王城 その3
騎士団の訓練。城の中庭にある練兵場にて行われる。ここで訓練できるものは、国のエリート階級のものだけだ。兵であれば、近衛兵のみ。騎士でもただの騎士では見ることも、近づくことも許されない。
秘匿性というものと、王の直属の装備へ機密事項によるからだった。
つまるところ誰もその場所を見たことがなかった。
地方騎士も見れないというのに、今日は見ることができる。大会で本選に出たものに関しては、実力という信頼をおいて王国は秘密の扉を少し開くのだ。
建物の影の中でそこをみつめる参加者達と彼。城の外通路の屋根の庇護により日光をさえぎっている。こちらは暗く、戦いの場は明るい。
見やすかった。
見たくはなかった。
槍をもった騎士とあるものが戦っていた。突撃と衝突。訓練とはいえ、相手の命を奪ってしまうという危惧はない。相手を殺すつもりでやっていた。
参加者達とは相対する位置で騎士達の仲間が声をあげていた。応援であれば美しいが、内容は暗いものだ。
「殺せ!」
「そうだ、やれ」
そんな光景。
素敵な光景。
参加者達は流し目で見るのに対し、彼は言葉を失っている。そこは血の海だ。
戦う騎士は無言だ。
ただ殺そうとしている。しかし表情は残酷そうなものだった。弱者をいたぶる残虐性が垣間見えている。
「うがががが」
血がまみれ、攻撃を受けるものの悲鳴が上がる。傷ひとつなく、鎧を赤くそめる騎士と、体を噴水とさせた受け手。
騎士が優勢だ。一方的にさし、吹き飛ばす。立ち上がろうとした相手を盾で殴る。体制を崩させて、蹴りあげた。地面に転がし、遊ぶように甚振っている。
参加者達は相手の惨状には何も言わない。命のやり取りというのもある。何より見慣れているからだ。魔物たちであれば暴力はいとわない。どんな暴力を与えても何も思わない。そんな文化の住人達。
戦いというのはそういうことだと。残酷でも、ひどくても言葉にしない。する必要はなかった。
人間は残酷というのはありがちだ。自分とは違う相手に対しては残酷になれる。身内ですらときに欺きだます。そんな人間でも、相手を傷つけるのが嫌だという善良の人間が多いのが救いだが。
やさしくなれても、同属である人種、国籍であることが最重要。それ以外、もし関わらないといけないのであれば、かなりの距離を開けるものだ。人間にすら冷たい人間。ただ、人間同士ならばある程度の配慮も見せるのも、人間のよきところだ。
それは人間にしか通じない。人間に属するものにしか見せない。大会で彼を否定した者達は、同属にひどいことをしたからこそ、敵意をみせた。自分がそうなるかもしれないから、彼を認めない。
騎士の相手。
魔物だった。傷がひどく、緑の体液につつまれている。視界も足元もおとつかない。ただ暴行を受けるだけのデクの棒。
人型の魔物であり、弱者と有名なゴブリン。一時は森の覇者になりかけたが、人間によって再び弱者となりはてた魔物。
「....っ」
彼は何も言えない。これが常識なのだ。魔物という脅威にさらされているものたちは、魔物を訓練材料として日々耐えている。
いかに生き残るか。
そういった考えがどこにもある。暴力的で残酷でも必要なことだった。騎士の甚振るのを楽しむ表情すら、戦う気力があると評価しなければならないほどに、人間は切羽詰っている。
平和の国の彼。
思考が追いつかない。できることならば、元の世界の常識を押し付けたい。叩き付けたい。でも、できない。
彼は相手の考えを尊重する。
必要なことだ。日本という世界でも命は雑に扱われる。配慮もなしに、ただ命を奪う。奪う相手は、どこか悲しいといった感情を抱く分、道徳的にましかもしれない。
肉を生産する工場。いちいち配慮していたらコストがかかって、金にならない。安くするために機械的に殺す。機械で殺すのもそうだが、人間も機械の一部として暴虐をこなす。
一般市民が肉を食べれるのは、感情を押しつぶした人の努力によるものだった。だからこそ、否定できないのだ。食っていくには、人が嫌がることをしなければならない。
どんなものにも理由がある。
そしてこれも、生き残ること。何もわからない彼ですらわかること。世界の歴史で学んだ。残酷的に見えることでも、必要なことはたくさんある。政権の安定、未来への努力のための戦争。
元の世界である程度の教育を受けたものだから、相手の価値観を壊せないのだ。
彼は何も言わず、目をそらした。そらした先にいるのは彼の魔物たちだ。魔物たちは気にした様子はない。目の前の暴力に対しても思うことはなく、家族の視線は彼を見ている。
牛さんなんか、気にした様子もない。
「もー」
どうしたのと伺うような表情で彼を見ている。オークもリザードマンも魔物特有の怖い顔で彼の背後を守っている。彼からすれば、純粋で大切な家族達。きっと目の前でおきている野蛮な行為の酷さがわからないほどの潔白な天使達。
気にするものはないのだ。
ただ実際は、どうでもよいといった考えの魔物たち。
元が残虐だというのもある。家族や彼が受けなければ、どうでもよい。冷たい感情と彼に対する執着のほうが強かった。
ここは地獄だ。
参加者達の口から非難の言葉は出ない。むしろ騎士の戦いをほめる様な空気が漂よう中、試合を眺めている。
常識が違う。
彼は目をつむった。大会の予選と同じような現実逃避。彼は逃げることを選択した。ここは大会ではない。
この場において彼のやるべきことは、何もなかった。
王国による粋な計らい。実力者たちに国の中枢のエリートの実力を見せたいといった権力者の素敵な考えは、彼にとって悪魔の時間を生み出した。
試合は終わり、ゴブリンの倒れた死体が燃えている。戦っていた騎士がゴブリンを殺し終えて、炎の魔法でゴブリンを焼いていた。死体処理だった。魔物の死体は、触ると不幸になるという言い伝えがある。
別のところへ死体を運び出さないのは、言い伝えを守っているからだそうだ。その場で焼き、灰を使用人たちが片付ける。炎で焼かれたものは、いかなるものですら清らかな魂となる。
そういう宗教的な考え。
最後の断末魔が彼の耳から離れない。ゴブリンが死ぬとき、大きな悲鳴をあげた。皮肉なことに、命が途絶える瞬間が最も明るくなる。細胞でも光る虫でも、ありとあらゆる場面で、死ぬときが輝いている。
生命という意味でも、演劇の中での小芝居の中でも。死ぬときこそが印象に残る。
彼はとらわれている。道徳に。倫理に。
この世界に染まりきれば、楽になれる。だというのに、彼は一向に適応できなかった。長年生活してきた慣習、考えは簡単に塗り替えられない。変えられないけれど、自分を貫くといった気概もなかった。
彼はただ、沈黙していた。参加者達は騎士に視線を向ける中、彼だけが炎に包まれたゴブリンをみていた。
必要なことだった。猟師が猛獣を撃って、市民を守るように。騎士もまた魔物を殺し、市民を守る。その訓練のためだ。
わかっているが、納得はできない。猟師の相手をすぐに楽にさせるやり方ならば、彼もここまで思わない。残酷で、甚振りつくすようなやり方が気に食わなかった。
心に残る。
一行は通路を歩いている。城の3階、ある会場にむかっていた。
歓迎会みたいなパーティーを開いてくれるらしい。彼と参加者達はその為歩いていた。
この先のことにおいて、魔物は連れて行くことは認められない。そう兵に言われた。今まで案内してくれた騎士ではなく、玉座の間にいた近衛の一人にそういわれた。
ルールがルールだ。
他の参加者達も武器を近衛兵達に預けていた。
幸い、魔物も近衛兵が厩舎までつれていくとのことだ。ありがたく預けることにした。魔物たちについていくように指示を与え、近衛兵に従わせた。その際、魔物たちの名残惜しそうな視線に少し罪悪感が沸く。彼はへたれである。弱いのだ。身内の感情を見せられるとそのまま流されてしまいそうなほど善良でもある。
「もー」
少しの間だけ預ける。
魔物たちの頭をなでて、連れて行ってもらった。その際、ゴブリンの姿が頭から離れなかった。たかが魔物、人に害をなす危険生物。
いるよりは、いないほうが良い。民衆の意識はそんなものだった。
それと今まであった安心感が消えうせ、心細さが彼を支配した。今まで過保護のように彼を守ってきた守護者が少しの間、いない。それは何かがあっても彼を守ってくれないという当たり前の事実を考えさせた。
王城において、客人と王が面談するのは玉座の間であれば、客人をもてなすのは、王城に一つだけある大きな広間。
大きな会場といってもよい。そこに最初に目がつくのは天井にぶらさがった巨大なシャンデリアであるだろう。それの綺麗な輝きは会場の隅々まで照らし、薄汚い影を消滅させんかのような気高さを持っている。
そのシャンデリアの下では大きなテーブルがあちらこちらに点在している。白いクロスをかけられたテーブル。その上には各種料理をとりそろえてあった。肉の丸焼きから野菜のサラダ。王国でも屈指の実力をもつシェフが腕をならして作り上げた料理の数々。
思わず参加者達はのどを鳴らした。貴族ぐらいしか食べられないような料理達に翻弄され、目を奪われている。
「凄いなぁ これが王城の料理かよ!」
勇者が感激し、
「本当ですねぇ 自分食べたことないですよ」
レインが続き、
「うらやましい限りである。」
クキがあわせる。
いつのまにか3人は話すようになっている。彼が離すことをためらっている間に他の人は親睦を深めていた。
がやがや。
クイナに関しては何も言わない、目をちかちか点滅させている。見たことがない光景の連続で言葉を失っていた。
その光景に、彼への警戒を忘れたものたちの姿しかなかった。
彼への警戒も大切だ。だが見たこともないものを前にして、それを強く考えるものはいない。圧倒し飲まれていく。
彼はいつものごとき、無表情だった。
無論、のどを鳴らすこともない。
彼には見慣れた光景だ。日本でも贅沢はしなかったが、サラダにしても、料理にしても。ネットで検索すれば、簡単に画像は出る。また似たようなものなら知っている。
料理が丁寧に並べられている姿なんかは子供のときから見てきていた。何よりこれはビジネスホテルの朝食バイキングでおなじみだ。そんな彼に今更、感情に動かされる物珍しさはなかった。
その冷たい視線は、子供のようにはしゃぐ参加者達を捉えている。
ただ、自分が子供のときの反応とそっくりだなぁと思い返しているだけだが、第三者からすれば警戒を忘れない悪魔の姿にみえた。
初めてバイキングを見たときと同じ感情と興奮が自分にもあった。それを目の前の大人たちは繰り広げているだけなのだ。
だからこそ、馬鹿にするつもりもない。
見下すつもりもない。
興味を引かれるものに初めて出会えば、我を失うのは無理もない。自然と暖かい気持ちになっていた。
ここは食料を大量に使える環境ではない。日本のような裕福世界であるからこそ行えるものなのだ。それが王国では偉い人しか行えないということだけだった。
彼は見渡した。参加者達から目を離しまわりを確認することにしたのだ。貧弱かつ人が苦手な彼は、ベストポジションを探している。人が群れずに目を向けなさそうな隅っこ。
そうやって会場を見渡していると、目に付くものがある。
会場には、見た感じが金持ちと主張するものや、小奇麗にまとめただけの質素な人間も現れだしていることだ。他にも色々な特徴の人々が会場に入ってくる。だが共通するのは全て、身なりがよかった。それらは王国での強力な権利を認められた貴族だ。
参加者達や使用人を除き、ここに招かれているのは、上級階級の人間たちだけだった。
王国でも名誉ある大会。その実力者達を自分達の懐にいれたいという画策するものが、ここにはいる。
そいつらは、どことなく目をぎらつかさせている。欲望を表に出しているのならばわかりやすい。だが関係なさそうな振りをしているものたちもいる。そんな上位者たちも、ちらちらと横目で伺う参加者達を伺っている。
そういう欲望にまみれた人達から離れたところ。
部屋の端には楽器に見えるものがいくつかあった。その傍には人が座り、その楽器を手入れしている姿が見える。パーティーで音を奏でるというプレッシャーがあるからか、真剣そうな表情で楽器に向かい合っている。
全ては人の努力から動く。
だが大きな舞台は動かない。
この会場が使われるのは、参加者達へ向けたパーティー。実力者へおめでとうという上から目線で行われる歓迎のパーティーだ。
そして貴族の部下、仲間に引き込むためのパーティーでもある。
現代人の彼が異世界の料理を食べて思うことがある。少し味が薄い。。肉のまる焼きはさすがに生では見たことはないが、それだって食いきれるかと思うと食欲が減る。食べ物は粗末にできない。それをするぐらいなら手はつけるものではないのだ。
彼の倫理観が食欲を抑制させていた。
現代人の舌は添加物でそまっている。濃い味、塩分、油、すべてにおいて異世界は劣っている。工場生産におけるパンよりも硬いパン。水に関してもどこか臭みがあった。
管理された世界の住人には、この料理達は魅力的に移らない。いくら高級であっても、彼からすればただの料理だ。
ただの食べ物でしかない。
当たり前のように、感謝するだけだ。食べ物に関してもそうだが、生産者達の努力に対して、調理者達にも感謝するだけだ。
頂くことには変わりはない。
ありがとう。いただきます。
それが最初に来るだけだ。その次に感想が現れる。彼は文化的に生きるがゆえに、倫理と道徳に縛られている。命に感謝というものが大前提であり、彼は命にとらわれすぎている。
当たり前のことを当たり前のように行う。
その反復作業から彼は逃げられないでいた。
パーティーが始まっている。先ほどは、少なかった人もこの頃にはたくさん集まっている。
会場の入り口前で、客を集計していた受付の人間ももういない。扉は閉まり、会場は外に通じるものはなくなっていた。
ただの密閉された空間に詰め込まれた人々。
参加者達は各自で散らばり、料理をとっている。その表情は笑顔だった。純粋な感情からみせる喜色な表情。明るく自分の皿に料理をのせていく。
また、その近くでは身なりが良い人間が控えていた。料理がおえる頃を狙い、離しかけようとしているようだ。実力あるものは、人気がある。食べている最中に話しかけて、嫌われれば仲間になるものはいない。
それなりに配慮もしている。
騎士であるレインの背後ですら貴族が何人かいるのだ。王の犬たる騎士ですら仲間に引き込もうと画策させる。仲間に引き込めば、武力という安全と、自身の株も上がるという宝飾品みたいな考えがある。そんな欲望があるからこそ、積極的に動きだす上級階級。
引っ張りだこで大変そうな参加者達。
そんな折、一人だけ会場から抜け出しバルコニーに出ていた。そこは一人しかおらず、会場から漏れ出している賑やかな声が逃げるように聞こえていた。
彼である。
彼は楽しむことも、なじむことも出来なかった。肉は食べていない。肉をみれば、なぜかゴブリンの姿が思い浮かぶ。サラダだけで腹を満たし、逃げるようにバルコニーにいた。
柵に両肘を預け、外を見下ろすようにみていた。今は夜だ。明るいときと違い、暗い世界。月の光が世界を慈しむように照らす道しるべとなっている。
王城の下、は花壇があった。丁寧に整えられているのが遠くからでもわかる。整えられた花の列。下で見るのと、上で見るのとは大違い。
花壇が月に照らされ、幻想世界のようにすら思える。
彼は何も言わない。
「....」
口は出さない。
声にもしない。
この世界において彼は、異端者だ。常識外れと呼ばれても良い。何せこの国の常識がわからない。前の世界の常識から考えているからこそ、こちらの考えはどうしようもない歪なものと見える。
ゴブリンに関しても。
物事一つの考えごとにも。
理解が出来なかった。この国の民としてほしいと言った以上、彼は努力をするしかない。国の一部に組み込まれるには、彼が今までの考えを捨てるしかなかった。
考えを相手に押し付けるのは、愚者のやり方だ。一方的に押し付けられても気に食わない。その気持ちはわかるつもりだ。だからこそ、彼が配慮をする。元々、部外者だ。生活できる環境を貰えるだけでもありがたかった。
元々すむ住人のほうが偉いのは当たり前だ。外からきた人間が我侭を言っていいわけがない。
郷に入れば、郷に従え。言葉の通り、彼こそが従うべきだった。相手を否定するのは、馬鹿がすること。知的で文化人であれば、あるほど相手に理解を示す。
そんな思考の中だった。
バルコニーと会場を隔てる扉が開かれた。ゆっくりとだが、小さな音をたてて開いた。
音と、気配。それに引きずられるように彼も振り返った。
入ってきたのは、メイドとヒーラー、魔法使い。勇者のパーティーメンバーだ。全員が女性というハーレムメンバー。
たまたま入ってきたというものではない。感情に支配された目は、柵の前で黄昏る彼をにらみつけている。込められているのは激情のもの。
もし、彼が弱者であれば。ハーレムメンバー達は彼を叩き潰すほどの憤激を持っている。だが、彼は強者であり、どんな手も使う悪魔である。下手に手を出せば、最悪な展開を持ってこられるだろう。
メイドが彼に近づいていた。そのメイドの後ろに追随するハーレムメンバー達。
彼の前にたつ一行。
メイドが先頭に立ち、背後に付属品二人。会話を切り出したのは、メイドだった。
「こんばんわ、サツキ様。」
名前をしったのは、玉座の間。
彼は、話す気分ではない。だが、声をかけられた以上、彼は相手をするしかなかった。
重い気分だ。悲しみとは違う。衝撃が強すぎた。
「..こんばんわ」
普段ある無の声ではない。人を地の底へ引きずりこむような深い闇をこめていた。声だけではない。彼の表情のわずかに浮かぶのは、悲哀のものだった。ゴブリンに捕らわれた哀れな患者。現代人の敵は、銃弾でも、刃物でもない。
自分のメンタルだ。
落ち込んでいた。
絶望をこめたものに、ハーレムメンバー達は声を失っている。文句を言うつもりだった。彼のやり方、やり口。勝つためとはいえ、少々やりすぎだ。勇者は、自分の負けを認めている。だがメンバー達は納得していない。
行動した。
だが、つまづいた。第一手。その最初の一歩が失敗した。彼が持ち込んだ闇の前に彼女達の憤激を沈ませた。
深い闇を彼はまとっている。暗くて重い。ふきすさむ彼の感情の前に、彼女達は声を発せられなかった
何も言わず、そこにたつ女性達。
「...何か?」
用事でもあるのか。
何もないならば、一人になりたい。だけれど、人を動かすくらいなら、自分で動く。
交渉ごとにたつのは、ハーレムメンバーのメイドだった。他のものではうまく事をはこべない。魔法使いは、手が早すぎて気に食わなければ魔法を使ってしまう単細胞。ヒーラに関しては、勇者以外に関しては博愛主義。それが強すぎるため騙されやすい。
メイドは、冷静に物事を見ることに長けている。元々、口数は少ないのも相まって、感情を表に出さない。自分の弱点を表に出す前に、相手の弱点をさらけ出させる。
支配者と同じ手段。だが、支配者のほうが上だった。それでも同系統のやり方だからこそ、相手にできるかもしれない。
そんなもので、メイドが交渉に立っている。
だが、メイドは口を開けない。
彼の闇が濃くなった気がした。ずっと何も発せず物置とかした彼女達に彼は疑問を持っているだけだが、その姿は不愉快だといわんばかりのものに見えた。
雰囲気が最悪だ。
その理由、メイドだけが理解した。
メイドは一人が意外と好きだった。メンバーや勇者と戯れるのもある程度できるが、できることなら一人でいたい。
そんな孤独主義者だからこそ、わかる。
彼は不機嫌だった。わざわざバルコニーで一人でいた彼。わずらわしい人間関係を避けようと人前から離れたのだ。
一人という嗜好の時間。邪魔したのは自分達だった。
何をしでかすかわからない相手。そんな人間を不愉快にさせた自分達。
文句の一つでも言おうとした感情は掻き消え、この場にのまれている。
しかし勇気を振り絞った。メイド以外の二人は何も出来ず、逃げるように視線をそらしていた。
「一つお聞かせいただけないでしょうか?」
メイドが注意を払う。丁寧に、相手に失礼のないように。文句は言えない。不機嫌の彼だ。ふざけたことをいえば、最悪の形として返ってくる。どんな手でも使う悪魔が、本気になればとんでもないことになるのは予測できた。魔物は今いない。
だがそれでも気にもせず、一人でいることこそ余裕の表れでもある。嫌われて、憎まれている。それは彼ならばわかっているはずだ。大会という人の目が集まるところで問題を起こした。
そんな堂々とした行為の中に、裏打ちされた経験があるはずだ。うらみも相当買ってきたはず。全ては知略によった勝利。いかなる手段であろうとも、効率的なもの。そんな人間が何も手を打たず、危険行為を行うはずがなかった。
自信があるのだ。一人でいても、無事でいられるという絶対的なものが。
メイドは確信している。彼の行為は悪逆そのものだ。だからこそ、これを聞かなければ続けられない。
人を守る勇者のメンバーとして。
この場において。
最悪な言葉をメイドは発してしまう。オークションで、大会で。
目にしてきた豪胆な悪魔。
「命をどうお考えですか?」
やり口、やり方。全てを釘刺す前に、何を思って動くのか。それを掴もうとした。定番の一言。勇者は人一倍それを強く考える。そのメンバー達も同様だった。
将来、魔王以上の敵になるのか、ならないのか。
同じ人間同士、協力し合えるのか、できないのか。
全ては価値観が同じかどうかで、決まることだ。共有できない価値観ならば、対処も違う。
「...命ですか」
彼は目をつむる。閉ざした視界。暗闇の中、命とは一体何か思考した。子供の頃、よく考えていたことだ。大切なもので、必要なことの、掛け替えのないものだ。
だけれど、そうじゃない。大切なのは道徳的なものじゃない。そんなのは誰でもわかっている。誰もが言葉だけならば知っている。本当の意味を理解せず、知識だけ知っている。
そんなことを聞きたいわけじゃないはずだ。人に聞くということは、何かがある。
もしかしたら、訓練の中でゴブリンを倒したことに関して、自分と同じように悩んでいるのかもしれない。メイドたちハーレムメンバーは一切、ゴブリンの命を歯牙にもかけてはいないが、どこか希望のように思った。
そうであってほしいと願った。
同じような人間が、同じようなことを考えているのかもしれない。
そう考えたら、ふざけたことを言うわけにもいかない。道徳的なことを言うわけにも行かない。
彼なりに考えた。
ねずみ一号。安いハムスター 命が安い存在。
オーク。これもまた安い命。
リザードマン。 尻尾を切られた哀れな命。
牛さん。 最初あったとき、死に掛けだった。
牛さん以外、全て金で手に入れたものだった。彼が本当の意味で、金銭を介さず仲間にしたのは牛さんしかいなかった。命とは何なのか。一つしかない素敵なもの。
それ以上はわからない。嘘だった。本当はもっと汚いこと。
「....掛け替えのない大切なものです」
彼は言う。思いつくのはそんなことじゃない。定番の質問には、定番を返した。本来ならば、もっとうまい答えを返してあげたかった。だが、本当の答えは彼が口に出したくもないものだった。暗闇の中で浮かんだ答え。道徳的にも間違えているが、一つだけ。
言うつもりはない。
「なるほど」
メイドは顎に手をそえた。考えるのは、相手が本音を出さない。もしくは、本気で言ってることだ。常識外ということをする人間は、どこかしら壊れている。
人形のような人間の癖に、どこかしら重みがある。
もし本気で命を大切なものだと考えるならば、彼のやり方はきっと作られたやり口なのかもしれない。
余裕が出てきたわけじゃない。だが本来の目的は、文句を言うことだ。そして出来るならば、仕返しもしたい。
「質問を一つ追加します。もし、私達が貴方を殺す、もしくは制裁するといった場合、どんなことをしますか?」
とんでもない発言だった。さすがの彼も反応に困った。恨みを買ったつもりはない。清く正しく生きてきたつもりだった。値引きを要求しないし、セール品もあまり取っていない。安いものだけじゃなく、高いものも多少買っている。
無職だからか。
だが、草をとって収入を得ている以上、ニートではない。フリーターである。安定しない職業の人間を甚振っても良いという考えがあるのか。
魔物も悪いことはしていない。させていない。大会でも、あれはルール上のこと。
命の答えがつまらないからだろうか。やはり定番で返したのが悪かったのか。そうだ。何せ答えた、次のことが暴力思考の質問。
ストレス解消か。
だが、一生懸命考えた。それなりに彼は、がんばって答えを見つけたのだ。美しく、綺麗なこと。本当の答えを言わないのは、相手に配慮したものだった。
何より、落ち込んでいる時に。精神ダメージに苦しんでいるというのに、肉体的にもダメージを追わないといけないのか。
彼は少し、いらいらしている。せっかくの善意を悪意でぶつけられた気分だった。善良であっても、普通の一般市民。
助けもする。
怒りもする。
「...大人しく、暴行を受けることでしょう。制裁も受けることでしょう。」
でも、抵抗できるほどの実力は彼にはない。子供に負ける自分。相手が女性といっても勝てる自身はなかった。何せレインのような子供ですら、化け物のような身体能力をもっている。
自分は魔物の介護によって生きている。魔物を飼っているが、実際は、魔物によって彼は守られている。魔物の保護の下、彼は権利を行使している。
魔物がいなければ何も出来ない。その事実を受け止めていた。
メイドは少し驚いていた。大人しく受け止めるといった内容。しかし纏う闇、その空気、メイドは知っている。オークションの時と同じもの。
悪意を踏み潰した彼の独特の雰囲気。敵に回るのならば、容赦はしない。悪魔のそれ。深い絶望の目がメイドを捉えている。狂気すら宿した視線は、メンバー達に次の行動を移させない。子供に負けるという自分の弱さを再認識して、落ち込みだした彼。そんな落ち込んだ様子は顔には出ず、人を暗く染める最悪の雰囲気として場に満ちていた。
彼は歩き出した。途端、気に障った彼が何かするのかと警戒と僅かにある恐怖が彼女達の体をはねさせた。だが、向かう先は、会場。脇をすり抜けた。
「...できることはします。どんなことになっても」
報復の話。
彼女達の脇を抜ける際、搾り出すような発声。彼は感情を表に出さぬよう、必死に押し殺し無で統一する。
少しなきそうだった。人前でなくのが恥ずかしい。彼女達の配慮に欠けた言葉の数々。ゴブリンの命、暴行予告、自分の弱さ。全てを一気に考えた瞬間、彼の鉄壁は砕けそうだった。
扉に手をかける際、彼は振り返る。
彼女達は固まっている。彼の独特の空気に飲まれていた。波に飲まれて動けぬ魚のように、彼という闇の波に流されている。
「...僕も一つ追加します。」
「な、なにを」
がちがちに固まりながらも、反応は返すメイド。
「....命は尊いものです。ですが、安い」
命は金で買えてしまう。尊いはずで掛け替えのないものだが、金銭の前では価値は消えてしまう。
彼が言いたくなかった。最悪の答え。普通は言うつもりはなかった。だが、彼女達の暴行予告の前に、多少彼の心は荒れていた。
だからこそ、普段しないことをしてしまう。
閉じようとする扉の奥に彼の背中があった。わずかながら漏れ出した光は徐々に小さくなり、扉は閉じた。彼は会場の中に戻り、残ったのは固まったメンバー達。
不安が大きくなった。
言い寄れぬ不安。
自分達は余計なことをしてしまったのではないか。やるべき事をやろう。報復すべきところ、文句をいうべきところ。
必要なことを必要なだけやる。そういった彼女達の行動は、彼に更なる悪魔へと駆り立てる動機を作ってしまったかもしれない。
そう考えると、震えはとまらなかった。
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