彼は常に受動的

彼と魔物。その一行は草をとる職務を終え、森に整備された砂利の道を歩いてる。町に帰宅途中。仕事帰りのサラリーマンのごとく、疲れ切っている彼と少しも疲れた様子のない魔物たち。オークとリザードマンは彼の背後を。ゴブリンとコボルトたるちびっこ軍団は、その後ろを。両隣を歩くのは黒い巨躯でずしずしと歩く牛さん、もう片方は彼の手を引きながら歩くアラクネ。


 遠足がえりみたいな気持ちでいる魔物たちと。


 仕事帰りでくたくたなサラリーマン気分の彼。



 仕事は最初は肉体がやられ、なれてくると精神のほうがまいってくる。工場であろうと事務員であろうと最初は肉体的に疲れるのが原則だ。ずっと立ち続ける工場か、ずっと座り続けてパソコンの前で作業するか、両者の負担は慣れないうちはすさまじい。


 慣れてくると精神が追い詰められていく。仕事の納期、上司への報告、給料問題、休み関係えとせとら、ありとあらゆる問題によって人間は追い詰められていく。


 慣れれば、慣れるほど新しい問題に突き当たるのが仕事なのだ。


 その彼も底辺ながら息を乱すぐらいの肉体的消耗よりも、精神的摩耗へとシフトしていた。


 明日は草があるのか。同じ作業を明日もやるのか。やりたくないなーという日曜日が終わり、月曜日を迎える社会人のごとく。



 明日が怖かった。仕事はあればいい。


 だが、仕事はやりたくない。恵まれれば恵まれるほど、現状の不備を見つけ出して逃げようとする。それは当たり前のことだ。


 彼は当たり前のように。死んだ魚の目で前を見続けながら町へ、帰路へと突き進む。



 その最中だった。


 左右に分かれた木々の間から影が飛び出してきたのは。


 この森は魔物の支配地域だ。それを人間が我が物顔で侵入し、搾取している。たまに侵入者が横暴のつけを払うことになるが基本的には一方的にやっている圧力者たるのが人間。


 だからだろうか。


 彼は真っ先に人間が出てくるのを予想した。木々が日を遮ってできた空間には闇と緑しかない。その闇の中に更に濃い人影が動くとなれば。


 おのずと人間と予測できた。魔物だったら彼のパーティーの前に現れることもない。というか一度も彼の目の前に野生の魔物は現れたことはない。


 彼は静かに手を上げる。大げさに上げるのではなく、小さく肩を指が超える高さ。謙虚さで小さく上げたわけではなく、大きくあげるのが恥ずかしいからとは誰も思わない。


 手を挙げたのは、あくまで予防のための行動だった。


 彼の行動、動作速度は常人よりも遅い。そのためあらかじめ準備をしておく必要がある。


 あくまで。


 これは彼の準備だった。


 人影が緑の世界から、光の下へ。彼と魔物を囲むように展開するのと同時に。彼の魔物も武器を手に取った。臨戦態勢へと移行したパーティー。しかし彼の魔物は迎撃への構えは見せているが行動には移さない。


 彼が手を挙げている以上、動けない。


 彼の周りに展開した人影は、彼の予想通り人間だった。戦闘職らしく、動きやすさに重視した皮の装備一式をそろえた集団。顔を黒い布で隠し、彼を値踏みする眼光だけが外に晒されている。


 そして全員、剣を抜いていた。人間も魔物も。己の武器を構え、己が敵を粉砕するべく警戒を続けている。のんびりしているというか、落ち着いているのは彼の足元で欠伸をもらす牛さんと、いつのまにかその背に乗っていたアラクネたる雲さんだった。


 彼の魔物と集団のにらみ合いが始まり、続く。


 彼は視線を集団の顔とかに向けない。なるべく視線を胴体や足元へと向けている。極力関わらないように、避けていくように彼は視線を合わせず。されど、顔や姿勢はしっかりと前へ。相手に気付かれない最低限の動作での邂逅を避けた。


 殺気が立ち込める時間の中、彼はあくまでも無口を貫いた。


 相手の出方次第。


 だけれども、警戒はしていない。


 魔物たちがいる。


 そんな安心かんからではない。


 あきらめているからだ。


 集団が迫ってきて、何かしようものなら自分では歯が立たない。勝ち目がない。弱者が牙を向けたところで、強者に嘲笑われるだけ。弱者の努力は、強者の見下し要素へと変換される。


 だから、彼は何もしない。


 あくまで、相手の出方をまつのだ。魔物たちの行動を制止させているのは、それが理由だった。


 はぁという小さなため息が彼の耳に入る。その音の始まりは、魔物たちではない。彼たちを囲む集団の一人だった。


 その集団の一人、彼の前方に展開した人間が一歩前に出た。その人間は、抜いていた剣を地面に投げ捨てて、肩をすくめた。そして口元の布がもごもごと動く。


「突然、囲まれても反応なし。武器を持って殺気を飛ばしても反応なし。魔力を漂わせて、攻撃準備をしても反応なし。嫌になっちゃうなー本当に」


 布の下、もごもごと動く口は軽かった。陽気さを含んだ口調だった。幾分か柔らかくなった眼光ではあるが、それでも殺気だけは飛ばし続けていた。


 そして彼はそれをただ無表情でスルーする。


 自分を害そうとしようが、あきらめるしかない。どう反応すればいいのかわからないのだ。殺気とか魔力とかまったくわからない。




 布で顔を隠すコスプレ奇天烈集団の挨拶替わりの殺気。それらはイベントにおけるコスプレレイヤーが放つ殺伐とした空気に似ている。ただしくはイベントに集まるコスプレ集団を撮影するカメラを持った団体さんが放つ殺伐とした空気だが。


 彼はイベントに出ない。


 イベントをあくまで映像で見ているだけだ。


 その映像に映される、お目当てのものをゲットしようとするマニア。


 美しいコスプレをカメラにとらえようとする団体。


 マナーを守らず、自分勝手な人々。


 全ての参加者たちは殺伐とした空気を保っている。


 その空気を彼は体感せずとも知っている。だからコスプレする人たち=本気で動く危険集団と彼は認識していた。


 だけれども危機感は覚えない。


 集団の一人が話を続ける。彼の反応を待たずして。


「予測していたこととはいえ、これほどの相手だとはなー。成功報酬上乗せを要求しとかにと損だわ。もう本当、嫌になるわ」


 そして彼は反応をしない。


「聞いてっか?聞いてるわな?聞いてるけど無視されてるわ。あぁ普段ならばここでボッコボッコとしているとこだけど、相手が相手だしなー」


 とても軽い。飄々としている割に、内容がとても怖いものがあった。しかし彼は相手をせず、その場で片手を上げたまま立ち尽くす。魔物たちと集団の殺気の飛ばしあいのなか、彼と話し続ける一人との無の会話が続く。


「依頼人はいってたしなー、どんな手を使ってもいいとかさー。でもさぁ、こう思わけだわ。反応しない、殺気も魔力もまるで効果なし。会話もしてくれない。どうしよっかなー。やめちゃおっかなー」


 そういって相手は語り続ける。中身のない内容。それこそ語っていいのかと思う内容もぺらぺらと口に出していた。


「あぁ本当に嫌になるわー。まぁそれでもやるんだけどさ。」


 軽々しさの中に決意を込めた言葉。


 そろそろ動くかという行動宣言を発し。


 彼も視線を上げる。話し続けた一人に向けたわけじゃない。周りを囲む集団へと視線を向けた。ぐるぐると囲む相手を睥睨する。にらみつけたわけじゃないが、疲れからか目つきは鋭いままだ。集団が放つ殺気とは別の背筋をひんやりとさせる毒気。


 彼のことを集団は知っている。


 大会を暴力で踏みにじり。


 弱者の魔物で優勝をつかみ取った悪魔の男。歯向かうものは何もかも踏みにじる、人間へのアンチ兵器。強者をくじき、弱者を踏みにじる。そのような悪行と、決して己の行動をつかませない影のような化け物。


 冒険者ギルドで登録をせず。


 名誉を必要とせず。


 金銭も必要とせず。


 損をしようが、何だろうが情報は一切漏らしてこなかった。彼は面倒ごとに巻き込まれるのが嫌だから登録をしないだけだし、名誉も金もただ生きていくのには必要がない。


 夢のない男の生活は、はからずとも情報を漏らさない警戒心の塊のような基盤を作り上げている。

 ありとあらゆる機関を使わず、郊外の安宿に泊まる。情報をつかもうにも、彼は語らず。行動もしない。動いたときには屍を築かれている。



 大会を優勝しようが、目立つことはしない。暴走もしない。だが、動くこともしない。まるで策略を展開し獲物が引っかかるのを待つかのごとき。


 悪意を持つ怪物は、知性をもったいぶらずにまき散らすかのように。


 だけれども、自分の情報だけはさらさない。


 その男が。


 警戒に値し、民衆を恐怖させた悪魔が。


 にらみつけている。ただ疲れていて、目つきがおぼつかないとかとは誰も考えない。そんな貧弱一般人みたいな考えを持つものはこの場にはいない。


 彼を過大評価しているからこそ、彼が起こした数々の暴挙が経験として物語る。



 集団の空気が変わる。話し続けた一人が行動宣言したのもある。だが彼が動き出そうとしているからこそ、行動を読もうと、動こうと態勢を維持し続ける。


 寒気が。


 背筋が凍る。


 手に握る剣を。


 顔に纏った布が濡れていく。

 額からあふれ出る汗がしみこんでいき、ひたひたと気持ちの悪い感触が包む。



 息を静かにのみ、出方を待つ。指示を待つ。


 そして。

「全員武器を捨てろ」


 一人が指示し。

「…皆そのままで」


 彼が同タイミングでかぶせてくる。


 ようやく彼が反応を示したと思えば、魔物たちを制止する声。彼の言葉によって、警戒を続けたままの魔物たちと集団のおしゃべりさんこと、リーダーの指示でその部下たちは武器をその場に放りだしている。



 そのリーダーの指示に反発する気配を見せない集団。


 その彼の指示に素直に従う魔物たち。


 魔物使いが魔物に指示をするのは当たり前のこと。武装集団のトップの指示に従うのは部下たちにとって当たり前のこと。反発もせずにごく自然に武器を捨てる部下たちと、決して動こうとしない魔物たち。



 それでも、だ。


 リーダーの体は若干震えている。それどころか唖然としている表情もしている。布の下だからこそ、周囲には見えない。


 その震えた体の視線の先、そこには静かに片手を上げ続ける彼の姿。


(なんだこいつ。なんなんだこいつ!)


 リーダーは、予想外の展開に頭の回転が追い付かない。


「あ、あんた何者だよ」


 彼は反応しない。


 巨木のごとき、彼はその場で立ち尽くすのみ。




 リーダーに戦闘意志は初めからない。彼と魔物たちを囲んだときから、戦うつもりなどなかった。剣を構えたのは、あくまでも警戒のため。知性の怪物をしれば知るほど、無防備では回れない。立ち回るどころか、前に立つことすら恐ろしい。


 情報は大切だ。その情報は大会でしか得られていない。大会の後も、何しようが得られるものはなかった。彼は闇だ。一切の活動をこっそりと行い、つまらない日々を過ごしている。


 一説によれば、敵対した相手の行動、出方、思考内容までも一瞬で読み解く頭脳の持ち主という噂がある。表情ひとつで全てを悟る観察眼の持ち主だとという説もある。


 そのため、集団は布を顔に巻き、体を柔軟性と行動しやすさで選んだ皮せいの装備一式。全ては逃げるため。敵対し、殲滅させられそうになったら、その場で逃げるため。顔を隠すのは、正体をさらしたくないから。表情から相手を悟る観察眼の相手に、自ら弱点をさらす必要性はない。


 集団は、防御なんか考えていない。一人一人戦闘力だけはそれなりにある。


 だが、戦うのは愚直の極み。敵対すれば、必ずつぶされる。


 初めから集団に敵対意志はない。



 目的がある。


 どうしても彼の目の前に立たないといけない理由が。


 まだ、死ねない。

 死にたくない。


 だが、必死に顔を隠して、頑張って彼の前に出た結果。全ては無視された。相手にする必要がないと思われたのかと内心苛立ちも募る。だけれども、それは覆い隠す。布があれば、ばれないはず。顔を隠せばばれないはず。


 必死に震えと戦いながら、リーダーは軽口をたたいてきた。飲み込まれないように、ちゃんと立てるように。


 その考え、必死の抵抗も崩壊した。


 リーダーは抵抗をやめて、降伏を示した。武器を捨てさせたのは、彼の気配が変わったと勘違いしたからだ。周りをぐるぐると見まわしたのは情報をつかみとるためか。


 彼が動けば、全てが動く。


 恐怖をもたらす悪魔の手先たる魔物が。


 恐怖の帝王たる彼が。


 悪意を持って、悪意に飲み干す。


 逃がさない。そういわんばかりの彼の眼光。殲滅しようと今にも牙をむかんとする魔物たち。


 それに怯え。逃げようとしたら死ぬという最悪の展開を想像し、素直に彼の足元に縋りつくことにした。その指示を読んだかのごとく。


 彼も魔物たちを制止させた。



 これには勝てない。


 初めから相手にされていない。


 こちらが行動を停止させたから、相手も停止させた。


 とても優しい相手だと、それだけならば言えた。




 そうじゃない。


 そうじゃないのだ。


 リーダーの冷や汗が止まらない。口が布越しだろうが震えている。がちがちと。がちがちと楽器になったかのように、音を立てる。


 同じタイミングでかぶせてくるのがおかしいのだ。


 顔は隠した。逃げやすさも重視した。


 情報を漏らさないため、正体を晒さないためというのは彼じゃなくても、予想はできるだろう。それでも敵対する気はなく、降伏をする気だといつから予測したのか。


 その疑問が更なる闇を呼び込んでいく。



 どこから情報が漏れた?疑問がリーダーの脳内をめぐりまわる。敵対意志がない相手と断定したからこそ、無視し続けた。


 そう思わないとやっていけないほどの強烈さ。


 彼は顔を見なくても。


 姿を見なくても。


 周囲を見まわすだけで。



 情報を手に入れられるとしたら。



 それは人間の技ではない。


 魔法でもない。魔力は一切使っていないし、集団が漏らした魔力のみ。魔物たちも彼も一切魔力の欠片を出していない。魔法の残滓も残っていない。


 たんなる技術。


 それに至るまでどれほどの。


 どれほどまでも経験を積むのか。


 どれほどまでもの闇を紡ぎ続けてきたのか。



 人を苦しめ、悪意の化身たる無表情な人形の彼。人形たる反応の薄さのくせに、内包したものは過激という言葉が生ぬるいほどの激情。


 集団は、ただ知りたかった。


 噂は本当なのかを。


 知性の怪物は全てを悟る頭脳を持つといううわさを。


 全ての悪意を上書きするほどの恐怖の一説を。


 試した結果は、噂以上。


 確かに。


 全てを知っている。はじめから敵対せず、なめた態度をとる相手は無視するのが一番だろう。そんな簡単なことでも旅先で、突然絡んできた相手の意図を正確に読み取ってくるやつはいはしない。


 最初から排除しておくのが正しい選択なのだ。騎士団ならば、囲んだ瞬間に切り捨てられている。冒険者ならば、いちゃもんを付けてきて殺し合いになっている。


 それすらも行わず。


 そんなこともしない相手に。


 正確に読み取ってくる相手に敵うわけがなかった。



 それでも。


 どうしても。


 彼の力が必要なのだ。


 少数からなる精鋭部隊たる魔物。


 その精鋭を操る彼の悪意の全て。


 リーダーはその場で膝をついた。部下たちもそれに合わせるように膝をつく。武器は捨てた。残るものはただ一つ。


 顔に巻いた布をほどいた。リーダーは己の顔を彼に晒した。汗まみれであり、どこか恐怖によって表情を崩した男の姿がある。皺が少し目立ち始めた若くもないし、年寄りでもない中間。どこか荒い気性を漂わしている目つきだが、口元が柔らかそうで、優しそうに見える。中性的な顔の造形だった。


 そんな男は、必死そうに語る。


「今までの態度は全て詫びます。それでもお願いがあるのです。我々の恩人が正義という名の暴圧によって踏みにじられようとしているのです。それを止めるには俺たちの力ではかないません。」


 懇願。


 先ほどの軽口ではなく。


 とても重苦しい熱のこもった感情。


 突然の展開に彼が追い付けるわけでもなく。


 珍しく目を点滅させていた。


 助けを求められた。


 意味が分からない。


 彼の立場からしたらごく自然の反応。当たり前の感情。


 一般人に人助けを求められても。


 とても困るというものだ。



「恩人の名前はアイゼン。あの名高き冒険者であるアイゼン様です!」


 世界は周り。


 彼は巻き込まれる。


 どういう立場につくのか。選択肢はたくさんあるが、選べるのは数少ない。世界は常に広がっているくせに、指し示す道は極端に小さく狭い。

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