王城 その4

 会場を抜け出した彼は、城から抜け出していた。練兵場とは逆の方向へ進み、着いた先は牧場に似たような開けた場所だった。王城は実力者にある程度開放をゆるしていた。本当に重要な箇所を除き、実力者達は行動を許されていた。


 散策や探索。この国の一部に仮とはいえ成れたのだ。それなりに城の内部について知りたくもなる。城にきたときは、適当な気分だった。でも今は違う。


 何か興味をもって意識を飛ばさなければ、道徳や倫理が襲ってくる。


 そいつらは強大で、彼にしつこく浸透している美しい文化で、恐るべき常識でもある。


 彼は首を振るう。


 頭を切り替えたつもりである。


 彼は命の考えから城への興味へシフトした。


 善良である彼を何度も狙う価値観。それらから少しでも逃げるためだ。



 日本にいた時は、城は見れた。だが生活の実態や成り立ちは見ることは出来ない。過去をさかのぼるタイムマシンはないし、資料や誰かが考えた想像図を持ってのみ当時を見ることが出来る。


 必死に思考の中で逃げた。



 小奇麗な建物が目の前にはたっている。それは横に長く伸びており、その中から鳴き声のようなものが外にこだました。しかし、音はすぐに吸収されたかのように静まる。緩和された振動は、彼から少しの違和感をもたらした。


 扉が開いており、覗き込むと生物達が各枠に区切られて生活していた。入り口の中央の通りを除き、左右に枠の集合たちが陳列している。


 厩舎であった。ベルクの宿の厩舎よりも、建物が綺麗だったため気づかなかった。


 そこには二種類の動物達がいる。まず最初は馬。それと馬によく似た動物。整えられた鬣、美しい白い毛並。通常の馬とは色も特徴も違うが、一番違うのは、翼が生えていたことだろう。彼の知識の中で一つの名前が浮かぶ。


 ペガサス。


 目の前で板で打ち付けられた枷の隙間から、顔を出していた。もごもごと前方の籠に入った草を食している。


 動物達の目線が彼をかすかに捉えたが、すぐに目をそらした。敵意もない相手を見つめていてもしょうがないし、興味自体がなかった。動物達の思考は食欲へ向かっていた。


 管理された動物達は、予想外のことにストレスを感じるらしい。それを知っていた彼は、すぐに体をひっこめた。


 ここは牧場のようだ。軍事に転用する為の工場。王城の中にはこういうものがあった。王国の軍事基地であり最終防衛地点。ある程度生み出せるものを用意していたのだった。


 彼が今度目にしたのは柵に囲まれた敷地だった。大きく場所をとって囲まれた土地の内部には、もこもこの獣がいた。彼がよくしる動物の一匹。


「めー」

 羊であった。その大群が群れをなし、平和的に生活していた。暇なのか、幸せなのか。よくわからない鳴き声があたりに響く。その彼のある感覚を揺さぶった。奏でられた鳴き声は、あるものを彼から、この場からかき消していた。

「めーーー」


 どんな動物も発生させるものがある。この場には、必要で当たり前のものだ。臭いと音。ここまで動物達が生きているのに、静か過ぎる音と、独特の臭いがなかった。


「...」

 羊が鳴くたび、何かが緩和されていく。五感に直接届くような浸透性。大体、なぜこんなところに羊が飼われているのか。馬やペガサスならば、よくわかる。騎士が使うものだから仕方がない。羊は何に使うのか。


 羊のコーラスが少しやむ。音と音が重なり続けた息を吸うタイミング。

 鳴き声がやむ僅かの一瞬、臭いと音が取り戻された。だがコーラスが再開され、またそれらは消えていく。


「...!」


 ノイズクリーンメイプ。


 音と臭いを緩和させる。王城は国の顔だ。最終防衛ラインであろうとも、顔なのだ。うるさければ、顔に泥を塗られるようなもので、臭ければ、鼻をつませるものだった。それらを劇的に解決させるのが、羊達の役目だった。


 彼は、何か化かされたような気分だった。魔物がいる世界、魔物に対抗する人間、強大な街の子供。元々、おかしい世界だと思っていた。だが、こんな現象もあるなんて知らなかったのだ。


 羊達への信仰を少し高めた彼であった。



 牧場の奥。羊の柵ランドの先に小屋が見えた。隠すわけでもなく、ただ遠く離れた先に設置されたものだった。自然と足はそこに向かっている。


 彼はたどり着いてしまった。


 どんなものにもあけてはいけない箱というものがある。ブラックボックス。綺麗ごとの中に闇を内包した箱。


「...」


 小屋の扉は横に引く、スライド式。耳を当てても音は聞こえない。聞こえるのは羊の僅かな鳴き声だけだ。消されている。臭いもしない。


 がらがらと横に開いた。


 歪なものが視界に入った。


 一言で言うならば、収容所。まともなものではない。訓練で魔物がいたのを思い出す。王城の一体どこでいるのか。隠されていたのか。見つけたとしても何も出来ないが、無意識のうちに探していた。


 もう必要はないようだった。


 そこに魔物たちはいた。


「...ひっ!」


 目的のものを見つけたという達成感はない。彼は、表に出している。同等の人間に対する忌避を示す表情。拒否であり、逃避でもある。似ても似つかぬ感情は彼を埋め尽くし、顔に表れていた。



 ここの住人たちは明るい姿をするものはいない。あるのは全て暗いものだ。


 共通したのは、同格の人間に対しての憎悪でもある。


 監獄だった。部屋は血だらけだ。真っ赤に染まり、異臭も音も何もしない。それらは規則正しい収容所のあり方を示すものではなく、ずさんな管理と価値観によって敷き詰められていた。魔物たちは押し込められている。健全な姿ではなく、一部が欠損したものだ。方耳がないもの、隻腕のもの、片目がつぶれたもの。正常ではなく、欠陥品。


 物を放り投げるように、魔物たちはつめられていた。屍のようだが反応している。のどが動き、口を震わすも、音はない。羊による抑制効果により、かき消された音。悲痛な姿でありながら、助けを求めても決して届かない。


 魔物たちに救いはない。ただ閉じ込められ、牢獄の中で生をつむぐだけだった。ここにいる奴らは、実験体であり、戦闘訓練のデク人形だった。薬で死ぬか、魔法で壊されるか、武器によって消耗させられるか、色々な手段で尊い命の灯火は踏み潰される。


 彼は呆然とした中でも、視線だけは動いていた。そして気づく。魔物たちが欠損を逃れた部分が一つあった。それは足。足だけが無事だった。動けなくなると手間がかかるから、わざわざ足だけは残していた。


 ゴブリン。


 小さな人型の犬。コボルト。


 ここには一面を敷き詰める惨劇と、歴史で習った地獄の収容所の姿というのがあった。


 魔物たちのあり方は、人間社会では残酷に扱われる。それは人間側から見れば残酷とかではなく、必要不可欠なもの。わかっている。訓練のときからわかっていた。


 理解していた。


 予測はしていた。予想はしていた。ばっちり合った。想像にあったものだ。彼の果てしないマイナス思考は、現実とほぼ間違いない答えを引き当てた。


 彼は今怯えているが、現実逃避をするほど愚かでもない。どうしようもない根暗な男は、残念なことにある程度勉学を嗜んでいたのだ。何も知らなければ、きっと動けない。だが、歴史というものがあり、小説といった文学が、彼を理性の淵にぎりぎり立たせていた。


 グロテスクで救いがない世界。


 よくある小説、よくある歴史。文化人が生み出した世界の汚い部分と人が崇高だと願う思想の成れの果てを彼は知っている。敗戦というものであっても、勝戦だったとしても、全ては穢れ落ちていくこともわかっている。


 穢れがもたらす災厄の前に、結果は何も生み出さないのは本を読めばわかること。ネットを見れば集められること。


 現代人は自分から闇を踏み抜くのが得意なのだ。危険な画像や映像。彼は掲示板で書き込みこそ、しないが張られたurlを簡単にクリックは、見たくないものを見てきた。戦争の類、自殺の類。見たくないが騙されてきた経験は、今ここで動くことを躊躇わすことがない。


 体性が少しはあるのだ。少しは動けるほどのもの。


 彼は扉を閉めた。真っ青な顔であり、寒気と恐怖により体は震えている。だが彼の頭にあるのは、自分のことだった。この場において彼は自分のことを考えている。


 自分の関係することではあるが、自身ではない。


 しいて言うならば、自分の家族のことだった。


 いくら体性が出来ていても、何もない孤独な彼だったらこの場に飲まれていただろう。彼とは関係がない魔物たちが犠牲になった。魔物たちに対しては人間はどこまでも酷くなれる。


 ならば家族はどうなるのか。


 そういう思いが彼を占め、逃避へと向かう弱い心を押し殺させていた。


 預けられた先へ。彼はとぼとぼと動き出していた。




 長く感じられた時間の中で、彼は王城で管理する二つ目の厩舎を見つけた。建物こそ、馬やペガサスが生活するものと一緒だ。誰も管理するものはいない。普段ならば地方から呼び寄せた客人の動物や魔物に宛がう施設。


 今日は彼が客人だ。


 たどり着くと同時に、彼は乱暴に扉を開いた。いつもなら丁寧にかつ音をなるべく立てないようにする配慮なんかなかった。警備の者はいない。


 すたすたと足が床を叩く。


 部屋の奥には見慣れた魔物たちがいる。それらは家族。藁を大量に占領し床に寝そべる牛さんと、寝る分には十分の藁を獲得したリザードマンとオークが座り、会話をしている。何をいっているのか一切わからないが、今だけは理解するつもりもない。

「もーもー」

 と牛さん。

「ぐぎぐぎぐぎゃ」

 とリザードマン。

「ぶいぶいぶー」

 とオーク。


 家族の会話はよくわからない。


 すたすた。


 足音に最初に気づいたのは、牛さんだ。それから二匹が気づく。牛さんは、はねるように飛び上がるが、近づいてきた彼を見て戸惑う表情をしていた。突然たずねてきたと思えば、何か心配そうな彼の表情に牛さんも困惑していた。


 彼に尋ねようとしたのだろう。


 牛さんが声を出す前に。


 彼は牛さんの両頬をつかみ、持ち上げた。無論、彼自身の力では不可能だが、牛さんの協力のもと持ち上げている。


 覗き込むように距離を近づけた。


「も、もーもー」


 びっくりしたような顔の牛さんと、真剣そうに見つめる彼。グロテスクな展開にはならず、無事な姿だと理解すると手を離した。


 次にオーク、リザードマンといった流れで無事を確かめた。確かめ方は牛さんと同じだ。両頬をつかみ、顔を覗き込むやり方だった。一方的につかまれるものだから、魔物たちが驚いていた。


 無事だったのを確認。怪我もなく、酷い目に合わされた様子もない。


 人間の生き方には、他種族に不便と痛みをかける。


 彼の家族に被害が及んでいるかもしれないと考えた不安は、少しは拭いさせた。



 平凡で貧弱。彼は自分でこう思っている。


 自分は価値がない。その一言で片付けてしまっている。だが、家族は違う。生活の基盤を成り立たせている家族達。彼一人ではつぶれてしまう孤独感を消し去って、他者成分を補わせている最高のフレンド。


 自身はどうなっても良いが、家族は駄目だというぐらいには愛情をもっている。



 宝石以上の宝物なのだ。


 家族達の頭をなでる。オーク、リザードマンの頭を同時になでる。片手ずつに担当した撫で撫でにより、緊張よりも恥ずかしさに負ける二匹。少しばかり逃げようにも羨ましそうに見る牛さんの視線がその行動を行わせない。


 撫で終わると、牛さんに向き直る。


 二匹と違い、体の大きな牛さん。そっと頭をなでまわす。次は自分の番だと待ちわびる牛さんは、大きな喜びをあらわしている。ぐりぐりと何時もより強く彼の腹部に頭を押し付けて、感触を確かめる。温かみだけではなく、ひ弱な肉体だというのも理解できるほどの接触。


「..痛い」


 彼が弱いことを忘れるほど強いものだった。


「も!」

 彼の反応と同時にすぐに力を弱める牛さん。



 彼が弱いというのを本当の意味で理解しているのは牛さんだけだ。


 二匹は彼に心酔し、ありもしない想像に耽るのに対し、彼の現実を理解できるのは牛さんだけなのだ。知性と愛情と暴虐を兼ね備えた主人と考える二匹と違い、純粋に牛さんは彼を弱いと知っている。


 知性どころか、暴虐すら何もない。愛情しか持たぬ貧弱な主人。


 だが恐るべき人間でもある。深い懐と他者を思いやる寛大さだけは、身内の目から見ても感嘆を覚えるほどだった。現実主義者の牛さんは、過大評価も過小評価もしない。


 在るがままを受け入れる。


「もーもーもー♪」


 愉快な鳴き声とは裏腹だった。


 主人は最弱だ。だがそれは牛さんの中にとどまっている。二匹にも伝えない。誰にも伝えない。この考え、判断だけは自分のものなのだ。


 主人を貶さない。崇高な思想だから持つわけじゃない。



 彼を理解できているのは自分だけという独占欲があるからこそ、必要なことしか教えない。知りたければ、気づけばいい。



 ただそれだけのこと。


 


 彼は会場に戻っていた。安心とかいうものが彼を包み、冷静な判断を取り戻させている。残酷な姿や命の消失。彼は見てしまって逃げたい気持ちもあるが、家族というものが其れを封じ込めていた。


 パーティーは終盤。


 部屋の隅の壁に背を預ける彼。


 誰も来ず、彼を視界にも納めようとしない人々。パーティーの興奮に飲まれていた参加者達も落ち着いてきたのか、注意するほどには存在をとどめてきていた。


 料理もほぼ無くなり、飲み物もない。終わり特有の投げ出し感が会場を包んでいる。


 そんな時だった。


 会場の扉が開く。誰も普段ならば気にしないのだろうが、綺麗な音が会場に響き渡った。音の発生主は楽器たち。会場の雰囲気と空気を作り出す重要な担い手達が演奏者という手を持って、美音を奏でていた。


 開いた扉から入ってくるのは、一番の偉い人間。


 王だった。周囲を近衛の集団に守らせて入る権力者は、出入り口で立ち止まった。その強固な眼が何かを探すように辺りを見渡していた。


 王が入ってきたことにより、会場の全員がひざまづこうとした。その動作を王は見抜いたのか。


「楽にせよ。必要ない」


 押しとどめさせた。




 探ろうと見渡す王の視界が部屋の隅にいる彼を捉えた瞬間。


 歩み寄った。歩くたび、客人たちは離れて膝まづくか、その場でひざまづくか。それぐらいの敬意を示し道や自尊心を王にささげる。必要ないといった権力者の言葉だが、それを素直に受け取る愚者はいないのだ。



 偉大なる権力者に対しての敬意と恐怖。二つを兼ね備えた権威の絶対主。


 彼の朧げな目と王の眼が見つめあう。人を見るような目ではない王と何かを企む知略の怪物。踏み出すは一歩。


 王は足を。


 彼は膝を。


 一定の距離を開け、王が立ち止まるのと同時。彼がひざまづく。うつむかせた顔が見るのは床。王を直接見ることを避けたい彼と、そんな礼儀が一致した。


 躊躇うことなく、低位のものとしての礼儀をわきまえた。


 権力者と怪物。どちらも恐るべき存在で、敬われるものだった。王は民や貴族、善良な人間からの人望を集める権威者。彼は、悪意あるものから畏怖と敬意、全てのものから忌避される暴威を兼ね備えた怪物。


 玉座の間での衝突は少しは王に響いていたのだ。徹底的に叩き潰すといった悪意に飲まれているのだ。権力者も人の子。感情に流されないつもりでも、川のような流れには逆らえない。


 二人はまたぶつかった。


 切り出したるは王。

「どうだ?パーティーは楽しめたか?」


 つまらぬものではなく、化け物を相手にする。表では笑みを、裏では敵意を。簡単な相手ではない。いかなる王でも客人を始末すれば何かと評判が悪い。また、簡単に殺させてくれるほど怪物は甘く無い。


 知性の怪物と大会では噂された。魔物だけではなく、恐るべきは、支配者であると指し示した。王自身は見ていない。だが王の信頼する騎士が怯えた直感は信じている。


 差しさわりの無い会話。


「...大変すばらしいものでした。」


 王が色々考えるのに対し、彼は純粋な思いから言葉を発する。確かに凄かった。途中抜け出したが、丁寧に行われたのは会場を見ればよくわかっていた。


 流れは定番。


「すばらしいか。当たり前だ。このワシだからこそ、ここまでお前達を歓迎できる」


 歓迎という名の上から目線。安全に城まで運び、普段はしないことをする。近衛騎士の訓練を見せたのは、彼がいたからこそだ。普段ならば実力者だからといって見せることはしない。


 どのぐらい上なのか知らしめる。


 常人が相手なら、言葉は足りないかもしれない。だが目の前の相手ならば、これだけで通じると考えた。



 王は絶対だ。誰の手で踊るのか決まっているだろう、手のひらで踊るのはお前達だ。


 口には出さぬが、そういう考えがあった。


「...ありがたき幸せです」


 それに返したるのも定番だった。上だと見せ付け、王が絶対であるというのを自覚させようと動く権力者。


 何も変わらぬ表情は、床を見て顔を見なくて良いやと安堵する彼。


「表をあげよ」


 弱者は所詮弱者。


 王が彼の悔しさを見てやろうと考えた結果、顔を上げさせることにした。どうせ何も変わらぬ表情で返す怪物だろうが、ここで一撃を加えておくのは間違いではない。


 嫌味な笑みを見せ付けて、更なる迎撃を。


 王の予測どおり、嫌々あげる彼の顔は無表情だった。内心は、なんであげる必要があるのかと抗議したい彼ではあるが、表には出ていない。


 王は乗り気だった。


 王にはもうひとつやるべきことがある。願いをかなえるといった上からの希望と見せかけた命令。絶対主だからこそ、行える絶対の指示。


 弱者ならば、喜ぶだろう。


 だがこういう輩には、当たるべき急所が違う。


「先延ばしにした望みがあったな。思いついただろう。申せ。かなえてやるとも」


 理解しろ、怪物。


 にたりとした薄気味悪い王の笑み。


 こんな願いのかなえ方はかつてあっただろうか。王国の歴史であっただろうか。この世界でそんな有り難味もない嫌味な願いのかなえ方は無かったはずだ。


 王だって機械的に行いたかったが、彼に触発されて感情のまま動いてしまっている。誰もがやらぬ侮辱の前に権力者は理性を欠いている。


 周囲の人間は何も知らない。ただの貴族や参加者達は理解できない高度な心理戦。わかるのは王の側近と近衛兵の心理に基づく過大な警備。



 そして飲み込まれる。


「...何でもよいのでしょうか?」


 疑問と屈辱。王から見て、彼の反応は屈辱と屈服によるあきらめの判断だと考えた。普段ならば、そんなことはしない。


 この状況を理解できる者たちは口を挟まず、王を止めようともしない。唯一の権力者が勝ち進む状況を邪魔するほど愚かではない。


 相手は危険人物。


 容易な相手ではないのは彼とあった全ての人間が理解している。たかが一瞬の邂逅と行動で狂人とすら認識された彼への警戒はやさしいものではない。


「むろん、叶えられることならば叶えてやろう。貴族になるのと、中枢にかかわることは出来ぬがな」


 もし、相手が貴族や政治家になりたいと願ったらあざ笑うつもりでもある。だが、そんなことはしないと王もわかっている。


 最初の不服従の形。


 あれは王の反応を見たのだ。どう動くか。そういう反応を見て、出来る一手を打ち込んだのだろう。何を企むのかは知らないが、それは何れ吐き出させる。誰も見えぬところの闇の中で静かに行えばいい。


「金が欲しいか?ある程度は融通してやるぞ。武器や防具がほしいか?ならば有能な鍛冶師に作らせよう。さぁ言うがいい」


 王はわかっている。ここまで優遇して、それを敵意に示す行動をされることはないだろうと直感が示している。奴は知性の化け物だ。金では動かないしし、物品でも喜ばない。


 あくまで、けん制だ。金は渡さないし、武器防具も渡さない。知性の怪物がプライドを持つ相手ならば、王が言った内容は除外するだろうし、プライドすらない人間ならば渡す振りして始末する。


 王は優秀だ。優秀だからこそ、飲み込まれたことに気づかない。


 皆、そうして負けたのが大会だというのを王は理解していない。王の側近と近衛騎士も理解していない。所詮情報として知ってるだけだ。


 そんな王とは別に彼は願いを再び考えることを許された。


 王国の民になるという願いを叶えてくれただけではなく、また別のことをかなえてくれるという素敵な人だと王を賞賛していた。だが同時に魔物を甚振る怪物にすら見える。


 お互いがお互いを暗い思考で覗き込もうとしていた。


「...それなら」



 暗い思考を押しのけた。今の彼にあるのは、面倒くさいという気持ちと、貰えるものは頂いたほうがいいかという欲。


 金はいらない。武器も防具もいらない。物なんていらない。



 彼の行動のエネルギーは、物品でも金銭でもない。


 道徳と倫理。文化人の絶対的行動。災害があったとき、なぜ人は助けにいくのか。その場所に対して募金をするのか。わずかばかりの善意の行い。


 それを引き起こすのが、道徳であり倫理である。人を人と思え。人を傷つけるな。絶対の原則で、人が人を助ける絶対の希望。


 魔物が彼を守った。命や怪我を負わなくてすむのは魔物たちのおかげだ。仕事も何もかも全てが家族という魔物の存在によって成り立っている。


 大会で勝ち進んだ。怪我もおってない。これもまた、家族に救われている。最初に命を助けたという点もあるが、こちらのほうが恩という点数では魔物に負けている。


 愛すべき家族達は彼を守った。


 少しは、彼が誇るべきところも見せなくてはいけない。魔物たちにではなく、自分自身に対して。



「...城にいる魔物を頂きたいと願います。」


「全てか?」


 全ての魔物を引き取るのは不可能だ。其れをいえば、王はきっと拒否をするだろう。訓練という基礎はスポーツで言う練習だ。必要なものを全て奪い取ることは誰も認めない。


 彼は愚者だが、相手の立場をわからぬものではない。


 引き取るのは。


 彼が持つ強い視線。人ならば誰もが輝く場面がある。誰もが突き進むべき障害に当たったときに向ける強さがある。


 その強さを王に向けた。


「この先使い道がないと思われる魔物たちをいただければと願います。」


 間を空けずに彼は突き進む。 


「それは欠陥品も傷を負ったものもあわせてか?」


 会話に遅れはさせない。彼は静かに頭を回す。


 命を物扱いする王と、命をかけがえのないものとする彼。


「はい。王国が使い道のないものと判断した魔物を全て」



 王は困惑している。彼が何を企んでいるのかわからないことによって、勝手に決め付けた証明。テイマーだから魔物がほしい。だが魔物は全て明け渡せないのを理解している、使えないものをさっさとよこせといった内容。


 武器や防具、金銭。


 それよりも安いものだ。王城の武器庫の中で一番安い武器よりも価格は安いものだった。ただ魔物数は多い。だが相手に必要ないからといって、健常な魔物を渡すほど王も愚かではない。テイマーの武器や防具に値する存在をやすやすと渡すつもりは無い。


 だが、素直に傷物だけを渡せば沽券にかかわる。


 少しの猶予。


 傷物で何ができるのか。王国にいるテイマー全員を集めても使い道が無い傷物の魔物たち。鍛え上げず、その場で使い捨てる者たちには分からない。



 彼に明け渡すのは、欠陥品だけ。



 何より生意気な態度をとった怪物。それがどうしようもない妥協というつまらない案に喜びすらある。


 誰が上か。


 それは。


「与えよう。王はお前の願いを叶えてやる。ただしそのまま渡すのは味気がない。できる範囲で綺麗な状態にして明け渡そう」


 所詮、捨てるつもりだった魔物。焼き殺して処分するよりも、贈呈品と証した処分のほうが痛みはない。たかが傷物。たかが低位の魔物。


 綺麗な状態にしてやろう。欠損こそは直せないが傷だけは直して。彼の元へ送り込む。



 誰もが王の優位性を信じ込んだ。



 そんな中。


 彼は発した。王をたたえる雰囲気の中。


 いつもならば、絶対にできない声を出した。無感情に平坦に流れる声のリズムではなく、どこか弾むようなリズムの声。


「ありがたき幸せ」


 彼が発したとは思えないほどの明るい声が帰ってきた。

 その声に全ての人間が発した相手を確認した。今話しているのは、王と彼。だが信じられない。いつもは無表情で冷酷な獣。怪物であり化け物である人間。


 そんな彼が放った潔白のない笑み。


 珍しいどころか、この世界に来て初めて見せた笑顔。深みもなければ闇もない。


 喜色以外の何者でもない、笑顔。




 不気味だった。この場は王が勝利したはずだった。会場にいる人間も終わるころには理解しだしたのだ、王と彼の静かな戦いだということを。


 その流れを奪ったのは王。


 そのはずだ。悔しさもない彼の笑みを見るまではそう思っていた。負け惜しみかとすら思わせない屈託のない輝き。


 彼の中にあるのは、どうせ今救っても別の魔物が犠牲になるという闇の一面と、命を救えたという明るい一面がある。


 その勢力図の中で、明るい一面が大勝利して、珍しく表に現れていただけのことだった。人前だと憚らず、彼は表情に出している。


 ただの笑顔。誰もがやる顔の運動。


 それがこの場では不気味なものだった。


 実質 勝者は王。


 だがそれを認める空気が壊れた。王ですら理解しだしたのだ。何かを企むのではなく、確実に勝ったのは自分であるという表情。



 不安感から彼の要求をけりたいと考え出した王。だが、それこそ王の沽券にかかわるものだ。一度言葉にしたのだから、叶えなくては権力者の名声は落ちていく。


 何かが飲まれ、沈む。


 たかが欠陥品。


 たかが傷物。


 何ができるという!そういう考えと。


 怪物ならば、思いもよらぬことを出来てしまうという予測が王の中に現れだしていた。

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