勇者と底辺

 レインと勇者がぶつかった戦いは、終わりをつげた。両者の実力が拮抗していたようだったが、最終的に勇者が勝ちをとった。


 レインと勇者の戦いを最初から最後まで目で追えなかった。ただ激しい戦闘であるというのはわかった。途中勇者が掻き消えて、レインの背後に立っていたのも驚いた。


 彼がまばたきしている間に背後に回ったのだろうと彼は思っている。大切なところを見逃してしまった。


 見ててもわからないが。


 それを見終えて、パンをかった。この前と同じ店でかったパン屋の商品だ。適当に買ったのと同じように今日もかった。


 そのパンがつまった袋をもって、広場にきている。


 石段に座り、袋からパンを取り出した。一個ずつ家族に分け与え、最後に自分のパンをとった。


 むしゃり。


 食事という喉かな時間は彼に思考する余裕を生み出した。


 明日は決勝戦だ。


 勇者と彼。


 勝つか、負けるか。


 それはまだ彼にはわからない。


 パンを食べながら思考にふけていた。


 そのとき、彼はふと背後に気配を感じた。普段から気配に敏感だった人間はすぐに反応することができた。


 振り返ると、少し前に出会った少女がいる。


 独特のゴシックな服装の少女は自分に気づいたとわかると、笑みを浮かべた。


 可愛らしく、小さな口を開いた。


「残りは決勝戦のみですか。」


 少女は喜ばしいといった感情の声を発した。


 何が目的なのか。


 しかし彼は少女と違い、警戒するように少女を見つめていた。前、姿が消えたことと、気配が極端に薄いことの2つが彼を警戒させている。


 元から人を警戒してるが、少女は更に警戒が強かった。


 少女の視線は彼の腰に注がれていた。腰にさした短剣。少女が渡したハリングルッズの証。


「私が差し上げた短剣を使っていただけているようで何よりです。」

 またも嬉そうに笑みを深めた。


 少女が彼に接触し、短剣を渡したのは理由があった。簡単な理由だ。他の組織にとられたくないからだ。


 いわば、つばをつけたという形である。


 大会の様子と結果を見て、これは後々役に立つ。

 そう少女が判断して、ハリングルッズのものとして短剣を手渡した。彼はそれをわざわざ見えるところに装備している。


 自分から宣伝しているようだ。


 嬉しくもあった。実力者がハリングルッズに近づくことは喜ばしいことだ。素晴らしい環境の元、仕事を行える。


 それは誰もが望んでいるものだ。


 そして簡単には手に入らないものでもある。


 少女の笑みはとまらない。少しでも油断をすると口端がゆがみそうになってしまう。凶悪な表情は今だけは抑えなくてはならない。


 本題があるのだ。


 暴力の権化たる彼に対して。


 更なる楔をうつための。


「貴方の好きなものは、一体なんでしょうか?」


 彼の好きなものがわからない。人の好みはそれぞれ違う。少女が毒や短剣を好むように、彼も何か好むものがあるはずだ。


 突然、たずねられ彼は言葉が詰まった。


 好きなもの。


 彼には好きなものというものが思いつかない。パンとかといった食事ならば、簡単に思いついた。だが、そういうものを聞いているわけではないだろう。


 少し悩んだ。


 そして浮かんだ。


「....蜘蛛」


 小さくつぶやいた。


 子供の頃好きなものを思い出した。家の天井の隅で巣をはる虫。虫にしては肉体労働ではなく、待機するだけの頭脳プレイをみせる変わり者。


 その巣にかかった獲物をたべる見た目が気色悪い害虫で、大抵の人が嫌う虫の一匹。


 それが好きだった。


 全ての人が蜘蛛を嫌っているわけではないし、好きな人も中にはいる。益虫として考える人たちは蜘蛛を害虫としてみなしてはいなかった。


 だが、彼がすきなのはその理由に該当しなかった。


 彼がすきなのは虫を食べるからではない。


 うらやましいからだ。


 巣をはって、蜘蛛はずっとまつ。獲物がかかり、それを食べる。その流れがうらやましかった。


 蜘蛛は巣を張るだけで、ほしいものがやってくるのだ。人の家は、外よりも虫が少ない。なのに、蜘蛛の巣には虫がかかり、食事には困らない。


 彼は家でまっても、ほしいものは手に入らない。外にいても、学校にいても、手に入らなかった。


 友達がほしかった。


 蜘蛛のようにまってても、意味は無い。時間だけが過ぎていくだけだ。


 誰かがいつかは自分を仲間に引き入れてくれるとどこかで信じていた。だが、それはなかった。


 この異世界にくるまで、家族を除いて一人だった。


 手に入れるために行動する度胸がなかった。彼は人間として当たり前のコミュニケーションが苦手だ。人と話すだけで精一杯の人間が、いざ動いても人前で恥を晒すだけだ。そう考えると動くのをやめていた。


 蜘蛛は獲物をもとめる。


 だが自らは獲物をとりに行かない。少なくても彼が見てきた蜘蛛は、そうだった。巣をはっていれば、自然と獲物がやってくるのだ。


 少しの労で、最大限の利益をえる虫。


 その食事獲得方法が、一部の人からは益虫とあがめられる虫。


 うらやましくてしかたがない。


 だが、獲物を捕まえても、食べてしまえば、蜘蛛は一人に戻る。寂しくなくなったのに、また孤独に戻る。蜘蛛を見ていると、そういう考えがあった。


 だからこそ、嫉妬はなかった。


 ほしいものが待って手に入るのは、うらやましい。だが、蜘蛛のような人生は送りたくない。


 出会いと別れを繰り返す蜘蛛のような生活はいやだ。友達が出来て、すぐ消えてしまえば彼の心は簡単に壊れてしまう。


 彼には耐え切れない重みをもって、蜘蛛は生きている。


 儚くて残酷だ。


 それが彼の心をひきつけていた。


「蜘蛛ですか」


 少女は悩むようなそぶりをみせていた。考えているのは、ハリングルッズの在庫に蜘蛛がいるかどうかだ。


 蜘蛛というのはどういうものをさしているのか。


 毒の隠語か


 武器の類か。


 もしくは魔物のほうか。


 俯いた少女はふと彼の周りをみた。彼を守るような体制で展開している軍団。その全ては魔物だ。


 そして、全員が簡単な知性を持ち合わせている魔物だ。少女の頭には彼の魔物を侮るような考えは無い。気配遮断に反応するオークを生み出した彼の配下だ。どうせ全員が常識を外れた化け物だと思っていた。


 スパイダーグロウの名前がうかんだ。こいつは、人間と同等の大きさをもつ巨大蜘蛛だ。ただ、知性が無い。感情もなければ、同族意識も無い。理性もないし、本能だけで生きている。


 教育は不可能だ。


 ならば、あれか。少女の頭にあったのは、最近手に入れた蜘蛛の魔物だ。珍しい魔物であり、いい金になる。ハリングルッズのお勧め商品だ。そこらの奴隷商人では手に入らないレア物である。


 いくらトゥグストラを従え、恐るべき軍団を作り上げた彼でもあれをまだ手に入れていない。


 少女にとって彼が大会でこれ以上勝っても、負けても意味は無い。彼を有能だと判断したからだ。実力を十分、彼は見せ付けた。ならば、こちらは誠意を見せるべきだろう。今後、信頼関係を築くためにも。


 多少の損は仕方が無い。


「わかりました。是非待っていてください」


 判断した少女の行動は早かった。一言つげると、また姿をかき消した。彼が何とか残像ぐらいは終えるぐらいの気配しかない。


 魔物たちは、驚きもしなかった。ただ少しの間、彼を守るように展開していた。




 彼が再び、パンを食いだすまで、魔物たちはその場を警戒し続けた。



 一体なんだったのかと考えるまでも無い。


 あの少女は突然現れる災害みたいなものだ。そう彼は考えていた。




 次の日。


 決勝戦の日。


 彼は牛さんとリザードマンを入り口付近で待機させた。つれてくるのはオークだ。価値が最も安い魔物をつれて、金がもっとも動く決勝戦へつれてきた。


 ある意味皮肉だった。


 金貨にも満たない魔物をつれて、金貨以上の金が動く舞台を演じさせる。大きな劇場で、演じる人気のない俳優だ。


 そして安物の俳優が相手をするのは高嶺の花たる勇者だ。


 普通の人間ならば、考えない。決勝戦ならば、決勝戦にふさわしいものを使うのが常識だ。


 彼が使役する中で決勝戦にふさわしいのはトゥグストラのみだ。


 しかし、そうはしなかった。


 彼なりにポリシーがあった。


 順番というのもあるが、今回の相手にはどこか秀でたものを使わなくてはいけない。なぜか、そんな気がした。


 リザードマンでは多少はカバーできても勢いにのまれてしまう。


 トゥグストラでは勢いがありすぎて、相手にそれを利用されてしまいそう。


 全体像をつかむことに秀でたものが必要だった。才能とかではなく、感覚。誰にだってもっている相性というもの。それを彼なりに見定めた結果、こうなった。


 オークもリザードマンのように自分が選ばれたことに困惑していた。別にやりたくないからというわけじゃない。ただ、この戦いは人間にとって名誉があるものなのはわかる。


 それをなぜ自分がという疑問があった。


 奴隷商人のところで踏みにじられた自分の価値観はいまだ引きずっている。自身の価値が少ないというのはその時虫けらのように教えられた。


 だからこそ、隣で歩く無表情の主人の考えがわからない。主人はただ前を見つめ、歩いているだけだった。


 兄貴分である牛さんも、頭で行けと振るうだけだ。彼の命令に忠実な牛さんは、主人の判断には逆らわない。

 同僚のリザードマンは、観客席で相手の実力を見ていた。そのため、自分の実力ではかなわないと自覚しており、今回の配置には納得していたようだ。



 なぜなのか。


 疑問はつきなかった。


 しかし、わかることはある。オークが戦わなければ、主人が襲われるということだ。自分より遥かに劣る主人は、簡単に相手の攻撃で怪我をしてしまうだろう。


 そんなことになれば、自分は牛さんに殺される。


 リザードマンに首を狙われる。


 間違いなく、命はない。何より、主人が怪我をすることは誰よりもオークが望まなかった。


 戦わないという選択肢は無い。


 逃げるということはない。




 彼がとまった。そしてオークもあわせてとまる。



 向かい側からやってきた一人の男、勇者。


 相手は油断をしておらず、こちらを睨みつけてくる。彼を狙い、その表情は激情にかられたものだった。


 両者の口は開かない。


 両者の視線はお互いをみやるもの。



 睨み付け、今にも飛び掛らんとする獣のような勇者。


 ただ無表情に相手を見やる人形のような彼。



 勇者が対戦位置でとまった。


 そして、鐘がなった。


 オークが走りだした。勇者も合わせるように走り出した。相手を甘くみるなんてことはオークも勇者もしていない。


 最初の一撃は勇者だ。だが、オークはそれに追いつかない。勇者の口元が微かに動いた。それが終わった瞬間、勇者の姿が一瞬でぶれるような速度に跳ね上がった。


 邂逅は一瞬。


 高速でオークの槍の隙をかいくぐり、残撃を叩き込む。一閃の名の下にオークの槍を切り裂いた。そのまま追い込むように蹴りがオークの頑強な腹部へとはなたれた。

 防ぐまもなく、それを直にうけた。勇者の高速移動によって増した勢いはオークを簡単に吹き飛ばした。地面へと転ぶところを最後まで見届けない。


 勇者は一瞬でオークを粉砕し、その足は彼へとせまった。


 腰にさした短剣を引き抜いた。勇者の速度が目で追えなくなってから、己の武器を取り出した。


 その引き抜く動作とオークが敗れるのは同じだった。


 勢いのまま、彼の間近まで躍り出た。殺すつもりで放った一撃と、彼のある動作が同じタイミングで行われた。それは短剣をその場に放り出し、両手を上にあげた動作。


 それは降参のポーズだった。


 肉薄した一撃は、彼の首皮一枚の隙間をあけて急停止した。無理にとめたことにより、勇者の筋肉に多大な負担をかけた。それも尋常ではない。


 元々あった勇者の重い一撃と高速移動の勢いが重なり、体に大きな衝撃をうんだ。ぶちぶちと筋肉がちぎれ体が悲鳴をあげた。


 勇者は、武器をすてて降伏をする人間を叩ききれない。民衆の光システムによって生み出された存在は、そのあり方にとらわれている。


 悲鳴をあげる体を抑え、憤激したまま口を開いた。


「なんのつもりだ!!!」


 勇者が怒鳴り声を荒げた。


「...降参をしようかと」

 荒げた声に対するのはか細い声だった。


 目で見えない速度とか勝てるわけない。そう判断した彼の行動は早かった。すぐに武器を放り出し、抵抗はしないとアピールをした。予選でも参加者達の降伏を許した勇者ならば、認めてくれるだろうとの判断だった。


「ふざけるな!!認められるか!」

 勇者の心にあるのは、彼の暴虐の数々だ。


 最初はオークションだった。彼は人々の悪意を踏み潰し、その場限りの頂点になりあがった。


 二回目は予選においての地獄。人を苦しめ、甚振った諸悪の根源。


 本選は、拷問。トゥグストラがクキを攻めたやり方は到底認められない。第三者にはわからなかった。ああでもしなければクキは倒せないということを勇者は知らない。


 見た流れが残酷だった。


 そして最後の順決勝戦におけるエルフへの精神破壊。観客席からではよくわからなかったが、エルフが泣き崩れたのはみていた。大人がぼろぼろに崩されるのはわかるが、相手は小さなエルフだ。


 相手が子供でも容赦はしない残酷さ。


 勇者よりも年上だが、幼い見た目の少女を苛めたというのが、倫理に反していた。


 それらの暴虐な行いが勇者を責め立てた。常人の倫理にとらわれた勇者は、感情に支配されている。その燃え盛る怒りの感情は、彼の済ました態度を粉砕する姿を見せつけなければ収まらない。


 だが、勇者は一つ武器を失った。高速移動の限界時間をこえたのだ。それにより勇者はこの勝負では高速で移動することができなくなっている。


 すばやく片付けようとした勇者は、初っ端から本気を出した。


 最初から殺すつもりだった。


 だが、今は無理だ。


 彼が武器を手に取り、戦う意思をみせなければ手を出せない。その感情に支配された勇者の背後から迫るのはオークだ。両断された槍の刃先部分をもって、静かに動いている。


 彼の降伏を認めない以上、戦闘は継続される。


 オークが勇者の背に凶刃を突き刺そうと動いた。それを勇者が振り向きざまにオークを殴りつけることで阻止した。


 勇者は甘くない。


 油断をしていない。


 突然の奇襲により十分な力をこめることはできなかったが、オークの凶刃を防ぐことには成功した。彼に突きつけていた剣をオークにむけた。


 オークもまた、殴られてはいるが、戦意は喪失していない。肉体の能力だけならば、魔物のオークのほうが上だ。



 勇者は降参のポーズをとる彼を無視して、オークへ肉薄した。武器を持たない人間を切ることができない。かわりに彼の魔物を最初から片付けることにした。


 彼を切れば終わりなのに、そう闇がささやいた。だが、それを抑える。


 その抑えた感情は、爆発しオークへの攻撃に駆り立てた。


 勇者の一撃、一撃が重く早い。いくら魔物であるオークのほうが肉体が優れていようとも、追いつけるものではなかった。


 錬度は勇者のほうが上なのだ。


 踏んできた場数が違う。


 剣の一撃、一撃はオークの肉体を傷つけた。勇者の連続攻撃を全て防ぎきるほどオークは強くない。彼の配下の中では一番、戦闘力が低かった。


 そんなオークは、全てを防ぐことをあきらめている。自分の重要箇所を槍の刃先で迎撃し、頭と心臓以外防ごうとしていない。腕に傷が入ろうと、気にはしなかった。


 だがこのままだとオークは負ける。


 降伏を蹴られた彼は、勇者の数々の善良な行いを見てきた。その行いの中でなぜ自分は認められなかったのか疑問をもった。


 根暗だから?


 つまらなそうなやつだから?


 わからない。もし、その程度で認めてくれないのであれば、他の人と変わらない。彼の出会ってきた数々の人たちとかわらない。


 初めて勇者に出会ったとき、彼は嫉妬した。


 自分がもてなかったものを持ち合わせた存在に。


 人が闇で沈み込んでいるのに、光に輝いている存在に。


 たった一度の邂逅でわかった。勇者は自分がもっていないものを全て持ち合わせている。


 人間関係。


 希望。


 未来。


 羨ましくて仕方が無い。だけれども、恵まれた勇者だからこそ相手を認めることができているのだと信じていた。予選でも、本選でもルールにのっとり、相手の降伏を認めてきた勇者を信じていた。


 勇者の善意を信じていた。


 オークへ迫り、切る、殴る暴力の数々を行う勇者。後退しながらも重要な箇所を守り続ける家族。


 これは勝てない。


 殺されるかもしれない。負けを認めているのに。


 彼が見ているのは、攻撃をしようとしないオークを一方的に追い詰める勇者の姿だ。


 それは常識人である彼の考えでは理解できないものだった。戦いが本業じゃない。ただの無職で一般人の思考ではわからないものだ。


 これは。


 あくまでゲームだ。


 そう思ったら、口が自然と動いていた。


「...無抵抗のものを殺すのですか?」


 素朴な疑問が声にでていた。疑問による質問。その深く考えずに発した言葉は、勇者の動きをとめた。


 ただとまった。


 激情に支配された勇者は、冷や水をかけられ、正常の思考へと向かおうとした。それで動きを止めた。


 感情の切り替え。


 それは勝負における二回目の停止を引き起こした。殴りつけようとした拳はオークの眼前で止まっていた。




 その隙を見逃すオークじゃなかった。


 防御へとまわしていた思考は、反撃するほうへ転換。


 槍の刃先は勇者の防具の隙間をつらぬいた。赤い血液が、槍の隙間からあふれ出す。


「がああああああ!!」


 激情に狩られた勇者に今度は激痛がおそった。停止した体は抵抗の動きをみせた。腹部にさされた刃先を手でつかむ。これ以上の侵攻を防ごうとし、刃が手に食い込んだ。更に赤い液体を更に増幅させ、痛みが激しくなる。



 

 奥へ、奥へと押しこまれる刃先とそれを抜こうとする勇者の手。


 その抵抗があっても、オークの力のほうが強い。少しずつだが、押し込まれていった。


 人間よりも魔物のほうが肉体能力は高いのだ。


「ぐあああああああ!!」


 悲鳴をあげた。痛みによるものと出血による体の機能の低下。二つが勇者を襲っていた。高速移動も使えない。ただ、追い込まれている。


 血が抜けすぎていた。おぼつかなくなる思考と動作。足がもつれて、押し込まれるように背中から地面におちた。オークがのしかかり、更に力をこめようとした。


「...それ以上はいけない」

 とめたのは彼だ。


 彼は常識人だ。


 人を殺すことはできない。


 オークは彼の武器だ。家族だ。だが魔物だ。ペットみたいなものだ。そのあり方、行動の責任は全て彼にある。


 もし家族が人を殺せば。


 彼がその責をおう。



 ゆえに彼は静かにつげた。


「...降伏を」


 勇者は答えない。ただ顔だけは彼を睨みつけていた。


 勇者は自分の負けを認めない。


 彼の降伏も認めない。


 負けられない、倒すそういう感情が勇者を支配している。いくら正常に戻りかけていても、この戦いにおける心情だけはかわらない。


 遅い歩みで彼は近づいてきた。


 一歩一歩は遅い。ゆっくりとした歩は勇者へと到達した。


「...降伏を」


 二回目の宣告。


 勇者は答えない。


 彼は膝をつき、勇者に顔を近づけた。


 起き上がれず、動けない。勇者は近づく彼を今にも射殺さんした目で睨みつけるだけだ。



 そんな勇者に近づく彼をオークは止めようと肩に手をかけた。彼を安全圏へ逃がそうとした。だがその時彼の顔をみてしまった。


 睨み付けている。


 邪魔をするな。


 感情をめったに出さない主人。初めて出会ったときと同じ恐怖を感じた。背筋が寒くなり、思わず手を離した。


 決意が定まったときの彼は、誰よりも恐ろしい。


 凶暴なトゥグストラの猛威よりも荒々しく、リザードマンの剣技よりも鋭い眼光。


 オークはたじろいだ。震えがとまらない。寒気とおぞましさがオークを後ろへ一歩下がらせた。


 簡単に彼を殺せる魔物が、誰よりも彼を恐れていた。弱者に恐れる強者。弱肉強食という絶対の関係を崩すものがそこにはある。


「....降伏を」



「..誰がするか」


 吐き捨てた。答えないという方法はなかった。無表情以外をはじめてみた。勇者にあるのは何かいけないものを引き出してしまったというものだった。


 その彼の表情に、逃げようとしてしまった。この大会で彼に怯える民衆のように勇者も怯えていた。


 素直に答えたのは何か危機を感じたからだった。


 何をする気だ。


 何をしでかすのか。


 そもそも、彼は勇者に降伏を求めたわけじゃない。言葉が足りないからこそ、彼の真意は伝わらなかった。


 彼はもう敗北をみとめている


 それを最初から覆す気なんかなかった。


 いくら途中で有利になろうとも彼は考えをかえない。


「....仕方ない」


 彼は立ち上がり、踵を返した。

 固まったオークの肩をつかみ、ひっぱる。弱弱しい力に応じるように、オークもつられて歩き出した。


「..何をするきだ?」


 彼は答えず、背中を見せ続けた。その先は彼が出てきた入り口だ。


 まだ勝負は終わっていない。


「...待て!」


 その焦燥が含まれた問いかけに応じるものはない。相手はそのまま入り口にむかっている。


 このままだと彼は負けるだろう。


 現状は勇者が負けた結果となっている。そんな状況で彼が負けたことになれば、恥をさらすことになる。


 勇者は民衆の希望システムだ。


 民衆の考える最善と最良を求められる哀れな英雄。


 その英雄がこういうつまらない大会で落ちていく。希望というものが落ちて、つまらないものだと貶められる。



 勇者にとって何よりも恐ろしいものだった。


 支配者は人を恐怖させる天才だ。


 数々の悪行もそうだが、敵対している勇者を最も怖がらせる手段をとった。


 負けているのに、勝利を与えられてしまったら。


 顔をむけられない。


 仲間達にも。


 家族にも。


 今まで出会ってきたものにも。


 その弱点を支配者はついてきた。勇者が思ったよりも恐ろしい相手。


 油断はしていない。


 意地でも、死んでも認められないのに。


 刻々と入り口へと迫る彼、タイムリミットは迫っていた。それにあせりだした勇者は大きく口を開いた。


「...俺のまけだ!!!!!!」



 死よりも恐ろしいものには耐えられない。


 屈辱は何よりも恐ろしい。


 貶められるのだけは許されない。





 勇者は敗北を認めた。彼が入り口へもう少しという距離だった。人が最も嫌がる手段をとった支配者。


 それは大会の歴史に最も深い闇を持ち込んだ支配者として刻まれる。

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