村とフードと根暗さん
「マダライどの、これにて調整を終えました。以降は我々にお任せを」
彼の隣に立つ男が言う。鬼を象ったかのような邪悪な仮面をかぶり、黒いフードに全身を包む隣人。元の世界では関わりたくない変人。そのフードの男の性別を推測したのは、声であった。低音の渋い声が仮面の下から聞こえている以上、女性には似つかわしくない。その感覚から彼は男だと断定した。
身体的特徴に関してはフードのせいでよくわからないのもある。
「…お任せします」
彼は全てを投げ出して、信認する。顔もわからぬ存在に自身が行う仕事の権利を明け渡すこと。上司が部下に仕事を任せるかのようなものに、どことなく違和感を覚えてしまうのは無理もなかった。
また自分の、仕事の権限を他人に明け渡すことに恐怖を感じないでもなかった。逆らう気もない。なにせフードの男の背後に控える20人ほどの団体。フードの男がかぶる仮面以外、共通のものは何もない団体。服装も髪型もバラバラ、性別すらもバラバラ。種族も何もかもが統一されてすらいない。あるのは仮面のみだ。このような村に20人ほどの団体が、背中、片手、腰それぞれに武器を持っていること。
それらの要因が彼に逆らう気力を作らせなかった。暴圧的でもなく、圧政的でもない。そんな存在に不快感を感じるわけでもなく、敬意を感じるような態度には何も言い出すこともできなかった。
彼も対抗するように魔物の一味を連れているが、それでもあの数には逆らう気もない。騎士団とは違い、顔がわからない相手というのは不気味で、動きづらい。反応しづらい。関わりたくない。その複数の感情が状況に流された方が楽という判断を生み出した。
舞台はグラスフィールの都市から馬車で3時間ほどの村である。平原に引かれた町道に逆らうことなく、南東に進むと木々に囲われた村がぽつんと立っている。森を切り開いた土地にできた村のようで、あたり一面木々まみれである。その森と村との区別は杭をたてて作られた壁だけだ。自然と文化の境界線は杭だけらしく、ほかは地面は森と村の違いはなかった。
彼がやたら地面にこだわる理由。
現在立つ、足場が不安定なことのせいだろう。
靴が土に汚され、足を動かすたびにくちゃりくちゃりと湿った感触が彼を襲う。沈み込むわけでもない中途半端に靴底が地面に支配されていく感覚は、気色悪いという一言に尽きてしまう。
彼がぬかるみに気を取られていると。
「マダライどの、我々は先に村に入ります。少し時間がたってからお入りください」
フードの男がそういって、村に消えていく。背後に連れた団体さんもそのまま入場。村の奥へ、変人一味が飲み込まれていくように、中へ中へと進んでいった。
やがて彼から見えるのは、地面に残された複数の足跡だけだった。
彼の視界に入る、村の門。大きな木々を加工してできた門は、自然を生かしたかのような雑な作りだ。そこそこの歴史があるらしく素人目でも古いことがわかってしまう。彼の苦労を知らない手が門を撫でると、ざらつきが小さく残るような手触り。時間がたち、表面が風によって削られたのか、思っていたよりもざらざらがなかった。
「…仕事をお願いとはいったけど、早くない?」
彼の独り言は、こぼれるだけで反応が返ってくることはない。あの墓場の夜、リザにお願いしたことが翌日の昼間に叶う。都市の広場でゴブリンの耳を引っ張ったり、頬をもんで遊んでいたときにやってきたフードの男。その男はリザの指示で彼の元に訪れたらしかった。仕事がほしいという彼の要望という点もあって、断りづらく状況に流された結果、これである。フードの男が用意した馬車に彼とフードの男が乗り、後ろから魔物が乗った馬車が付いていく。
この都市に来たときのような似た光景。都市に来たときは自分の馬車できたことが違う点であり、今回は他人の馬車であるということ。居心地の悪さだけが無口を生み、語る言葉なく村につくまで会話はなかった。
村につけば、20人ほどの仮面をかぶった団体が待っていた。
それが事の顛末だった。
急すぎるのはやめてほしい。
望みがすぐ叶うのはよいことだと思うが、早すぎるのは逆に勘弁してほしかった。
心の準備が必要なのだ。
やるための準備、やるための準備をするための準備。頑張る勇気、その他色々な準備が必要なのだ。熟練の人間も仕事にかかる場合準備をするように、底辺には底辺の準備が必要だった。
「…何も持ってないよ」
あるのは金貨と薬の一部。武器といっても短剣が一つ。
「…仕事の内容何も聞いてない」
その不安からか、足に頭をこすり付ける猫のような牛さんの背を撫でていく。少し乱暴なのは、不安が強すぎるからだ。いつもより乱暴な手つきであることは牛さんも理解しているが、情緒不安定なときの彼はいつも撫でる手が乱暴なので気にすることもない。
撫でてもらえてうれしいという感情がつよくて、手つきも、手の力も気にすることなく彼の足に頭をこする。
「…少し待ってから村に入れというのは一体・・」
自信がない彼の心境。自分から考え、行動する。その一つの意志を持つのが、どれほど心に負担がかかるのか。村に入るタイミングひとつ、難しい。
入るのが早くても準備の邪魔になるかもしれない。
遅くても、相手を必要以上に待たせるだけ。
「…どうしろと」
そんなときだった。
村全体から悲鳴のようなものが上がった。ぎゃーというパニックから生まれる悲鳴というよりも、不安と恐怖からもたらされる悲鳴。そのような感想を抱いたのは、すぐに悲鳴が静まったからだ。何もわからず喚くようなものならば、いつまでも聞こえているはずだ。だからこそ、彼は比較的冷静に判断ができた。
何が起きているのか。
彼が浮かべたのは、それではない。
何かが起きた。
彼が浮かべたのは、結果のみ。原因を知りたいわけではなく、現状を強く知りたいというわけでもない。関わりたくない。悲鳴を上げて、すぐ静まるような村に。
そんな村に彼は入りたくない。
「…か、かえろう」
体は正面に向いていながらも、足が意志とは無関係にゆっくりと後ろへ下がっていく。一歩、一歩、数えるのが容易いほどのゆったりと後方へ逃げ出そうとする中。
再び悲鳴が上がった。
そしてすぐやんだ。
幽霊が出たようなパニック的なものではない。パニック的なものならば、悲鳴がやむわけもない。悲鳴の原因があって、悲鳴が静まるような原因もある。
それらを特定したかのような冷静な静まり方。
彼の足が止まっていた。下がることよりも、一歩前へ進んでいた。
好奇心があったのは事実。
原因を知りたくないのも事実。
なんとなく、彼の足が前へと進んでいた。フードの男とその一味が村に入っている。もし魔物やら狂暴な獣やらが村に入りこんだから騒いだのかもしれない。その騒ぎに一時の仕事仲間とはいえ、巻き込まれているかもしれない。
義務感。
仕事への義務感が彼を一歩。また一歩前へと進む勇気を与えていく。
門に体を隠すようにして、覗き込むように頭だけをさらけ出す。だが、見えるものは一部の民家のみだった。木造の家、ほったて小屋と見間違うような建物が並ぶだけだった。奥まで見えることはない。
悲鳴はやんでいる。
狂暴な獣に狙われた獲物が息をひそめるかのような静けさ。
門から足をそっと出す。忍び足のように、奥へと入っていく。
仕事だから。
仕事だから。
この感情だけで彼は村へと入っていく。勇気なぞもはやなく、あるのは義務感に全てを丸投げした底辺の男が一人。彼が入るならば、魔物たちも後に続く。
慎重に入る彼と、堂々と入る魔物たち。上下関係なぞ、この場だけを見れば魔物たちのほうが上だと思ってしまうほどに、彼は無様だった。
「…かえりたい」
「も!」
なら帰ろうという牛さんの応答。誰も彼に反応しないため、少し牛さんも哀れに思ったらしい。牛さんが彼に対し哀れと思うのは初めてだと思うほどに、彼は無様だった。
無様だが、勇気を振り絞っている。
その姿に馬鹿にする気配は誰にもない。した瞬間、牛さんがそいつをつぶす。オークの華が、リザードマンの静がすぐさまに粛清に入る。ゆえに魔物たちは何も語らず、ついていく。むしろ他の魔物たちからすれば彼の無様な姿は新鮮だったらしい。貴重なものを見れたと、コボルトやゴブリンたちが声にも出さない笑みを浮かべている。嘲笑などは一切なかった。
彼も魔物たちになら、無様な姿を見せても恥ずかしくないらしい。堂々と無様な姿をさらして、村の奥へと進む。一人なら仕事だろうと入らない。魔物たちがいるから何とかなるという予防線が、わずかばかりの勇気を守っている。
やがて見えたのは、開けた場所に集まる村人達。村人たちの一歩前に出ている老人と、近くにいるフードの男。老人の後ろの村人たちを20人ほどの集団が、武器を構えて囲んでいた。
「…何してるんです」
彼の声は届かない。状況がわからない焦燥の声は、小さすぎて場の空気に掻き消されている。フードの男たちが何をしているのか、整理するまでもなかった。
村人たちを囲んでいる、仮面をかぶる集団が。
思わず、彼は頭を抱えた。
(なんだこれ)
「…なんだこれ」
彼の戸惑いは、誰にも聞こえない。聞かせようと思ってもいない。聞かれたくないという意識が声を抑制しているからだ。
彼が状況に困惑している中、フードの男は彼を見つけたようだ。
「我々の金を返さない泥棒達よ。我々の指示に従わず、話も聞きやしない愚か者たちにチャンスをやろう」
そうしてフードの男は、彼に手のひらを差し向けた。
「あちらにおられる方がお前たちの処遇を決める。それがチャンスだ。必死に許しを乞え」
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