森と魔物と根暗さん
森に来ていた。鬱蒼としげる緑の世界、魔物たちが支配する自然の世界に人間が紛れ込んでいる。その人間は、人形のごとく無表情、そのくせ死んだ魚のごとく目が死んでいる。誰もがその人間を見て、不気味がるだろう。見た目だけではない。何か動いたとしても、幽霊のごとく気配がない。全てを拒絶し、目立つことを避けてきた哀れな無の住民。
その無の住民、彼の周りに、魔物たちがいた。彼を守るかのように陣取った深い体毛に覆われた豚鼻の魔物、オーク。鱗が全身に纏い、目立つ尾が半ばで切り落とされたトカゲの魔物、リザードマン。
彼の足元近くには、腕やら耳やらが損傷した小さな魔物たち。鬼をそのまま子供の身長に貶めたかのような魔物、ゴブリン。それと同等の身長、損傷の犬の魔物、コボルト。
そしてどの魔物よりも巨躯で、黒一色の体毛と頭部から生える巨大な二本角。其の巨体を支える四足を投げ出し、座りこむ。その姿は闘牛にそっくりだ。強大な魔物らしく、凶悪な顔を持っている。だが凶悪な顔のくせに、じゃれ付くネコのごとく、彼の足に頭をこすり付けている。彼の弱さを知っているらしく、痛みすらわかない程度の制限いっぱいの力加減を込めていた。
そんな魔物と彼の愉快な仲間たち。
彼の魔物軍団の中に新しい風が吹いていた。幹部たる牛さん、オーク、リザードマンたちとは違う第四の候補者。其の第四の候補者は傷物たるゴブリン、コボルトなどの小さな魔物たち、略してちびっこ軍団の先頭に立っていた。
無邪気そうな子供がニコニコと笑みを浮かべていた。表情などを見るだけならば、人間の子供といっても納得できるだろう。だが、人間の子供とは似つかないものが背中と足に生えている。背中に生えた蜘蛛のような手足と、人間の二足とは違う数本の蜘蛛の足。
人間と蜘蛛のハイブリッドみたいな魔物。通称アラクネである。
彼の収入確保、生存するための仕事。いつもの日課。
草取りである。薬草とかの確保。それと新たに加わった果物やらの食べ物確保。薬草は資金のため、果物も資金集めと自分たちが食べるためのもの。
彼の軍団は大きくなった。成長という意味でもあるが、数が増えたという意味でもある。いってしまえば草取りだけでは、魔物たちを食わせていけなくなった。ぎりぎりかつかつにすれば、なんとかなるだろう。
だが貯蓄ができない。
何かあったときの備え。備えができないというのは不安が強く押しかかる。心配性の塊たる日本人の性。本当に使うかといえば、別として。
ためて、ためて。
ためすぎて増えれば、使うかと思えば。
未来への投資のごとく貯めていく。
お金がない。それは余分な意味で使う分がない。娯楽で使う分以外、残り全てを過剰のごとく貯蓄する。不景気が生み出した不安症候群。
未来が見えないから貯蓄。見えても貯蓄。未来が不安定の時代で飲まれた若者たちは、その感情を強く有していた。
いってしまえば、彼もその名残を残っていた。
不安症候群がもたらす、経済への悪影響。モノを作ってもモノが売れない。モノが売れないから給料下がる。給料下がるから余分な出費がさらに減る。
嘆かわしきことであるが、不安というのは更なる闇を呼び込む呪いみたいなものなのだ。
国が悪いといって片づけるのか、企業が悪いといって自分を納得させるのか。決して自分が生み出す悪意の矛先は自分へと向けることはない。
他人が失敗すれば、自己責任。っと、一言ですまし。
自分が失敗すれば、他人の責任に擦り付ける。
自分の失敗を自分で認めるという点がどれほど難しくて、気高いことなのか。自分が悪いと納得したふりをして、どこかで誰かのせいにしたがっている。
それはどこの国でも、どこの世界でも当たり前のこと。だが考え方が世界、国によって異なる。
一回ボタンを押せば、5千円もらえる。ただし押した回数によって自分の同僚が10万を得るというスイッチがあるとする。世界の人々は考え方が柔軟らしく、他人が利益を大きく得ても自分も多少得るならば、たくさんボタンを押す。そういう発想ができる。
だが、残念ながら自分責任、他人放棄主義者たる日本人。それらは、ボタンを押そうとしない。自分が多少しか利益を得られないのに、他人が大きく利益を上げるなんて許せない。そういう少額とはいえ利益を得られる場面すら切り捨てる。
自己犠牲、共存、我慢強い、真面目、誠実。自分を大きく聖人かのような言葉を大きく取り上げる。そのくせに、やってること、考えることは排除主義という徹底したリアリスト。
そのくせ、他人に犠牲を求めていく。
それらは呪いがもたらすものなのだ。
社会生み出した、世論が作り上げた、美しい国。その実態は他人を蹴落とし、貶める。負けている特技や趣味では勝負をせず、勝てるジャンルでしか上を目指さない。
これがリアリスト。
夢をすてた哀れな住民。
夢を捨てたからこそ、堅実さを得る。
だから、今も。
これからも。
日本は平和なのだ。
テロを起こすほど、民は積極的ではない。
デモを起こすほど、他人のために時間を作る気もない。
訴える事柄すら面倒くさいという一言で片づけてしまう。
完成された冷血鬼である。
なにせ、誰も助けてくれない。守ってくれない。自分で自分を守るしかないという先進国の実態。後進国もその部分は強いかもしれないが、民主主義と民族統一、思考統一がなされた国では珍しい。
ゆえに日本人は。
どのような環境でもしぶとく。
冷たく。
希望をそぎ落とし。
死んだ魚の目をして、会社へと向かっていく。最初は嫌だという感情のもと、仕事を行っていく。感情を日々押し殺し、砕き、やがて出来上がるのは忠実な犬である。
押し殺した感情が強いほど現状に慣れていき、仕上がっていく。
堅実さがもたらした仕事一筋。プライベートより仕事を優先しろという圧力のもと、生きている。それらは、他人に自分がやってるからお前たちもやれという同調圧力がもたらす闇。
それらは異世界でも変わらない。
日々を、休日を、プライベートを。
そして仕事を。死んだ魚のように乗り越えていく。
アラクネは、両手を大きく空へ上げた。にこにことした無邪気そうな子供。その近くには同じようにまねをする傷物ちびっこたち。
「うぁーー」
見た目相応の囀りを口にし、アラクネはさらにさらに手を伸ばそうとする。だが身長がいかんせん足りない。空へと届くわけもない。
アラクネは空を見上げている。森の木々が生み出す緑の世界に反旗を翻すかのように、葉の隙間から差し込む青い世界からの光。その光の世界の住人は、もくもくと綿菓子のような形で遥か上空を漂っている。
その綿菓子、雲をつかもうとしている。
蜘蛛が雲をつかもうとしているなんて、シャレにすらならない。
空をつかむ動作、だが手のひらには何もない。悔しそうに指をぴくぴくと開いたり、閉じたりしている。
「ぬぁーー」
悔しいという感情をそのまま吐き出す。
子供だった。アラクネは子供なのだ。ただ人間か魔物かの違いだけだ。幼稚で無邪気なのはどちらも変わらない。
そして、そんな子供にゴブリン、コボルトたちは逆らえない。逆らう気すらなく、歯向かう気力すら出来上がることもなかった。
身長こそ、ゴブリンとコボルトは変わらないが、実力は魔物として上位陣たるアラクネに分がある。未来への成長が見込めるという点ではなく、現在の実力として勝てないという事実。それがわかっているのか、出会った初日から傷物たちはアラクネに負けたと自覚した。
逆に、同じ身長ぐらいの魔物が持つポテンシャルの高さには期待せざるをえないと傷物たちは考えていた。自分たちは弱いが、アラクネは強い。
成長すれば。
敵意を持たれなければ、自分たちは安泰だろう。そういう考え。なにせ、今の状況でアラクネは暴力事項を一切起こしていない。一方的に虐げられた傷物ちびっこたちにとって、自分たちと同じぐらいな魔物というのは希望なのだ。
希望には、信頼を。
そのためだろう。
ちびっ子たちは、ほかの幹部たちよりもアラクネに意識を強く持つことにしていた。だが他の幹部たちを甘く見ているつもりなど一切ない。なにせ他の幹部たちも意外と優しい。
オークもリザードマンも親切だ。兄貴として思考錯誤しながら接してくる幹部たちにちびっ子たちは従うことすら躊躇うことはない。
ただ、それでも身長とか、自分たちと似ているかと思えば違う。幹部たちの力が強すぎる。もう一匹、彼の最終兵器たる巨大な魔物もいるが、そいつはどうなのか。答えは否、強すぎる。オーク、リザードマンが二匹いて、ようやく押さえつけられるなんて魔物としての各が違いすぎた。
どこかで共通点を探している。弱者は、強者にどこか共通点を探そうとする。似たりよったりな部分を。暗い影を残すちびっ子たち。
夢がなくてはいけないのだ。希望を夢を亡くして日々を過ごすなど、ゾンビのようなもの。人形ではあるまいし、そんなことを日々刻んで生きるなんて頭がおかしい。
それをアラクネに押し付けるかのごとく、身長が小さいという自分たちと似ている点として物事を進めていく。
彼の魔物の幹部にちびっ子で最も近いアラクネ。
また、幹部たち特にオーク、リザードマンすらそのキャパシティに恐れおののきそうになったからだ。ただの見た目だけならば、弱そうに見えてしまう。だが、本能が語る。これは獣なのだと。しかも牛さんと同類の圧倒的強者。今ならば、幹部の二匹なら勝てるだろうが、成長すればどうなるかわからない。
ぱんぱん。
手をたたく音がした。
全ての魔物がその音に注目した。発生源たる森の異端者、人間。彼の鳴らした音の前に魔物たちは耳を、視線を彼へと向ける。
音とともにアラクネは空に手を伸ばすことをやめた。そしてゴブリン、コボルトたちも同じようにやめた。アラクネというちびっ子たちの新たなリーダー。アラクネは意図したことではないが、ちびっ子たちはアラクネをトップとして仰ぎみることにしたようだ。
ちびっ子たち、幹部たちが最も恐れる存在。魔物たちにとって力だけではなく、理性というルールという制約で従わせる最狂の怪物。
巨大な魔物を除き、魔物たち全てが人間を憎悪する。その憎悪すべき人間が主人だというのに逆らう気すら起きない。ちびっ子たちがアラクネに向けるのは希望という光。
彼に向けるのは恐怖と崇拝。なにせ幹部たちは彼の興味を引くことに注目し、彼に褒められると歓喜をこぼし、怒られるとすごく落ち込む。それほどまでに心をつかむ存在。
そんな彼は人間だ。人間なのに食事をくれる。傷をつけられない。暴力を振るわれない。水も暖かい寝床もくれる。
そして、ちびっ子たちは理解している。幹部たちは人間が嫌いだ。彼以外の人間を見るとき、どこか侮蔑するかの如き視線を向けているからだ。それを彼に悟られないように必死に押し殺している。弱者は強者の顔をうかがうことによって、日々生存を許される。
だからこそ、幹部たる強者は人間を嫌っていることがわかった。ちびっ子たちも人間が嫌いだ。ただの嫌いという点だけならば、共通点足り得るのかもしれない。
だが、その先が違う。
人間を殺したいほど憎む幹部と。
人間にかかわりたくないと願うちびっ子たち。
復讐と拒絶。
この二点だけは決して相容れない。
そんな幹部は、彼にはデレデレしときながら、それ以外の有象無象にはツンドラのように、冷たい対応をとる。
注目を集めた彼は、魔物たちが耳を傾けたと判断して、口を開いた。
「これから、始めるよ。採る場所と役割を分担するから」
その開始の言葉を発し、指示を出す。まず最初に彼の視線がゴブリンへと向かっていた。ついでに足もゴブリンたちのほうへと動いていた。
「華は、この子たちと一緒にお願い」
ゴブリンの一匹の両肩を優しく上からつかんでいう。つかまれたゴブリンは緊張のあまり、硬直を選択したようだ。また周りのゴブリンも彼を見上げ、緊張のあまり背を固めていた。
「ぶいっ」
了解と言わんばかりの威勢の良い返事。
華。華やかという思いを込めて付けられた。それは名前だ。
いつまでも魔物たち種族で扱うにも限界がある。ゆえに、彼は名をつけることにした。ネーミングセンスと自覚している彼が、必死に考えて付けた名前。
その名前の響きからして美しさを兼ね備えた魔物を想像するだろう。だが、付けられた魔物はオークである。オークという華やかさを微塵も感じられない造形の魔物に、彼はあえてその名前をつけた。
別に豚鼻だからとか、そういう悲しい理由ではない。言ってしまえば彼のパーティーで一番、いろいろ気が利く子なのだ。
雑草はそこらじゅうに生えている。またオーク人間のテリトリーじゃないとこに、いっぱいいる。雑草と同じように多すぎるから価値がない。多すぎるからこそ、たまに生えている野花には心をとらわれることもある。
彼は、そういうものに目がない。多い中で気高さを。アスファルトの隙間から生えている、たんぽぽのごとき根強さを。
そういう思いを込めた名前。
彼は両肩をつかまれたゴブリンに視線を合わせるようにかがみこんだ。戸惑うゴブリンの感情を横に置いたかのように気にしない。
「君たちは、華のいうことを聞くこと。悪いことは駄目だから」
表情が変わらない人形なのに、言葉の端には優しい響きがある。きっと表情すら変えられたら聖人のごとき扱いを受けられるというのに。
その流れ、彼がもたらす独特の感覚に視線を合わせているゴブリンだけじゃなかった。周りのゴブリン、コボルト達ですらのまれていく。流されていく。
そして彼の指示通りにゴブリンをオークが先導する。引き連れていく場所は、いつもの場所。ちびっ子たちが来てから、担当区域は決めた。役割も分担も決めた。
ゴブリンの担当はオーク。
彼は立ち上がり、今度はコボルトのほうへ。
ゴブリンと同じようにコボルトの一匹の前で屈みこんだ。うへっ僕というコボルトの戸惑いをスルー。その流れで。
「静は、この子たちと一緒にね」
「ぐぎゃ!」
その威勢のよさはオークと変わらない。彼の魔物で最速の一撃を持つトカゲの魔物。そのトカゲの魔物たるリザードマンの名前が静と名付けられていた。
静かさ、静寂。それらは音という意味だけではなく、心の在り方を示す。彼がリザードマンと一緒にいると落ち着くのだ。不安に心をかき乱す場面が多々ある。そういう場面の時、何事にも基本動じない、臨機応変に動く。
言ってしまえば、せき止められない川のごとく。
流れが自然なのだ。物を動かせば、音が鳴る。引きずるように物を引っ張れば、地面が抵抗する。それがない潤滑剤。重力を亡くしたように、物を持ち。引きずられる物の下に車輪を入れて、抵抗を少なくする。
そういうった流れを生み出せる子なのだ。仕事をしていても、食事をしていても。オークほど物事を気づく力はないが、指示を出せばそれらを完璧にこなす。
要領がよい子だった。
そしてオークと同じように、リザードマンがコボルトたちを引き連れていく。コボルト担当のリザードマンが向かうのは、比較的安全な区域。コボルトたちからすれば、いつもの場所。
「残るは」
彼の視線の先、そこにはアラクネが笑顔を絶やさず見つめてきていた。彼が近寄るまでもなく、アラクネが彼へと駆け出して、抱き着いた。意外と弱い衝撃を彼は受け止める。
「雲は、僕と一緒に。」
雲は蜘蛛たるアラクネの名前。アラクネの名前を決めたのは、名前の響きが似ているからだ。
雲と蜘蛛。シャレにもならないのに、シャレを持ち込もうとする彼のセンス。これがネーミングセンス壊滅と自負する名づけの酷さ。
しいて言うなら、言い訳するなら。
アラクネは雲をつかもうと青空に挑戦している。できないこととか、まだわからず、遊びのように空を見上げている。雲は風によって流される。どこにでも、どこへでも向かう行動の広さ。冒険心を忘れないその雲の在り方と挑戦と笑顔を忘れないアラクネの在り方は酷似していた。
だから。
雲と名付けた。蜘蛛だから雲とかという意味じゃない。意味じゃないのだ。
「いくよ、牛さん」
そして最後に呼びかけるのは、彼への忠誠マックス。最強たる守護神。牛さんである。
もう、牛さんは牛さんだ。名前なんて牛さんと決めた時点で牛さんなのだ。逆に問いたい。牛さん以外に何かあるだろうか?否、ない。
彼は断言する。
(牛さん以外に思いつかない)
「も!」
彼の言葉を待っていたかのように、飛び上がる。跳ね上がる。そして彼へと駆け出して、彼が痛くない程度に頭を押し付ける。
よい子、よい子とアラクネと牛さんを両の手で撫でた。
これから先、また巻き込まれるとは知らず、仕事という日課をこなす。未来なんて予測できるわけがないし、できたとしたら彼は逃げている。
今のところは平和である。今のところは。
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