彼の活動 3

 建物が生み出す暗闇から彼と女性が出てきたとこだった。彼が路地に入った道順そのままに、逆走するように通りへと戻ってきた。


 暗いとこから明るいところに出てくる際に生じる、まぶしさに目を瞬きさせながらも彼は周囲を見渡した。まばらに歩く人々の姿。先ほどの暴行未遂事件など何もなかったかのように平凡な日常が広がっている。


 あの声の大きさ、彼ですら聞こえる音量だったにもかかわらず。誰も救わず、無視をする。そういうありがちな他者と関わらないことと、同族意識も薄い都市の住人。


 彼ですら、理性があれば何もしなかった。騎士がいれば連絡はするだろうが、それぐらいのことだけだ。自身の力を過信せず、高くとも低くとも見積もらない。


 女性は彼の背後に二歩ぐらい下がった位置で待機している。彼が周囲を見渡す際に足を止めてから、口を開かず物置のように立っていた。体をわずかに震わせながらも、自身の安否、被害は上着。それだけで済んだ幸運と、彼という危険人物の近くにいる身の不幸。恩人でありながらも、恩人とは思えない初対面での印象の悪さ。


 女性を、被害者を見るような目ではなく。


 加害者と同じような苛立ちを見せられた、あの瞬間。



 彼という存在がいなければ女性の女という尊厳を奪われていたのは事実だ。だが同時に救われても、人間としての矜持をどこか失った気がした。言葉には出せないが、何かしらの誇りというものが砕けてしまった気がした。


 そんな女性の思考に彼の視線が水を差した。


「…場所は?」


 彼の視線は女性をむきながらも、機械的な問いをかけていた。コミュニケーションをとれる相手だから、とっているだけ。その態度すら取り繕うとしていない。


 女性は何を言われているのかわからず、ぽかんとした顔をもって返答に応じた。彼の会話に主語はなく、場所とだけ聞かれても答えようがない。


 そんな女性の表情を見たのだろう。自身の問いの言葉が少ないことに気付き、再び小さく口を開いた。


「…どこまで送ればよいですか?」


 これもまた、機械的だった。彼自身、面倒ごとからは逃げたい。だが、相手が相手だけに適切な対応をとることを選択したようだった。女性という点もある。学生のような恰好と、年下のような幼さ。身長は頭二つ分低い程度で、髪は紺色。目は薄い赤が入った。活発というよりは利発そうな女性である。


 そんな女性が犯罪に巻き込まれたというのだから、形式的には対応をしなければならない。その程度であった。容姿が優れてようが、どうせ自身には関係が生まれることもない。


 異性関係が生まれようが、生まれなかろうが、その余裕は未だに彼の手元には落ちていない。



 カウンセリングなど彼にはできない。励ますことも、応援することも。彼は尊厳を踏みにじられたことはなく、威厳も破壊されたこともない。被害にあったことがないのに、人の感情に理解を同情をすることができなかった。


 男とは違う、痛みがあるはずなのだ。


 だからこそ、彼は平穏に。形式的に問いを投げかけている。



「…ここで、だいじょ・・」


 言いかけた女性の言葉は途中で途切れた。


 少し悩むように時間をかける。


 ここで大丈夫。


 こう言おうとした女性だったが、それを今この場で言ってよいのかと悩んだのだ。


 この都市は、この区域は治安が悪い。経済豊かな都市であり幸先の良い光があふれた都市であることも間違いない。だが光が強ければ強いほど、闇もまた深い。


 女性が立つ通り。ここから少し離れた通りで路地に引きずり込まれた記憶がよみがえる。何もしらず無知な自身が一人で。余裕をもって歩いていた愚かさ。何も知らないからこそ、恐ろしい事件があることすら予測できない。


 一人は危険。


 危険な目にあった。


 それが女性の、彼女の行動を発言を止めさせた。



 彼という存在は恐ろしいが、機械的とはいえ丁寧に対応をしてくれている。親切ではなく、冷たい感じではある。歯向かうものを食い散らかすような獣の姿と、感情を示せない人形の姿と。


 そんな相手だからこそ、無事であったと。今この場において感じる。これは性欲とやらに支配されない男性である。いや人間としての欲望すら希薄なのではないかと感じるほどの気配の薄さ。豚のような男に向けた冷たい眼光も深い闇を纏った重い空気も。何もかもが霧散した状態の彼。


 無事なのは彼という存在のおかげなのだと。また何もされていないのも彼のおかげなのだと。後で何かするにしても、現状の彼からは想像できやしない。


 人間でないものが、人間に興味を持つわけがない。そんな感想すら抱いてしまっていた。


 だからだろうか。


「…都市の中央、冒険者ギルドまで連れて行ってもらえませんか?」


 素直に頼み込んでいた。今は何もされていない。後からも何かされるかわからない。それは少し前に考えて、今も考えて。結局、答えは浮かばない。


「…都市の中央」


 今度は彼が思案するように、動きを止める。脳裏に浮かべた風景は、中央の図。広場があり、近くには彼が止まる宿がある。また宿の通り一帯には屋台の数々と武器屋、防具屋、服屋などなどの行動系、探検系の商品を取り扱う店が多数あったことを思い返していた。


 冒険者ギルドがあったからこそ。そういうものが多かったのか。


 やけに彼はアクティブ系のものを扱う店が多いと考えたりもしたが。


 その程度の理由であった。


「…ここから広場とギルド、どちらが近いですか?」


 彼は訪ねた。ギルドの場所の位置は知らない。だが広場までの道は知っている。もしギルドが近いのであれば、そのまま直行。広場が近いのであれば魔物を連れてギルドまで送っていく。


「ギルド…でしょうか」


 自信がないように答える女性。ここらへんの地理には疎く、記憶もあいまいだ。彼という危険な相手に対し、適当なことは言えない。確信がもてない情報にて、曖昧に答える。もし間違ったときに謝罪をすぐにするために。


 申し訳なさそうに、女性は顔を俯かせている。


 そんな女性の姿も遠いことのように彼は見ていた。


 なぜならば、彼もまた感情の暴走に正しかったのかと自信がないのだ。


 さすがに彼も先ほどの脅しもどきには冷静を欠いていたと後悔している。感情の高ぶりが最近多く、抑えが利かない場面も結構あった。今の今まで何も感情を高ぶらせてこなかった結果、度々起こる感情の爆発には理性が追い付いてこないのだ。


 一人で路地に入る。


 短剣で一人で立ち回る。相手が相手だからこそ無事であった。だが、本来ならば鍛えてもいない自分が体格の大きな相手に勝てるわけもない。武器を持っているとか関係がない。何も覚悟がない奴に誰も抑えることなどできやしないのだ。



 たまたま、だった。


 たまたま抑え切れた。感情に身をゆだねて、場の空気に流されて行けたからこそ。無事であったのだ。商人に対しての失態。路地で襲われる、治安の悪さ。悲鳴を上げていた女性の姿、酷い悪臭の男の暴力シーン。


 幾つものイベントが折り重なり、彼の疲労がピークだったのだ。


 商人だけならば耐えれた。


 悲鳴で切れかけた。


 暴力シーンで理性が途切れた。


 助けるつもりはなかった。そこまで英雄気取りでもない。たまたま自分が無事で、たまたま女性も無事であった。


 だが、理性を持てる文化的生物である人間が。感情の性欲のままに他者を蹂躙せんとする姿にブチ切れたのは事実なのだ。



 他人には興味はない。でも、人間は文化的生物だ。悩みがある人間のことを助けなくても、被害にあっている子供相手ならば多少は感情移入はできる。


 爆発してしまったが。



 子供を相手に。学生を相手に。他人を知る学びの途中である子供に。暴力はいけない。躾のため、教育のための暴力ならば何も思うことはない。同じ年代の子供同士が喧嘩して行う暴力にも何も思わない。世の中を甘く見て、大人を馬鹿にする子供に怒る大人の姿も何も思わない。


 当たり前のことを、当たり前にする。その光景に異論はない。元の世界と、この世界、文化形態に違いはあれど、教育の成り立ちに大きな違いはない。


 大人は子供を守るもの。


 そんな子供に、大人が暴力を振るうシーン。自身の欲望の吐け口を子供に求めている時点で。彼には相手が人間以下の屑にしか見えていなかった。


 屑を相手に刃物を見せつけても、押し付けてもよいという感情が勝ってしまっていた。




 根暗ぼっちの底辺が。


 他人を相手に、大きく行動するのは間違っている。一人なんてもってのほかである。



 彼は弱いことを知っている。自身の弱さを知っている。肉体も精神も弱いことを知っている。感情に飲まれてしまうことも、異世界に来て何度も経験した。


 人間らしく感情を何度も爆発させた。異世界という空間で、信用できるものは魔物と自分のみ。魔物は人間相手に通じる言語をもたない。他者とコミュニケーションをとれるのが彼という人間だけだ。彼がいて、その指示を聞いてくれる魔物がいる。だからこそ平凡な日常をこなせているのだ。



 彼は油断をしない。少なくともこの都市において。治安のよい場所と悪い場所。どんな場所にも良し悪しはあれど、彼は纏めて考えた。この都市は信用がならない、と。


 女性を襲っていた豚のような男。それらが報復してくる可能性。全ての可能性をもって。


 全力で対策を練ることにした。




「…まずは…。…遠回りですが、広場の近くの宿にいる僕の仲間を連れていきたいと思っています」


「・・宿!?」


 彼は淡々と物を言い、女性は大事のように声を高ぶらせる。


 魔物を連れていくためという次に言おうとする言葉と。


 部屋に連れ込む気なのかという不安からの表情と。



 彼もすぐに理解し、言葉をつづけた。不安そうな女性の姿に。先ほどまで起きていた事件の事柄を踏まえて。


「…宿といっても、中に入らないで外で待っててください。・・・・あと仲間といっても、魔物です。…人間には興味も持たない魔物たちなので安心してください」


 言葉を選び、女性を安心させようと彼は伝えた。機械的にではなく、なるべく僅かな熱意を載せた感情の声をもって。


「…ほんとうですか?宿は・・・その・お仲間さんは…本当は人だったり・・・男の人だったり…」


「…少なくても僕は…」


 女性と彼は言いよどむ。




 言葉にする内容が浮かばないのだ。


 女性にとって彼は信用ならない相手。だが助けを求めて、助けてくれたのは彼だ。また異性どころか他人に興味も持たない人形のような人物だとも大体わかる。


 だが、仲間は。彼の仲間はどうなのか。その仲間は魔物と彼が言うが、もし人間であり、男であったならば。彼は手を出さなくても、仲間が自分を傷つけるのではないかという恐怖がある。宿という単語で、そういう男女間のいざこざが行われるのではないかと。


 そんな不安が女性にあった。


 残念なことに、彼も女性がそういうことを考えていることに気付いてしまった。


 当たり前のことだ、まだ時間がたっていないのだ。それでも立って歩いている。暴力をふるっていた奴と同じ性別の男についてきている。子供が、だ。自分よりも年下の存在が、恐怖に抵抗して必死に動いているのだ。



 底辺ですら、想像できてしまった。


 だからこそ。子供が相手だからこそ。


 相手を傷つけないように。自分が傷つけたという事実を生まないように。彼は必死に頭を回転させた。


 やがて浮かんだのは。



「…約束します、僕と僕の仲間…家族たちは貴方に危害を加えない」


 彼らしからぬ、決意の言葉だった。


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