ふれあい 2

「...約束は守れないのはつらいなぁ」


 進軍は空を雲が支配し、零した涙が地に降り注ぐ暗黒の時間に行われていた。ベルクの開かれた城門をかけていく幾つもの馬車たち。馬車が群れ、次々に列をなして一直線に突き進む。また馬に騎乗した数十人の騎士たちも護衛の為に列の前後左右を進行する。


 その列の中間に彼の馬車があった。他の馬車とは違い、馬車全体を白い布であちらこちらを補強させた変わった馬車。周りの馬車が通常の形である中で、彼の馬車だけが異質であった。おかしな点といえば、その馬車を警護するかのように黒い巨躯の魔物と背に乗る蜘蛛の魔物の姿であろう。その黒き巨躯の魔物も蜘蛛の魔物も雨具を纏い、馬車とお揃いを演出していることだ。



 布を馬車に纏わせた理由。


 見た目も形も不格好ではあるが仕方ない。


 馬車の隙間から内部へ浸食する雨を防ぐための苦肉の策の一つなのだ。布に油を染み込ませ、薬品でコーティングしただけの簡易防水布。


 ほかの馬車たちは、風魔法を用いて雨の侵入を防いでいるため見た目は通常なのだ。


 魔法もスキルもない彼と風魔法を使える魔物たちはいない。


 魔物たちがぎゅうぎゅうに詰められた内部。元々大型の馬車ではあるが、乗る人員が多いだけに窮屈さを感じる。狭苦しいというよりは、息苦しい。換気をしたくても、外は大雨であり、馬車全体を包む防水布を採るわけにもいかず。コボルト、ゴブリンやオークなどがいるが、彼とリザードマンの姿はない。


 リザードマンは雨具を着て、馬車の動力たる馬の手綱を握り。


 彼も同じく雨具を着て、リザードマンの隣へと座って前方を見つめていた。しかし、前方をみやっている彼の表情に闇が落ちているのは、いつものこととして。


 その表情の闇がいつもより若干濃かった。


 彼の横眼が隣を並走する雨具の牛さんと蜘蛛、そしてリザードマンを僅かにとらえていた。豪雨の中を走らせることに心苦しさを消しきれず彼も同じようにすることで罪悪感を消そうとしていた。


 前を見るという誤魔化し方で、雨に濡れる魔物に対する申し訳なさとそれ以上に薬師フーリとの約束を考えていた。


 すっぽかしてしまった事実は掻き消えることはない。


 宿屋の主人には伝言をお願いしといたが、それでも自分が行きたかった。行くべきであったと思っても国家権力の前には、個人の感情など関係がない。






 フーリと別れた日の夜。その夜は大雨だった。見える世界全てを覆い尽くすほどの豪雨が彼を不安にさせていた。明日の天気、明日の予定。それらがどう影響するのか想像できないほどの、空模様と雨音。


 部屋を照らすのは、ランタンのみ。彼は窓際に立ち、ランタンの光で外を少しでも照らそうと努力するが無意味。窓を開けるわけでもなく、部屋の中からだから無意味なのは理解していた。だが、少しでも把握しようと無駄な行為を繰り返していた。


 結果はごらんのとおり。


 見えない。

 雨だけではない。


 いつもの虫が外を舞う音も、ひゅーと僅かに吹きたてる風音も。人々が起こす生活音も。


 全てが雨音に掻き消されていた。


 何も楽しくない。


 同じ宿の住人たちが立てる音は、楽しくもない。不快でもないが、つまらない。自身の身近にあることよりも、僅かばかりの距離がある物事のほうが興味を持つのと同じことで。


 いつもあることが、ないというのは何か損をしたような感覚を持つのだ。


 彼は非常に気分がよろしくなかった。


 退屈しのぎをしようにも魔物たちは就寝中であり。


 腕時計を示せば夜中の12時。


 この世界に来て、外の天候と自身の時計を適当に合わせただけの時刻。その時刻ではあるが、あながち間違いでもなく、誤差2、3時間を予測しておけばよい。


 彼の体は12時と思い込んでいるがゆえに、ねむれない。早寝、早起きの習慣は多少ある。ある程度の生活リズムは整えていて、極端なことがないときぐらいは崩れないように心掛けているつもりだった。


 

 普段は11時までには大体寝ていた。魔物たちを早めに寝かし、彼も後から寝るという生活を日々こなし、魔物たちよりも早く起きるという生活リズムがあった。



 崩れるタイミングというのは、今日みたいな日のことだ。



 今日ほどの雨をこの世界で見たことはなかった。


 元の世界の台風に近い暴風。


 地震も暴風も当たり前だった。別の世界、現状のこの世界、いや、この国はそういった突然のものが少ない。それに慣れた結果、前の世界の天候や自然現象の慣れを忘れかけていて、常識なのに非常識のような出来事のように感じている。



 非日常の一日のしめは、日常の最大の脅威が待ち受けていたわけだ。



 自然の脅威。


 この不安感はこれだけじゃない。彼は確信している。今日一日12時と示しているが、適当な時刻だ。大体の予想しかできない。まだ一日を超えていないかもしれない。


 この時ばかりは正確な時刻がほしかった。


 時刻が一日の終わりを示すのか。


 寝たら一日の終焉を迎えるのか。





 今日は災難の日なのだ。



 彼は寝なかった。寝れなかった。たくさんの寝れない理由などを挙げたが、本当は違う。今日の出来事を全て思い返してみればいい。



 寝て終えるという一日の終え方ができるのか?


 その不安が一番の理由だった。


 睡眠で一番快適なタイミングで、邪魔が入ったら。


 安息の心地よさを最悪のパターンで破壊されたら。



 思わずにはいられない。


 そして。


 それは当たる。


 彼が警戒を。最大限の警戒をしている中、通路をかつかつと歩く金属音が聞こえていた。この雨音の中でも小さな足音一つ逃さない。


「…やっぱり来たか」


 他の階層の住人であればよい。この階層の住人でもあればよい。だが、それはありえない。彼は住人たちが立てる音を記憶している。金属音などは剣など武具などの音だと彼だって思い込みたい。


 だが、かつんかつんと歩く音とともに立てる金属。まるで全身に金属を纏ったかのような重みの音は、いまだ嘗てこの宿の住人たちが立てたことはなかった。


 新しい住人が来たと考えれなくもない。


 この豪雨の中で外を歩く奴がいると考えれれば。彼の常識の脳内は、それこそありえないと認識する。豪雨の中で聞きなれない音。


 ランタンをもって、扉へと静かに歩み寄る。


 金属音も彼の部屋の前で立ち止まる。


 外を覗くまでも、扉に聞き耳を立てるまでもなかった。


 金属音が小さくガチャリとなった。金属が空を舞うかのような振り上げ音。武器を振る音とは違い、鋭さはなく。


 彼が静かにドアノブを握って。


 がちゃりと左右に開いた。


 そこには、ドアをたたこうと小さく振り上げた金属の鎧、騎士。そいつは、何時ぞやの騎士であり。何時ぞやの泣き虫であり。


 この時間、この時刻。空気を読まず、かといって彼を不快にもせずに物事へと引きずり込む天才。


 彼は見上げることはしない。冷めた目で、死んだ魚のごとく騎士を見下ろした。騎士の小さく上げた手は彼が扉を開けたため、ノックするという目的を失なった。何もできなかった腕を振り下ろすのすら恥ずかしく、そのまま空中で止まっている。騎士がいつの間にといった驚愕と恥ずかしさが織り交ざった表情を浮かべ。


 途端に表情を苦笑のほうへと転換。


 騎士、レインが口を開くよりも先に。


「…もう、ですか?」


 彼が切り出した。


「ざ、残念ながら」


 申し訳なさそうに、彼の問いにうなずいて答えた。


「…そうですか」


 彼はぼそっとつぶやき、自身の感の良さに悪態をつきたくなった。当たらなくてもよいものを当ててしまった。どうせ当たるなら宝くじを当ててほしい。


 小さく、ため息をこぼし。今日は駄目な一日だと諦めるように何度もかみしめた。予想が外れるはずという安直な願いも現実が壁となって打ち砕いてくるとは。


 思わず額を手で押さえた。それすらも人前であるということを忘れて、無意識的な行動であった。レインの目が泳ぎ、申し訳なさそうな態度を示していることから苛立ちを見せるわけにもいかず。


 上位の権力者ならば、多少は悪態をつきたくもなるが。あくまで使いの人間で礼儀がしっかりしている相手に酷い対応をするわけにもいかなかった。


 それに彼がこの世界で嫌いじゃない人間の二人目なのだ。思い込んだ悪感情すら飲み込む程度には気に入っていた。


 逆にこの豪雨の中、騎士とはいえ子供のような相手を使いに出させられたことに同情すらわいてくる。それと騎士団の上層部の容赦なさには、さすがの彼もひきつるしかない。


 子供とはいえ、仕事だから。


 上層部の考えはきっとそれだ。彼もまた、仕事だから動くことを選択しているのだ。豪雨だからといって、契約をたがえるわけにはいかない。破れば牢獄人生の始まりである。断ったら捕まるということがおかしいというのは、前の世界の話。この世界の場合は、断ったら捕まるかもしれない。


 理解できていない部分が、彼の選択の幅を狭めている。


 上層部に対して、彼が思うのは容赦がない。それだけである。個人の感情としては、せめて日時を選べというものも追加するが。


 仕事の重さは、仕事の無さから解るのだ。過剰にも思える仕事への想像が、必要以上に考えを盛っていく。責任、自己責任、社会的責任。働く皆が皆言う。


 責任という軽くて重い言葉。


 その言葉は無職、いな草取りフリーターの彼ですら動かざるをえない拘束力を秘めていた。



 だが、いくら拘束力を秘めようとも。少しばかりの猶予ぐらいは貰ってもいいはずなのだ。


 彼の見下ろした目線は、レインの全体を収めていた。濡れているのは豪雨の中、来たのだから当たり前。濡れていない箇所を探すのが難しいぐらいに、湿っている。通路もレインが通ったと思われる足跡以上に濡れていた。歩くたびにレイン全体からこぼれた雨が通路に滴っているのはわかるし、それほどまでの雨であったのも予測できる。


 そのままでいさせるわけにもいかなかった。


「…中へ入ってください」


 物静かに、彼は伝え残すと部屋の奥へと戻っていた。


「…えっ」


 戸惑う反応が空いた扉口から部屋の奥へと届く。小さい部屋、外は豪雨。通路は豪雨の音が支配し、レインの声はほかの部屋には届かない。時間が時間だけに配慮した声音なのだろうが、それをできるほどの子供というのは思い浮かべようとも思い浮かばない。


 彼は窓際に設置されたタンスからタオルを二枚ほど取り、レインの方へと戻っていく


 レインの前へと戻ると、そっとタオルを差し出した。

「…使ってください」


 彼の珍しくも配慮に満ちた対応が。


 タオルをもっている彼に戸惑っているのか、反応に困っているのか。動揺を隠せず、レインはおのずと後ろへと下がっていた。


 また彼自身も自分の行動に驚いていた。


 人から離れ、人を拒否し。人を欲する天邪鬼な自分が。


 自分から何かをすることに、抵抗を感じることなく。


 行動していた。


「...少しおとなしくして下さい」


 自分が誰かから優しくされたとしても、戸惑うだろう。それから拒否するだろう。相手を傷つけない程度に柔らかに大丈夫という一言を添えて。優しくされたことないけれども、きっとそうだ。


 そんな自分がわかるからこそ、レインの戸惑いもわかる。拒否する言葉を出される前に彼は、レインの濡れた髪を覆うようにタオルをかぶせた。


 痛くないように丁寧に。自分の弱さは彼が一番知っている。その弱い自分が本気を出しても魔物たちは痛くも痒くもないのもわかる。


 相手は人間であり、子供だ。いくらこの世界の子供が自分より強かろうとも力を込めて何かをするということはできなかった。


 濡れた髪をタオルで拭いていく。時には一本一本。時には濡れた髪の束で。彼らしく細かくネチネチと水気を髪から奪っていく。


 完璧に乾かすことなどタオルでは不可能ではあるが、少しばかりはマシになるだろう。濡れた状態というのは病気だけではなく、感情すらも左右するほどの疾患である。病気ではないが、病気に近いメンタルまでもっていくこの症状は、恐るべき自然の呪いといってもよい。


 濡れた個所で、表に出ているのは頭部だけ。あとは鎧の中である。さすがにそれ以上はできないし、する気もない。子供相手であろうと、そのようなこと考えもしていない。


 彼はまともである。変な性癖も持ち合わせていないし、可笑しな嗜好もあるわけがなかった。あくまで善意であり、彼らしからぬ行動。


 そこには敬意があった。レインという個人に対しての敬意。仕事だから、責任だからという面でここまで来たのかはわからない。それでも役目を果たし、色々と動こうとする真面目な態度に彼は本当に凄いと感心していた。


 相手が子供であろうと、敬意に値する。


 それらの感情が、彼を彼らしからぬ方へと行動させていた。



 その彼はタオルを取って、髪の束を軽くつまむ。多少の湿気だけ残っているのを確認し、その手を放した。


 ドライヤーがあればと思う日は今日ほどなかった。彼は自身の濡れた髪はタオルで拭って、はいお終いという適当な処置で終わらせるが。他人の敬意に値する人間に対しては多少の手間は惜しくないという考えぐらいは持っていた。




「え、えっと」


 何をしているのかわからないといった感情を表すレイン。髪を拭いてもらったというのは理解しているが、なぜという認識が思考を阻害しているようだった。


 だが更に阻害を行う彼である。


 レインの眼前にタオルを差し出した。濡れていない方のタオルであり、濡れている方は彼の手のうちにある。



「…使ってください」


「…で、でも。え、えっと」



「…濡れたままでは風邪を引きます」


 子供が風邪を引く云々の前に、真面目な人間が風邪という被害にあうのはよろしくない。


「い、今拭いても。あ、あとで濡れてしまいますし。そうなるとタオルが勿体ないと思います」


 それを聞き、彼は思い出した。


 仕事なのだ。今から仕事なのだ。この豪雨の中、自分も濡れなくてはいけないという事実を。レインの髪を乾かすことに精一杯で其のことを忘れていた。


 失態である。


 その失態を恥ずかしいといって誤魔化すのは、さらに恥ずかしいのだ。


 大人には大人の誤魔化し方がある。



「…それでも濡れている時間は少ないほうがいいと思います」


 物は方便。


 言葉は適切に使えば、武器にも防具にもなる。失態は失態を隠すために。言葉での失敗は、言葉によって隠し通せ。


 レインは押し黙り、タオルを見つめている。


「…今から目的地に向かうのですか?」


「はい…」


「…ほかに寄るべき場所は?」


「残念ながら。門前に直行せよと命令を」


 準備すらさせない騎士団の都合。人の都合すら気にしないとばかりに予定を組む上級権力者たちの考え。


「…ならば多少でも拭いておいたほうがいいです」


 そう言って、彼はタオルを強調するように揺らす。拒否は許さないという意思を示し。


 レインは彼の顔を見上げて、タオルへ視線を戻し。


「…ならご厚意に甘えます」


 遠慮がちに受け取った。さすがに鎧の中をふくことはできないが表面や鎧の継ぎ目などを拭っていく。拭き作業中、時間を無駄にしたくないのだろう。


「目的地は、グラスフィールの都市。そこでアイゼンの姿を見たと情報が仲間から上がりました。また住人たちの証言も相まって、グラスフィールの都市に潜伏していると確信したそうです。現在、グラスフィールの都市の出入り口全てに検問を敷いており、今のところ出た様子はないそうです」




 グラスフィールの都市はここから2日ほどの距離の場所にあるそうである。平原を超え、北のほうへ進むと死の土地たる荒野が見えるそうだ。その荒野まで行かず、人間の活動領域の平原と荒野の境目に都市があるとのことだった。


 そういった情報をレインは話し。


 彼はわかったといわんばかりにうなずいた。




 それからというと現状できるだけの準備と馬車に防水対策、宿屋の主人に薬師フーリへの伝言。いろいろと行動し、冒頭へと戻る。

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