第25話

彼の対戦相手である小柄なエルフはかつてない面持ちでここにたっていた。自分が戦ってきた相手で一番凶悪で恐るべきものだろうと考えていた。彼女がそう考えるのは予選も本選も残酷な方法で勝利した彼というのもあるが、それだけではない。


 ここに来る前。

 彼の魔物たちが入り口付近で彼を見送ったように、小柄なエルフにもそれをしてくれるものがいた。


 彼女が戦いの場へ踏み込む前。


「少しまて」


 背中に声をかけられた。向こう側の入り口のところでは彼が魔物たちに色々と話しているような姿がみられた。相手の様子を少しだけ見たかったのだが、後ろからの声にも答えなければならない。


「何?」


 怪訝そうに振り返った彼女がみたのは、一人の青年だった。彼女の知り合いであり、仲間の男。同じ種族であり、予選で彼に負け、彼と食事を一緒にとったエルフだった。


「少しいいたいことがある。」


「必要ないわ」


 彼女は切り捨てると、踵を返そうとした。


「負けそうになったらすぐに降伏しろ」


 一度決めたら突っ走る彼女の足が少し止まった。何をいっているのかがわからないといった表情で青年エルフの顔を見つめた。


「いいから、負けると思ったら逃げろ」


 必死に、冷や汗をかきながら青年エルフは言った。


 いつもの青年エルフならば、そうは言わない。

 彼女が知っているこのエルフは自信満々で偉そうな態度でいつも仕事に及ぶいってしまえば傲慢そのものだったはずだ。その分の実力もあるのだが、自分に自身を持ちすぎていて、誰かを警戒するということはなかった。

「あんたが負けた相手だから?」

 少し意外だと思いながらも彼女は問いかけた。そんなのは知っている、もともと油断なんかするつもりはない。認めたくないが、青年エルフと彼女の実力は大体同じぐらいなのだ。それより若干彼女が強いかもしれないという自負が少しはあるが。

「それもある。」


 いつもの感じの青年ではなかった。ただ自身の恐れを隠すように必死に表情を取り繕っているが、それでも若干震えている体が覆い隠すことに失敗していた。


 一回負けただけでそうなるとは彼女は思えなかった。


「安心しなさい。あたしは負けるつもりはないし、絶対かつわ」


 そう青年エルフが負けたからといって彼女が負けるわけは無い。予選で青年エルフが負けたのは魔物の数に負けたからだ。


 一体一ならば。


 彼女は負けない。現に予選で青年エルフが彼の魔物と敵対したとき、リザードマンだけならば普通に相手していたのを見ていたからだ。オークという援護がなければリザードマンでは青年エルフの相手には実力不足だ。またオークもオークで見た感じでは彼女の敵たりえない。


 警戒すべきは。


 トゥグストラ。


 あの凶暴で強大な魔物が出てきたときだ。そのときはさすがに負けるかもしれない。それだけは警戒している。


 もしトゥグストラが出てきた場合は。


 たぶん負けるかもしれない。だがその予想はありえない。


 なぜなら、もう対戦相手たる彼は魔物を一匹つれて向かっていたからだ。入り口付近で待機しているのはオークとトゥグストラ。


 つれているのがリザードマンだ。


 もはや負けるといったものがない。相手が手加減してリザードマンを選んだのはわかるが、本気できてくれなくてよかったという安心感もある。


 なぜ彼が。


 トゥグストラを使わないのかはわからないが、相手がそれじゃないのであれば、まけるつもりはなかった。


「ほら、見なさい。リザードマンよ」

 指を指し、少しうれしそうに頬を緩めた。

 油断してくれてありがとう、そう相手に感謝もしていた。


「心配なんかいらないわ、ただ勝って決勝戦へ進む」


 それだけを信じて彼女は歩き出した。

 心配性の青年エルフの気持ちはありがたい。それはわかっている。いつも腕を競い合ってきた仲間であるし、喧嘩はよくした。そういう間柄だからこそ、彼女の身を案じてくれているのだろう。


 うっとうしいとは思わない。


 ただ貴方の仇はうってあげる、そう彼女は心にひめた。


「相手はハリングルッズの一員だとしたら?」


 少し、彼女の意思が砕けそうになった。


 彼女の頭の中にあるのは。

 王国最大の裏組織。彼女が魔物専門のエルフであるに対して、ハリングルッズは臨機応変が可能な犯罪組織だというのはわかっていた。


 人間相手でも、魔物相手でも敵になるのであれば容赦なく粛清する暴力。王国に根深く浸透し、産業の一部分を自身のものとしとした巨大な力。そんな力を自分が思うままに振るうことのできる危険な組織。


「なにを?」

 冗談を。

 いつのまにか足をとめていた。


「もし、余裕があれば相手の腰の武器を見ろ。もしお前が相手に武器を抜かせたらすぐに逃げろ。」


 ただの警告。


 だがようやく青年エルフの震えた体の原因がわかった。要するに死んでほしくないから必死にいっているのだ。必死に、しかし冷静に彼女を説得していた。


 やめろとはいわない。


 彼女だって自分自身、やめろなんかいわれたら、ふざけるなと憤慨して余計意固地になっていただろう。


 逃げ道は与えた。


 青年エルフらしくない、警告ももらった。


 彼女はそれでもいくしかない。


 戦う前に、逃げるという選択肢は無い。青年エルフがまけても自分なら勝てるかもしれないという希望が少しはあったから。

「...大丈夫よ。あたしが勝つ。貴方はお祝いでも用意しておきなさい、クイール」

「.....わかった。とびきり良いものを買っておこう。クイナ」


 互いに尊重しあう同属の仲間たち。青年エルフの名前はクイール・ランファルド。

 彼の対戦相手たる少女の名前は クイナ・ランファルド。


 兄妹ではない。


 ただの従妹を心配する兄の姿と従兄にある程度の配慮を見せる妹の姿。同じ村で過ごし、同じものを食べてきた、仲間でもある。


 血は半分わけた、家族同然の関係。


 青年エルフことクイールはだからこそ、心配だった。

 試合の中で気まぐれで命をとられるかもしれないし、負けても、降伏を認めずに殺されるかもしれない。もし勝ったとしても彼の逆鱗にふれて粛清されるかもしれない。


 ハリングルッズは裏、表が激しい。

 構成員もその組織の考えがあるに違いない。


 表は人を気遣うほとの優しさぐらいなら見せてくれるだろう。


 裏は人を簡単に滅し、残酷に、人の命を散らしてくるだろう。


 せめて。


 何事もなくおわりますように。


 勝つとか負けるとかではなく。


 ただ無事に終わってほしい。そう願ってやまない





 



 クイナの一撃にあわせたリザードマンの盾。リザードマンは迎撃とともに盾の内側に隠れた剣の軌道。盾の内側に覆った攻撃の軌跡は、リザードマンの体を影から光に明け渡したときにクイナはきづいた。


 盾で見えなかった突きがクイナに迫った。それを一歩後退し、反撃の距離を開けるのと同時に上から振り落とした剣によって地面に打ち落とす。

 離れた後は前へとつめる。リザードマンが剣を持ち上げる前にクイナは迫った。拳を頭部に狙いを定めた。的確に命中したが、感触はやわらかい。


 勢いをそがれた。頭を少し後ろにさげることで威力を緩和させたのとどうじに、反撃へ。

 リザードマンの青い足がクイナの足に絡み、彼女の体が前方へとこけそうになった。彼女が意図していない行動は、混乱をうんだ。体制を崩したクイナの背中はがら空きだった。

 盾の角を背中に打ち込んだ。

 それなりに尖った盾の角は彼女の細い体を大きく衝撃で震わせた。


 激痛。


 しかし、彼女もただではなく。

 痛みにのた打ち回りそうになるのを我慢し、乗り出した体から出た一歩の踏み込みで、その場にとどまり体制を取り戻した。

 仕返しのために。盾をつかむ青い手を握り、

「アース」

 呪文を唱えた。彼女の握った手から放つ光は衝撃をうみ、リザードマンの腕がぐきりと嫌な音がなった。盾を握る手が青から赤へ変色したのが変化の一つ。内出血を起こさせたその呪文は手の平から衝撃波を放つ風属性の呪文だった。




「ぐがっ」


 これもまた激痛。


 リザードマンは痛みのあまり盾を手放した。と同時に剣を振るった。その軌跡から避けるように後ろへと避けるクイナの体。よけられたが、彼女の手を振り払うことに成功した。


 一進一退。


 そういう攻防戦がここにある。


 彼は勝負から目を離さず見ていた。


 ただリザードマンの腕の変化には気づいていない。彼の目はそこまで素晴らしい性能を持ち合わせていない。常人と同じもしくは下の機能しかなかった。


 だが、ときおり攻防のたびに彼のほうに近づいてくるものだから、巻き込まれないように少し距離を離していたりしていた。彼が勝負に巻き込まれれば、怪我をするのはそうだが。


 リザードマンの邪魔をしてしまう。


 それを一番心配した彼は近づいてくるたび、離れるを繰り返していた。奇しくもその行動はクイナがリザードマンへ集中できない要因だった。


 彼の動きはまるでクイナの背後を取るように見えた。リザードマンへ呪文を放って片手をつぶし、勢いのまま倒そうにも。


 彼が動くのだ。それに集中をかき乱されていた。クイナは一対一ならば得意なのだが、一人で複数を相手にしないといけない場合は苦手なのだった。


 予選でもそうだ。


 だからこそ、自分の仲間と結託して、背後という死角を守ってもらいながら二人になるまで共に協力するという手をとった。


 クイールとクイナとは別のもうひとり。エルフ軍団は3人でこの大会に参戦し、惜しくもクイールだけが別グループという形でなっていた。


 二人になってから、久しぶりの仲間と真剣勝負を行い勝利し、本選へと勝ち進んだ。


 3人の仲間のうち一人しか残っていない。 


 クイールはまけた。

 彼に。


 もう一人はクイナが倒した。



 負けたくない。


 そういう意思はあるのに。


 リザードマンごときに。


 リザードマンを倒せば彼一人になるのだが、邪魔をしないようにと配慮した彼の動きは、行動も、狙いも、死角へ回ろうとしているかも、という色々な考えがうまれた。全てを引きずり込まんとする思考の闇へ彼女を送り込もうとしていた。


 狙えない。


 戦いが激しくなり、彼は動く。リザードマンのために。


 彼が背後に回ろうとしている。


 それはただ比較的何もなさそうだからという適当な考えで行動していただけ。



 彼女を翻弄していた。リザードマンに集中しないといけないのに、さらに彼まで警戒をしないといけない。


 手元が狂う。


 彼女が思考の闇に落ち込みそうになり、注意が緩慢としたとき剣が弾き飛ばされた。上空へなげとばされた愛剣は光を乱射させ、あちらこちらへと光をまきちらした。


 一瞬のこと。


「しまっ....」


 目が剣にいったとき。

 腹部に衝撃が走った。


 拳ではない。足。剣に視線がむいていた無防備の腹部。そこにリザードマンの体から放たれた蹴りがとらえた。


 衝撃が彼女を吹き飛ばした。リザードマンの力はそこまで強くない。彼女の体は地面を少しだけすべった。


 痛い。


 地面にぬいつけられたように体は動かない。体を動かそうとすると痛みに襲われた。泣きそうになりつつも、目をあけた。


 状況を理解しなければ。



 彼女の目に映ったのは。


 青空でも。


 リザードマンでもない。


 ただの無表情な彼の顔。


 彼の足元にすべるように吹き飛ばされた彼女を人形のような彼が見下ろしていた。


 先ほどの一進一退の戦いを行った彼女に対しても。


 感情を移さない。表情の乏しい彼は十分驚いているのだがそれが表にでてこない。


 彼は今、自分なら死んでいるなぁとか思っていたのだが、クイナはそれを別のように思っていた。


 自分が見下されているならわかる。


 馬鹿にされているならわかる。


 ただ、どうでもいいように見られていたとクイナは感じた。彼の敵がいて動けない獲物がいるのに何故何もしないのかとも思った。


 そんな思考の中で。


 再び闇がせまった。


 クイールがいっていた。


 負けそうになったら降伏しろ という言葉。その次に何かいっていたはずだ、何か。


 衝撃と痛みでかすみ行く中で。


 考えないようにしていたことを思い出した。


 ハリングルッズ。


 王国の犯罪組織。


 彼女が魔物専門で相手は人でも魔物でもどちらでもいける危険な集団ということを、この現状で思い出してしまった。


 硬直。


 震えだした。


 彼が行ってきたこと、それはハリングルッズの構成員ならばやっておかしくないほどの悪行の数々。


 予選は地獄。


 第一本選は拷問。


 なら。


 なら。


 あたしは?


 嫌なものが彼女を支配した。体が途端に寒くなり、がたがたと歯が震えだした。視界は涙でにじんでよく見えない。


 恐怖に支配されていた。


 彼の顔がにじんでいるのに、今も人形のように見ていると何でかわかった。それと同時に自分がどういう目に合わされるかも想像してしまった。



 殺されるならまだましかもしれない。


 そう考えたら痛みにも絶えてきた彼女の意思は簡単に決壊した。戦う前にあった強い覚悟なんか粉々だった。


「こ、ころさないでくだだあさい。ご、ごめんあなあさあい」


 号泣。必死に声ですがる。死にたくない。


 怪我もしたくない。


 ひどい目にあいたくない。


 いやだ、いやだ。


 彼女の闇は簡単に理性を蝕み、意思の欠片ですら打ち砕いた。


「こ、こ、こう、ふくを降伏...ざぜ、、ざぜ、てくだざぁい」


 殺されたくない。


 その一心で彼女は大きくわめいた。

「ご、ごろざないでぇぇぇ」


 対する彼は。


 動揺していた。


 表に出てないけど。


 えっ、殺す?誰が?


 僕が?



 誰もそんなことしない。


 何かいおうにも彼の声を彼女の鳴き声が掻き消すものだから意味が無かった。彼の声は練習をしてても人前で発するには少し弱かった。


 彼女の耳に届く音量を長く続けるほど彼の声量はもたない。一言だけしかもたないのだ。


 たった一言。


 相手は降伏したいといっている。


 なきやませるならば。


 望みどおり。



「...」

 少し間を空けて息をすった。

 そして吐くようにいった。

「認めます」


 そもそも降伏するのならば認めるのだけれども。


 いいたかった。


 いわなかったけど。



 彼は勝利した。


 相手を泣かせて。


 彼は見事にかった。


 見た目が子供の少女を泣かせて。


 事実はときに残酷だ。

 事実がぐさりと彼の心にダメージが与えた。常識人で文化人たる彼はそういう人を甚振るのも怪我をさせるのも好きではなかった。


 今回は闘技場ということで、責任はないし、怪我をしても運営が直してくれるからこそ、家族の力を借りた。


 でも、そのたびに人がなくのは彼の弱弱しい心を傷つけるのは簡単だった。誰もが人に危害を加えることが平気ではないと信じている文化人の証拠ではあったが、この場においては邪魔なものかもしれない。


 これが終わったら二度と闘技場に参加しない。


 決意した。


 同時に思う。


 エルフは、少し苦手かもしれない。


 彼は脳内に二つの記録をつけている。


 一つは友達ノートみたいなもの。


 残り一つ。


 人間関係ノート。


 彼の脳内人間関係のノートにエルフは注意と書き記された。一ページもうまっていない空白だらけの脳内ノートだけれども。

 ここに一文が追加されたのはいいことだった。


 ちなみに最初に書いたのは フーリ君だった。あの少年のおかげで収入は得られたし、怪我をしても薬はかえる。また、ベルクの街でわからないことがあれば容易に聞けるという彼の中でもっとも話しやすい人物として記されていた。


 友達関係は 牛さんである。


 そんなこんなで。


 彼はエルフという種族が少しだけ苦手になりつつあった。


 エルフを一緒くたにしたくはないが、彼があったエルフは全員涙もろかった経験から、そう思うのは無理は無かった。

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