獣と闇と根暗ぼっち 2

彼は墓の前にいるリザの姿に驚くこともしなかった。死んだばかりの人間に対して墓参りという考えならば驚くこともないのだが。


 しかし、彼は信じていない。墓参りという可能性を。世間体によって流され続けた自分にはどうしてもこの状況で墓参りをする考えを持ち合わせていない。


 埋葬されてすぐに墓参り。


 死人、けれども犯罪者。


 いくら知り合いだろうと犯罪者の人間を。罰せられた存在に近寄りたいだろうか。


 すぐに近寄りたいものだろうか。彼ならば否である。一般的な感覚として犯罪者にかかわろうとするのは好奇心の高い存在で、面倒くさい奴だと相場が決まっていた。


 もしくは同じ穴の貉というやつか。


 それに何となく居るであろうという推測だけは何故かあった。事あるごとに暗躍しそうなリザの事だ。彼が何かをするたびに彼女は現れ、彼に何かしら声をかけていく。


 短剣を。


 アラクネたる雲を。


 彼女は彼に何かを渡し続けた。



 今回もいる、はず。


 その結果が予測通りであった。





 それに、彼には考えがある。アイゼンは死んでいない。生きている、と。その思考が行く先。向かうべき結論は、ただ一つ。


「…やはり」


 彼の思案めいた表情は、小さく確信にみちた言葉をこぼす。


 これは仕組まれたことであったと。



「なにがやはりなのでしょう?」


 彼のこぼした小声を聞き逃さずに、狂気を隠さずに笑顔で振りまく淑女。そこに慈愛の念もなければ、関心をもった形も示されていない。執拗に迫ってくるかのような感覚を周囲に指し示す。


 リザは気付いていた。


 聞くまでもない、と。




 アイゼンは生きているというのが彼の結論ならば。


 アイゼンを生かしたのは自分であるという結論を彼が出したはず。



「…その墓に何か御用が?」


 珍しいことに彼が訪ねていた。その冷たい眼光はいつにもまして棘がある。少しでも聞き逃すことがないよう、彼から戦端を切り開こうとしていたのだ。彼の中にその意識はなくても、第三者がいれば、勘違いするだろう。


 殺気だった魔物たちが、牙を隠さず唸っているのだ。


 リザードマンは剣を抜いていた。


 オークは槍を構えていた。


 アラクネは、指をくわえてながらも彼から離れず。


 牛さんにかんしては、今にも飛びかからんとせんほどに殺気をばらまいていた。


 ゴブリン、コボルトの二種族に関しては、冷静な反応で周囲を何回も見まわしていた。



 この状況で、誰が彼が戦端を切り開こうとしていないと思うのか。



「ええ、用があるのですよ




 ところで、そちらも用が?」



 口端が裂けそうなほど吊り上がったリザに前までの淑女の姿はない。獣でもない。それらは化け物のように、変化をとげている。見た目的なものこそ、人間そのものだ。だが、内包する圧力そのものが墓地全体の温度そのものを下げている。



 人の見た目、人が生み出す圧力。



 そんなものに彼がとらわれるわけがない。


 彼の目は鈍感なのだ。


 そして何よりも平等なのだ。



 全ての人間は等しく怖い。全ての人間は平等であり、平等に恐ろしい。一個人がどれほど、すぐれていても。恐ろしくても。彼には他全体の人類と見分けがつかない。


 彼はある程度のラインを超えた人間を、別次元の存在と捉える節があった。別次元の存在と捉えても、結局は同じ人間というランクにおさめてしまうほど、面倒臭がりやでもあった。


 せっかく分けても、定めても。同じ箱に詰めるだけ。


 単純作業に貶めてしまうほど、彼のキャパシティは狭かった。



 だからこそ、彼は屈強な存在も、天使のような存在も、悪魔のごとくおぞましい存在も。


 全て平等に怖い存在と思い込んでいた。



 ゆえに、戸惑うことはない。


 立ち止まることはない。急激に下がる殺意の波動によって魔物たちの緊張の糸がつりあがっていこうが、彼には関係のないことだった。


 文句があるのならば、人の形をやめてから言えばよいのだ。


 人をやめて、初めて彼は。


 怖いよりも恐ろしいという考えに至るのだ。そして結局は同じ箱に、ほかの人間と同じように怖いランクに貶めるのだ。



 彼は構わず、口を開く。



「アイゼン氏に用があります。もし御用がないのであれば、一時」


 一呼吸はさむ。一気に発声するほど、彼の余裕があるわけでもない。人前で声を出すというのは恥ずかしいのだ。たとえ知り合いであろうと、そこは変わらない。


 むしろ知り合いであるからこそ、大変だということだってある。だが、彼が恥ずかしいという以外でほかにもあった。


 それは一時、一瞬でもよい。考えをまとめたかった。次の行動の考えをまとめたかったのだ。彼はリザの前でアイゼン氏と敬意を示した呼び方を使ったのも理由の一つ。


 リザがアイゼン氏と知り合いだからこそ、墓参りしたのかもしれない。


 そんな知り合い、犯罪者の知り合いの墓参りするほどの中の良さがあったのかもしれない。だからこそ、赤の他人である彼が、土足で踏み込むわけにもいかない、と。常識的に考えて、リザの前でアイゼン氏と敬意を示したのだ。


 ただ、そんな予想もあたるにしても、4割ぐらいと踏んでいた。


 残り6割は、もっと悪い方向の思考。


 確実に。

「僕にその墓を調査させていただけませんか?」


 酷薄の笑みを浮かべるエセ淑女は、ただ目を閉じて。


「なぜですか?」


 楽しそうに嘲笑する。嘲笑して、聞き返す。彼女は実に楽しそうであった。楽観的なのではなく、悲愴なものも浮かべていない。


 彼は、リザのそんな変わり果てた様子にすら反応を示さない。予想通りなのだ。



「…いつからですか?」


 彼は調査もリザの問いも。全て振り捨てて。なかったことにして。


 単純に、尋ねた。


「何が?」


 リザは答える気がないようだ。嘲笑しながらも、彼女は答えない。


 それも彼は予想通り。


 こういうタイプはこういう風に演出をする。彼の人生経験は、無駄ではなかったと。




「…やはり」


「何がやはりなのでしょう?」


 最初の問い。


 最初の流れ。同じように流しては、同じように前へと逆戻り。時計の針を逆に回すように、彼女もまた場の流れを逆に、先と同じように持っていく。


「…触れられたくないということ。触れたくないということ。わざとらしく表情をゆがませて、誤魔化そうとすること。遠回しに逃げていること。全てが気味の悪い無駄な逃げ。へたくそすぎる」


 吐き捨てた。


 こういうタイプは、こういうことが一番嫌い。


 全ての努力を、見抜かれるということが大嫌いなのだ。


 だからこそ、彼は話し合いをするために。


 吐き捨ててやった。


 案の定、リザの嘲笑は止まった。ぽかんと目を見開いた表情は、ようやく淑女らしさを取り戻したかのように見えた。


「…話し合いを続行しても?」


 断ろうが、拒否しようが。


 彼は構わず続けることだろう。



 リザの目には、いまだ嘗て見たことがないほど鋭くとがっている。彼の棘とリザの棘。両者を比べるまでもなく、リザの方が鋭く、毒がある。


「ええ、今度は化かしたりいたしません」



 リザは、もう誤魔化すことはやめていた。あそこまで否定され、見破られ。毒を吐かれたのは久方ぶりであった。気味の悪い。へたくそすぎる。この彼の言葉はしっかりと心に残る。


 彼を相手に誤魔化そうとしたのが無意味だった。


 彼を相手にうやむやにしようとしたのが馬鹿だった。


 あいまいにすることで、彼とリザは敵対関係もなく、平和的な関係を持っていけると思い込んでいたこともあった。だが、リザの認識は甘かったようだ。


 彼は。知性の怪物は全てを食らい、貶める。


 この事実を忘却していたのだ。


 彼を煩わせた全ての出来事に、終止符を。完膚なきまでに叩き潰さなければ気の済まないほどに獰猛な獣であったと。


 知性があるから温厚だと。


 賢いからこそ、平和的だと。



 誰が思い込ませた考えか。


 子供時代から刷り込まれ、大人になって尚、掻き消えることのない矛盾。賢いからこそ、ずるいのだという事実を。


 いったい、いつから気付いて。


 いったい、いつから忘れてしまっていたのか。


「…アイゼン氏は生きていると考えています」



 リザは、手首の裾から短剣を滑らせ、手に落とす。両手に握りしめた短剣が。金属が冷たさを。熱くなりすぎる単調な自身の容量を、短剣の冷たさが冷静さを少しずつ回復させていく。


「正解です」


 リザは誤魔化さない。


 隠さない。



「生きていますし、生かしています。ほかにご質問が?」



 リザは、もはや動くしかないと確信した。


「・・・なぜに武器を?」


「あなたこそ、なぜ武器を?」



 彼もまた、武器、短剣を握りしめていた。リザが動くことを察したからではない。彼の経験則が、彼の警戒網が一定のラインを超えたからこそ、自衛するために行動していた。


 突拍子では動かない。


 しかしリザの目からは、こう移った。


 リザが動いたからこそ、彼が動いた。目ざとく、小さな物事から全てを見通す怪物。彼のスペックを大いに誤解した彼女には真実は映らない。


 リザが短剣を用意したからこそ、彼も用意をしたと。



「…安全のためです」


「なら、私も安全のためということで一つ」




 彼は、ため息をはいた。これはもう、駄目だと。


 暴力は嫌いだ。全てを暴力で片づけてしまうのは。


 人間らしくない。




 だが、やるしかない。


 やるしか、全ては止まって動かない。


 人は歩いて。走って。物事を解決するのだ。



 彼は静かに手を挙げた。


 墓場に、殺気が舞う。彼の行動は、手を挙げるとき。制止するときか。もしくは戦端を開くときのみだ。



 ここで制止する場面ではない。魔物たちはとっくの前に制止している。彼のもたらす諦めにも近く、冷酷な目を持って、それに逆らう魔物などいない。


 リザも語るべきものはない、と。両手を後ろに投げるように下げ、体制を低くする。クラウチングスタートのような体制に近い。


 カウント、試合を切り開くのは彼の手が下りた時。


 審判はいない。


 観客はいる。


 ここの墓場の住人たちが。勝敗を見定める。感情をなくし、希望すら持てない死者の家で、暴挙をはたらこうとする愚か者たち。その決着を見たくもないが、見させられてしまう死者の墓に対し。



 彼は何も思わず。


 リザも何も考えず。


 ただ、手を振り下ろした。


 殺気が飛ぶ。魔物たちの圧力は全て、リザへ。


リザの眼光が彼を見定め、狙いは彼だとわかるように行動を起こす。



 彼を片づければ、無法の軍団に成り下がる。


 リザを倒せば、全てが終わる。


 彼とリザ。


 両者の先端は切り開かれた。

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