蜘蛛と根暗

「お久しぶりです」

 小さな淑女が笑顔をこぼして言った。ここの喫茶店は彼のテリトリーだった。ベルクの町の中央から外れたところに、ひっそりと経営する小さな喫茶店。店内は沈みかけた静けさがあった。ここには活気ある店員も客層もいない。その中での少女の紅の輝きはどこか歪なものであった。


 カウンターの席で器用に体をくるりと反転、入り口付近にいる彼に正面を向けた出迎えだった。その笑顔と動作。どことなく嬉しそうでありながらも、裏に何かいいよれない闇を感じさせた。


 しいて言うならば、嫌な予感を彼は感じた。


 面倒ごとにまた巻き込まれそうな予感。



 この喫茶店、ほどよく暗いからこそ、彼は落ち着く場所として訪れている。彼の魔物たちは今頃、宿で武器の手入れや、食事などをとっている。その間暇だからというのと、少し冷たい飲み物を取りたかったため、訪れたのだ。


 店内はがらんとしている。客は、彼と少女を除き、誰もいない。また店の経営陣は、カウンターで黙々と作業をする年配の男一人だった。


 いつものことだった。


 この時間、この曜日において。


 少女がいるということ以外に。


 普段と変わりはなかった。


「...お久しぶりです」


 店内に入ったまま、硬直しているわけにもいかず。差しさわりのない言葉には、代わり映えのない決まりごとを返すだけだった。


 外出先で知り合いに出会ったときのように、鬱屈とした思いを持つものがいる。いくら仲良しでも外面だけで、内面とかの交流は避けたいという人間は多い。


 それらの人間と彼は同等の思いを抱く。


 会いたくなかったという強い感情。巻き込まれたくない、気づかれたくないという逃避。


 彼の負担はそれだけじゃない。この彼のテリトリーに待ち合わせたかのような少女、リザの出現は、きっと何か嫌なことを持ってくるのだろう。確実に、何かがある。そう確信していた。不幸展開を創造する脳内工場がフル稼働し、彼の心は余計に沈む。過酷な動作をさせるパソコンが重くなるように、彼の心もフリーズしそうだった。


 リザは隣の空いた席に手を添えた。


「どうぞ、隣が空いています」


 ぽんぽんと添えた手で席を叩く。言葉での誘導と、手での誘導。彼でもわかる逃げられない展開。その誘導に逆らうことはできず、状況に流されるだけだった。


 彼は指し示された席に向かう。沈んだ環境に、こつこつと石造りの床を靴が叩く。一定のリズムではなく、不規則な音程。素人の足取りと片付けてしまえば、それまでだ。


 だが、この場では違う。


 彼は強者であり、怪物なのだ。



 だが、彼が浮かべた感情は、立った一言で片付いた。


 (・・・会いたくなかった)

 それだけだった。


 それしか浮かべていない。現代日本人の特徴である、自分の空間、時間を束縛されたくないという強い感情。 


 彼の感情にあるのは、強い忌避感だけだった。知り合いにあってしまった。休日に、プライベートな時間に。孤独で崇高な時間を邪魔されたようであり、これから何を話せばいいのかという先の見えない大きな課題。


 彼は常に人に飢えておきながら、人を拒否する天邪鬼だった。



 そして、それを理解できるのは誰もいない。


 少女は、彼が内心暴走しているのなんか気づかない。なぜなら外面が一切変化がないだけなのだ。もしあるとすれば、ごく僅かに細くなった眼光だけだった。


 強い警戒心という表に向けた偽りの表情。人形が感情を持たないように、表情を作らないように。彼はあえて作ることで、リザという存在に示しているのだ。


 無関心に見えて、その眼光だけはリザに向けている。警戒心を僅かに浮かべておきながら、無用心に隙を見せつけていた。見せていることと、やっていることが違いすぎた。


 警戒するならば、それなりの態度というのがある。武器に手を添えるなり、何なりと色々あるはずだ。ただ一つ見ただけで、少し眼光を細めるだけの彼。たったそれだけしか行っていない。


 まるで。


 当たり前のことを当たり前のように確認する姿にしか見えなかった。


 リザがここにいるのは当たり前のことで、予測していたことだと言わんばかりだった。


(読まれていた・・・)


 これは突然の来訪という形をとったつもりだった。驚きと何かしらの反応を得る為に彼が気を休めるであろう時間を調査した。その調査結果では、この時間が唯一彼の安らぎを得るであろうと予測していた。


 そんな気を緩ませた状態で、会えば、何かしらの情報を得られる。そういう甘い考えがリザにはあった。


 だが、無駄だった。


 結局のところ、来る時刻だろうと、難だろうと怪物にとっては予測内のうちなのだ。


 そんな思い込みだった。



 彼がリザの指し示した席に座る。それと同時にリザはイスをくるくると回転させて、カウンターへ向き直った。




 もし彼と同じような態度を他の人間がやれば、リザにとって獲物だ。感情を隠そうが、何かしらの思惑すら見抜く自身がある。だが彼の場合はそうじゃない。表に向けた対応と内側の反応が大きく違うのは、彼の行いを思い返せばあきらかだった。


 彼は全ての展開を予測し、どういった場面で動けばいいのかを瞬時に判断する頭を持っている。また、頭の切れだけではなく、教育することに関しても一流だということすら誰もが知っている。


 知性の怪物。


 全ての実力者をどん底に叩き落し、王という権力者にすら屈服しない怪物。


 一流の犯罪者である自分。国の枠組みの中で利益をえる犯罪者と、枠組みですら獲物にしでかす怪物の間には程遠い距離があった。


 そんな風に考えていた。


 彼とリザ。お互いがお互いの思い浮かべる考えは大きく違うものだった。しかし、その溝を埋めるほどの親しさは両者にはない。例え、関係を深くしようとリザが詰め寄ったとしても、彼は逃げるだろう。彼が詰め寄るということはありえないため、溝はそのままあり続ける。溝が小さくなることはなく、逆に大きくなるか、深くなるかの違いしかない。



 それでもリザは彼に対し、ある程度の距離をつめようとしていた。あくまで敵対しない程度、敵対することを少しは戸惑うぐらいへの友好関係を築こうとしていた。


 最初の一手。


 リザは、彼へと顔を向ける。


「遅れながら、優勝おめでとうございます」


 リザは笑みの表情を崩さず、小さな唇から祝福を述べた。


 そんな言葉に対しても彼は無表情だった。


「・・・」

 返事はない。


 彼は口を開かなかった。


 表情も変えず、当たり前のことを当たり前のように捕らえているかのような態度。そんなことを言われても結果は決まっている。


 負けるはずがない。

 そういう一方的な思い上がりを見せるかのような姿だった。


 ただ彼自身、どう反応を返せばよいのかわからないだけだったりする。素直に感謝を返せば、どこかで偉そうだとか、調子に乗るなとか思われるかもしれない。謙虚に返せば、白々しいとか人の隅を突くかのような性格の人々に叩かれるかもしれない。


 彼は彼なりの答えを探していた。


 優勝は本来ならば、すばらしいことだ。


 それはわかっている。いかなるものとて優勝は誇るべきのもの。規模が大きければ、大きいほど栄光は強く輝き、重みを増す。


 されども。


 それは彼が誇るべき競技の中での優勝であればのこと。


 そして、彼はあの優勝を誇るつもりはなかった。


 暴力を暴力で覆い尽くしただけのこと。一言で片付けてしまえば、その程度。大会中は参加する以上役割を演じた。演じさせられた。彼が参加すると決意を固めて、行動した。だからこそ、本気だった。


 でも、終わった後、戦いの空気が冷めた後の今。


 冷静に考えれば、波の勢いに流された哀れな大木だと思えた。つまるところ、自分を第三者目線で思い返してしまったわけだ。


 人前で。


 人前で目立った。


 人を泣かした。思いを大会にこめた者たちを、自分のような流れ者が踏みにじった。


 恥ずかしさと、鬱屈さ。自己弁護と自己嫌悪。


 織り交じった重みが彼の喉元につまり、言葉を返すことを邪魔してくる。



 だからこそだろう。


 そこに勝って当たり前という態度を見せつけるかのような姿と、何かを達観したかのような表情。先ほどまでの無表情は、そこにはなかった。


 リザはそれで悟った。


 言うまでもない。語るまでもない。誇るべきでもない。


 わかりやすくいうならば。


 当たり前のことに疑問を持つのが彼だということだった。


 常人は空気を吸うのに、理由を一々考えない。食事を毎日取ることも、水を飲むことも、当たり前のことだから、当たり前のようにこなす。一定の流れというのがある。時たま、何故人は息を吸い、物をたべ、水を飲むとか考えにふけることもあるだろう。


 ただ、それだけなのだ。


 だが。


 だが、彼は空気を吸うことを一々考えている。生きることに、食べることに、水を飲むことに、一つ一つに疑問を持って生きている。


 リザも当たり前のことに疑問を抱くこともあるが、毎回ではない。その毎回をこなすのが彼だということ。それをたかが数分に及ぶ会的で理解した。


 それの違いなのだ。ただ、それだけのこと。リザは有能だ。実際人が考えていることを理解することはできなくても、ある程度の反応と状況をかんがみれば、おのずと答えは導けるほどの頭はあった。


「...喜ぶべきか、迷うべきか悩みどころです。どう返事を返せばよいのかわかりません」


 思考に陥るリザに横槍が入るかのように彼の言葉が届いた。その冷や水によって、思考の奥に沈んでいた意識を急浮上。




 必死に考え、どう返答すべきか悩んだ彼は、答えを見つけることは出来なかった。


 その返事に、リザは彼が模範解答すらも言うつもりがないのだと理解した。



 両者の意見と伝えたい事柄は常にずれている。関係が浅すぎる為に、思い込んだ方向性が違う為に、お互いの認識はずれて、かみ合わない。



 彼だからこそ、許される態度。彼のような怪物だからこそ、素直にリザ本人が適当に応対されても感情に触ることはなかった。


 自分よりも下のものに、やられれば、苛立ちもするだろう。だが、狂った怪物に自分の理性を働かせても意味がない。逆に飲み込まれるだけだ。いらだてば、いらだつほど、彼にとって格好の獲物だということ。


 それは大会が示した。


 王の前で示した。


 ありとあらゆる場面でそれを示している。


 物理的に、精神的に、知性的に。


 その他者が犯した愚を行うほど馬鹿ではない。




 リザは、一線を引きなおすことにした。


「ならば、言葉ではなく、別のものをお受け採りください」


 彼と関係を深くするのは、やめた。ただの知り合い、敵対しない程度の知り合い。その程度の認識にとどまらせることにした。


 全体が見えない巨獣のような彼に、いまだ対策すら打てない自分達。その巨獣が自分達の邪魔をしないように、また自分達が巨獣の邪魔をしないように。


 今は線引きが必要だった。


 リザは指を鳴らす。


 ぱちん。


 笑顔の中に潜めた冷淡な感情は、すぐさま次の展開を引き込むための布石を打つ。それすらも読まれているかもしれないという陰りはある。


 だけれども今のところは、その予想内に入ることは間違いじゃないと修正を施す。


 今は彼の手のひらで踊ることを是とした。


 そして。


 リザの背後と彼の背後に突如人が出現した。黒いコートで全身を隠し、フードで顔すらも覆う。怪しさ満天の格好をした集団。影も姿もなく、人の背後に突如現れる黒一色で統一された宗教臭さを隠さない。


 ハリングルッズが誇る影の舞台、アサシン。


 そいつらが出現したとしても、彼の表情は変わらない。それどころか、店のオーナーもリザも誰もが表情すら変えることはない。



 ただ、当たり前のように受け止めている。そこにいようが関係ない。物置のようにこの場の全員はアサシンたちを扱っていた。




「さすがです。我らの影を見ても、その程度ですか」


 笑みは冷酷に。可愛らしさすら放棄したリザのおぞましき感情を示す表情。知っていたことと、予測していたこと。それらを確認し、思い違いはなかったと自分に対しての誇り。それすらを内包したリザの表情であったが、彼は見ずに、前を見やっていた。正確には水の入ったコップを見つめていた。


 後ろに人が立っているという居心地の悪さを感じながら。


 だが、その集団は、この店に入ったときから、彼の視界に入っていた。気配遮断とよばれるステルススキルを使おうが、人の目恐怖症候群に陥る彼の訓練された気配察知の前では意味がない。子供のときから鍛え上げた技術は、一度リザの気配遮断を見抜くほどの実力を持っている。それよりも実力が劣るアサシン集団では、彼の察知能力から逃れるすべはない。


 最初から。


 彼は気づいていた。リザの背後にアサシン集団がいたのを。


 それだから、カウンターに座りたくなかった。


「...影というのは、恐ろしい。人の背後に最初から立つ度胸を持つのは中々できることじゃない」


 そういっておきながら、彼はコップから視線をそらさない。人の背後に立ち続ける度胸、時代が時代なら変質者扱いだ。犯罪をする気がないのに、相手の勝手な思い違いで犯罪者に仕立て上げられる現代社会。その社会での経験が彼の言葉に重みをつける。


 だが、内面で何を考えても、外には出てこない。


 興味すらわかない、気づいていた振る舞いに見えてしまっていた。


 リザは笑みを隠すことすらしない。


「我らが影を最初から見抜いていた貴方に、そう言われるのは喜ばしい」


 皮肉である。皮肉に聞こえた。そんなつもりはないが、少し異常な人達程度の発言のつもりだった。それを背後に最初から立っていた癖に、影と名づけるほど愚かなのかという屈曲した脳内変換をしたリザ。その彼からの皮肉に、ただ開き直る。


 どうせ何時間いても何日いてもお互いの関係は変わらない。


 時間の無駄である。



「これが贈り物でございます」


 笑みは盛大に、声は小鳥がさえずるより涼やかに店に突き抜けた。それと同時にアサシンたちの集団が覆い隠していた一つの宝。人の集団にさえぎられて、見えることのなかったもの。それらアサシンたちの手によって前へ前へと導かれる。


 それはリザと彼の間に置かれた。


 それは小さかった。人の群れに隠れて消えてしまうほどの小ささだ。


 それは生物である。それは宝である。それは人間ではない。だけれども人間そっくりだった。だが、エルフやドワーフなどといった人種として扱われるものでもない。


 人が忌避し。


 恐れ、嫌悪すべき存在。


 魔物。


 その魔物は、人間と良く似ていた。人間の子供ぐらいの背丈で、瞳はルビーの如く赤い。無邪気さを内包した朗らかな笑み。これだけならば、とても可愛らしい人間の子供だといってもいい。あくまでも顔だけをみれば人間そっくりだ。


 だが上半身を見てみれば、人間じゃないと理解できた。人間そっくりでありながら、背中にある六つの手。蜘蛛の足のようなものが六本生えており、人間の両手と合わせれば合計八本の腕を持っていた。それに下半身にはもはや、蜘蛛そのもの。




 世間では、こいつをアラクネと呼ぶ。


 知性を持ち、数多くのスキルを所有する魔物。蜘蛛という虫型の獣にしておきながら、人としての形を一部とはいえ保っている。


 数が少なく、性能も高い。


 これは間違いなく。


 宝であった。


 命という意味でも。


 金額という意味でも。


 これほどのものを簡単に渡せる存在。巨大な王国に巣を張り巡らせる組織、ハリングルッズだからこそできること。



 そして気配に厳しい彼が、近くに置かれたものを確認しないわけがなかった。リザと彼の間にはびこる気配。動き、生物らしい気配を放射した存在に彼も横目で見やった。


 そして。


「・・・っ」


 言葉を失った。魔物だからとか、蜘蛛だからとか、ではなく。


 単純に驚いた。なぜなら、彼の視界がアラクネを捕らえた瞬間、アラクネは跳ね上がるように彼へと迫っていたからだ。彼が反応を返すよりも先に、アラクネの顔と彼の顔が至近距離にあったからだった。


 好奇心旺盛。


 にこにこと無邪気らしくても。


 開いた口から見える犬歯が何ともいえない感情を吹き上がらせても。


 子供のような好奇心の固まりの前では、さすがの彼も固まるしかなかった。


 そんな様子、されども無表情。感情が少しでも豊かな人間ならば、表に出るというのに。彼は、人形と評されるほどの変化がない男。凡人であり、凡庸。それらのランクにすら行き着かない底辺の中の底辺。


 相変わらず、何時もの如く。


 無表情を貫き通すだけだった。



 ようやく状況になれてきたころ、彼がその頭で理解しようにも。

 この場には、アラクネと彼と店のオーナーしかいなかった。

 彼が驚愕から立ち直ったところで、渡してきた相手はもはやいない。予想通りの反応しか返さない知性の怪物。全てを読まれていると誤解していた危険な一行は、彼に渡すものを渡してさっさと消え去っていた。下手に長くいても、彼という怪物ににらまれるだけ。


 怪物から与えられた役割をはたして、消える。


 それらが演劇の上で必要な役者なのだ。


 役者は役者らしく。


 演じきった。


 それ以上のことはせず、余計なことは詮索も演じもしない。これで言いというばかりに掻き消えた存在たちに。


 さすがの彼も何も告げれなかった。ここで愚痴をこぼしたくもなったが、ひとりで呟いても痛いだけ。飲み込んだ言葉は、一つ。




 どうすればいいのか?

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