症例:《知ったかぶり》治療 夢

 おやすみ。


 眠って、診察を受けて。そしてまた戻ってきた。

 戻ってきた。

 夕暮れ。真っ赤な空が教室の外から見えている。

 たくさんの生徒の笑い声が教室に響いているのに、あたしの目にはあたししかいない様にしか見えない。たった一人で、あたしは机に座っている。

 机の上にはレポート用紙

 手に握っているのはシャープペンシル。

 けたけたけたけた、

 きゃらきゃらきゃらきゃら。

 笑い声が響いている。

 誰もいないのに。

 戻ってきた。

 


 夢の なか に


「どうだった? 病状は」

「どうもこうも、いつも通りですよ」

 あたしはにそう答える。

 いつの間にきていたんですか?

 いつもの会話じゃない。何度も何度も繰り返した、夢の会話じゃない。

 これは 先生だ

 先生が きた

「一ヶ月に一回の定期検診です。薬を処方してもらって、寝て、それだけ。何もありませんよ」

「学校に来て大丈夫なのか? 自宅で療養してる方がいいんじゃないか」

「何してたってこの病気は進んでくんですよ。変わりません」

 あたしは平然とそう受け答え、先生の姿を視界に入れず鞄を背負い直した。夕暮れ時の赤い光が教室に差し込んでいる。

 まるで

 体に流れる

 液体の様な

 真紅

「––––––俺、気になることを聞いたんだ」

「はあ」

 先生は何ということもない風に言う。

 ––––––なんてことないんですね?

「夢憂病っていうのは、きっかけがないと進行しない病気らしい」

「そうですね」

 あたしは先生のほうを見ない。

 先生はきっとあたしを見ている。

 あの時と同じ様に、あたしの嘘を見抜くために。

「君のきっかけはなんだったんだ?」


「せんせい、ここはどこだと思います?」


「は?」

 先生は素っ頓狂な声を上げる。

「教室だろ? もうみんな帰ったよ」

「そうですかじゃあいまは下校時刻なんですね」

 呂律が滑る。口が滑らかに。

 先生は何も聞こえていない。

 この只々喧しい笑い声が。

 –––––馬鹿馬鹿しい

 きゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃらきゃrきy@/#→=8々÷+724・)tyyguhbvgfxxx(.8796yfuguresdyfuiookhhutdccvbbnjaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaAaaaaaaaaAAaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaあa#a@ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁあああぁああぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁああぁあぁあああああああああああああぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁあぁあああああああああああぁあ




 せ


 ん


 せ




 い










「たすけ て」









「うわああああ!!!」

 男は腰を抜かして倒れた。尻餅をつく。

 黒い、黒い、その黒いものに驚愕した。

 今の今まで見ていた、教え子の一人が、途端に恐ろしいものへ変貌した。それはなんとも形容しがたい身形のもので。

 目があったところは黒い空洞と化し、首は不自然に傾げがくんがくんと前後、左右に揺れている。足元が覚束ないのか、ふらふらとしている。よたよたとそれでも前に進もうとしている。

 蹴倒した机と椅子が派手な音を立てて崩れ落ちる。そう、それは正しくのだ。

 破壊されたのではなく。

 木材でてきた部分と、パイプで出来た部分が空中で分離したように、ばらばらに解体されて転がった。がらんがらん。不自然な音。

 男はその得体の知れない何かの足元を見る。

 信じられない事に、

 足と地面が同化している。

 地面から生えているようだ。地面すら黒く黒く変色し、そこから少女が伸び上がるようになっている。

 よたり、よたり。

 少女は地面から離れない足を持ち上げ持ち上げ、男に近づいた。


「く、」


 男の口から、漏れた。


「来るなああああっ化け物おおおおお!」


 

 ––––––。

「せんせぇ––––––。せぇんせえ––––––。ねぇどぉしてですかぁ––––––?」

 少女が口を開く。その中も黒しかない。歯も舌も何もない。ただの空洞。吸い込む黒。

 まるで夜空のような、恐怖の具現。

「ばぁけものぉって––––––なんですかあ––––––? どこですかあ––––––?」

 ふら、ふらり。

 一歩、また一歩。

 男は尻餅をついたまま、ずりずりと後ろに下がった。

「く、来るな」

 ふらり。ふらり。

 一歩。一歩。

 男は絶叫した。


「来るなあああああああああああああああ!!!」


 どん!

 轟音。

 それと同時に、教室の扉が蹴倒される。扉が倒れる。

「おやあ」

 その長い足、細い体躯。灰色の長い前髪が右目を覆い隠している。もう片方の目には白眼がない。あるのは朝靄を映したような、夕暮れを映したような、そんな色の虹彩。金の細い輪が丸く、眼の中で煌めいている。透き通る白い肌が映えて––––––。

 男はその人物を見た。途端にその足にすがりつく。

「助けてくれ! 俺はまだ死にたくない………! 死にたく、死にたくなんか、死にたくなんかないんだよおお!」

「煩いですヨォ」

 ぎゅるるるるん。

 その人物の背後から、面倒臭い、とでも言うような声が発せられ、渦巻いて、それが形になる。

 道化師のような出で立ちの、少年だろうか。

 肌は白いが、それは透き通るものではない。仏蘭西人形のような色だ。生きている感覚を感じさせない、そんな白。

 目も同じだ。口も。どちらも爆笑するときのように、目は伏せた椀のように、口は伏せていない椀のようになっている。特に口は大きくぱっかりと開いていて、まるで爆笑した時の表情の写真を三次元にしたみたいだ。

暝土よみぢぃ、俺はこういうニンゲン嫌いなんだケドォ、助けんのォ?」

 口は全く動いていないのに、道化師の口から言葉が流れている。その人物––––––暝土は「まあね」顎を引いた。

「そうしないとこの人もわからないだろう? どうして自分が《そうなって》しまったのか」

「わからせる必要無いと思うンですケドォ」

「駄目だよ。それはあのこが可哀想だ。こんなに夢を育てたのに」

 ぎしり。ぎしり。

 少女の目にはどうやら暝土が入っていない。ただ、男を見つめている。

 男はまた後ろに下がろうとする。

「動くんじゃねえよおっさん」

 その背をゆめくらいが蹴っ飛ばした。「あぐっ」男の口から嗚咽が漏れる。

「こーら、ゆめくらい。いくら夢の中といっても人を蹴飛ばしてはいけないよ」

「夢の中、なのか?!」

 男は目を剥いた。

「じゃあ、何でこんなに痛いんだ?! こんなの、夢じゃ––––––」

「へえ?」

 意外そうに、暝土は首を傾げた。「いたいの?」

「い、痛いに決まってるだろ?! 早く助けろよ! お前にはできるんだろ?!」

「それもわかるの? 意外だな」

「死にたく無いんだよ! 助けろよお!」

「死なないよ」

 少女は男のすぐ目の前に来ている。不自然に腰を折り曲げて男の顔に己の顔を近づけた。

「植物状態にはなるけどね」

 少女の口が大きく開く。ぐぐぐ。どんどん、大きく。やがてそれは男の頭を飲み込む程まで大きく広がった。

「ひ、ひぅあああああああああ!」

「そろそろかな? じゃあゆめくらい、お願い」

 暝土が落ち着き払った声で、そう呟いた。

 ゆめくらい––––––夢喰らいは、愉しそうに返事をする。


「Yes,mam.」


 ぎゅるるるるん!

 球体になり、そして。

 真ん中の辺りで、ぱっくりと上半球と下半球に別れた。そしてそれで挟み込むように、上から少女を


 ばくん。


「喰……………?!!」

「いい食べっぷりだね」

 少女の下半身がぶらりと浮いて、力なく垂れている。少女の足元にあった黒い影はしゅるりと少女に巻きつく。地面に引き摺り込もうとする。その力に反するように、夢喰らいは少女の体を咥えたまま上は跳ね上げた。空中に舞う。物体と化した少女のへその辺りから下の部分が。断面図が露わになる。男は目を伏せようとするが、その必要はない––––––断面図すら黒いのだから。

 そのままばくん、と。

 夢喰らいは、少女の体を食べ尽くした。

 ばくんばくんばくんばくん。

 何度も何度も何度も何度も。

 咀嚼するように、開いて閉じてを繰り返す。

 ぐぢゅんぐぢゅんぐぢゅんぐぢゅん。

 黒い液体がぼたぼたと夢喰らいの口から溢れる。

 それがどうしても赤い血を連想させ、

「お、えっ………」

 男の口から嗚咽が零れた。堪らずその場で吐いてしまう。夢の中だからなのか、透明なものしか出てこない。それなのにあの鼻を突く痛みはとても現実感を持って男を襲った。

「さあ」

 暝土はそう、声をかけた。

「君の出番ですよ––––––」

 夢喰らいの口から物体が吐き出される。

 少女の矮躯だ。

 少女を受け止めたは、男を冷たく一瞥した。

 全身を包帯に覆われている。その隙間から見えるのは漆黒の肌。に、暝土は呼びかける。

「見せてくれないかな。––––––そのこの、夢の正体を」

 名前を、呼ぶ。

 それ––––––ひつじは、こくんと小さくうなづいた。

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