彼と雲 4

 犯人は特定された。



 だがその情報を彼には渡せない。そう通達が届いたのは、依頼から7時間後のことだった。夕方から宿屋は燃えた。依頼を出したのは一時間後。依頼から犯人が特定されたのは早朝。


 短時間でのこれほどの成果。犯人特定。


 その偉大な成果に対し、泥をつけるのは隠蔽だ。



 当然、彼が向けたのは激怒のものだった。



 「・・・許せというのですか、これで」


 受付のカウンターにおかれた皮袋が揺れている。それの振動の発生源は誰でもなく彼が無自覚にカウンターを揺らしているからだ。

 誰も見るまでもない。人形のような彼の額が少しぴくぴくと痙攣をおこしている。普段の変化のない態度もこの場合における感情の振れ幅の前では無意味。


 微弱であれど、動いている。気付けてしまうのがまずいのだ。演技ではなく、それは生み出された感情によるものだった。



 怒りが発生している。



 犯人は特定された。その処罰を冒険者たちは行った。実行犯たる冒険者は逮捕され、その所持金は彼の元へもたらされた。されど原因がわからない。なぜ焼いたのかも答えが出てはいない。



 真犯人を含ませた言葉を実行犯が残したからだ。


 依頼を受けたという。考えるまでもなく支払いがよかったということが、実行犯の行動に移す理由だった。もともと地元の冒険者ではない。知性の怪物という存在と悪行をしっていても、どこに住むのかをしっていなかった。提示された金銭と逃走用のルート。その魅力的な誘惑にあらがうことはしなかった。



 結果、このありさまだったという。





 彼は冒険者ギルドの受付で、もはや黙る気が無いようだった。



「・・・もう一度いいましょうか・・・・」


 受付のカウンターの皮袋。それは彼が冒険者たちに掲示し、置いていった皮袋だ。コインの形状が袋からでもわかる形状の主張。軽く手で持ってみれば一切変わることのない重み。何枚か抜かれているのかもしれないが、それを見た目や持ったぐらいで判断することはむずかしい。



 顔を腫らした受付嬢は涙目で言う。



「こ、これで納得してください、お願いします。冒険者側の不手際であるということ、今回の調査で払われるべき調査料は全て当ギルドが負担します。怪・・・マダライ様の負担をなくすことで・・・」


「・・・僕は金銭に関して、今回は気にしないようにしています」


 彼は理性を亡くしかけたが、それでもギリギリで押しとどめてはいる。感情に塗れてカウンターを叩くぐらいのことはすべきなのだろう。だが文化人は感情で暴力に走らない。



「・・・金よりも大切なものがあります。・・・原因をつきとめるということです・・・こればっかりはどうしようもならない。・・・どこへ行こうと、どこで生きようとも、物事には結果が付きまとう」



 苛立たし気に、口元を感情のままにゆがませる。底辺であり、孤独な弱者。だが、どんなやつであっても感情を見せてはならないという決まりはない。



「・・・失敗をしたなら、失敗をしないように原因を見つけること・・・」



 就職で失敗した点。友達形成に失敗した点。一つ一つ彼なりに対処し、その結果が何も生まれなかった。人に対し明るく接しようと努力はした。なるべく笑顔を作る努力、会話を極力する努力。小さな一歩だが、失敗をけそうとした決意だけは本物だ。直せないものも行動が遅すぎたものもある。


 だが、探すことで自分のどこが駄目かを知ることができる。自己探求だけは忘れてはならない。



 努力して失敗した。全て失敗した。


 だから、何だというのか。



 失敗しただけで、終わったわけじゃない。


「・・・知らなければならない」


 断言だ。彼の言葉にして、誰かの言葉。受け売りであれど、今では教訓の一つ。だから彼の言葉といえよう。



 ぎろりと悪意の左目が受付嬢を捉えた。無自覚に回収されていく彼が生み出した悪意。すなわち受付嬢の悲痛な悪意。真犯人に対しても、彼に対しても、実行犯たる冒険者に対しても。


 なんで私がこんな目にというものが見える変化だ。それを彼は理解し、なお追及している。仕事には責任が伴う。責任に給料が見合わないというのであれば、逃げるしかない。考えるのをやめるか、そのまま続けて後で後悔するという先送りか。



 妥協はしても、行動だけは起こすべきだ。


 彼は軽くカウンターを指で小突いた。その手で皮袋を受付嬢へと送り出した。皮袋が音をたて、ころんと倒れた。だが気にすることもない。



「・・・僕はこの金の受け取りを拒否します。・・・真犯人がいるとわかるならば教えてほしい。・・・ギルドが補填するというならば情報こそが最もふさわしい・・・・」



 瞬き。彼と受付嬢の瞬き。一瞬に起きる暗闇と広がる光景の日常。



「・・・目をつぶれば見える暗闇。開ければ何も変わらない普段の世界。・・・人は常に目を開かなければならない。両の眼で見ないと真実を・・・貴女にもあるはずだ。・・・譲れない一線というのが。僕はその立場になっている・・・」



 カウンターの上空中枢を侵略するかのように彼の顔が近づいていた。


 距離感がわからないならば、わからないなりの努力をするべきだ。底辺故の価値観。世間で間違っている行為かもしれないが、それを彼はまだ知っていない。



 彼は被害にあった。被害者だから情報を知りたいと思うのは当然のことだろう。守秘義務があったのかもしれないが、追及することだけは犯罪ではない。抑えきれない感情を誰もが理解するからこそ、逮捕には至らない。



 脅しに近い内容であっても、情状酌量という言葉がそれを許してくれる。



「・・・同じ立場で考えてほしい。今までの環境を奪われたい?貴女が手に入れてきた思い出を破壊されたいか?・・・そうなったとき情報が欲しいはずだ。奪われていなくても、奪われるという情報を知っていれば。必ず、奪われないような都合のいい情報が!」



 受付嬢は硬直している。泣き面に彼という巨悪が生み出す毒素。死すら感じていた。感情の蓋を両方ともなく、義務という形式すらも放棄しかけていた。



「・・・ニクスフィーリド。このベルクに巣食う、違法な団体です。人員の規模も影響力もベルクの3割を支配しています」


 気付けば受付嬢は口に出している。



「・・・感謝します」


 彼はその言葉だけで十分だった。皮袋はそのまま、背をむけた。踵を返す瞬間、声が続いた。



「・・・冒険者ギルド、ベルク支部よりも影響力だけはあります。・・・ですが人員の質で言えば、こちらが勝っています。・・・依頼しますか?」


 討伐を。情報を渋った理由。影響力の高さと、怪物が報復に出た際のベルクの被害。それらを考えて隠蔽という上からの指令。一度指示を破れば、二度も同じ。


 冒険者ギルド、ベルク支部でさえ実際は怒っている。利用されたのだ、怪物と冒険者の争いを誘発しかけたのだ。実際は自分たちに矛先が向かないような手段であったのだろう。だが、もはやそれだけでは済まない。





「・・・真犯人との交渉をしたい・・・その手助けがほしい」



「・・・依頼料はこちらでよろしいですね?」



 彼は振り返ることはしていない。だが想像でわかる。カウンターに置きっぱなしにした皮袋のことを言っているのだろう。それは正解である。


 ベルクの3割を支配する組織。



 だが彼は知っている。その上を遥かに行くであろう組織たちを。強情の商人、ハリングルッズ。実態はどうであれ、それとなくわかる巨体の規模。話の端に語られる怨嗟にも近い独白。


 比べるまでもない。


 彼は間違いなく、大組織の一員。ハリングルッズという影響力の一員なのだ。


「・・・」


 彼は軽く振り返る。上半身だけを後方に傾けて、そして別の皮袋をカウンターに乗せた。


 ハリングルッズから渡された、村交渉での報酬。手つかずのそれを置いた。



「・・・」


 置いた後に用はない。ただ歩く。この際受付嬢は気付いただろうか。この場にいる冒険者たちは気付いただろうか。


 彼は魔物を連れていない。どこにも待機させていない。普通に見れば気付くであろう現実。


 無防備である。


 今ならば、誰でも殺せるのだ。彼を。


 だが、誰も殺そうとはしない。野蛮とか文化人とかではない。今目にしているのは、怪物そのものなのだ。左目から漏れ出した悪意は黒い靄となって、確実な現象と化している。雰囲気ではない。



 それに触れれば、怪物の闇に触れることになる。


 だから誰も近づかない。


 怪物が退出し、静寂が戻る。だが、恐怖の二連続の前に一定の耐性はできている。顔が腫れながらも、場を見渡した受付嬢。



 そして口を開いた。


「怪物と冒険者の争いを誘発した奴らを排除します。この場で排除できなければ、私たちは終わる。怪物と奴ら、ニクスの輩達に餌食にされてしまいます。報酬はここにある。怪物が残した依頼料と新たに渡された追加報酬。前回の報酬はギルドからの負担です。今回のは直々の依頼です」



 受付嬢は呼吸のために口を閉じた。


 そして開く。


「やらなければ、こっちがやられます!喧嘩を振ってきた相手に報復をいたしましょう。支部長たる私が命じます。やれ!」



 受付嬢、もとい支部長。ベルク支部において最も権力があるトップが名をもって命じる。怪物相手には自分が出るという対応。若いのは見た目だけ、中身はれっきとした熟女である。魔法などではなく、ただ魔力が高いゆえに老化が遅いだけだ。



 支部長の言葉に、冒険者たちは手を挙げた。雄たけびではなく、報復のための声。二度の怪物の圧力に耐えれるものなど誰もいない。




 冒険者たちは再び行動を開始した。迅速な対応であり、ニクスフィーリドたる違法団体へ襲撃をかけた。団体の拠点は冒険者ギルドから少し離れた通りにある。人々の出入りも活発とはいえない。路地も多く、ベルクの中でも治安が悪い西地区にある。



 規模からみて、相応の建物だ。ほかの建物と同じ石造りであるが、別に魔法対策をとっているわけでもない。通りは冒険者たちによって封鎖され、建物の入り口付近は騒動となっている。



 襲撃が始まり、そして休憩が訪れた。




 被害総数、冒険者7名。


      ニクスフィーリド 51名。


 死者 冒険者0 負傷者7人。


    ニクスフィーリド 51名。



 質は冒険者が上回っている。だが数が圧倒的に足りない。支部長が命じた冒険者たちの総数は14名。およそ半分が負傷している。相手に多大な被害を与えようとも、ニクスフィーリドにはまだまだ人員は余っている。戦闘になったところで負けることはないが、勝つことは現状難しい。相手の人員が悲鳴をあげることなく、通りに横たわっている。


 救助する気もないようで、放置されている。死んだ以上、埋葬する気持ちもないのか。ニクスフィーリドへの嫌悪感をそのままに、冒険者たちは戦力の補充を待つことにしたようだった。通りを封鎖しているのみで終わらせ、ベルクの外に出ている冒険者たちを待っていた。



 ニクスフィーリドの建物の通りに面する壁ははがされている。3階立てであろうが、二階部分までが外に露出しきっていた。必死に残った壁に隠れながら、ニクスフィーリドの人員が外を覗きこんでいた。それすらも冒険者たちにとって簡単に発見できていた。



 ニクスフィーリド残り人員 30名。ベルクの戦闘員たちをかき集めれば、もう少し集まるのだろう。だが、現状難しい。冒険者たちの数が少ないとはいえ、通りを封鎖されているためだ。封鎖している冒険者は数名、数で押し切ればなんとかなるかもしれないが、危険は起こせない。




 その時だった。


 封鎖が一つ解かれた。



 ニクスフィーリドの建物から隠れて覗き込む人員。それらが気付いてしまったのだ。



 封鎖が解かれ、一つの集団、軍団が歩いている。こちらに向かって近づいている。実際の視界に映る黒い靄を放出し、感情を怒りへと変貌させた人形が進軍していた。



 魔物たちが浮かべている緊張と、冷や汗。それらはニクスフィーリドの人員たちが浮かべるものと一緒のものだ。仲間にすら影響を及ぼす怪物。ニクスフィーリドのボスに対して人員が思う感情よりも深い闇のものだった。



 冒険者が大げさに離れて、封鎖した通りの内部へと進軍を許した事実。




 知性の怪物のご一行が、建物目の前で立ち止まった。



 二階部分から見下ろす人員の目が、怪物の視線とぶつかった。隠れ潜んでいたつもりであろうが、怪物たる彼の前には無意味。



「・・・聞こえますか?・・・何もしないから通してもらってもいいですか?」



 尋ねられていた。怒りの感情を表情に張り付けても、声の音程のみだけは平穏そのもの。されど怪物の背後から湧き出る黒い靄が、平穏を否定する。


「と、とおせな・・・」


「・・・少しばかり待っています・・・聞きたい答えは通してくれるということだけです・・・それ以外ならば・・・こちらから無理やりにでも入ります」




 感情を表情に張り付けながら、目は虫のように感情が無い。背後から悪意を吐き出す癖に、口からは平穏そのもの声。


「ボスは・・・・」



「・・・言いたいことはそれですか?」



 怪物の手が少しばかり上がる。その瞬間だった。


「少し待て、ボスと話をつけてくる。その間何もしなければ、こちらからも何もしない」



 己の手に負えないと判断したようで、人員はそのまま建物の奥へと消えていった。視界外から消え、それでもなお、彼は安心しない。見られている。冒険者だけではなく、建物の中から幾つもの視線が感じ取れる。


 彼は何時もより低い声で言う。


「牛さん・・・雲は強い?」



 視線は前に、横目すらそらさない彼。だが、言葉だけは相棒たる牛さんへと疑問を問いかけた。彼が無条件かつ全財産や命を預けれるのは残念ながら牛さんだけだ。牛さんの次がオークとリザードマン。オークやリザードマンには命を預けれても、全財産は預けれない。財産とは金だけじゃなく、思い出も含まれる。金ならば、オークやリザードマンに預けることは躊躇わないが。



 思い出を預けていいのは彼にとって牛さんのみ。


 そして、問う内容は雲のこと。


 彼は雲を全く信用していない。



 相棒たる牛さんは考えるまでもない。


「も!」


 返事は、はいというものだ。音程と音の流れで大体返事がわかるようになってきていた。牛さんが強いと認めるのであれば、彼は認めるしかないのだ。


 子供にしては異質。無邪気さの悪意たる魔物。それを信用する気もないが、だが命を失ってほしいとまでは思わない。



「・・・雲は待ってる?」



「くきゅきゅ!!」


 対する雲の返答は嫌だという否定。彼に執着する異常な魔物。愛情や家族からなるものではなく、今は玩具などを見るものでもない。お気に入りであり、ほしいもの。


 子供が本気で見せる物欲を彼に向けている。


 ズボンの腰回りに差した短剣を彼は引き抜いた。リザから渡されたハリングルッズの刻印のついた短剣。


「・・・なら持ってて」


 それを雲の方へ差し向けた。視線が交わることなく、ただ下へ落とすように向けた。彼の手が振動にゆれる。雲が彼の手から短剣を受け取ったことを振動で理解。後は何も懸念はない。



「・・・牛さんと小鬼くんたちはここで待機。何かあったときはお願い。危なくなったら何かしてもいい。それまでは待機。何もしちゃだめだ」



 返事などは求めていない。彼の指示に逆らうほど牛さんは馬鹿じゃない。





「ボスから許可が出た、入れ」



 先ほどと同じ位置、二階の壁の剥がれた部分から見下ろす人員が戻ってきた。其の人員が彼へと声をかけた。


「・・・どうも」



 彼は感謝など一切しないが、一応の礼を述べた。後はなるようにさせる。それのみしか頭にはなかった。

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