ふれあい

彼は逃げ出すように歩いていた。先ほどの騎士たちとの邂逅とその結果による未来への足かせ。それらの重責が彼の足を速めていた。町の大通りを抜け、人々の隙間を縫うように彼はすたすたと進む。


 いつもであれば、通りの端を歩き人々から逃げるように動くというのに。それすらも考えている暇はないように焦っていた。


 (まずい)


 頭の中での先ほどの記憶を思い返す。騎士たちと隊長たるマッケン、それに大柄な傷の男。二人がかりで圧力をかけられ、大変迷惑なことを押し付けられた。


 犯罪者の逮捕補助とかいう命がけの任務を与えられた。


 何を考えているのか。


 自身は一般人である。何もできない非力は自慢できるほどの弱者である。


 犯罪経歴は今のところないはずだ。密入国というか異世界転移みたいなものが犯罪だというならば、それ以外に経歴はない。


 それは、今回のことに関係がない。


 なのに。


 なぜ自身が。


 思えば、思うほどに。


 苛立ちが募った。


 彼は思わず舌を打ちそうとなる。感情を沈めようとしているのに、再び湧き上がろうとする。


 不安なる感情が脆弱な心を埋め尽くしている。早くあの場から抜け出したいばかりに、安請け合いをしてしまった。目の前のことばかりを見て、先のことを考えない自身の失態。



 否、目の前のことで精一杯で後のことを考えることすらできない自身の弱さ。


 集団に囲まれて、睨まれて。


 頼まれて、断って。


 冤罪をかけられて、押し付けられて。



 今日一日のことを思い返すたびに、感情が体を裂かんとばかりにあふれかえってくる。



 なんという一日なのか。


 不幸続きの一日どころではない。


 厄日という言葉だけでは語れない。



 憤怒の激情が彼を苛立たせ、さらに足取りは早くなる。苛立ちと今日の全てに憎しみを込めて、彼の行動は進んでいく。


 彼が苛立つ度に連れ従う魔物たちは震え、周囲を歩く人々は刺激しないように彼から離れている。その事実に気付かないほどに彼は冷静ではない。



 今もまた、目の前のことしか見えていない。学習能力以前の前に、学習するための冷静な時間が取れていない。就労による疲れと集団によるストレス。


 それらが空いた時間、歩く時間の脳内にすら蔓延り、カビのように彼の心にへばりついていた。


 どうしたらよかったのか。


 そう考えるほど彼には余裕がない。


 どうすればいいのか。


 未来のことを考えることすらも放棄している。



 感情は、人をかき乱す。他者から見れば、たいしたことなくても。


 彼からすれば圧力以外の何物でもない。



 その苛立ちばりの足取りは、やがて止まった。大通りから離れた場所、人々の流れが緩やかになる一角、そこに彼の目的地があった。




 彼の本日の採取物、薬草を清算する場所。


 いつもの冒険者ギルド、ではない。


 いつごろからか、彼はギルドに収めるのをやめていた。必要ないというか、価格が同じというか。冒険者でもない彼は、ギルドに物を売っても値引きならぬ、損引きをさせられている。


 もしほかの場所で売ったとして、価格が同じならば。


 余裕がある相手が彼の採取物を上から目線で安くする相手より。



 損引きをせずに、純粋に買取金額の余裕が少ないだけならば。



 割引ではなく、値引きでもない。


 相手の懐が貧しくて、通常冒険者がギルドに下す買取金額が安くても。


 冒険者でもない彼ならば、話は別である。



 売る相手は、誰だって選びたいものなのだ。



 彼は思わず店の前で表情をほころばせた。


 ようやく本日で一番まともな人間の出番である。面倒ごとでもなく、変なことを言われるわけでもない。圧力なんてかけられないし、かけてもこない。


 彼は扉に手をかけた。


 扉の前から漂う、薬品の臭い。漢方によく似た臭いが彼の鼻をかすめ、顔を微かにしかめた。それでもすぐに表情を戻した。


 薬品の臭いぐらいならば、問題はないのだ。



 彼は牛さんの顔の前に手を開く。


「牛さんは待ってて」


 彼は牛さんの反応を確かめない。牛さんは彼のいうことだけはしっかりと聞くし、逆らうことはない。何より苛立ちが残る彼を前に、ビビり気味の牛さんは大きくうなずいた。そのうなずいた首筋に乗っかるアラクネの雲も、まねするように首を何度も縦に振っていた。牛さんはビビっているが、雲は面白おかしそうに何度も縦に首肯する。


 その頭を撫でてから、扉をあけた。





 

 空間を占める割合の多くは棚である。棚、棚と壁際から中央まで、入り口を起点とした一直線のカウンターを除き、全ては棚によって通路を区切られていた。その棚におさめられた数々のビン達。傷薬は傷薬、毒治療薬、麻痺薬といった幾つもの種類の薬品が棚ごとに分けられていた。


 その薬と棚の空間の中では、異質なカウンター。現代ではレジというべきがわかりやすいかもしれない。カウンターの奥、空いた空間からひょっこりと小さな顔が飛び出した。


 「あっ、いらっしゃいませ!!すいません、開店時間はまだなんですよ!!」


 彼の顔を認識してから発現したというよりは、お客が来たというなりの定型句を相手も見ずに発現している。その小さな顔がお客相手でも失礼をしないように配慮したように、申し訳なさそうな顔をしている。


 彼は息を吐く。安堵の息であり、ため息などではない。


 まともな人である。


 そして、彼の事を認識した瞬間。


「ごめんなさい!!まさかマダライさんだったとは!今すぐ買取の準備をしますね!!」


 奥に戻り、がちゃがちゃと物音を立て始めていた。


 依怙贔屓である。他のお客が来たとしても開店時間になるまでは対応しないであろうことは、小さな顔の少年の性格を知ればよくわかることだ。


 ほかの客よりも優遇されているのを彼は理解している。時間という有限で価値あるものを度外視するほどに扱われている自身。



 薬師、フーリー。


 年若き、薬師。


 彼がお得意様の御客であり、彼が一番原料を店に売り込む人間でもある。


 フーリーにとって、彼はなければならない存在となっていた。彼にとってもこの店はなければならないものとなっていた。両者が両者を必要とし、生きる足場として必死にお互いに気に入られようとしている。


 フーリにとって、彼は金を生む卵であり。


 彼にとって、フーリーは命をつなぎとめる、文字通り命綱である。


 彼が薬を使うたびに、ビンに張られたフーリ作成ラベルが表舞台に出ていく。人の目は他人を詮索することにかけてはプロである。それこそ、怪物と呼ばれた男が特定のラベルを付けた薬のみを使い続けていることは意外と有名なのだ。


 表舞台の住人たちは、この店にはやってこない。やってきても店員と見間違えるほどの丁寧な態度を持つ者のみが客として訪れている。その効果や云々ではなく、信頼性を知っての社会上での上位陣営たちがこぞっとやってくる。


 裏舞台に関しても同じである。


 例外なく、店主に対して横暴に出る者はいない。むしろ裏舞台の住人のほうが笑みを忘れないかもしれない。彼という存在、その存在が唯一使用する薬。その製作者を敵に回せば、彼が確実に殺しにくるという噂まであった。


 そのため、他店では見られないほどに客層は、上質なものだ。ほかにも逆に対応をよくして店主から物覚えが良くなれば、ある程度優遇してもらえるという好待遇が地味な客足を伸ばしている。


 彼は薬の入った袋をカウンターへ下す。それに続き魔物たちが丁寧においていく。手持ちの袋を置いた魔物から順に退室していき、残ったのは彼とリザードマン、オークのみである。


 リザードマンとオークは直立不動で立ち尽くす。彼の背後を警戒と防衛を主とした陣形である。それだけか、彼の応対する相手こそ命の恩人と怪我の救世主たる薬師である。


 ふざけた対応をすれば、彼が切れる。本気で怒るはずだ。怪我の救世主に対して、ふざけた行為はしたことは未だにない。


 だがすればわかる。しなくてもわかる。それこそ容赦がなく、笑みすら亡くした冷酷な表情で自身の死体を踏みつけていることすら創造できる。そんなことをしないとは思うが、思えてしまうほどに彼は怒るだろう。


 命の恩人であり主人たる彼。怪我と痛みを緩和させる薬の製作者フーリ。この二人は魔物たちにとって切っても切れないほどの恩があった。どちらを選ぶかといえば彼を余裕で選ぶが、もしその他の人間とフーリを選べと言われれば、間違いなくフーリを選ぶ。


 失礼なことはできない。主君の最も親しき人物の一人である。また自身の怪我の恩人でもある。


 リザードマンとオークは敬意にも近い、態度をもって待ち続けた。



「お待たせしました」


 一言とともに、準備を終えたフーリが奥から現れた。にこにこと年若い笑みを浮かべて、カウンターではなく彼を見る。


 それからカウンターを見て、苦笑を浮かべた。


「今日も沢山ありますね」


 カウンターで丁寧に積んだといっても、山ができている。袋の山、中身の薬草の数々。それらを清算することを思い浮かべて、大変だと思って苦笑したのか。それらは彼には分らない。だが、苦笑を浮かべている相手に向けるものは、笑顔と決まっている。



 「でも、大丈夫ですか?ギルドの方が高いですよ?」


 「・・・こちらのほうとギルドの値段変わりませんよ」


 いつもの定型句である。フーリと彼はお互い小さな笑みを口元に浮かべて、相手が答える言葉を知りつつも応答を返す。相手が何を聞くか、答えるか。聞くまでも答えるまでもなく知っているし、無意味だとわかっている。


 それでも両者は挨拶のように返している。


 人生に無駄がなければ、何が楽しいというのか。


 無駄がない生活に価値はない。それらを現代では実感できず、異世界のあちらこちらでも実感できていない。この場、この瞬間において、無駄ということが何よりの幸福なのだと悟っていた。




 フーリは胸を張る。背筋をしならせ、握りこぶしで胸元を軽くたたいた。


「任せてください。なんたってプロですから!」


「・・・お願いします。プロのフーリ氏」


 くすくすと笑みが絶えることはなく。


「今日はいろいろ立て込んでて、買取のお金が出せるのは明日以降になると思います。それでよろしいですか?」


「…かまいません」


 相手には相手の都合がある。自身にも自身の都合があるように。


「お金は宿屋にもっていきましょうか?特別ですよ?」


「…ふふ、大丈夫です。取りに来るか…」


 彼が続けて言おうとした。


「取りに来させるからですか?」


 それを先にフーリが覆い隠す。フーリの視線はリザードマンへと向けられている。大体彼が来れないときはリザードマンが来る。そのたびに失礼のないように丁寧にフーリに敬意を表すリザードマンの姿を思い返すと可笑しくて笑ってしまうほどである。



 彼は今日の疲れを忘れるほどに居心地の良さを感じた。


 いつもの流れで、いつもの展開。悩むこともなく、頭を抱えることもない。


 彼は綻ばせた表情でうなずいた。


「…もちろんです」


「待ってます!」


「…極力早く来ます」


 彼は確約しない。約束も極力しない。だけれどもこの店主フーリが相手ならば、彼はある程度は約束できるぐらいには心の紐を緩めていた。



 少なくとも信じている。相手の善性を。


 彼は笑みを隠さずに、カウンターに背を向けた。極力長居をしない主義を持つ彼はすたすたと動きだしていた。

 背後にいたオークとリザードマンは彼が通りすぎるのを待って、後ろに続く。


 閉まった扉に彼が手をかけて。わずかに開いた店と外への狭間の世界。その世界から漏れ出す活気に満ちた空気を静まり返った店内へと取り入れる。




 彼は、顔だけをカウンターへと向けた。



「…また明日」


「また明日!」


 そして外へと姿を消した。 店内から彼が消え、魔物たちが消え、静かに外からの音と見える世界が狭まっていく。


 やがて、閉ざす。店内は完全防音ではないため僅かではあるが外の音は聞こえる。だけれども完璧に聞こえるわけでもない。


 開店まであと数十分。


 

 フーリはカウンターに置かれた袋を一つずつ奥へと入れていく。開店までには袋を奥に入れていかなければならないだろう。その顔に疲れた様子がないといえば嘘になる。大変だなという予想がないというのも嘘である。


 ただ、相手が相手である。フーリの薬をたくさん買い、たくさん使用し。原料も売ってくれて、宣伝もしてくれている彼。おかげで生活できている。ふざけた客層もやってこない。顔の怖い、恰好が恐ろしい人たちも変なことはしてこない。


 嫌な気持ちで仕事をしているわけじゃない。大変だけど、大変なだけ。


 やりごたえのある試練だと考えれば、毎日が面白いように感じる。年若い薬師は、彼の姿、魔物たちの姿を思い返し、くすっとぶり返すように笑う。


「店が終わったらすぐに買取金額割り出さなきゃ!」


 毎日が充実しているというのは良いことである。

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