔑に満ちているかもしれない、怪物の無。






「・・・僕個人の補償なんかしている場合じゃないでしょう?・・・責任を取らなくてはいけない・・・このベルクの3割を支配しているとかの影響力・・・その影響力でどこまででも補償をしないと・・・」








「・・・お、お前は・・・何を求めている・・・何が欲しいんだ?」






 理解不能といった中年の反応。それを生み出す、感情を生まない怪物の独白。ただ紡がれる言葉遊びのような、吐き捨ての前で思考が停止していた。






 人間でありながら、人間ではない。








 目的を読ませないから、怪物は怪物として完成している。








「・・・全てが欲しいんです・・・見届けてあげます・・・そのほうが良いでしょう?・・・貴方たちは全てをもって、全てを償うんだ・・・これが責任の取り方」








「・・・我々は正当な理由をもって行動した。そのせいで巻き込んだ者たちに対する補償は認める。だ、だがお前の言っている補償が・・・突発すぎて理解が及ばない」






 ああ、と怪物は中年の言葉に応じた。いつもの会話のずれ。慣れない会話、最近は慣れたはずであっても、結局うまく当てはまらないコミュニケーション。






「・・・貴方たちは、もう、あなたたちの物ではない」






「・・・っ!?」






 怪物の左目が赤く、どす黒く反応する。悪意に塗れた魔の眼は、怪物の言葉によって反応する。この悪意たちは彼の心を読めない。肉体の一部、左目に一方的に追いやられて圧縮されている現状、左目内部しか行動を起こせないのだ。彼の肉体を操ることも、彼の行動を暗示することも不可能。






 弱まれば弱まるほど、他人を排除し。




 強くなればなるほど、他人を疑う。




 底辺の精神防御力は非常に強く、硬く、油断すら生まない。左目内部によって、彼の言葉の意味を遠回しに理解するしかないのだ。




 どす黒い闇の靄が彼の背後から部屋の壁付近までもを急速に浸食する。スモークのように黒い世界が広がり、一寸先は見えない闇の世界が出現した。






 彼の言葉によって反応せざるを得ない。内部の移動は左目のみ。外への移動は自由となるのが、言葉を交わしたときのみ。






 魔力はない。




 魔法ではない。




 スキルでもない。




 神聖なものではない。邪悪なものでもない。






「・・・ニクスフィーリドが、・・・我々のものではないとはいったい・・・」






「・・・全て」








「・・・意味が解らない、頼む教えてくれ」






 彼は立ち上がった。






 コミュニケーション能力不足。それ以上に会話を進展させることもできやしない。恰好つけたわけではなく、ただ補償を巻き込んだ人、巻き込まれた人、自分以外のすべてに補償してほしい。




 罪を犯した以上、償う。そのために加害者は命すらも謝罪のために消費しないといけないのだ。逮捕という言葉がよく似合う。刑務所にいれられ、罪を償うことに日々を費やす。よくあるドラマの言葉だ。加害者が死のうとした瞬間に主人公が言うであろう、正義の言葉。






 罪をつぐないなさい。






 それを言いたかったのだ。格好つけたかったのだ。伝わらないからこそ、恥ずかしさが勝る。格好つけたがゆえに、それ以上の失敗が恥を生み出す。




言葉の意味。だが語らない。言葉を一定のテンポで開けているがゆえに、別の意味を含ませてしまっている。








 黒い世界に向けて、踵を返す彼。彼の視界には映らない何もない空間。されど魔力を少しでも含むこの世界の住人には見える、悪意の靄。これに触れればたちまち汚染されることを本能が語る。だからこそ動けない。






 彼の背後、つまりニクスフィーリドと彼が先ほどいた席の間を割るように靄が浸食しているのだ。






「・・・いずれ、わかります。いずれ、」




 ただ適当にコミュニケーション不足を語らず、逃げるように靄へと駆け込んだ。彼が消え、すたすたと扉を開き、ばたんと閉まる音だけが残る。










 残ったのはニクスフィーリドの中年と黒いフードの3人。そして彼の魔物たる雲が一匹。黒い靄があるために、さすがの雲も動けない。触れば汚染してくる悪意の前に、純粋な魔物たる雲が歓喜な笑みを浮かべて立ち尽くしていた。






 だが、それも一瞬で終わる。魔物の一瞬と人間の一瞬は違う。雲は突如地をけって空へと飛びあがる。雲が行動を起こしたとニクスフィーリドが反応する前に、中年の肩を掴み力のままに投げ飛ばした。投げ飛ばした先にあるのは何もない空間。靄もない平穏な方へと投げ飛ばし、それを見届ける前に黒いフードの3人へと向き直った。だが反応が雲よりも数テンポ遅れた3人では追い付くこともない。






 本能が語る。






 3人の背後へと一瞬で回った雲が次に起こす行動。それは3人を一纏めにしたことだった。口に両手の親指をつっこんで生み出した糸。親指にへばりつく糸を空に投げ出し、3人の一歩ほど前の空間に向けて落下させる。そしてちょうど3人の腹部ぐらいの位置にて引っ張り上げ、一筋とはいえ縛りあげる。魔物の力と人間3人の力。アラクネの力といえどぎりぎりであるが、それを3重ほどに器用にまとめ上げていく。抵抗される前に、尋常ではない速度によって行動された。






 黒いフードの3人は戦闘職ではない。だからこそ反応が追い付かないのもある。






「くきゅ♪」






 ハムのように縛り上げた3人のフードたち。それの上に複数ある足の一本を載せた。顔の位置は中年のほうに固定し、雲は無邪気に笑いかけていた。






「・・・す、全てとはいったいなんだ。・・・貴様は何をしている・・・なんの指示を受けているんだ!教えろ、これは、あいつは一体」






 雲は語らず、無邪気に笑いあげた。




 そして、ハム状の黒いフードたちを靄の方へと放り込んだ。悪意の靄がある空間。それらに放り込んだらどうなるか。




 実験をしたいという理由で縛り上げて、放り込む。






 悲鳴を上げるまでもなく、黒い靄へ放り込まれた3人。音もない。地面に付く衝撃音も何もない。彼が扉を開けた音は聞こえたというのに、黒い靄に放り込まれた者たちの音は何も聞こえない。






 だが一瞬。






「ああああああああああああああああああああああああああああああ」






 悲鳴だけが一瞬聞こえた。同時に3人の声が合わさり、そして止む。








 静寂が訪れた。






「・・・く、くきゅ」




 無邪気そうに笑いながらも、背筋に冷や汗があふれだす雲。ここまでの悪意は想像していない。たかが彼という人間が抑え込める程度の悪意。人間でありながら歪。圧倒的上位者を支配するくせに、本人は貧弱。




 その貧弱が貯めこんだ悪意の一部。






 悪意の一部が人間を飲み込み、生存を不明とさせる。






 雲も持つ魔眼に映る、悪意の総数。45人の魂。彼は45人の悪意を靄として放出し、立ち去ったわけだ。それも平穏な空間と悪意の空間を分けるように広がらせない。靄は本来広がるものだが、この悪意の靄だけは意識を持っているかの如く固定されている。






 だらりと汗が垂れるのは雲だけではない。






 ニクスフィーリドの無事な方が慌てたように口を開いた。






「お、おい!無事か?平気か?返事をしろ!」




 答えはない。






 焦りが募るがゆえに、言葉は荒い。だが、いくらまっても言葉は帰ってこない。自然と恐怖の色が中年の表情に現れていく。その靄を生み出した怪物と、それに放り込んだ雲。




 身近にいる雲のほうへ視線をかけ、中年は再び口を開いた。






「・・・す、全てとはいったいなんだ?・・・これに放り込むことが全てなのか?・・・このような非道な目に合わせて・・・、・・・、な、・・・なんだ・・・そういうことか」






 口に出すことでわかることもある。音読のようなものだ。文章を心で読むだけではなく、口に出すことによって意味を理解する瞬間がある。音読とは読むこと、理解するための動作。重要な行為の一つなのだ。






 怪物の全て。




 ニクスフィーリドが理解した意味。








「くきゅ?」






「・・・つ、伝えろ怪物に。・・・我々、ニクスフィーリドは・・・全てを怪物に捧げると」






「くきゅ?」






「だから、頼む。我々は全て補償する。我々は全てを怪物に捧げる。だから助けてくれ、あいつらは殺されていい人材ではない。か、必ず役に立つ。ニクスフィーリドの頭脳なんだ・・・頼む!」




 ニクスフィーリドのトップ。その中年が床に膝をつき、雲へと懇願をする。プライドも何もない。ただ理由があって行ったことにたいして、それ以上に報復を返されたという点。




 その瞬間だった。黒い靄が掻き消えたのだ。






 扉の開く音が聞こえ、その瞬時に黒い靄は一点に収束していく。中年の答えを待っていたかのように、靄は渦のように一点、彼の左目へと消えていった。扉を再び開けて入りこんだ彼は、変化のもたない人形のようだった。




 靄は消え、倒れて縛り上げられた3人と膝をつく中年、立ち尽くす雲。それらが何もない空間に、何事もなかったように存在している。




 雲を置き忘れたという焦りが彼にある。コミュニケーションがうまくいかず、逃げ去った彼であった。だが、逃げることに夢中で雲を忘れてしまった。それを思い出し慌てて引き返したのだ。






 それは人の心を折るには十分な時間。




 良いタイミングに現れ、物事を収束させていく。恵まれない彼の運が人の不幸を書き立てていく。






「・・・雲、いくよ」






 彼はもはや雲にしか視線を向けていない。だが、それよりも先にあるのが中年の言葉だ。






「・・・ニクスフィーリドは全て捧げる。理解するのに時間がかかって申し訳なかった」






 突如の謝罪が彼へと浴びせられ。






「・・・・・・僕に謝るよりも、やるべきことを果たしてください」




 若干ぽかんとした感じに返答するしかない彼。








 だがこの部屋に起きた出来事は一瞬のようなものであり、濃密な嫌がらせである。


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