彼と雲 5

 壁が剥がれ落ちた部分。もはやプライベートも秘匿性もほとんど意味がなさない建物。足を踏み入れた瞬間から視線が濃度をましていた。彼という危険人物にわざわざ喧嘩を売る輩は一切いない。されど警戒があるために彼へと視線を注ぐしかなかった。


 入り口から正面が受付。受付から左奥ほどに幾つもの席が並べられている。席の正面にあるのは一つの像。悪魔をモチーフにしたであろう醜悪な羊の像が一体置かれている。その像をただ崇めるためだけの席なのだ。


 教会とは勝手が違う。似ているようだが、階数がある建物に宗教上のシンボルを堂々と置くのも薄気味悪い。


 また姿を隠しているらしい人員たちの視線がへばりついているためか、居心地の悪さは格段に跳ね上がる。



「・・・」



 彼は被害者である。加害者は今も隠れている人員たちだ。その加害者は隠れ、被害者が行動を起こしている。その流れのはずだ。



「・・・」



 そのためか。



 彼は指をさした。



 それは気色の悪い羊悪魔の像だ。



「・・・へたくそ・・・」



 罵倒だった。彼らしからぬ悪態。されど人員たちは姿を隠したままだ。怒りに震えて行動を起こすかと思われるが、何も反応はない。


 ただ理由があっていっただけの事。無条件に人の趣味を馬鹿にしようとは一切思わない。




「・・・この場合、どうしたらいいと思います?」



 誰もがいる。この一階部分に隠れているだけであろうと人はいる。案内も何もない。被害者が来ているというのにかかわらず、誰もうんともすんとも言わないのだ。


 いつものお決まりだ。迷ったさいは、相手に丸投げをする。


 相手が悪いという体裁を作り、自分は悪くないという状況を作り上げる。



「・・・被害を加えられたら、加え返す。ここにいる人たちがどう考えるかはしりません・・・」



 彼は絶対報復に関して否定的だ。被害を与えられたから被害を与え返す。そういう流れ作業の復讐連鎖は好みではない。


 好みではないが、それは現代の話。


 この世界において、やられたらやり返さなければならない。未開の文明なのだとつくづく理解させられる。



「・・・10」



 突然のカウントダウンが彼の口から走った。


「・・・9」


 彼の指先が受付のデスクをさした。そこには隠れ潜む人員がいる。見えているわけではないが、こちらを窺っている視線だけは届いている。だが指さされたことによる、小さな悲鳴が届く。


「・・・8」


 彼は天井を指した。


 その天井部分には小さな穴が開いており、一階と二階を挟む間に誰かが潜んで覗き込んでいる。指をさされたことに慌てたらしく、カツカツと音が響いた。


「・・・7」


 彼は入り口から見て斜め右を差した。巨大な柱がある。その柱の陰に潜む人員が数人いる。彼の突然の指さしによって訪れた緊張が人員を包む。



「・・・6」


 その指の先にあるのは壁。羊悪魔の対面に属する壁に指をさした。その壁は隠れドアのようなものだ。押せば、回転して開けた場所が出てくる。その開けた場所にこそ人員が隠れ潜んでいる。気付くはずのない仕掛けを見破る怪物が破滅をもたらす未来を想像させる。



「・・・5」



 彼が指さしたのは入り口のすぐ左。ただしくは左下の戸棚だ。その戸棚には何も設置されていないが、その裏側にも人員が隠れている。一番気付かれやすく、一番被害を受けやすい人員は予想通り死ぬことを覚悟した。


「・・・4・・・へたくそ」


 再び羊悪魔の像をゆびさした。罵倒を込めて否定した。だがそうではない。二度さしたのだから意味がある。その像の中身は空洞だ。一階と地下部分の間に空間があり、先ほど誰もいなかった像の内部に人が入り込んだためだ。



「・・・みんな、隠れるのが下手くそ」




 彼は怒りに震えそうなる表情を無理やり落ち着かせた。相手を罵倒し、無様な姿として認識することで相手を格下と思い込むことにしたようだった。



 嫌われるのは嫌だ。否定されるのも嫌だ。


 だが一方的な悪意に嫌われようと、否定されようとも彼の人生に何の汚点も残さない。




「・・・気持ちが悪くて仕方がない」



 そこにあるのは破滅の嵐がくる前触れ。静寂と化した場を、無理やり氷のような憎しみが冷気を運んできている。


「・・・3」



 カウントダウンが始まった。


 同時に彼の手が小さく上がった。



 今度はどこにも指をさしていない。差さないが視線だけは一蹴している。指をさした順番に彼の視線が巡って回る。受け付けの下、悪魔像、回転ドア、柱、天上、戸棚。一度視線が周る。



「・・・2」



 もう一度同じ順番で視線が回った。


 先ほどよりも彼の口調は固くなっていた。どこからか彼のもたらす破滅が近くなってきたがしていた。




「・・・ただで済む場合と、ただで済まない場合。思い知れ」




 その言葉が引き金だった。



「・・・1」




 全ての人員は降伏とばかりに姿を現した。天上に隠れ潜むものは一階中央の天上から下へと突き破って着地した。天上が硬いと思っているのは彼の予想であり、実態は柔らかく破れやすい板が張ってあるだけだ。悪魔像の内部から剣と思われる刃物が突き出て、扉のような形に切り開いていく。開かれた空間から、人員がまた一人。


 回転ドアからも人員が現れ、受付からも戸棚からも柱の陰からも。ただ姿を現し膝まづいた。



「・・・0・・・ただで済む場合を選択してくれて助かりました」


 カウントが終了。彼は暴力を好むわけではなく、必要だから利用する。それでも人に暴力を振るうというのは責任が生じるため極力避けたい行為ではある。



 だからこそ必要最低限の敬語をもって相手の行動を歓迎した。



「・・・案内してくれますか?」



 怒りを覆い隠したつもりであるが、彼の表情筋は仕事をしない。無給であり年中無休。休みばかり与える成果は、口端が歪んで、唇が少し離れたとこで停止している。悪魔像よりも下手くそな表情変化の前では威圧しか与えられないのだ。


 怪物が破滅を持ち運ぶ一歩手前。



 全員が膝まづいたうえで、凍り付く。だが瞬時に解凍され、首が外れるぐらいに大きくうなずいた。



 だが立ち上がろうとはしていない。腰が抜けて立ち上がれない。それが全員の共通認識であった。だが彼はぱちりと拍手をした。



 一度の拍手と二度の拍手の音がなる。



「・・・起立」


 三度目の拍手。


 だが理解している。この拍手こそ、先ほどのカウントダウンと同じなのだ。視線が巡って回る。膝まづく人員たちの位置を彼の視線が回っているのだ。



 四度目の拍手、両の手のひらがぶつかる前に、数名が立ち上がった。悪魔像に隠れ潜んでいたものと天井に潜んでいたものの二名ほどだ。



「・・・責任者はどこに?」


 彼の視線は立ち上がった二名にのみ注がれる。交互に向けられる視線という圧力、それを前に拒絶の意志など持てるはずもなかった。



 視線が交わされることなく、二名は背を向けて歩き出した。体がびくびくと震えながらだが、一階の奥。受け付けの隣の扉を開いた。二階へと続く階段があり、二名は彼がついてくることを確認せずに先へと進んでいった。


 遅れだしたが二名が姿を消した後、彼も続いた。


 扉へ踏み込んだ瞬間。


「・・・華、ここで見張って」



 退路の確保。彼は誰も信じない。相手が人間である限り、否、意志と理性を持つ限り一切信じない。二階へ上がった後封鎖される心配。後詰の心配。外では牛さんが待機しているが、それでも全てが安心できるというわけではない。隠れ潜むポイントが多い建物のことだ、きっとどこかにいるだろう。相手が彼に反発する意図はなくても、極力心配事をけしておきたい。



 だからこそ目の利く華を二階の扉前で待機させる。



「・・・常識の範囲であれば・・・何をしてもかまわない」



 指示は一言。彼はそういって階段に一歩踏み出した。オークたる華は返事もうなずくこともなく、扉の前で槍を構えた。威嚇のためか、眉間に皺を作った凶悪面をもって警戒に当たる。



 彼が階段を上がるころに視界に入ったのは、散乱した部屋だという事実。紙や武器、書類や戸棚。壁の一部いろいろなものが散乱し元の形がわからない。


 だからといって彼の足がとどまる理由にはならない。二階の奥、更なる扉の中には三階へと至る道筋があるからだ。三階へと上る階段を一歩、一歩乗り越えていく。


 ただ進む。道なりに進む。


 上り終えた後、一つの扉が目の前に立ちふさがった。先ほどの二名が階段で一列となって待機。小さく背後を見つめるように彼を待っていた。


 彼が到達し、あとは成すがまま。二名は扉を開け、中へと入り込んだ。


 彼も続いた。



 何もない。部屋という空間がある。だが後は何もない。しいて言うならば、部屋の中央に席が二つ向かいあうように置かれていることだけだ。


 それ以外に何もない。



 二名は彼が入ったのを確認後、外へと抜け出した。



「・・・静、君も外へ。あの二人が信用できない」


 華と同じ。信用できないからこそ、警戒に当たらせる。リザードマンたる静は華と同じようにうなずくことも、返事をすることもない。だが彼の指示通り、二名と同じように外に出た。


 そして扉が閉められた。


 残るは雲一匹。


 無邪気そうだが、口にチャックをして彼を見上げている。この先どうなるかを知っているみたいに不安なものは一切ない。


 彼もまた一切不安はない。



 勝てるからだ。普通に何もしなくても勝てる。



「・・・そこに座ればいいのですか?」


 返事はない。


 だからこそ、扉側の席へと進む。中央に置かれた二つの対面席。引くこともなく、席に腰を下ろした。相手の許可など必要はない。



 彼こそが勝者であり、ニクスフィーリドこそ敗者なのだ。



「・・・貴方も姿を消せるのですか・・・しかし中途半端だ。・・・4名」



 彼は席に座り、周囲を見渡した。右目が微かに捉える人影。それを左目が補正をかけるが如く、全体像を表していく。対面の席に一人。その背後に3人が立っている。座っている一人は平均的な恰好であれど、背後に控える3人はどこかで見た姿をしていた。黒のフードに顔を仮面で隠した3人。



 体面に座る男は一目で見れば中年だ。若さが陰となり、熟した期間が顔の皺となって現れる。若いときは、それ相応に人の目に不快にならないほどの容姿。両目の鋭い感じを除外すればの話だが、それがあるからこそ不快にならない程度の容姿でしかない。


 覚悟を決めたからこそ、切り捨てられる人の眼をしていた。



 対する彼は、全てに興味を持たないからこそ、死んだ目をしている。



「・・・初めまして、ニクスフィーリドさん・・・」



 彼の挨拶に返答はない。相手方の反応には興味もない。興味がないからこそ、相手の反応には気づけないでもいる。


 気付かれている、見抜かれている。その事実に驚愕するニクスフィーリドの輩たちが言葉を失う。その無様さにも興味が無いのだ。



「・・・僕は・・・」



 自分のことだけが一番。




「・・・貴方たちの被害者です」



 彼はそういって切り出した。


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