エルフと騎士と元冒険者

王国の深部。経済でも政治でもない別の心臓。人が人として営みを行うのに絶対的に必要な場所。そこがなければ、それがなければ、人は人間として生きられない。

しいていうならば統治という心臓


 人は人間ではなく、単体の獣としての人として扱ったほうがよくなる、それほどの重要な場所。


 人が罪を起こせば、収納される建物。そこは刑務所だった。王国の北、最果ての地と呼ばれる場所に、巨大な建造物がぽつんと立っている。その刑務所を半径100メートルを囲むように壁が作られているだけで、周りには荒れ果てた荒野だけが存在しているだけだった。他にあるとすればその荒野で生き残る魔物どもが弱肉強食の世界を生み出している点だけかもしれない。


 ここは死の土地だ。魔物にとってではなく、人としての死の土地だ。犯罪者が逃げられず、逃げたとしても荒野の魔物の餌食になり果てる。ここの魔物は危険度の高い魔物たちの住処だ。その住処にぽつんと立った建造物が形を保ち、極最小限の傷程度の綺麗な状態で保っている。




 それもそのはずだ。


 刑務所の上空とおよび周り周囲300メートルには薄く光の壁が張られている。巨大な結界、ここらにいる魔物ではこれを打ち破ることは難しく、ドラゴンの一撃ですら防ぎきる最強の盾。王国の魔法使いと隣国のエルフ達が共同で作り上げた最大の守りがある刑務所を突破できるものは今まではいなかった。


 王国の問題たる刑務所、そして隣国のエルフが協力した理由。ここは王国の犯罪者だけではなく、エルフ側の犯罪者たちも詰め込められた捨て地なのだ。王国は魔法技術が弱く、エルフ達は犯罪者であっても同胞を辱めることができない。技術の足りない王国の未熟さと倫理的に仲間に手を出せない両者の苦渋の選択。


 その結界が生まれてから10年の月日が経っている。その結界を維持するには魔力を常に供給するのは当然として、それとは別に定期的な更新が必要だった。


 その更新の日が今日である。

 更新を行うにはエルフ側の協力が必要不可欠であり、本日において刑務所では珍しいエルフの小隊を招いていた。また更新の際、結界の防衛力が低くなる弱点をカバーするため、王国の小隊も参加していた。


 そのエルフの小隊は王国側の騎士団と左右に分かれるように中庭に整列していた。左右の列の前方には階段の付いた台が置いてあった。その台には老齢の騎士がたっている。皺だらけの容姿こそ老人そのものだが、歳を感じさせない鋭い眼光には重い迫力がある。


 重圧が老騎士の周りに渦巻いているかのようだ。


 規律こそ正義だと思い込む

 この騎士、この男こそ 王国の規律を保たせてきた鬼なのだ。今回集まった王国側の代表たる男。


 全体を見渡し、老騎士がうなずく。全てがそろったのだと。


 両手を掲げ、老騎士は口を開いた。



「 諸君、いまより儀を執り行う。」



 この老騎士は語らない。無駄な口上も必要ない。必要最低限のことだけ語り、それ以上は口を閉ざす。




 エルフたちの小隊が刑務所を囲むように各自散らばっていく。あくまでも防壁の中で、散らばっているため行動に制限はあるが、外敵に襲われる心配はない。


 散らばり終えたエルフたちは、壁に背を向けるようにし刑務所を視界にとらえた。一人を除き、全ては周囲に展開。残り一人は刑務所の入り口たる中央で、片手を上げる。散らばったエルフたちよりも一際、背が高く、煌びやかな銀髪が特徴なエルフ。エルフの特徴である容姿端麗は持ち合わせている。だが、性別が区別つかない。女性といえば品性がある顔だちをしているし、男性といえば柔らかそうな印象を抱かせる。中性てきな存在なのかもしれない。


 役割は小隊長である。


 小隊長が上げた手を下し、口を開いた。


「強たる呪詛よ、混沌を再び地に沈めよ」


 声は静かに響く。いたって普通に会話をするかのような音量だった。人間族が周囲に散らばってたとして、聞こえるかといえば否である。エルフの耳だからこそ聞こえる。この程度の距離をなんともしない強力な音収集の前では、大声を出す必要性はない。


 小隊長が唱えた言葉を散らばったエルフたちが反復する。


「強たる呪詛よ、混沌を再び地に沈めよ」


 タイミングのずれない一斉詠唱。全てのエルフが両手を空に掲げる。両手を合わせて器を作り、そこに魔力による光をともす。自然の慈しみをたたえるかのような緑の発光は、手の器を通じて生み出されていく。エルフたちの手でも補えない光は、やがて器を離れ空へと飛び立った。光が上空で結界にふんわりと衝突し、貪欲にのみこむかのように結界が光を吸収していく。


 その光景を小隊長は固唾をのんで見守る。

 そして全ての光が結界にのまれた後。


 小隊長が再び口を開いた。


「サクリファイス」


 そしてエルフたちが続く。


「サクリファイス」


 厳かなる儀式といってもいいかもしれない。普段ならば、これで事足りる。これで終わり。



 終わりのはずだった。


 エルフ、王国両者が更新を無事終えたことに安堵の息をついたとき、異変が起こった。


 ぴきりという亀裂の入る音が一面からなり出した。まるで卵の殻が内側から割れるかのような音。ぴきぴきと次第に大きくなり。


 そして割れた。


 空が見えた。結界に阻まれて青空が変色したかのような色ではない。何もないフィルター越しではなく、フィルターを取り除いたかのような光景が両者の目に移った。

「な」

 小隊長が小さな悲鳴をこぼし。

「ぇ...あ、あああああああああああああああああ」

 エルフたちが悲鳴を上げだし。


 騎士たちは固まるばかりだった。


 そして事態は動き出す。悪いほうへと悪いほうへと、まるで何かが手招きするかの如く。



 この刑務所はただの刑務所ではない。一般的な強盗、殺人程度の犯罪者ならば最果ての地に送る必要性がないのだ。王国、エルフの支配体系を根幹から崩そうとする、テロリスト。言葉によっては革命者たち。国家の重要なものに手を出し、実際に成功したものたちだけを収容した刑務所なのだ。


 ここにはそんなやつらが封じられている。抑えられている。


 そして処刑が全員行われることが決まっている。


 この中にいるやつは、どのようなものであっても魔力、スキルを封じられる首輪をはめられて収容されている。またそれ以外に結界によって能力半減の効果も発現している。効果がないのは、結界によって組み込まれた除外対象のみ。その結界干渉は更新以外誰でもできない。エルフでさえ、下手にいじろうとすれば結界がその干渉をはじく。それほどの強力な防衛システム。


 更新は成功した。成功して、壊れたのだ。


 成功の過程に失敗はなく。


 結果にも失敗はない。


 それゆえに壊れることがありえない。


 エルフたちは混乱している。小隊長も含め、全員が動けないほどに追い詰められている。それでも動くものたちはいる。エルフではなく、人間。王国側の騎士たちだ。


 刑務所の入り口前で、整列した騎士たちの前方には一人の騎士が立った。


 指揮を執るのは老騎士。

 判断は一瞬。結界が壊れ、能力半減の効果はない。いくら囚人たちが首輪をつけていようと例外がないとは限らない。


 絶対にスキルや、魔法が使えないという保証がない。


 現場判断。


 その内容は。



「囚人どもを処刑せよ」


 この世に不可能はない。絶対はない。必然はない。運命なんてものはない。


 いかに素早く、問題を対処するかが今後の展開を有利に進められるか決まるのだ。その持論をもって、老騎士は指示する。


「囚人どもを皆殺しにせよ」


 そういう対応すら老騎士には許されている。その範囲の最上位たる処刑をもってこの不祥事に応対する。


 時間がないのだ。結界の更新だけならば、エルフの小隊だけでもいける。だが作るとなると大隊規模のエルフがいなければ形すら生み出せない。魔力の塊たる結界は、小隊規模の力では意味がなく、大隊規模の魔力をもって精粗なる形を生み出す。新たに構築するにも、大隊を呼び寄せるには早くて一週間。


 一週間もあれば、ここにいる犯罪者どもは皆脱走しきれるだろう。混乱と困惑。結界を生み出した当事者たちですら、動けない状況に陥っている。犯罪者たちは今日も結界の有無を知らず、能力を制限されていると思い込んでいる。もしくは、何かをしたのが犯罪者たちであり、今日を脱走するため結界を壊したのかもしれない。


 前者ならば、油断がある。今ならば。


 後者ならば、奴らは理解している。結界の有無を。


 どちらにせよ。


 今必要なのは時間。それも早急な対応が。



 悩む時間すら煩わしい。犯罪者どもは、しょせん犯罪者。


 人権なんか知ったことではない。規律こそ全て。



 そして老騎士は建物の中へと駆け込んだ。それに続く騎士たち。己の剣を用いて、毒を切り捨てる。冷血たる老鬼の忠実なる下僕たち。


 老騎士の判断は正しかった。即座に動いたからこそ、事態は悪化しなかった。


 収容されていた26名の犯罪者のうち、25名の殺害を確認。



 処刑を免れた残り一人。


 種族、獣人。スキル、不明。


 罪状、貴族殺し。



 その犯罪者だけは生き残った。処刑を躱したわけでもない。牢獄の中でおとなしくしていたわけでもなかった。堂々と脱走して生き延びた。


 刑務所の周りは死の土地と呼ばれる荒野と魔物だけ。生半可な奴では生き残ることは難しい。ここに来るのだって騎士の小隊規模をもって、初めて安全に来れる場所なのだ。


 死の土地である荒野で長生きできるわけがないという安直な考えもあるだろう。


 だが、それはあまりに短絡的。



 逃げたのは犯罪者ランク Aランクの獣なのだ。



 犯罪者ランクとは冒険者ランクと同じ意味合いで間違いはない。実力で決まる冒険者ランクとは違い、犯罪者ランクの場合はどれほど権力者に危機感を抱かせたかによってランクが決まる。


 貴族は王国の特権だ。侵してはならぬ、汚してはならない。貴族同士ですら表だって、貴族批判を行えないのに、平民がそれを行うのはもってのほかだ。


 貴族に対して何かしていいのは伯爵以上の上位陣のみだ。しかも相手は格下貴族限定で、しっかりとした理由があって初めて成り立つルールなのだ。


 その上位陣の執行権を無視して、貴族以外、それも平民が貴族を殺したというのは許されない。認めてはならない。それを許せば、平民が上を甘く見る。反逆の狼煙にもなりかねない。


 ゆえに処刑は決まっていた。


 すぐに。


 来月にも。


 執り行うはずだった。


 だが、そいつはもういない。


 そいつは逃げてしまった。解き放たれてしまった。


 死の荒野を突破できるはずがないという考えを持つ者が多い中、できてしまうであろうという考えもある。そいつは犯罪者ランクだけ見るとAランクではある。悪逆の知名度だけならば有名であろうが、残念ながら実力もあるのだ。


 冒険者ランクも同じようにAランク評価を受けている。もともと、そいつは冒険者であったのである。





 処刑を執り行い、一人を残して刑務所の掃除が終わった。普段は冷たくて重苦しい感覚を感じさせる石造りの壁や床も、赤一面となって成り果てている。多数の骸が凄惨な表情を浮かべ、沈黙したまま床に沈んでいた。背中を切られ、顔を切られ、首を跳ね飛ばされ、魔法で焼かれ、切られ、ねじ伏せられた数々の死体。


 そんな現場の地下二階の通路。そこに三名の影がある。一人は老騎士。


 老騎士は、顎に手を添えていた。全身が赤にそまりフルプレートの鎧も、その輝きを血によって汚されている。

 老騎士の背後には騎士二名。兜で顔を隠している点を除き、老騎士と装備は変わらない。ただ、銅像のように老騎士を見守っていた。


 沈黙をもって、立ち尽くす騎士二名とは別に、老騎士は思考の波にのまれていた。頭の中はどうして逃げられたのかという点ではない。そんなことを思考するほど暇ではないし、状況が許されない。


 だが、老騎士の視線の先を見れば答えはわかるだろう。その先、数の足りない一名の牢獄。脱獄に成功したであろう、もしくは今も潜んでいるか。


 そいつの部屋は、石造りでありながら、奇妙なものになっている。文字が刻まれている。石造りの見た目も中身も精査されていないゴツゴツの壁。そこに何かで削りを入れて、刻まれた文字数々。それが当たり一面に広がっていた。部屋の全てが文字だらけ。


 老騎士がその部屋を指さした。


「あれを見て何かおかしいと思わぬか?」


 そして尋ねる。自身が何をもって正しいと称するのか。それは他人の意見をもって、比較することで正当かどうかを理解する。


「じ、自分にはただの部屋に見えます」


「ほかの部屋と同じかと思われます」


 尋ねられた二人の騎士。鎧の下からでもわかる困惑したかのような対応。


 そして、その部屋が他の部屋と違うというのに気付いているのが老騎士のみだ。



 しかも、長くみていると、何もほかの部屋と変わらないと誤認を誘発させられる感覚。平衡感覚ではなく、認識感覚を狂わせるかのような空気。


 二人の騎士には何も変わらない部屋。


 老騎士には文字だらけの部屋。そしてその文字の羅列は何かしらの術式であることが伺えた。


 ゆえに。


 決断を下した。


 最初は処刑。


 次なる手は。


「中央に、使者を送れ。伝達事項、犯罪者A 貴族殺し アイゼンが逃げたと。また、対応に当たるのは奇跡の剣と名高いマッケンに当たらせるように伝えよ」


 老騎士は指示だけをして、踵を返す。事態は一刻も争う。だが、数秒程度を逃したところで意味はない。もう動いてしまった以上、どれほど失態をしないかに考えを割り切らなくてはいけない。


 その考えにも時間は必要だった。


 老騎士はすたすたと常人が小走りする速さで外へと向かう。

 指示を受け、二名の騎士は敬礼の礼をもって老騎士を見送った。そして指示通り中央に使者を送るため、二名も駆け足で動き出す。


 貴族殺し アイゼン。


 冒険者の異名、 強鋼。

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