村とフードと根暗さん 3

彼の功績はすさまじかった。あの村での一件が終えてから10日のうちに7か所の村と一人の商人を落とし込んだ。無表情で、無口で、ただ人形のように言葉をかけるだけで7か所の村は落ちた。全ての村々の住人たちは彼の存在を不気味としか形容できず、反抗する気力すらも起こさせる気もなかった。



 物を見る。


 物を弄ぶ。


 虫を見るかのような冷たい視線。人の人権も、義務も何もなかったかのように淡々とした物言い。


 現代社会が生み出した無個性の弊害は、異世界では不気味に映るのだ。功績を求める武人とは違い、手柄を求める貴族たちとも違う。役人が税を採るために厳しい顔をするわけでもなく、物を奪うための傲慢な態度をとる強盗のようでもない。


 彼のような無個性な存在は、この世界でも多少は生まれ出る存在だ。だが成熟する前に皆死ぬ。欲望に塗れることのない純朴な存在は、行動しない。欲が人を行動させるのであって、何もしない奴らなど誰もが守らないし、誰も救ってくれない。そういった現実が無個性の存在を生命的に精神的に浸食、消滅させていく。環境が純朴を欲深く変貌させ、変化することのなかった個体は命をけした。


 それでよかったのだ。


 物が不足がちな世界には、物を大量にほしがる欲深な住人たちで溢れている。


 金が欲しい。


 贅沢にハーレムを築きたい。


 または逆ハーレムを。


 いろいろな欲望が生まれるのは、満たされないからこその世界。


 物豊かな環境で生まれ育ったからこそ、成長することを許された無個性。物豊かな世界だったからこそ、物を欲しがらないという、つまらない存在。生きる権利を保障されたからこそ、ただ生きてきた。死にたくもないし、死ぬことも考えない。



 ただ自分がない。


 地に足をつけるという努力もしなかった。



 それが成長した姿で生きている。無個性がただ生きている。この世界でも見たことがないほどの不気味さにしか映らないのは、見た事がないからこその弊害。


 幽霊やお化け、妖怪の類を現代人が怖がるように、彼もまた同じように見られていただけのことだった。


 彼のような存在は現代社会では沢山いれど、この世界では少数。彼ほどに成長するものなど本当にごく僅か。


 気色の悪い怪物ととっても誰もが文句もいえないし、納得もできてしまう。


 それに。



 何よりハリングルッズが連れてきた武装集団が素人目に見てもわかるぐらいに、彼に怯えていた姿を村々の人々は感じ取っていた。仲間から恐れられる。仲間から距離を置かれる。これの意味を感じ取れないほど、村民や村長たちは馬鹿ではなかった。


 殺すとか殺されるとかの次元ではない。



 無個性は人の痛みをわかれない。


 わかっているように感じているだけで、結局他者の痛みを考えているだけなのだ。


 だからこそ、彼のようなものは決して相容れない。他人事のように、事件を感じて心を痛めるだけの底辺が。当事者でもない村人たちの痛みをわかるわけもなかった。


 そもそもわかる気もなかった。



 自分の事で精一杯なのだから。相手が人という種族になると途端に感傷するだけで終わる。その次のステップを進む気も歩む気もないのだ。



 他のことなど見れやしない。彼の足元、背後に控えるのは彼の家族たち。魔物と蔑まれる存在になって、初めて彼は感情を表に出すことができた。人という種族ではなく、別の彼とは別個体の存在、種族になって初めて痛み分けができるのだ。


 これが無個性の正体


 対人間の感情兵器。


 人となると拒絶し、犬猫といった動物たちにしか親身になれない。人間としての紛い物。ペットのような感覚でしか、彼は他者と関われないのだ。


 それが要因で、その行動が人形と捉えられる原因だった。


 下手をすれば虫のような存在の方が、親身になれる。そのぐらいどうでもよい存在なのだ、人間に対して。



 関わる気はあれど、関わりたくない。友達がほしいけれど、自分のテリトリーに踏み込まれたくない。こんな紛い物が息をして生きている。


 この異世界において異端な存在が、恐れられないわけがなかった。


 奇妙で不気味。


 奇天烈で破壊的。



 他者がそう勘違いするのも無理がない。彼には自分というものがまったくないのだ。あっても一時の感情のみ。それこそ他の人間よりも抑制、抑圧されているのだ。下手な軍人よりも自己を統制しているといってもよかった。


 そして無を演じるように、距離感をおく物体。それが彼の正体だった。



 そんな彼に村々は降伏し、借金の返済は時間をかけてでも行うと確約した。誰も奴隷を出すことなく、借金の増額だけでハリングルッズを黙らせて。己が仕事を完遂した。



 ハリングルッズは村々に金を貸して、事情があって金を返さない村々たちから借金の返済を迫っただけの行為。


 それ以上の意味はなく。


 それ以上の意図はなかった。


 だが、一人の強情な商人がハリングルッズ内、および外の裏社会の存在達から彼の評価を更に上昇させる。


 借金の返済。


 みかじめ料。


 協力の拒否。


 強固で強情。たったそれだけのあだ名がついた商人がいた。借金を返さない。借りた分と正規の利息ならば払ったが、それ以上の金を一切払うことのなかった商人だ。不正もする。不正も見逃す。商人だからこそ当然の行為は、行ってきている。善良ではない。悪党というわけでもない。


 足元を見てきたハリングルッズの要求を拒否していただけだった。


 強情の商人は儲かっている。生きる以上に、投資が過剰に行えるほどに。儲けているのだから、借金の額を増やそうとするハリングルッズこそ悪い。みかじめ料に関しても、不当であると無視をしてきた。


 商売がハリングルッズとかぶる武器販売に関して、協力を申し込んでも無視。


 強情と強固。


 それができるのは偏に金を持っていることと、冒険者たちを雇った護衛部隊。また有力者たちに資金を提供して得た影響力。


 ハリングルッズには及ばないであれど、抵抗できるだけの力をもった商人。


 それらが降伏した。


 商人はそんな村々の降伏を聞いて、すぐに借金とそれに伴う賠償を即座に開始した。ハリングルッズからしてみても、商人の降伏までは考えていなかった。適当に武力を集めて、脅し取ろうとまで考えていただけ。彼が、知性の怪物が借金取りになったという情報だけで、この強情な商人から金を引き出せた事実は瞬く間に広がることとなった。


 大会で暴虐のあまりを尽くした怪物。

 王に喧嘩を売る相手。


 知性をもって、悪意をなす。集団に対しても応じることのない度胸。何よりも誰もが反抗する気力すらわかせないほどの無個性。


 これらを備わった、彼という個人が加わっただけで。


 強情の商人は降伏した。否、金を出した。ハリングルッズが言いがかりをつけた借金の増額と賠償を付けて。


 だからこそだろう。


 今、彼の足元にはフードの男が片膝をついていた。その一歩後ろには、20人ほどの武装集団も同じように片膝をついていた。

 かつて村を脅して、暴力的な行為を行ってきた武装集団たち。それを止めてきた彼。数は圧倒的に相手方が有利であり、現在も戦えば彼は簡単に死ぬ。そんな実力差が目に見えてわかるというのに、ただ片膝をついて、彼に対して敬意を示していた。



 ハリングルッズは彼に対し、裏社会での影響力の高さを改めて評価し直したようだった。


 知性の怪物というネームは、一個たいの存在に与えられる影響力にして破格の存在だと。



 グラスフィールの都市の一角、それも彼がよくいる広場にて。周りの人間も彼という噂をかぎつけ、恐怖の対象であるかのように離れて姿を隠している。


 そんな誰もいなかった静かな広場にて。


「…なんのようです?」


 彼の目線は、片膝をつくフードの男へ向かっている。仕事は終わったはず。用は済んだはずだという視線がフードの男たちを射貫いていた。鋭くもなく、村人たちが感じたような無の視線。



 金はもう受け取っていた。借金取りを行って、最後の村を陥落させたときに。小さな皮の袋をもらった。紐で封をした小袋には、目がくらむような金貨の群れたち。およそ20枚ほどの報酬を確かにうけとったはずだった。


 もう用はない。


 少なくてもしばらくは。


 そんな思考であった彼は、疑問を感じれずにはいられなかった。

「はっ、閣下。実はハリングルッズ上層部からの連絡事項の便りと、報奨金をお渡しすることを忘れていた為、こちらに伺いました。我々の不手際でご迷惑をおかけしますが、どうかお納めください」


「…お金は受け取りましたが?」


 疑問が疑問を。


 金は受け取った。


 何よりも目の前で片膝付くフードの男から直接。


 忘れているのか、と彼は思った。だが、あのような行為、暴力に訴えかけたかのような借金取りのことを忘れるわけもないと思い返した。記憶に残りすぎるのだ。誰もが怯えていた。


 彼からすれば、ハリングルッズたるフードの男たちに。


 実際は彼に対して怯えている事実を知らずに。


 彼は自分では何もしていないと感じているし、もらった報酬自体も過剰であると思い込んでいる。だが、返還する気もない。一応は仕事であり、拘束された時間の分の代金であると相手が評価したのだから。


 渡してから返せと言われても困ってしまう。


 だが、実態は違った。


「報酬の額が少なすぎたようでした」



 フードの男はそんな彼の疑問を打ち砕くかのように言った。表情、体格などフードと仮面で隠されているためにわからない。だが、現在の金額でも満足しているのに、更に増やそうとする相手に対し。


「…これ以上はいりません」


 警戒のためか、拒否に入った。彼は無個性でありながらも、ある程度の欲はある。他者からすれば欲がないというレベルであれど。多すぎる報酬は、警戒を生み出す。一日5万の仕事があったら誰であっても警戒するように、彼も同じように警戒という名の拒絶を態度に示した。


「報酬の受け取りの話は、置いときまして。まずはこの便りを」


 フードの男は懐をまさぐることもなく、いつの間にか手にした一通の手紙。その手紙を献上するかのような手つきで彼へと差し出した。


「…」


 このフードの男は頑固そうだった。譲る気もない。それを薄々と感じ始めた彼は、献上された手紙だけでもと、両手で丁寧に受け取った。


「この場でお読みください」


 手紙は封筒に入っているらしく、手紙単体ではなかった。白い封筒の材質は紙だと手触りで判断し、見渡せば、ロウで封をされていた。そのロウに刻まれた刻印は、彼がもつ短剣の刻印と一致している。


「…この場で?」


「はい。それらは門外不出のようでして、読みいただいた後は破棄をします」


 その後はフードの男は口を開かない。次のステップへと進めと無言で圧力をかけてきていた。


「…」


 ロウを丁寧にはがそうとしたが、無理だった。仕方なく短剣をもって、ロウをそっと切っていく。封を開けて中身の手紙を出した。


 丁寧に二つ折りにたたまれた手紙。これも紙だった。この世界で紙を見たのは久しぶりだったと感じた。今まで皮とかで書かれていた書類とかならば見た事もあった。だが、紙。しかも手触りから言っても前の世界の紙と同等の品質。


 未発達の文明だと思い込んでいた彼だったが、この紙の手触りだけで理解した。知らなかっただけで、文明は進んでいたのだと。無知は恥ずかしいけれど、無知のまま偉そうに驕るなど、恥の上塗りであったと。


 考えを思い返さなければならなかった。


「…よい紙ですね」


 褒める言葉なんか適当だった。だが、彼の口は意識せずに感嘆の言葉を漏らしていただけなのだ。久しぶりの文明を見た感覚。自身の情報の誤り。


 それらが更新されて、少し彼は喜色の笑みを僅かに浮かべていた。未知との遭遇に興奮する学者のように、彼はただ微笑を浮かべていた。




 フードの男は、彼の感想に相槌を打とうとした。だが、彼が浮かべる微笑に思わず、言葉を失っていた。無個性が、感情を示した感覚。


 しいて言うなれば、彼が手紙に感じた異世界の文明に関する無知を改める喜びのように。


 彼が浮かべる感情の一角に、人形が感情を浮かべている事実に。人形でなくて、人間であったと。そんな事実の驚愕に。



 お互いはただ、沈黙を返していた。


 彼も意識せずに口を開いていたものだから、返答なども気にしてない。


 ただ次のステップに進む。


 手紙を開いた。


 あるのは柔らかそうな文字の羅列。漢字のような硬い文字ではなく、カタカナのようなカクカクさもない。ひらがなのような柔らかい傾倒であれども、形が似ても似つかない。英語のような、滑らかさがあるわけでもない文字の羅列。


 読めない。


 まったくもって読めなかった。

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