獣と闇と根暗ぼっち
グラスフィールの都市について2日の時間が立った。その間、仕事はなかった。また現在は真昼間でありながら彼の手持ち仕事はない。手持無沙汰の状況であった。
都市の大通りの一角の広場。その入り口から遠く、中央から離れた端のほうの石垣に腰を下ろしていた。彼の守護者たる魔物たちは、牛さんとアラクネしかいない。ほかの魔物たちは騎士団が用意した宿に残してきた。治安がどのような場所なのかわからない場合、部屋に残した荷物が盗まれる可能性も考慮した結果である。魔物を残しておけば、盗まれることもないはずである。
都市の道いっぱいに敷き詰められた石畳は、どれも真新しく。周囲を見渡せば、目の届く範囲の建物すべてが古臭さを感じることはない。都市に入ったときから、ここに来るまで全て真新しさが残る。
彼の経験からいって、この区画、もしくは都市は新しく建造されたのだと理解できた。暇ではあるけれど、彼の大好きな退屈な時間であるけれども。
先ほどまでは、暇だったという言い訳をつけて。
この場は退屈が生み出す緩やかな空間などはなかった。
そこには綻んだ空気もない。戸惑うこともなく、彼は真っすぐ前を向いていた。彼の目線の先には、何かあれば出てくる騎士、レインが立っている。
先ほどから、数分前からレインは彼の前に立っていた。その足は動くことなく、きれいに立ちつくし、両腕はピンと張った糸のように脇につけていた。
レインは言った。何度も何度も。
重複するように、何回も。真剣そうな表情と今にも殺気たたんばかりの眼光で彼を見つめながら。
「アイゼンは私たち騎士団が」
「あなた方、騎士団が」
彼は生きた心地を、安堵した思いを隠すことなく。表情に僅かな明るさを残して、反響する山彦のようにレインの言葉を繰り返した。彼は重責から離れられたと喜びを感じ、未来が多少明るくなったことを確信する。
誰が犯罪者の相手をしたいと思うのか。なぜ自分がまきこまれなければならないのかという思いもあったのだ。それが勝手に掻き消えてくれたのだから万々歳である。
連れてこられたことに対しては、多少言いたいこともある。だが言うべきではないという大人の良識が吐き出したい文句を全てを飲み込んだ。子供相手に吐くわけにもいかないし、権力の前に毒づくわけにもいかない。
それらは簡単なことであるが、ろくでもない結果をもたらすのだ。プラスとマイナス。足し算と引き算ができれば誰もが思うことなのだ。
彼は決して文句を言うつもりもない。早く帰りたいという思いだけが先行し、全てを飲み込んだ
「つぶしました」
「…つぶしましたか」
レインは何度も言葉にしては、彼を見つめていた。反応を確かめていた。レインの言葉が彼にどのような影響を与えるか。一回では無理でも、何回も繰り返せば多少は変化があるのではないかという試み。
だが、彼の反応から解ることなど何もなかった。
多少表情が動いただけで誰がわかるというのか。虫が笑ったとして人間が理解できないように、怪物の表情を人間が理解できるわけもない。
彼を都市に連れて、二日放置。強制的に近い連行にも関わらず、仕事を任せることもなかった。彼の予定全てを騎士団が勝手に崩したくせに、何もさせない。役立たせない。
来たのは無意味。
連れてきたのは無価値。
必要などなかった。
そういう当てつけを彼にあてたのだ。レインは、その役目を受け彼に何度も繰り返していたが。結局何もわからない。あてつけることによって、彼が反応を示すのか、示してくる見せたがりか。
わずかに首をふるうレイン。自身の見る目と回らない頭。何が何をどうすればいいのかも彼女には判断が付かないのだ。
わからないまま、そのままにしておくというのは愚者の思考だ。レインは、沈みがちそうになる視線を必死に持ち上げた。座って寛ぐ彼の余裕に悪態をつきそうになりながらも、職務を全うとすることにしたようだった。
「来てください」
有無を言わせる気はなかった。断りも許可も必要ない。あてつけたところで意味がないのだから、彼を無理やりでも動かすしかないのだ。
手をつかみ、引き上げた。座っていた成人を軽々と引き上げる力に彼は半ば呆れながらも、力には勝てないと諦めた。レインは彼を引きずるように、歩き出した。彼もまた流されるように歩いていく。
「…どこへ?」
か細い尋ねる彼の声を。
「倉庫街です」
簡潔にレインは説き伏せた。彼の口を開かせれば、飲み込まれるとでも思っているのか。決して話を続けようとしなかった。彼もまたレインの答えに疑問がわくこともなかった。
彼の後ろを牛さんとアラクネがついていく。てくてくとアラクネが歩き、どしどしと牛さんが石畳を分厚い足が叩いて進む。目指すべき場所は彼の足が止まる場所である。
彼の眼下に迫るのは、広がるのは赤一色である。
倉庫街という名前にふさわしく、そこは倉庫の集まりである。大型の倉庫もあれば、小型の倉庫もある。それらは乱雑に建設されているのではなく、一定の規則をもっていた。一つ倉庫を作れば、必ず小道を作る。前後左右に必ず小道を作り、くっつけて建設された倉庫などはなかった。一つは一つ。二つを一つにという倉庫などはなかった。
その倉庫街の小道。大型の倉庫と小型の倉庫の間の小道にレインと彼、そして面倒ごとの張本人マッケンがたっていた。
あるものを囲むように立ち尽くす彼の目にうつったのは赤だった。囲みの中心地、一人の屈強な男が倒れている。赤に塗れた男は、人型であって人間ではない。かといって魔物でもない。亜人と呼ばれる人でありながら人として扱われない。全身から毛をはやし、人が獣になったかのような存在。
獣人であった。
乞食のようなぼろ布をまとっているが、その鍛え上げられた体は、布程度では隠せることなどできはしなかった。
「…アイゼン」
彼はぼつりとこぼした。アイゼンが騎士団に潰されたというのは何回も聞いていた。そして着いてこさせられて、見せられた死体。誰がどう考えてもアイゼンとしか思えない場の流れ。
血の流れている箇所は特定できはしないが、上から見下ろした感じでは生きているとは到底思えない。
「そうだ、ここで倒れている獣人こそがアイゼンだ」
マッケンは彼のこぼした言葉に追従するかのように答えた。光を失った目からは、希望も見えなければ絶望も見えはしない。
「今日、始末した。朝方、アイゼンが倉庫街で見つかったと報告があってね。そこで倉庫街全てをしらみつぶしに探し回って、見つけたというわけだ。抵抗されたため切り捨ててたわけでもあるよ」
彼の耳にマッケンの言葉は届かない。死体を見たショックから立ち直れないというわけじゃない。目立った外傷がわからず、血が流れて死んでいるだけ。それだけで彼は耳を閉ざそうとは思わなかった。
「検死済みであり、魔法でも死は確認している。見た感じでは死んでいるし、叩いても反応などはないよ」
自慢げにマッケンは語る。仕事を終えたばかり、しかも大成功をおさめた団長は頬を柔らかめに釣り上げ、彼を見つめた。マッケンによる当てつけでもある。
お前よりも先に処分したという当てつけ。言葉にしなくても、態度に示さなくてもわざわざマッケン自ら語る内容は、ただの当てつけの意思表示でしかない。
死体から目を離さない彼の行為は、騎士団に対してのせめてもの抵抗か。死んでいることをあきらめたくないからなのか、ずっと離れることなどない視線の行く末。
マッケンは口元を軽くゆがめる。嘲笑にも近く、喜色にも近い微笑みは、ようやく彼に一手先んじて打てたという安堵からでもあった。
彼は目を離さない。
離さないまま静かに腰を下ろし、死体の手首を握る。
マッケンはそれすら止めることなどしなかった。この世界に指紋といった分野はない。生きているか、死んでいるか。死因は何かというものに関しては分野はあれど、科学技術も発展していない魔法世界に指紋調査といったものなどあるわけもない。
だからこそ、彼が素手で死体の手首を触っていることに文句などなかった。
また彼が手首を触っていること自体、何をしているのかよくわかっていなかった。
心臓の鼓動を聞くことはよくやるが、手首を触ったところで何がわかるというのか。マッケンは考えを放棄し、死者に対しての手向け、もしくはそれに近い宗教上の考えなのかもしれないと思考を上書きした。
あきらめきれない思いからか。
死者への手向けとしてか。
どちらかはわからない。
だが死んでいる。
「残念ながらアイゼンは死んでいる。生前は罪人であれど、死後は皆安らかに眠る権利を持つ」
マッケンは勝ち誇る。全てに。彼に対して。彼を連れ出し、何もさせなかったことに。何をしているかも監視をした。彼は何もせず、彼は何の結果も出せていない。
勝者は自身であると。
アイゼンの手首をやたら握りしめる彼の行為。
マッケンは自ずと彼と同じように腰を下ろした。
静かに。獰猛に。
「アイゼンは死んだ」
彼は聞かずに、体を動かした。耳をアイゼンの心臓の位置へもっていき、静かに耳を体にあてた。血で濡れた体に耳を当て、血なまぐさい臭いが鼻元を漂う。濡れて気持ちの悪い感覚が耳から体の奥へ。
心臓の音はしない。
だが彼は決してやめない。手首を握ったまま、心臓の音を聞こうとする。しかしなっていない。なっていない。音はならず、反応はない。
「アイゼンは死んだ!!」
声を荒げるマッケンの言葉にも彼は耳を傾けない。
なぜだ。
彼は疑問がつきない。
なぜ。
彼のあきらめの悪さからか、その醜態に呆れたのか。マッケンは彼の脇をつかみ、無理やり立ち上がらせた。レインと同じように、彼の行動を力で解決を試みた結果であった。耳から垂れるアイゼンの血。手首を握っていた手のひらは真っ赤にそまり。
彼が耳を密着させたために真っ赤に染まった服装が。
その醜態を、あきらめきれない人間の醜態と位置付ける。
マッケンは指を彼の眼前に向けた。
「いいかい!アイゼンは死んだ!騎士団が全てを解決したんだ!!君じゃない!騎士団だ!!」
その言葉に。彼はようやくマッケンが口を開いていたことに気付いた。先ほどから何かがごちゃごちゃとうるさいと思っていたが、それらは全てマッケンが出していたと、ここでようやく気付いたのだ。
「…申し訳ありません」
彼は、彼なりに頭を下げて、謝罪を述べた。マッケンが何故感情を荒げているのか。なぜアイゼンとやらは血を流しているのか。
全てに疑問を持ちながらも、持ち前の自信を押し殺す術で事態を乗り切ろうと謝罪をこぼす。流れるままに流されて生きてきた。
だが、彼の感情は納得していない。怒鳴られたこと?感情をぶつけられたこと?。
違う。
違うのだ。
「死体は今からでも外れの墓地に埋め立てる。諦めきれないのはわかった。だから墓に行くのは許可しよう、また墓前で何をしていても文句をいうつもりはない」
彼は疑問がつきない。
その夜、月と星々が照らす幻想的な世界に、ホラーチックな要素が含まれる場所に訪れていた。外れの墓地。石の墓が立ち並び、枯れ木が墓地全体を囲む気味の悪い空間に。
彼は睨み付けるように動いていた。服装はアイゼンの死体を確認した時のままだ。さすがに耳と手のひらは洗ったが着替えるまでもなく魔物たちを全員を連れて墓地へと訪れていた。
場所は倉庫街から墓地まで、また墓に埋められたところまで見ていた為、迷うことなどなかった。
彼に墓地と夜の相性の良さが生み出す恐怖もなかった。普段ならば恐怖にかられることもあっただろうが、今の彼にそんな余裕などなかった。
疑問が尽きない。
疑問が晴れない。
マッケンは言った。死んでいると。殺したと。
レインもアイゼンをつぶしたといったはず。
なのに、なぜ生きているのか。
彼の疑問が尽きることはない。
彼がアイゼンの手首を握ったとき、極わずかに鳴ったのだ。流れたのだ。手の、指の先からわずかに感じたのだ。鼓動を。
なぜ死人が。
死人が脈が打つのか。心臓の音はなっていなかった。彼の耳は確かに心臓の音は聞こえなかった。だが脈が打ち続けていたのは知っていた。手首の脈が何度もなり続けておきながら、心臓の音はしない。心臓が鼓動を打つから脈が動くというのに。
心臓は動かず、脈だけは打つ?
そんなわけがないのだ。
最初アイゼンの手首を確認したには訳があった。彼の得意な観察、人を拒絶し、人が離れることを恐れる彼は、わずかに口元が動いたが見えた。息はしておらず、生きている音もない。
初めは、ただの目の錯覚だと思った。彼は、半ば確認作業のように手首を触っただけなのだ。それで見つけてしまった。綻びを少しでもつかめば、人は勝手に手繰り寄せようとする。
見つけてしまった。
疑問ができてしまった。
本来ならば、気にもしない。さっさと諦めて面倒ごとから逃げようとするだろう。だが、ここまで勝手に連れてこられて、結果も出さない。意味もない、無価値であったと。他人が上から目線で評価する。評価されるのだ。
何もできなくて評価されるのならば納得ができる。
わからなくて、他人が解決したならば理解できる。
だが、彼だけがわかる疑問と生み出した憶測。それらを解決しないと、来た意味がない。せめて最低限の手順を踏まなければ。
彼は彼自身を尊敬できなくなる。
だからこそ、彼は訪れた。疑問だけマッケンに伝えてもよかった。レインに伝えてもよかった。だが口が開かなかった。アイゼンは死んでいない。実は生きているといったところで、信じてもらえる空気ではなかった。また、本当に死んでいて、勘違いだったら更に時間の無駄。連れてきて無意味だったと悪評を得てしまう。
だからこそ行動するしかなかった。
アイゼンの墓、アイゼンが埋め立てられた墓の前で。
彼と魔物の一行は足がとまった。墓の前に誰かが立っている。小さくて、夜の暗闇からでもわかる華奢そうな小さい体。
彼に背を向け、墓を思いやるその背中には見覚えがあった。独特の恰好、ゴシック調の服装に月光に照らされた煌びやかな髪。
「ようこそ死者が眠る夜の世界へ」
そいつは振り返った。
獰猛さを隠そうともしない獣の笑みを浮かべ、しずかに片足は後ろに持っていき、逆の足はそのままで姿勢正しく挨拶。淑女の挨拶をのべた見覚えのある顔。
リザであった。
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