症例:《知ったかぶり》二日目

「どうして先生は私の目をじっと見るんですか」


「嘘を見抜くためだよ」




「––––––あーあ」

 ため息と共にあたしは起きる。無茶な姿勢で寝ていたから、体が軋んだ。場所が場所なので伸びをする事も出来ない。

 いつもいつも同じ夢を見る。

 それが無憂病の所為だとわかっていても同じ事だ。

 何がどうなっていたって、あたしの病気は治らない。不治の病という奴だ。

 この日本に「夢憂病」というものが出てきてから、あたしはそれがとても恐ろしいものだと教えられた。

 正しく言えば教えられたというより、そういう社会の雰囲気に呑まれたという事になるのだろうか。別にあたしは教科書で夢憂病が恐ろしいものだと教わった事はない。

 なんとなくニュアンス的に似てるのは認知症とか、そういう類だろうか。学校の先生はその存在も語らない。その病気も語らない。

 ニュースになったり、特番を組まれたりするだけだ。

 そういうところで言われるのは、決まっている。

「夢憂病は幻覚を見る」

「夢憂病になった者は治らない」

「一生苦しむ」

 マイナスのイメージと共に、残酷な症例を放送する。そうして恐怖を煽るのだ。「ちゃんとした知識を持とう」、そうやって。

 そんな事したって、

「何の意味もないのに………」

 ぽそりとあたしは呟いた。

 あーあ。

 あたしはため息をつく。

 その時、乗客達が降りて行った。停車したらしい。大きな駅のため、多くの人が降りていく。

 あたしが降りるのはその次だ。

 かたんかたん。休日の電車は、時間帯もあるのだろうけどさっきまでかなり多くの人がいた。

 この凡庸で曖昧な世界の片隅であたしが悲しい苦しいって叫んだって、どうにもならないのはどうにもならないのだ。

 かたんかたん。

「《間も無く、きさらぎ、きさらぎです。お出口は右側です。きさらぎ、きさらぎです》」

 降りる駅が近い。あたしはぼんやり、誰もいなくなった電車の中で、さっきの言葉を反芻する。

 きさらぎ駅。きさらぎ駅。

 それは正しく夢の駅。

 夢憂病患者のための、夢の駅。

 きさらぎ駅。きさらぎ駅。

 御用の方はお気をつけて。




 夢憂病患者の為の特別な病院がそこにある。

 精神科のようなもので、いやに静かな病棟が三つ連なっている、白くて大きな建物だ。

 正面玄関から入れば直ぐに診察室に案内される。

「こんにちは」

 ガラス越しに聞こえた声があたしに挨拶する。

「こんにちは」

 あたしはそれに応じる。

 空気感染や飛沫感染がしないことは実証済みなのだが、医者が患者に会う時はこうしてガラス越しに診察する。なんと言ってもどこまで行き着いても、この夢憂病びょうきは精神病から抜けないらしい。しかも尚更たちが悪いのは、

「何か変わったことはありましたか」

 ––––––黒いガラスが喋っている。

 医者はその姿を見せないのだ。

 診察がきっかけで病状が悪化した例もある為、夢憂病の医者は黒いガラスを隔てて患者の診察を行う。

 向こうからはあたしが見えているらしいのに、あたしからは見えない。圧倒的に不公平だ。

「いえ、特に」

 精神科の医師が一応、夢憂病患者の診察を行っている。それが効果的かといえば

 ––––––そんなことはない。

 まぁ、効果的とは言えないだろう。

 しかしながら彼等しか診察できないのも真実だ。

 黒いガラスはあたしに何問か質問する。あたしは嘘偽りなくそれに応じる。言葉のキャッチボール。なんてことない、合わせるだけだ。

 嘘をついても意味がない。

 それは夢の様に。

 そろそろ座る姿勢が辛くなってきた頃、黒いガラスがわざと明るくした口調であたしに話しかけた。

「進行はだんだんと遅くなっています。この調子でいけば完治とまではいきませんが、この状態を維持できますよ。頑張りましょう」

「あの」

 ––––––いらないんだけど。

「はい?」

 あたしは虚ろに虚ろに、呂律の回らない舌を無理矢理回して、言う。

睡眠薬くすりを強くしてください」

 きんきん煩い喋る黒いガラスは、途端にただのガラスになってしまった。

 その様子を見て、あたしはせせら嗤う。

 ほらね。

「あたし、もういっそ」

 しにたいです。

 しゃっ。

 ガラスの向こうからペンを紙に滑らせる音が聞こえた。あたしの勘違いかもしれない。しゃっ。跳ねる音だ。しゃっ。しゃっ。しゃっ。

 耳障りだなあ。

 何も聞こえない。

 何も聞こえない。

 何も聞こえない。


 何も聞きたくない。


「………明日の五時まで、三号室で眠っていただきます」

 いつも通りだ。

「はい」

 あたしは快く応じる。

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