奇跡と獣

騎士団の執務室。一言で言えば、質素だった。煌びやかな調度品があるわけでもない。ただ扉から見て、奥にデスクがぽつんと置かれているだけだ。空間としても広いというわけでもなかった。


 それでも、誰もがこの部屋の住人になることを夢見ている。執務室を与えられる権限を持とうと努力している。平隊員では入ることは敵わず、必ず役職を持つ者の同行が必要とされる。そんな面倒なことをしなければ、入らせてくれない役職を求めている。


 古びた慣習であるが、それが意外と馬鹿にできるものではない。誰もが簡単には入れてしまうなら、誰も上位役職に敬意を示す機会が少なくなるからだ。



 少なくなるから、上を向く機会を失ってしまう。それがなければ、人は成長しない。人は他人を見下し、成り上がることを夢を見る。そういうチャンスと欲を育まなくては組織は育たない。


 人は欲望をもって、人をけり落とす。


 その行為の連続こそが、組織の成長という言葉につながる。



 組織は汚いことをしてこそ、成り立つのだ。ルールぎりぎりを攻めて、攻めて。弱みを見せたら引きずりおろして。


 悲しいことだが、必要なことだ。


 組織内での洗浄には必ず、必要なことなのだ。ある一定の一線を定め、その線を少しでもはみ出したら叩く。民間企業に必要な変革は、必ずしも公共機関には当てはまらない。


 古びた慣習は時として、信用にもなる。


 面子は大切。


 面子を守るためなら、どんなことでもする。どんなことでもしてきた。今までの慣習に習い、義務的に面子を守る。



 そういう意識、慣習を持ち続ける。騎士団は持っていると民衆は思い続けている。だからこそ、治安は悪化せず。誰も王国で反乱を起こそうとしない。処罰と恐怖は常に持たれている。


 慣習は信頼と紙一重。


 役所仕事は役所仕事のままでいいときもある。変化に応じて対応を変えないといけないのは事実だ。必ず変えて良くなるかといっても、それはあり得ないことなのだ。


 組織は変化を嫌う。


 年寄りも変化を嫌う。



 組織は年を取ればとるほど、年寄りの硬い脳のようになっていく。



 それを常に逆手にとって、騎士団の団長として権限を振るうものがいた。


 執務室のつまらない空間。デスクに肘をかけて座る男がいた。人々から笑みを常に絶やさない印象を描かれる男であり、王国でもそれなりの権威を持っている団長の一人。


 奇跡の剣。マッケン。


 マッケンは面白そうに、愉快そうに。


 口端をゆがめて笑う。


 デスクの上に置かれた皮包みの物体。肘のすぐ前においてある、その皮袋は、中に液体でも詰まっているのか、底面がぐにゃりとデスクに溶けている。


 その皮袋は紐で縛られているからこそ、中身こそは見えない。だが皮袋から漂う鉄臭い臭いで、中身の正体は自ずとわかっていた。


「これかい?」


 マッケンは誰もいない空間に尋ねるように問いかける。これは興味というより、義務の問いかけに近い。中身はわかっているし、答えもわかっている。


「そうだ、これが奴らの首だ。ただ、今回は主格のみ持ってきた。必要ならば全て持ってくるぞ?」


 誰もいない空間にマッケン以外の声が届く。マッケンのすぐ近く発せられた音ではあるが、その発生地点を見ても誰の姿をとらえることはできない。


 首が中身のびっくりしない宝箱を幾つもらっても嬉しくない。


「いらないさ、所詮は首だ。必要なのは確実に殺したという情報だけさ」


 そんな事よりもとマッケンは身を乗り出した。手の平が皮袋に当たるが気にした様子はない。皮袋から中身が漏れ出すわけでもなく、表面にも汚れはない。触れたところで汚れないのならば、どうであれ気にしたところで意味はない。


「実力は?」


「見ていただけだが、俺一人でも十分あれば片づけられる」


 マッケンは、予想通りに事態が動いていることを理解する。奴らは動き、牙をむいている。それは騎士団に表向きで反抗するわけではなく、陰でこそこそと動いている。


 それよりも気になることがあった。


「見ていただけ?」


「そうだ」


 返す言葉に何を返せばいいのかわからない。これこそが予測できない内容だった。



「怪物に奴らが助けを求めた。怪物は奴らの懇願を無視し、断ってから甚振った。人間として最悪だが、怪物としては合格点だ」


 マッケンの目が点になっている。笑みを常に絶やさぬよう努力してきた男の珍しい表情。笑みの仮面を壊し、状況が少し予測外のところへいっている。


 想像するに、集団は彼に助けを求めた。その助けを断って、残酷な方法で甚振って殺したということか?指折り?首切り?水責め?いくつもの拷問方法が浮かぶ中。



「考えているところ悪いが、きっと違う。甚振ったというのは、ただ暴力を振っただけだ。拷問もしていない、奴らに声をかけただけだ。あいにくその内容までは聞き取れなかった。だが、面白かったぞ。たった一言声をかけただけで、震えあがった奴らの姿は。聞きたかった。本当に中身を聞きたかった。しかし聞き取れなかった。あぁ本当にもったいない。だが判断は間違っていない。間違っていないんだ。聞き取れる距離にいたら気づかれそうになったからな。いや、気付いたのだろうな。じゃなきゃ説明つかんな。殺した方が楽だしな。くくく、あぁ怪物は恐ろしい。まさか監視がいることに気付かれるとは思わなかった。いやはや、マッケンお前が恐れるのは無理もないぞ。あっはっは」


 彼が集団を見回したように見せかけて、気付いているぞと反応を自分だけにわからせる。あのときの光景と一瞬の状況判断。


 それらが、姿も見せない誰かの心を大きく揺さぶっているようだった。


 そして誰かは一息を挟み。


「おしゃべりがすぎた。すまなかった。怪物は俺に気付き、隙を見せなかった。見せずに、殺さずに、適度に甚振って放置した」


 手柄を譲られたなと誰かは愉快そうに言う。


 殺していない。怪物の判断とその状況を考える。その集団は騎士団が潰そうと追っていた案件の一つだった。その案件を殺さずに放置した。だが、無力化はした。


 無力化。


 集団と騎士団との確執にかかわる気がない。普通ならば、そう考えるのが相場だ。だけども、関わる気がないのならば、なぜ無力化させたのか。


 集団が彼に歯向かった?


 怪物に助けを求めた集団が?


 怪物の力なくして、どうにもならないと判断したと予測される集団が、彼の気分を損ねた?



 意味が分からない。


 怪物は、能無しではない。


 知性を持ち、悪意を持つ獣なのだ。



 一時の気分で動くなんて、それこそありえない。屈辱も反逆の意志も起こすべきに起こす。時間をかけるときはかける。できるときは行う。その作業が一瞬で思いつく、獣が。


 雌伏の時を待てる獣が。


 感情で動くわけがない。


 関わる気がないのならば、関わらない。


 常識だ。


 常識なのだ。


 それを覆すということは。


 関わる気がない振りをして、何かを仕出かす。


 どんな企みを持っているのか。それが予測できずにマッケンは固まっていた。一人の自己を持つ人間が、彼という単体によって、思考以外の行動を止めていた。


 笑顔もない。


 姿の見えない誰かを考えから排除し、いないもののように扱う。


 そして誰かもまた、マッケンの応対に慣れたように静かにしていた。



 やがて、一通りの結論がついた。


 マッケンは冷酷な感情を押し殺そうともせずに。冷ややかに答えを告げた。


「怪物を今回、巻き込もうと思う」


「それは正解だ。でも間違いでもある。答えはきくな、嫌な予感がする。ああいう輩は何するかわからない。だが、お前の判断だ。素直に従おう。牙をむき、笑みの下に隠した残酷な思想は俺の好みだ。俺の好みを持ち続ける限り、お前を裏切ることも、反対することもない」


 挑戦するお前は美しい。


 そう誰かは、こぼす。


 人は必ず挑戦をする。


 強者がいて、弱者がいる。弱者が強者に挑もうとすることを挑戦という。その挑戦という言葉を怪物ではなく、マッケンに当てはめた。


 誰かは、マッケンを弱者と当てはめたようだった。


 マッケンもさすがに苦笑する。


「私が挑戦者か」


「ならば、怪物が挑戦者というものにしてもいいぞ。お前という強大な盾を打ち破ろうとする獣。牙を突き立てる隙を伺い、唸る怪物。怪物は、関わる気がないという偽っているだけかもしれない。その姿と目的を見抜こうとするお前。盾と怪物。どちらも油断すれば、消し飛びかねない」



 誰かは饒舌に語った。

 それでも、なお誰かは続けようとした。


 マッケンは、続きを遮るように口を開いた。

「一つ言えるのは、私を簡単に超えさせる気はない。そして相手もまた、私に超えさせる気はない。両者は互角のようで、互角じゃない。立場が違う。権力があるから私の方が優位かもしれないが、逆に身軽に動けない。怪物は権力がないから、融通が利かない。利かない分、身軽なのだ。成功しても、失敗しても怪物に痛手はない。あるのは私だけだ。私だけしか痛みがない」


 なんと不利な戦いなのか。


 怪物が勝っても、負けても。怪物に成功の負担もなければ、失敗の痛みもない。何を考えているのかは予測できない。けれども、怪物は自由だということは知っている。


 鎖のつながれていない猛獣の恐ろしさ。それは社会において、一番恐れられることなのだ。


 何も夢も希望も、未来もない民衆が犯罪を起こすのは失うものがないからだ。


 失うものがない。


 マッケンは自身の権威を思い起こす。負けた結果の結末もすぐに浮かんだ。


 団長の地位と名誉。そして部下たちが背負う騎士団の権威をマッケンは背負っている。たかが一介の怪物に一度でも食い破られれば、それらは地に落ちる。


 騎士団の面子が立たない。


 騎士団は、マッケンを排除する。マッケンにかかわったものも排除。そして次に怪物を排除にかかる。


 ありえない。


 権威を失い、希望と奇跡を失ったマッケンに魅力などなくなる。誰もがマッケンのために動こうとはしなくなり、結果やりたかったことがやれなくなる。



 だけどありえないことじゃない。


 怪物に負けるということは、そういうことなのだ。


 負けれない。


 だけども、マッケンは思う。


 自分が怪物に負けたとする。今度は騎士団が怪物をつぶしにかかる。つぶされた面子を回復するために怪物の面子を破壊しようと画策するだろう。


 怪物は騎士団を敵に回しても平気な力を持ち合わせているのかという疑問が浮かぶ。


 その考えは一瞬で消えた。


 持っていない。地盤がない。地力がない。土地の収入を得られる地盤もなければ、怪物を慕うという力も周囲に蔓延らせた魔物だけ。いくら魔物が強かろうとも、あの数では騎士団には勝てない。



 何が目的なのか?


 よくわからない。





 マッケンは、部下たちの報告を待っていた。


 晴天の空のもと、ベルクの城門前に騎士団がそろっていた。全員が汗をかき、目的を果たすまで石像のように固まっていた。お日様の祝福が石畳の地面をたたく。反射した光源は騎士団の鎧に更に跳ね返り、熱をまき散らす。


 町中でひたすら待ち続ける騎士団。正面では、マッケンがまだかと急かすように立っていた。いつもとは違う異様な空気の成り立ちに、民衆は近づこうとしない。それどころか巻き込まれてもたまらないと、門前では人の気配が消えていく。


 暑くてたまらない。


 普段、鎧を着ない私服ならば、気になる暑さではない。金属で思いフルプレートの鎧は、思いのほか熱を吸収し、内部に伝えてくる。


 また反射した光源はいたるところに拡散し、見る者の目をまぶしくさせるプレゼントも配布した。


 暑くて。


 汗がすごくて、気持ちが悪い。


 騎士団全員の鼓動が激しくなる。


 普段、この程度の暑さなんか気にならないほど、訓練を重ねた兵達が。


 今日は一段と汗に気をかけていた。


 ごまかしている。


 全員が自分をごまかしている。


 汗をかくのは暑いから。


 暑くて、たまらないから汗をかく。



 そのはずだ。


 別に恐怖など感じていない。背筋に寒気が走るのは、汗のせいなのだ。汗が熱を放出し、外気によって体温を下げているせいなのだ。


 本当に暑い。


 それも。


 外で待つ門番が変化に気付く。森から何かが出てきた。数は複数。距離があるため、小粒の蟻が動くようにしか見えない。


 それでも、森に複数。城門の内側には騎士団が展開し、上役のマッケンがいる。この厳重な対応だけで、自ずと予測できるものがあった。


 問題ごとが起きた。


 これは下っ端の一番の懸念だ。門番は重い心をもって、警戒に当たる。小粒の蟻がベルクに向かって近づいている。徐々に小粒から中粒へと大きくなっていく姿から、近づいていることがわかった。


 上役の騎士団、それだけでも心は重いのに、何故か怪物が動くという情報が聞こえて気分は最悪だった。普段の怪物は、門を出るとき、入るとき、小声で挨拶をしてくる。それだけで、誰かを脅すという気配はなかった。


 普段の怪物は、礼儀正しい人物で、寡黙。無表情、無気力、何より存在が薄く、不気味。


 その評判だけだった。散々な評価ではある。


 だが、知れば知るほど恐ろしくもあり。


 知れば知るほど、本当にそうなのかと疑いたくもなる。


 どんなときでも、朝、昼、夜、必ず門に近寄る際は挨拶を返してくる。冒険者たちは乱雑で、暴力的なことをしてくるのが常識で、それらを毎日あしらっている。そういう野蛮な奴らを日々相手にしていると、彼のような存在は、問題を起こしそうで、起こさない。平凡な人間に見えるのだ。


 冒険者たちとは違う礼儀正しさを持つ人物が、騎士団が本気になるほどの凶悪さを持っているのかと思うと疑問が残る。


 ただ、大会の噂を聞くと。


 それも仕方ないのかもしれない。


 もしくは門番自身が思う。


 自分は怪物に敵意を抱かれておらず、むしろ評価されているのではないかという考え。自分が彼を評価しているように、相手も評価しているのだ。


 騎士団が思うほどの人物は、歯向かえばどんな手でも使うそうだ。暴虐的に、暴圧的に砕こうとしてくるらしく、全ての隙を逃さず、漬けこむ悪意の天才。


 その天才は、門番に敵対する気がないのかもしれない。


 この前、果物をもらった。毒が入っているかと思ったが、魔法で調べたところ一切何もない。鮮度は新鮮。一番うまい時期の果実だった。


 こういうお金ではなく、物で来る施しをする相手。


 本当に悪魔なのか?


 いや、それも策略か。


 二つの疑問がせめぎあい、いつも結論が出ずに終わる。


 ただ言えるのは。


 怪物は、門番たる自分を害する気がないということだろう。


 もし、害するならば簡単にできてしまう。率いてる魔物一匹で自分は殺されるということを自覚しているのだ。門番自身、弱いと自覚している。実力のあるものが、わざわざ果物賄賂と挨拶賄賂を弱者にしてくれること自体が、おかしいのだ。


 いろいろごちゃごちゃ考えた結果。


 怪物は。


 怪物は怪物だということは周りが証明しているし、やってきたことも事実なのだ。それでも、恐怖の代行者たる怪物は門番に危害を加えることはないという結論にいたった。


 怪物よりも上役の騎士団の見下しのほうがつらい。


 もし怪物が権力者にでもなったら、すぐさま手下になろう。

 そういう逃げ根性と、礼儀正しい相手には、礼儀よく返そうとする生真面目さ。


 そのため、ベルクの各方角にある四つの門で一番人気があるのが、この門番のところだったりもした。




 色々考えていると、門番は気付いた。はっとしたように我に返る。職務中に職務外のことを考えて、意識を飛ばしてしまっていた自分を叱咤する。


 中粒から大粒に。距離が近づき、彼の姿をはっきりと認識できた。その配下たる魔物たちも彼の後ろと前を警護するように歩いている。


 ゆっくりすぎる。歩くにしては遅い。


 そう思うと自然と門番の苦笑が湧き出た。


 彼は人間に恐れられる。騎士団という存在、権力を持つ存在、冒険者という存在、民衆という情報伝達能力がある存在。


 力あるものに恐れられ。


 門番という門の前で入場管理人みたいな弱者には、とくに恐れられることもない。


 これこそ、怪物の能力だというのならば、恐ろしいものであった。



 苦笑のうちに、己の職務を思い出す。



「知性の怪物の姿が見えました!繰り返します!知性の怪物が見えました!」


 大きい声ではっきりと、正面を見据えて繰り返す。門番の慣れた特技の一つ、声を大きくできる。それだけしかない。


 果物、挨拶という賄賂で心を捕まれた門番は彼に対し、敵対心も警戒心もわくきもなかった。


 ごく自然に声を出し。


 騎士団たちに、伝えた。



 彼が門前に到着したころ。


 門番に小さく頭を下げ、声をかけようとしたときだった。


 門は開き、徐々に広がっていく町中の景色に、異様な姿が待ち構えているのを見つけた。門の内側、すぐ手前にいるのだ。

 異様な奴らが。


 金属の鎧をまとった集団、騎士団が。


 先頭に立つ優しそうな男、笑みを常に絶やさず、途絶えさせない。そういう決意でもあるのか。そういう覚悟でもあるのか。


 柔和な笑みを浮かべて。


 マッケンは告げた。


「ようこそ、マダライ君。少しお話があるんだ」


 にっこりと濃い笑みを深く深く刻む。拒否は許さないといわんばかりに深くなる笑顔と背後の騎士団の重圧。


 彼は困惑を隠せない。


 困惑を隠そうともしない。



 ただ、表に出ないだけで、はっきりと思う。



(また集団か)


 囲まれ、待ち構えられ。


 彼は自分の今まで何をしてきたか思い返すことにした。草をとった、集団に囲まれた。とても怖かった。面倒だった。話を聞かなかったから、ケガをさせないように倒した。今は亡きがらになっているのも知らずに、必死に自身がやってきたことを思い返す。


 過去の行いは自分に帰ってくるという迷信を今更ながら、信じてしまったのだ。


 このときばかり。


 迷信の怖さは、迷ったときに信じてしまうというものなのだから。



 そして。


 彼は相手によって対応を変える。


 わけのわからない集団には、適当に。


 権力者、しかも軍隊みたいな騎士団の前に。国家の権力者の犬に対し。



「…なんでしょうか?」


 応対するしかなかった。権力者に逆らうのは愚か者のすることだ。適当に応対し、適当な評価を得る。暴力を持つ存在に逆らわず、身を流す。


 弱者ができる、ただ一つの善行なのだから。

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