獣と闇と根暗ぼっち 4
彼の突然の謝罪。全ての事柄を悪意と絡めて、食らい尽くす怪物の頭部がリザの目の前に下げられている。隙だらけであり、今ならば簡単に首をはねることすらできる。抵抗しようが、彼の両手は脇に添えられて、反撃も防御もままならないだろう。ならば別の戦力たる、肝心の魔物たちも周囲にはゴブリンとコボルトのみ。
先ほど戦った3匹は、少し離れた位置で待機していた。
今ならばやれる。
ごくりとリザが固唾をのむ。
その謝罪という行為の有無、それらすら深く考えることを放棄したくなるほどの誘惑が目の前に広がっていた。先ほどまで浮かべていた狂気も、嘲笑もそこにはなかった。ただ、判断にまよう見た目相応の少女がそこにはいただけだ。
「…判断は如何様にも」
わずかに顔だけを上げて、リザを見つめる彼。真面目な様子であり、ふざけたものを感じさせない丁寧な対応。リザが見つけてきた怪物が起こす、慎重なものに半ば後ずさりすらしていた。
今までの大胆な悪意と違い、今回の悪意は何というか、怪物らしくない。
半ば脳内が怪物のデーターと今の怪物との比較、予測、これからの展開。全ての物事を判断し、どう動くか悩んでいたときだった。
気付けば。
冷たく死んだ目がリザをとらえている。
隙だらけでありながらも、油断をしているようには見えていない。
リザが悩む姿、呆然としていた己の姿を観察するように、見つめていた。
(罠か!!)
何に対しての罠か。隙を見せてどういったことをしてくるかの観察か。自身の無様な姿を見せつけて、リザという獲物がどういった反応をするのかを調べるのが目的か。
いずれの理由も当てはまりそうで、動くのに躊躇いがあった。
怪物は、人の心を読み取る天才であると。誰かが言った。
怪物は、人を食らい尽くす災厄であると、敵対者は言った。
少しばかりの接点であったものですら、利用し、自身の力にしてくるとすら噂にもなっていた。
そして魔物たちと実際戦ってみて、わかったことがある。彼が支配する魔物は、そんじょそこらの者たちでは敵うまいと。リザードマン一匹ならば、なんとでもなる。オーク一匹なぞ簡単に始末できる。だが二匹が相手となった瞬間、難易度が跳ね上がる。お互いの弱点をカバーするという言葉が生ぬるく感じるほどの連携。隙があるようで、全くない。この二匹を相手にする場合は、圧倒的な力かもしくは数で攻めねば、簡単には落ちないだろう。
熟練のアサシンたるリザが強敵だったと判断したぐらい、油断を許さないものであった。
その生みの親、否、育ての親が今か今かとリザの次を待っていた。
次の手を。リザがどう動くかを見定めていた。
怪物の首を跳ね飛ばす。そんなことをしても、何かしら防がれたらと考えれば動けない。怪物は、どんな手でも使うのだから。悪意の塊たる怪物と悪意を小手先にしか使えない自身では分が悪かった。
結局。
悩むまでもなく。
「わかりました。受け入れましょう」
彼の謝罪をそのまま、受け止めた。自身が悪いとは言わず、相手が悪いといっているのだから、それにのっとって動く。交渉も全てを投げ飛ばし、相手が認めたのだから相手が悪いという法則を利用して。
途端。ぞくりと背筋がはねた。
「…感謝します」
その言葉。その態度はなんだ。
一呼吸置いて、彼が話すのは知っている。一瞬の間に頭を回転させて、その呼吸の合間に思いついた悪意を展開するための時間。それらを稼ぐためのものであると。
なぜ。
無表情で、無感情だった。
ただ、つまらなそうに何となく見えるだけであった。浮かべているものすらないのに、つまらなくなさそう。まるでこれらが茶番であるかのように、彼は演じているようにすら見えた。
その憶測のわずか先。
少しだけ見えた彼の感情。ごくわずか、一瞬の界間に見せた頬の緩み。
思い通りに進んだ、と。
悩むことなく、全てが順調であるかのような空気をわずかに彼は出していた。いくら怪物であろうと、わずかな感情の名残すら隠しきれない事実。それらは元からしっていたし、今までもさらけ出してきた。
無表情という言葉に。疑問を覚えるぐらいに常に変化がないのだ。変化がないのが彼の感情の揺れ幅であると気付いたときから、行動を思い描くのをはじめていた。
このときの怪物が浮かべたのは間違いなく。
計画通りに進んだ詐欺師のもの。
「…」
何も語れない。口から出た言葉は、もう戻すことはできない。対応を間違えたことはなく、現にそれを受け止めた瞬間に、魔物たちの圧力が拡散したのは事実であった。先ほどまでの緊迫とした空気は、嘘のように、静けさが漂うばかり。
「た、ただし」
リザは勇気を出すしかない。思い通りに進められているのは尺であるし、それをみすみす見逃すことになっても侮られてもたまらない。
相手が悪いと認めた。
ならばこちらが悪くても、悪くない。
そういう結論に至るわけである。
「こちらからも今回の補填をするため、今後仕事をお願いしたいと考えています。都合の良いときであれば、といいたいですが。できれば、受けていただきたいと思っています」
冷や汗をかきながらも、リザは一歩踏み出した。交渉事もそうだが、実際に一歩踏み出していた。彼の顔の先、そこには彼の人形のような顔が目の前の距離までの侵攻。
「…っ!」
彼の表情がゆがむ。ありえないといわんばかりに、困惑と慌てた表情。自分のテリトリーに入りこまれた動物のように、彼も拒否反応をわずかに示していた。それらはリザであれば、気付いたことであった。ほかのものですら、気付かないぐらいの小さい反応。
ただ、先ほどの詐欺師まみれの感情よりも。
しっかりと読み取れた。
くすりとリザの口元がゆがむ。それは笑みである。何のためらいもない、愉快そうに笑う淑女の微笑みがあった。
「なるほど」
笑みは濃くなった。怪物は、不測の事態に意外と弱いという部分。ただ、すぐに取り繕った姿を見れば、その隙から生じるダメージは多く与えることなどできやしないとも思える。
それでよい。
それでいい。
怪物にも弱点がある。
それでよいのだ。
「…仕事とはどんな」
怪物はリザを見つめることもなく。視線をわずかにそらしている。テリトリーに浸食された彼は、人の顔をまともに見ることなどできない。浸食されてなくてもできないのだから、今の状態は苦痛でしかない。それらをリザは知る由もない。
ただ視線をそらされたのは気付いていた。
「難しいことではありません」
あなたには。
リザが言外に語る。
「とても簡単なことです」
あなたの力なら。
リザが微笑む中。彼は小さく口を開いた。
「…その簡単なことを失敗した場合は?」
彼は誰もが簡単だという行為を、簡単に行える自信がない。必ず失敗するという恐怖だけが先行し、物事を進められない。臆病者は、尋ねた。
失敗の責任。
失敗の賠償。
ここで仕事を断るという選択肢は彼にはない。いつまでも草取りフリータで過ごすわけもいかないし、過ごせるわけでもない。どこかで別の仕事を探さなければならない。
また、今回の加害者からの謝罪の補填という難題もある。
いくら補填といっても、責任と賠償が降りかかってくるのであれば、遠慮することも考えなければならない。聞かずに契約するのが愚かなのは誰もが知っていること。底辺であろうと、そのぐらいわきまえている。
底辺は、誰もがやらないことを失敗することに関しては天才であると。彼の経験則が語る。
わずかに聞こえる、笑う声。
ふふと軽い握りこぶしを口元にあてがう淑女は、ただ笑みを深く。それはどういった意味で発言したかわからないが、彼の逃げの声。
ああ、なるほど。
ここでも怪物は知恵を回そうとするのか。
ただ、意味もなく。
巻き込もうとしているだけで、何も考えていない自身の提案を。仕事一つとっても怪物は考えて、無駄に頭をまわさなければならない。
なんて滑稽な存在なのか。先ほどまでの強敵感は今でも残っている。
だが、ここまで警戒心と知恵をまわし続ける姿は。
ある意味無様だった。
そんなこと口に出せば、たちまち悪意によって飲み干されるだろうが。
「保証、賠償。失敗の責任を取るのは我々であり、あなたはただ取り組むだけでよいのです」
まるで、自信が会話の手綱を握れたかのような錯覚。
「…そうですか」
彼の反応が変わる。視線を下に。顔を俯かせて、悩む姿に。表にださなかった怪物が、ただ見える形で化け物に成り下がる瞬間を。
「むろん、強制では…」
リザの予測。それは彼が、いつものごとく。
「…ぜひお願いします」
断ってくることだと思い込んでいたことだった。
わかりきった断りの返事を入れてくるだろうと、リザは高をくくっていた。そのため返事など期待せずにいた。だが、このタイミングで彼が受け入れた。
受け入れてきた。
驚愕の表情が隠せないリザは、慌てて動き出したのを抑えきれなかった。
「な、なぜ!!」
「…まともな仕事にありつけるかと思いまして」
慌てるリザと単調な彼。
それらの余裕の差。先ほどまでの会話の手綱はリザから彼へ。バトンタッチという名目すら行わずに、勝手に彼の手にバトンがわたる。
リザの表情に浮かぶ焦りの原因が。
読めない。
その一点である。仕事を頼む立場というのは、色々なものを送り込めるということだ。一度契約すれば、破棄すれば信用が減る。信用という安くて重い言葉には色々な制約が混じりこむ。いくら断ってもよいといっても、断っていくたびに頼まれる仕事が減るという引き算すらある。
罠が仕込まれる可能性を考えていないのか。
その考えが浮かぶことなく、沈む。
彼相手に、無駄の考え。悩むことなく、それらを思い描いて何とでもなるから受け入れたに決まっていると考えが上書きしていく。
どうして。
なぜだ。
その疑問が尽きることなく、リザの全てを覆っていく。浮かぶことのない答えに。また止まってくれない時間の流れが、リザを焦らせていく。
これはチャンスである。
逆にピンチでもある。
怪物に仕事を与えることができるチャンスと。
怪物に飲み込まれるピンチ。
「…どうでしょうか」
彼は伏し目がちに、尋ねてくる。こもっていた感情すら読み取ることができずに。ただ焦らすかのように彼の言葉が続く。
「…駄目でしたら」
時間が止まればよい。
リザは何となく思った。
ああ、なるほど。
こいつはこういうやつだった。
「いいえ。ぜひお願いします。できれば、仕事を行うときは我々の仲間として考えていただければ」
悩む時間すら取らせず、焦りだけが生まれていく。
だからこそ、リザはチャンスを採るか。ピンチを嘆くか。悩んだうちに、考えも纏まりきらずに。
彼を。
仕事をやっている間だけとはいえ。
仲間に引き込むことを選択した。
「詳しい内容は、後日連絡します」
ただ、早く立ち去りたい。落ち着いた場所で考えをまとめたい。それらがリザが帰宅したいと思える感情の一つ。目をつむり、ただ事の成り行きを待つアイゼンなど知ったことではない。
ただ今だけは眠って黙っていろ。
悩ませるな。
その案件だけで手がいっぱいであると。リザは笑みを作りながら、取り繕った。
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