彼の活動 5

 少女の目が死んだままに一行はギルドにたどりついた。時間にして数分の移動であったが、彼も少女もそれ以上の長い時間を感じていた。


 空気が重かった。


 雰囲気が死んでいたといってもよい。


 殺されることを認め、楽に死のうとする少女とそれを見ての今後どう接するかと悩む彼と。二人の願いと考えは常に違い、決して混じることのない幻想。殺す気がないのに、殺されようとする少女に彼は思考が追い付かず、少女も殺してくるだろう相手に対して気を許せるわけでもなかった。



 道中はとても暗かった。


 会話は弾まず。彼は会話という行為をしたくもないが、相手が相手だけに極力話しかけるようにはしていた。



「…ギルドは本当に近いのですね」


「…はい。これで…もう」


 彼の問いに少女は俯きがちに答えた。ギルドに行く。これが絶望する前の少女が言った内容であり、それまでが現世での命の時間。仕事が終われば少女は殺されると思い込んでいる。ギルドで殺されるか、ギルドの外で殺されるか。その程度の考えでしかなく、それ以上に命の重さというのを数分の時間でかみしめていた。



 どうせ殺されるなら楽に死にたい。


 それは本音だ。


 だが、もっというなら。


 死にたくない。死にたくないと少女の夢が語る。少し前にあった明るい将来への希望が命を守れと叫ぶのだ。


 その思いを抱え、なお楽に死にたいという思いが衝突していた。


 ぽたぽたと地面に落ちていく雨。外は晴れていて、雲りの様子はない。街並みを見ても雨でぬれ始めている様子もない。町の中の人々も彼と少女の一行を避けるように、目をそらすようにしている以外いつもと変わらない。


 俯く少女の真下だけが濡れていた。幼く勉学に励む子供には惨い仕打ちであり、その現実に耐えられなくなって泣き出していたのだ。子供らしく、されど彼を刺激しないように声にも出さないように必死に押し殺して。


 誰も助けてくれない。彼という化け物が相手では。


 ギルドの前へたどり着いて、尚少女の足取りは重かった。


 広場の通りにふさわしい頑丈な石の建物。なかなかに大きく少女と彼を飲み込んでも足りないといわんばかりの扉。周囲には町の人々の姿と己が職業を極めたといわんばかりの冒険者たちの群れ。それぞれ独立し、パーティーも異なるが、ギルドという表看板には尻尾をふる犬のように従順だった。


 少女の泣く姿とそれに気付かない人形の姿に気付くと、扉の近くにいた冒険者たちはそそくさと脇にそれる。目をそらし、少女に気付かないふりをしながら、会話に逃げる姿。普段ならば子供がいればおちょくる者も少女の姿に何も言わず、目をそらしながらその場を立ち去るのみ。


 少女は犠牲になっている。それはギルドの近くにいる冒険者たちの総意である。その泣かしている加害者は彼であり、被害者は少女。それも総意だ。だが誰も何もしない。したくない。


 少女を犠牲にして、見なかったことにする。


 相手が相手だけに誰も動こうとしなかった。


 リザードマンとオークが少女の背後に控えており、近づこうとする相手を殺気で黙らせているのと。更にその背後にはゴブリン、コボルトちびっこ軍団が緊張の面持ちで警戒していること。ちびっこ軍団の頭領アラクネは無邪気な笑みで周りを見渡していること。


 そして彼と牛さんが最後尾に配置されていること。


 無をもって、少女を泣かす図がそこには展開されている。


 重警備をもって、ギルドまでの護衛をしていた。彼も少女の死んだ目に少しでも安心感を持たせようとしたためであったが、それは全然うまくいってない。


 これがあるからこそ、少女は反抗も反乱も警戒も緊張も努力も全ての行為をあきらめてしまっていた。


 また、これがあるからこそ誰も少女を助けられない。


 少女の泣く姿。それを助けたわけではないが、声をかけたものがいた。


「ぶいっ」


 オークである。彼のパーティーの目といってもよい。力だけなら牛さんの次に強く、体格も大きい。人間社会では最底辺の奴隷モンスターであれども、彼のパーティーにおいては幹部の一匹。


 その一匹が少女の前に立った。


 オーク、華は身をかがめ少女の涙をハンカチで拭っていた。汚れもなく、臭いもない。毎日リザードマンの静が洗濯しているため、清潔だ。そんなハンカチで少女の目元を優しく拭っていた。



 彼のパーティーで人間が嫌いな一匹であっても、彼が保護すると判断した時から華が少女という人間を恨むことはない。


 少女の目に少しばかり感情が戻る。それは少しばかりの驚愕のものだった。少女の頭にあるのは、オークというのは不潔で野蛮。人間を見下し何も考えない脳筋というもの。性欲を満たすことに他種族を用いることから、女の敵とまで呼ばれた魔物。


 それが優しそうな目で、少女の涙をハンカチで拭っていた。


 普段ならば魔物に近づかれただけで、発狂ものだった。だが人間がいて、冒険者が居てみてみぬふりをされている瞬間において。少女の孤独な姿をさらけ出している瞬間において、華のやさしさは効いた。枯れ欠けた砂漠に潤沢な水分を注ぎ込んだ感情の出戻り感。


 思わず。


「…ありがとうございます?・・ありがとうございます」


 少女は礼を言った。この都市、この国において頭を下げる文化はない。だからこそ、少女の礼は言葉によって終わる。杖があれば、地面を数回たたくことで謝意を示すのであれど。それはなく、無防備そのもの。



 オークは気にするなといわんばかりに、両手を小さく振るう。


 照れているように、オークは恥ずかしがっていた。



 魔物に礼を言ったのは初めて。


 魔物に救われたのは初めて。


 人間に見捨てられたのも初めて。


 少しばかり戻った感情の目は、現実を直視する。誰も見ていない。少女の置かれた立場を横目ですら見ていない。誰もこちらを見ていない。一切情報を遮断したかのように、なおかつ通り道だけは開けている始末。



 少し人間に幻滅した。


 そんな少女にオークの次に声をかけたものがいる。


 背後からだ。少女の背後から、数歩離れたところからの声が。


 彼だった。


「…体調が悪いなら無理をしなくても」

「・・・だ、大丈夫です」


 それはいつも通りの無。感情も込められていない機械的なもの。いつもの、いつもの対応。


 怖い、死にたくない。でも楽に殺されたい。そういう複雑な少女の思いとは裏腹に彼はつづけた。


「…怖いのは誰でも一緒です」


 その一言だけは、やけに感情がこもっていた。思い至るものがあるのか、人形のような声ではなく、人間の声。機械的な言葉ではなく、闇を濃縮したかのような重い一言。


 彼が考えていることと少女の考えていることは混じらない。彼は少女が先ほどのことに怯えていること、それによって周りの人、特に男性が怖いだろうということ。


 人の目が、人の姿が。男性という特定でなくても、人が怖いというのは同じこと。彼は人が怖い。底辺は底辺も怖い。底辺以上の存在も怖い。


 周りが怖いのだ。


 その共感が彼の言葉を促したといってもよかった。


 そこに含まれた彼の感情だけを少女は汲み取り、内容まではわからない。だが、少女は咄嗟に行動を映してしまっていた。



 少女は振り返っていたのだ。


 人形が人間の声を出した瞬間を。


 気になってしまったのだ。


 周りには誰もいなくなっていた。振り返る瞬間に見渡してみれば、いつの間にか消えている。逃げるように消えている。だがそんなことは気にしなかった。


 映るのは普段の彼である。


 無であり人形である彼だ。闇を込めた怪物の姿でもなく、ただの機械的な人形の姿。それもすぐに崩れた。少女の姿を見て無は無でなくなり、人間に成り下がる。


 わずかばかりに見開いた彼の目。それは少女を見たときに変化した表情だ。


「え」


 少女には戸惑いがあった。誰よりも感情を亡くした自身よりも、感情がなかった人形に。感情が灯る人間の戸惑う彼の姿に。戸惑う彼の姿に、少女が戸惑った。


「え」


 少女が戸惑う姿に、彼が戸惑った。







 彼は子供に弱い。子供の涙に弱い。底辺は自分よりも尊い存在に弱い。儚い存在に弱い。


 底辺は全て自身の事柄を混ぜる性質がある。誰でもそうかもしれないが、彼は特にその傾向が強かった。他人と自分は違う。誰よりもそのことをわかっている。だが頭ではわかっていても、どうしても自分と比べてしまうことがある。


 彼は共感している。同情している。他人に。


 心配もしている。彼にしては。彼にして初めて他者を心配している。


 普通の人間が普通の人に感じる行為をそのまま自身が当てはめている。



 気付けば、彼は歩いていた。少女の前まで数歩。その数歩を近づけさせるために、動いていた。彼が動けば、少女は体を後ろにそらすように動いている。少女の足は動いておらず、動くのは逸らそうと動く小さな運動。


 少女の目にあるのは戸惑いであり、わずかな恐怖である。


 彼の目にあるのは同情と心配であり、わずかな動揺である。


 大人が付けた傷を大人が癒さねばならないとか、そんなことは考えていない。思いつめた子供に一日で行事を行えということは言えない。酷い目にあった少女に、無理をしろと言えない。無理をするなとも言えない。


 彼は出来た大人ではない。


 できなかった大人なのだ。


 だから、誰もが言える言葉を言えなかった。


「…ギルドに行くのは後日にしましょう」


 彼の言葉は足りない。


「…今日で大丈夫です。今日ならば」


 少女の言葉も足りない。


 命を落とす、そういった一日。ギルドにいかなければ、用事を果たさなければ。果たさなくても命を落とす。今日一日の最後には命を落とす。だからこそ全ての用事を生きている間に起こしたかった。生きた記録を誰かに残したかった。


 だが、彼は取り付く島もない。


 彼は止めれない大人なのだ。逃げることしかできない大人なのだ。


「…今日でなければいけない理由を聞いても」


 聞きたくもない。彼は他人の用事など聞きたくもない。知りたくもないし、頭にも入れたくない。だけれども自然に口に出ていた。何も考えていなかった。ごく自然に考えるまでもなく、無意識に。


「…」


 少女は口どもる。


 言えない。


 今日でなければいけない理由。


 今日、命がなくなるからと。


 殺そうとしてくる相手に言えない。殺そうとしてくる相手が、わざわざ今日でないといけない理由を尋ねてくる理由。嫌がらせという点。悩むまでもなく思い浮かぶ。


 嫌がらせだ。


 現実を直視させて、絶望へと追い込む性悪の人形。


 だが、それはあくまでも少女の仮設。



「…今日には。…その」


「・・・・」


 二人の会話が途切れた。少女は現実を再び直視することと、それを聞き逃さんとしている彼と。少女は口を、彼は耳を。緊張をもって、注意を払っていた。


「…しんじゃうんです」


 必死に。


 少女は小さく言う。現実を。意味を。学生が、未来ある子供が。命ということに向き合う意味。


 せっかく感情に蓋をしたというのに、悲しみが心の底からありふれてくる。少女の耐えきれない悲しみは涙に変換され、ぽろぽろとこぼれていく。


「…しんじゃうんです」


「…」


「しんじゃうんです!!!!!」


 感情が爆発し、少女の泣き顔が彼の姿を睨み付ける。命を奪おうとする存在に必死の抵抗のように。殺されたくない。死にたくない。


 感情の赴くままに、睨み付けられる彼。だが彼は落ち着いていた。外から見ても内面から見ても。ごく自然に落ち着いていた。感情を高ぶらせて暴走する相手が近くにいるだけで、自分が落ち着いていく現象。それもあった。


 彼は。


 興味があった。


 少女の命を落とすという現実よりも。


 子供を泣かす現況に。


 彼は小さく息を吸う。それは気を静めるためだ。怒るべき場面でもない、少女のように感情を高ぶらせる場面でもない。


「なぜ?」


 それは無ではない。機械ではない。だが冷たい目だった。鋭さはないが、温かみの欠片もない。殺意もなければ、ただ冷えているだけ。


「…ころされるから、ころされちゃうから!!」


 感情に身を支配されてなお、彼の変化には敏感らしい。彼の冷めた視線を受けた瞬間に僅かばかりに身を震わせた。それでもなお、自身の現況を突きつける程度には余力があった。


「だれに?だれが?どうやって?」


 それは問いではない。


 問い詰めだ。


 彼は先ほどよりも身を近づけている。


「…それは、それは」


 あなたが、私を殺すと少女の口は言えなかった。ただ、小さく。殺されるとしか言えなかった。


「誰が誰を狙っているんです?」


 彼はただ聞く。


 守るため。


 否、傷をつけないためだ。彼は守れない。守るのは家族だ。彼は救えない。救うのは家族だ。


 彼ができることといえば。


 ただ聞くだけなのだ。


「・・・」


 少女はやがて観念したのか。


「…貴方が私を殺すと」


「…」


 彼の口はふさがらなかった。だが、何も言えなかった。この突拍子な発言において。彼は何も反論をしなかった。


 何をいっているとも。


 誰にいっているとも。


 思ってはいても、口には出さなかった。


 あったのは、少女に対しての心配が深くなっただけだ。



「…殺されてあげます。殺されてあげるから、今日ぐらい好きにさせ・・・」



 感情も静まったらしく、少女は徐々に表情が死んでいく。涙も枯れ果てたように、萎れていく花々のごとく。



「…ギルドにいく理由を聞いても?」


 彼は、少女の闇の深さ。また精神へのダメージの大きさ。それらを考えて、予定を変更しようと考えた。相手に対して怒りも苛立ちもない。


 これは大人が悪い。あいつらが悪い。


 彼はただ、大人たちの業の深さに憎しみを抱いていただけだ。


 それを抑え込むことと、少女への負担軽減を考えることに思考を赴かせることにしていた。


「…最初は隣町まで護衛を頼もうと思ったんです。ただ、いらなくなったから。わたし、ころされちゃうから。だから、おせわになった人におれいを・・・・お礼を・・・・最後のお礼を・・・・」


「…」


 彼は。


 彼にしては。


 面倒なことを選んだようだった。



 少女に近づいた。


 なるべく優しく。なおかつ犯罪行為にならない程度に、したくもない行為をしなければならない。


 少女の表情は不安と恐怖そのもの。泣きながらも、声は出していない。


「…前にいったことを確認させてもらうね」


 彼は信頼を得るために。信用を得るために。距離を話すことよりも、近づけることに。


 他人行儀をやめた。この時ばかりは。


「僕は貴女を傷つけない。また魔物たちもしない」


 彼なりに優しくするように言い、視線を少女の顔へと向けている。ふざけないよう、無表情にならないように感情を意識して彼は言葉を紡ぐ。


「…うそ、騙されない。希望をみせて、どん底に落とすんだ」


「…信じてくれなくてもいい。でも言わせてほしい。僕はあなたを傷つけたかな?」


 オークの華がしたように、少女に合わせるように身をかがめた。


 これは底辺が。


 底辺なりに少女を励まそうとしているのだ。好感度を得るためでもなく、獲物にするための毒でもない。


「・・・」


 少女は悩む。思い起こせば、救われたことはあった。守られたことはあった。現状も鑑みれば守られているとしか思えない。


 だが、それは獲物を。


 とった獲物を自分で狩るためではないか。


「何度も言うよ。僕は何もしない」


 彼は少女の言外の考えを否定する。


「…じゃあ、なんで」


 魔物で自分を囲ったとの言外の問い。


「誰にも何もさせやしない」


 それもまた意図せずに守るためと悟らせる。


「…じゃあ、なんで」


 彼は慣れないことをしている自身に寒気を感じていた。だがしなければならない。鳥肌が全身を襲い、気味の悪さが増幅される。


 これは底辺の仕事にしては身が重い。



 だけれども、子供だから。子供相手にならば。


 そう思い込んで。

 必死に出来た大人のようにふるまっていく。



「…じゃあ、なんで守ったの?」


 少女は勇気を振り絞って、一番の疑問を問うた。


 彼が、なぜ守ったのか。


 なのに魔物で脅すのはどうしてか。


 それよりも、この相手は誰なのか。先ほどまでの人形が人間になった姿。


 なんだ、こいつはと少女は思った。


「…」


 彼は一瞬逡巡し。


「貴女が子供で、僕が大人だから」


 そう言った瞬間に、彼は寒気に襲われた。


 自分に対し、気持ち悪い。寒い。痛々しい。こんなのは格好良い奴の発言だという自己嫌悪。底辺が底辺ではない振りをしたことへの負担。それらが彼にダメージを与えていく。



 体に氷を張りつけられて、なおかつ背中に虫が走りまわるかのような気持ち悪さ。それらに彼は耐えていた。



 死にかけで、希望を失っていた少女は簡単だった。


「…ほんとうにころさない?」


「もちろん」


 彼はそうやって、小さく笑みをこぼす。



(痛い、痛い、痛い。うわああああああああ)


 彼の内心はダメージを追いすぎている。追い詰められていた少女と追い詰めていた彼。立場は少し変わる。無自覚に追い詰めていく少女と追い詰められていく底辺。


 できないことはない。やってこれないことはない。


 やらないだけ。やらないだけで、やってみたらこうなった。


 感情を示さず人形のごとき、彼。その彼はやらないだけのことをやってみた結果。自身に深いダメージを追うことで、少女に僅かばかりの希望を灯させる。



 物語によくある騎士が弱い人を守る展開のように。大人が子供を守るという綺麗ごとの物語のように。登場人物の弱いほうへと少女は感情を移入させていた。


 また少しばかり明るくなったのに理由がある。


 良い奴が良いことをしても目立たないし、評価はあまりされない。



 悪い奴ほど、よいことをすれば目立ってしまう。評価されてしまう。普段まじめに頑張っていた人がうける称賛よりも不良が真面目に更生したときの称賛の声のほうが大きいのだ。


 そんな感じに少女は少し状況に流されていた。



 

 ギルドへの本来の目的をおもいださせる程度には。


 現実を思い返すことに少女は成功した。


 そして、事実にも気付いた。


 少女の思い違い、彼は殺そうとしていない。それは本当かもしれない。そこを疑えば、もう誰も信用できない。急に彼が態度を変換させたことは疑問であったが、深く考えることを放棄した。



 それよりも。


 冒険者たちに、隣町までの護衛を頼むよりも。



 目の前にいる、彼に頼んだほうがよいと。少女は悟ってしまった。建物近くにいた冒険者たちが目をそらすほどの相手、町の人々や暴行犯が怯えていた存在のほうが格上だと。


 この都市のギルド、冒険者は何かあったら逃げる存在だと。


 幼いながらに大人の闇を見てしまったが故に。


「…お願いがあります。隣町まで護衛をお願いします」


 気付けば口に出していた。


「…え」


 彼はひきつった。演技でもなくひきつった。


(やめて、死んじゃう。恥ずかしくて、痛々しくて死んじゃう。帰ろう。帰らせて。何も言わないで)


 彼の返事はない。答えがない。その返答のなさに、少女は不安さを滲ませた。


「…本当は私を殺すから護衛できないとかですか?」


「…そんなことはしません」


 彼は笑顔をやめ、再び人形の立場に戻ったようだった。感情を示しすぎたためのオーバーヒートが全身から訴えかけていたからだ。笑顔を作っただけで、言葉をかけただけで。


 彼のダメージは深刻だった。


 少女のダメージ以上に深刻だった。


「…お金は払います。正規よりも割高でも払います」


「…ギルド今日行ったほうがよいのでは?」


 彼は逃げを選択する。底辺は楽をしたいのだ。



「今日いくよりも、後日にしたほうがよいと思いまして」


 少女は小さく、笑みを浮かべて底辺にダメージを送り込む。


「・・・」




 彼の言葉を利用され、彼自身が窮地にたつ。底辺が底辺を越えた瞬間の負担がすさまじく大きかった。次に続ける言葉すら浮かばない。時間が過ぎていくために、焦りが生まれる。


 結果。


「・・・・ぼくでよければ」


 ギルドを後日にといってしまった自身の浅はかさ。自分の言葉を返されることほど、反論に困るものはない。

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