村とフードと根暗さん 4

じっくり手紙を見る彼の目には余念がない。ほかの雑念もない。ただ読めないという感情一点のみであり、いかにして読むかという事に集中していた。


 あほなことをしてみたくなるほどに、思い悩む。読めない。読みたいが読めない。彼の目は文の上から下へ。諦めきれない彼は意味不明な文字列を中間から見ていても、意味がない。


 そうして諦めた。無駄なことに気付いていたが、無駄だと気付きたくないプライドが邪魔をしていた。元々、文字が読めないことは自覚していた。色々この世界で生きていると、文字を見ることが結構あった。薬草を売るとき、旅をするとき。町中を見渡すとき。街頭で売る食べ物の屋台の看板など色々だ。



 読めないことなんか初めのうちに気付いていた。気付いていて尚、無視をした。事実から目をそらし、楽な方へと突き進むことへの努力。面倒ごとを避け続けて、それで何とかなる。何とかなるなら、放置しよう。そういう安易なことだけで突き進んだ結果なのだ。


 言葉は何故か通じる。


 彼が話す言語。彼の小さすぎる声。一瞬の間が空くコミュニケーション。一つ一つ稚拙な日常事でありながらも、何とかなってきた。なってきてしまっていた。


 言葉が通じる癖に。


 文字が読めないことが煩わしい。



 どういった原理が働き、会話ができるのか。会話ができる癖に文字が読めないのか。それすらも気付いていたが、無視をしてきた。余計なことを考えても意味がない。生きることと謎を解明することの共存は必ずしも必要なことではないのだから。


 読めないならば、読める相手に丸投げをする。


 できないことはしない。できることもしない。それが彼の理念であり、存在そのものだと。


 彼は手紙を二つに折り戻す。きれいに折り目にそった元の形に戻した手紙をフードの男の方へ差し出した。


「…読んでください」


 恥をかく。恥ずかしさが強い。無知な自分でいたこと、それで諦めて前進することなく、停滞する自身への失望。それらの感情を必死に押し殺さなければいけない、無自覚な理性。


 不愉快を隠さない。


 不快だと感じ取れるほどの、禍々しさを空気の悪さとして演出する。自身への失望と叱咤。それでもいいという怠惰への流れ作業。複数の感情が織り交じった彼の感情は、ただ闇へと変色する人形のそれ。



「…はっ」


 一瞬の間を受けながら、フードの男は手を伸ばして受け取った。断るということは浮かぶことがなかった。拒否するということを体が許してくれなかった。ハリングルッズ上位陣から直接彼へ渡すこと。その内容を知っても、知ろうとしてもいけないという暗黙の了解がありながらも、彼という人間の指示の方を優先した。


 この中身をしれば。自分はハリングルッズから粛清される可能性もある。上位陣の手紙、しかも上質な紙を使用した手紙は、絶対的な立場の者に差し出すためのものだ。フードの男のような中間管理職が受けとることもなければ、読むこともできない。


 せいぜい手紙を送り届けるというお使い程度ぐらいでしか触れない。


 それを彼が読めという。


 ハリングルッズを優先するか。


 彼を優先するか。


 立場を明らかに見定めてきたということだ。断れる立場でありながらも、拒否をさせない。そういう空気を作り出してからの要求。言葉に出すことなく、空気という見えないものだけで作り出す強制感。


 踏み絵のような見定め方式。ハリングルッズの上位陣の手紙は中身を知るだけで、粛清。情報統制の意識づくりの為に、必ずやるだろう。歯向かえばつぶし、手を出そうとする相手を躊躇させる。それは対外的にも内面的にも強く効果をもっている。


 外敵が手を出せば、容赦なくつぶしてきた。内敵、スパイなどルール違反者なども強く罰してきた。


 これらはフードの男への呪詛に近い。


 だが、それでもなおフードの男は読むことを選択した。


 理由なんて簡単だ。彼が怖い。ハリングルッズの上位陣も怖い。同じように、同じことのように影響する恐怖への影響力。それらは同等だ。


 たかが彼という個人と、ハリングルッズという組織。個と群れの影響力が同等なのだ。


 それこそ笑えてしまう。彼とハリングルッズが争えば、確実に彼は負ける。いくら知性があろうとも、怪物のように悪意を持とうとも、組織の前には無力だ。


 わかっているのに。


 本能ではわかっているのに。


 フードの男は手紙を開いた。背後の部下たちが息をのむ音すら気にすることもなく。フードの男のやっていることが、組織に対しての背信であること。とてつもない重い選択を迷わずにやったことに対して。その行動の報いと今後の立場の悪化。


 いろいろな副作用がフードの男にかかるだろう。



 だが、部下たちに軽蔑の視線はない。


 あるのは同情の念が部下たちからフードの男の背にかかっているのだから。


 自分ならばどうしたかという感情が。悩むだけで選択を拒否する未来が見えてしまう。勇気が出ない。怪物も組織もどちらも敵に回したくない。


 手紙を開いたフードの男、仮面をつけているため視線がどこに向かっているかはわからない。だがちょこちょこ顔が動いていることから一応は読んでいる。そう彼は適当に判断した。


 別に真剣に読まなくてもよい。読んでくれても、読んでくれなくてもよかった。お願いして断られたら、それでいい。その程度の認識でしかない。


 もう読み終えたらしく、フードの男は、顔を上げた。そして手紙を折り返し、彼の方へと差し出した。


 彼はこくりとうなずき、手紙を受け取る。受け取った手紙を封筒に戻し、懐へとしまった。


「…どうでしたか?」


 手紙の内容はという彼の疑問。文字が読めず、意味も解らない。それがわかる現地人の解読能力に多少は期待しての問い。


「…申しづらいことですが」


 それに対しフードの男の言葉は消極的だった。はじめは意気揚々として手紙を読み始めたが、中を読み進めるうちに続きを読みたくないほどの内容にぶち当たった。ほかの人間、名誉欲や支配欲があるものならば喜びに震える内容であれど、彼という怪物に対しての要求ではない。そういった類の内容であった。


 手紙を読んでいた怪物が不快感を示した反応。それの意味を理解できないほどに、フードの男は馬鹿ではない。手紙の内容こそが、怪物の嫌うことの証明に他ならない。


「これは閣下への協力に関しての感謝状と・・・」


 フードの男が言い淀む。仮面越しからわかるほどの躊躇い。顔を上げては、下げる。それらの動作の繰り返しを行っている。無意識なのかもしれないが、意図してやるには感情の起伏が激しい。本気で躊躇する内容らしいと彼の貧弱な観察眼が判断を下した。


「…感謝状と他は?」


 彼が促した。催促した。続きが気になって仕方がない。それらの内容次第によっては、今後の協力も仕事も拒否するために、または関係を続けていくために。続きが聞きたかった。


 それが脅迫するかのような表情で迫っていなければ、誰も何も感じ取らないというのに。不快感を示した内容と現状で圧力をかけるように、催促する人形。



 誰も彼が文字を読めないとは思っていない。


 読めるからこそ、内容をどう思うのかと聞いている。


 フードの男たちが読んではいけない手紙を、あえて読ませて。


 問うている。


 そう誰もが感じていた。

「…感謝状と他はなんですか?」


 彼は続く。よほどの面倒ごとなのかという不安感が彼を追い詰めていく。どれほどの内容で、恐ろしいことが書かれていたのか。仕事の不備があり、その賠償の手紙なのかもしれない。いや、仕事の賠償はないという約束だったはずだと色々な憶測が彼の心を喚かせる。


「…ほかは?」


「…ほかはなんですか?」


 フードの男がそれでも口を開かない。まるで詰問だった。問い詰める。話を聞くという穏便なものではない。強制的な問い詰め。犯罪者を白状させるかのような、敵対者から情報を聞き出すかのような脅迫。それを形にも、言葉にも合わせずに空気だけが感染させていく。


 この場にいる人間たちに、フードの男も部下たちも。口を開けない。この空気に、重みに抵抗する勢力はない。ただ彼が焦りから、聞き出そうとしているだけ。そのどうしようもない事実なのに、中身をしらない外の勢力たちが言葉を紡げないでいた。



 一向に聞けない内容。


「…なるほど」


 彼は頷いた。内容をしらない。わからない。けれども、彼は理解した。


「…そういうことならば、それでいいです」


 自分の今までの態度のありようを。


 彼は冷めやすい。多少、感情的になってもすぐに冷めてしまう。冷静になってしまう。情熱的に動いているときに、心の中の第三者の自分を認識した時に冷めてしまう。自分が夢中になっていることが馬鹿なんではないかと、第三者の自分の冷静さが、努力や興味を台無しにしていく。


 第三者の自分は、冷めた目で。心の中で、ただ問い詰める自分を冷めた目で問い詰めている。誰でもある、冷めた部分の自分。それらが彼の焦りを覚ましていくのだ。萎えたかのように、彼の焦りを覆い隠していく。


「…申し訳ありません」


 自分の感情の失態をただ謝罪。そして、自分の表情が第三者の自分と瓜二つになるかのように、冷めた視線に早変わり。表の自分と心の自分。感情的になれる自分と感情を希望を覚ます冷たい自分。


 謝罪することに意味はない。ただ挨拶のようなものだ。朝、昼、晩に挨拶するように、謝罪も挨拶程度。彼の謝罪、いいや現代人の謝罪に重みはない。組織としての謝罪には意味があれど、個人の謝罪に重みはなく挨拶ぐらいにする程度の価値でしかない。


 反省もあるだろう。後悔もあるだろう。だが、繰り返される謝罪は、毎日繰り返される挨拶と何ら変わりはない。


 彼は感情を抑制する。抑制しすぎる。誰よりも、この世界の誰よりも、現代人の誰よりも。感情を隠し、表に出そうとしない。出ても第三者の自分を感じ取り、夢中になっていることに邪魔をされる。



 一人のときでさえ、表に出すことを拒絶する。ばかばかしいと自分を第三者の自分が馬鹿にするからだ。

 内面的の彼であれでこそ、内面の自分にはかなわない。なぜなら、それこそが彼の本心なのだ。


 一時の感情を隠すたびに、本心の自分をさらけ出す。冷たく、無感情に。



 開き直ったのだ。彼は。冷たくも、無を表す人形のように。いつも通りになってしまったのだ。怒ってなどいない。焦っていただけ。


 催促される側のフードの男に、罪悪感ぐらいはわく。催促する側の自分が、知恵を持つフードの男に無報酬で、その知恵を要求したことに対しての罪悪感。


 彼は謝罪を挨拶のようにする。一つ一つの挨拶であれど、感情は込めている。他者が見れば価値がないし、言葉単体で見れば意味はない。だが、彼が込めた感情だけは本物だ。


 意味がないものだが、込めている感情だけは偽物なんかではない。


 彼は踵を返すように、フードの男に背を向けた。


 その背に。


「お待ちください」


 度胸を決めたのか、覚悟を決めたのか。決心を固めたフードの男の声がかかった。


 彼は迷うことなく、振り返る。


 あの催促されたときの圧力。それに屈することなく、悩み続けたフードの男。恐怖にも近い時間が、一方的に打ち切られること。彼からの興味が自分から消えたように感じたことへの絶望感。


 フードの男は悟ってしまった。理解してしまった。あの問い詰めと、手紙の内容。悩むことなどなかったのだと。誰に服従し、誰に媚びるのか。どこに服従し、心のありさまを求めていくのか。


「…閣下。まずは返答が遅れたことに謝罪を」


「…謝罪は必要ありません。僕こそが悪いのですから」


 同時に抱える謝罪への感情。両者とも、申し訳ないという感情が込められている。理由も立場も関係なしに、ただ申し訳ないという感情だけが含まれている。


 それを否定することも、誰もしない。する価値も意味もないと誰もが悟っているからだ。


「手紙に関しては。…そのお好きなようにしたらと」


 この場にいる誰もが彼が文字を読めないという事実を失念している。手紙の内容を聞いている彼と、手紙に対してどう思うのかという勘違いをするフードの男。両者の意図する言葉はすれ違う。


「…そうじゃなく」


 そのすれ違いを彼も今回は感じ取ったようだった。


 内容を聞くべきなのに、言葉足らずで相手に誤解をさせていたと。


 それを修正する努力を始めた。


 彼は遠慮をすることを忘れるように。第三者の自分が、他人に恥を忍んで尋ねる自分の姿を嘲笑するのを見なかったことにするように。


「…どういう内容でしたか?」


 彼の問い。


 この場にいる全員に聞かせろという言葉にしか聞こえなかった。フードの男と彼の二人の話で済ませる気はない。また、口に出させて反応を確かめるという目的もある。そういう意図があるのだと表立って、証明するかのような問いだった。


 少ない言葉で、複数の悪意を組み込んでいく怪物。


「…っ」


 フードの男が再び言いよどむ。


 悪意ある男は、悪意を持って敵意を示す。


 手紙を知ることは許されない。知れば、組織からどういうことになるか。それを示せと。部下を巻き込んで示せと彼は言う。冷徹に、人間を否定する人形のような人間。そんな無の象徴たる人間の振りした人形。そいつが、悪意を持った振りして迫ってくる。


 問いを詰めてくる。


 ここで答えられなければ。言わなければという強迫観念に押しとおされる。だが、部下を巻き込みたくないという理性がここで邪魔をする。


 それでも、理性を跳ね除けて続けることにした。


「…今回のことを正当に評価し、組織に組み入れることにする。また閣下の影響力の高さ、実力から見ても相応の地位に就くことが認められました」


 言葉を極力避ける。


 ある言葉を認識させてはいけない。


 これだけならば誰もが喜ぶ。また普通ならそれ以降の言葉も喜ぶ内容なのだ。だが彼が、怪物が示した不快感の意味。


「…それだけですか?」


 彼の率直な疑問が問いに重みをかけていく。フードの男が言いよどむ理由がわからない。そういった類の反応だ。


 だが、問われる方はたまったものではない。


「…ただ、それを認めるにはもう一仕事を付けてこなければなりません。閣下が正式に組織の一員になったと、ある商人の方へ直接出向いて話をつけてきていただきたいのです」


 仮面越しであれど、フードの男は視線を彼からそらしていた。気付かれているだろうが、一応の抵抗のため。


「…それだけですか?」


 彼の反応は、ますます疑問が深まったかのようなものだった。その程度のことなのに、なぜ躊躇するかのような反応だったのか。それが気になったのだ。ほかに、本命の面倒ごとが含まれているのかもしれない。


 だからこそ、彼は喜びを見せることができない。


 正式な一員となる。組織の一員。いってしまえば現代人の感覚で言えば、社員のようなもの。それらに近い立場を得られることに喜びがないといっては嘘になる。底辺が、地に足をつけられる。そういった意味がわからないほど、彼も馬鹿ではない。


「…閣下が、組織の。・・・・その組織の一員に」


「…それだけですか?」


 なぜ言いよどむのか。


 彼はますます、わけがわからない。


「…組織の犬になるということです。好き勝手してはいけず、組織の支配下に収まるということです。拒否することは現状お勧めできません」


 拒否すれば、敵とみなすという文が手紙には書かれていた。


 また怪物は王にも反発し、誰にも従わない孤高の怪物だ。その怪物に対して、鎖を付けて犬にしてやるという内容だ。



「・・・・その程度ですか?」


「…はい」


 彼は空を見上げた。困ったことがあったとき、悩んだとき。緊張したとき、喜ぶことがあったとき。感情の起伏が激しそうになるたびに空を見上げる癖があった。


 ただ、変わらぬ青空。いつぞやの騎士たちに門前で囲まれたときの再現かなと思わずにはいられない。


 だが今回は違う。一方的な脅迫ではなく、仕事の斡旋される派遣社員という扱いでもない。期間限定の社員というわけでもない。


 就職だ。


 就職なのだ。


 底辺が、就職する。正式に。その言葉、重みに彼は喜びを隠そうとしなかった。第三者の自分が冷めた反応を見せても、無視をできるほどのもの。





 その達観、空を見上げる姿。喜びのあまりに向ける微笑こそ、この場にいる全ての存在の恐怖をかきたてる。怪物に対し、服従を求めたもの。


 これが、この内容こそが、怪物を不快にさせるほどの内容。


 それをフードの男が口に出す。出させる意図なぞほかでもない。悪意だ。悪意が選別をしているのだ。この他者を凌駕するほどの悪意の塊。悪意の塊に首輪をつけて支配するということができるわけがない。


 いずれ鎖を抜け出し、暴れ出す未来しか想像できない。


「…そういえば」


 彼はつづけた。空を見上げながら。


「はっ」


 フードの男は、内心どうにでもなれという投げやり感を隠して。


「…商人に挨拶をすれば、一員になれるとのことですが?」


「その通りです」


 念のための確認。彼の慎重な性格による確認。ただ失敗を恐れて、行動をしない彼の予防策。失敗をしないための予防策。


「…いつ頃までに?」


「…いつでも」


 緊張が走る。彼の見上げる青空は、何も変化がない。いつも通りの青空だ。雲が浮かんで、青が広がるだけの空中世界。


 その世界から視線が地上へと向かう。


「…是非に」


 笑みを、喜色のための笑みを浮かべて彼は請け負った。


 今度からは草取りフリーターと考えずに済む。正式な一員。正社員。期間従業員じゃない。正社員。


 その感情の高ぶりからくる笑みを、フードの男たちは不快感を示した笑みと受け取った。


 組織の庇護下に入れる一員になれる喜びを持つ彼。


 組織の鎖に縛られた犬にしようとする側のフードの男たち。


 怪物は現状、組織に対抗する力を持っていない。その怪物は猛獣だ。猛獣をただ組織が力づくで支配しようとしているだけだ。


 そして、それを現状は成功した形になっている。


 だが、フードの男たちはわかっている。今だけ。今だけだ。いずれ牙をむく。猛獣は牙を忘れない。野生に生きた事がある動物が、人間に飼育されようとも、野生の本能だけは消えないように。いくら調教しても、鍛えても。決して野生の動物は、牙を忘れない。いずれ、飼育する側の不手際があれば、それを口実に牙をむく。



 忘れてはならない。


 怪物は、いつまでたっても怪物なのだと。


 フードの男たちは心に刻む。

 

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