第10話 思い出と覚悟
引いていた弦を戻すククリから、エルトの苛立ちの篭った声が届けられた。
『……標的沈黙に免じて、オレの射線をさえぎった事は大目に見てやる」
「ありがとよ。……ったく、おとなしくしてりゃ、手荒にしなくても済んだってのに」
倒されたまま微動だにしない細身の騎体を見下ろしながら、はき捨てるようにボークは答えた。
「とにかくジャックを回収する。騎体は頭部と胸部以外は無くても良いそうだ。抵抗されることは無いだろうが、破壊しておくか」
『ならば、俺が狙撃してやる』
「待てまて、そんな遠くからじゃ、ミスって胴体串刺しにしちまうだろ。こっちでやる」
逆手に握った剣の狙いを腕にさだめ、覆いかぶさるようにしてグラディエーターはパンドラとの距離をつめて行く。
と――、
『うおおおおおおっ!!』
雄叫びとともに突然立ち上がったパンドラが、取り押さえようとしていたボークのグラディエーターを押し退けた。
「うおっ!?」
とっさに後ろに下がったグラディエーターだったが泥に足をとられ、背中から地面にたたきつけられた。
『チッ!』
舌打ちとともにすばやく弓矢を構えるククリ。しかし、標的であるパンドラの細い身体がグラディエーターの巨体に隠れるような格好になっているため、正確に標的のみを射抜ける地点を探して歩き出さざるを得なかった。
勝負は、一瞬で逆転していた。
「っててて……」
数秒後、軽い脳震盪から回復したボークが見たのは、モニター越しにこちらに剣を突きつけるパンドラの姿であった。
「ったく……ダッセぇな、教え子の演技に負けるなんてよ。それにしても、真面目で正々堂々が服着て歩いていたような奴が騙し討ちをするようになったか。つくづく、人間変わるもんだな」
『教官、自分は――』
通信で届く教え子の声に、未だ割り切れてないモノを感じ取ったボークは、捨て鉢な口調で言葉をはく。
「殺せ」
『し、しかし』
「いいから、さっさとしろ。そんな調子じゃ、これからどうやって生きていくつもりだ?」
言葉に詰まるジャックに、ボークは最後の講釈を述べ始める。
「いいか?軍を抜けて何をするか知らねえが、その間ずっとおまえは軍から追われ続ける。それは、おなじ組織で一緒にやってきた連中を斬り伏せていかなきゃいけねえって事だ。中にゃ、オレやエルトみたいに昔おまえと近かった人間も差し向けられてくるかも知れねえ」
『お前がやろうとしている事は、全てを払いのけてでも、やらなきゃいけない事なのか?』
教官の言葉が、重く心にのしかかってくる。それは、今までの人生を丸ごとひっくり返す事に等しかった。
帝国の貴族として生を受け、帝国を守る為に軍服をまとっていた自分が、帝国の命令に背き、さらには仲間である帝国軍に攻撃をしようとしているのだ。
「お、俺は――」
今までリッターで駆けてきた戦場の風景が、共に生還を喜び合った仲間の姿が、そして、袋に入れられて物言わぬ部隊員の顔が、去来する。
『今、こうしている時間も帝国軍は、共和国に占領された都市を奪い返そうと必死に抵抗を続けている。おまえが戻れば、再び反攻作戦は勢いを取り戻すだろう。そうすれば、国外に共和国軍を追い出す事だって可能だ』
畳みかけるように言葉を発し続ける教官。
「俺は――」
記憶を手繰る手は、士官学校時代を越え、貴族としては特異な教育を受けた幼少期までさかのぼっていた。
農民として田畑を耕し、鍛冶職人として鎚を振るった日々。その最後はどれも、同年代の子供たちとの遊びで締めくくられていた。
屈託なく、日が暮れても遊び続けた自分たちを心配しつつも優しい目で見守ってくれた親。
それはまさに、平和なひととき。幸せの象徴とでも言うべき光景だった。
――追想を終え、静かに瞼を開いたジャックは、今胸の内に渦巻いている想いを余すところなく言葉に乗せた。
「戦争が終わっても、今の帝国では民が本当の幸せを享受する事はできません。その歪んでしまっだ構造を俺は変えたい。その為にまず、目の前で犠牲になってしまった少女を救ってみせます。戦争の道具となってしまった彼女を救う事が、戦争に支配されたこの国のゆがみを正す道だと思うからです」
「国を変える、か……ほんと、変わったなぁ、ジャック」
ジャックのふるう熱弁を、ボークは感慨深く聞いていた。
「戦争でゆがんだ……国を、変える……」
教え子の言葉を反芻するボークの心の中には、一人の青年の姿が浮かび上がっていた。
* * *
――教官!自分は必ず、共和国軍を殲滅してみせます!
卒業の日、立派な敬礼と共に覇気にあふれた声を張り上げた彼――ヴァルクを、ボークは悲しい気持ちで見送ったのだ。
ヴァルクとは、以前に住んでいた家が近所で、子供の頃からよく面倒を見ていた。昔は天真爛漫そのものといった無邪気な振る舞いで何度も困らされていたものだった。
しかし、士官学校で再会した時、彼は見たこともないような陰鬱な表情をしていた。
聞けば、戦火に巻き込まれて家族を亡くしたのだという。
「おれは、戦います。家族の仇を討つまでは死ねません」
憎しみを滲み出させて語る横顔には、もはやかつての少年の面影は微塵もなかった。
そんな彼へ、ボークは心の中で何度も詫びた。
(すまねえ、オレ達が不甲斐ないばっかりに、おめえの家族を奪っちまった……それどころか、夢も将来も歪めちまった)
将来は、行商人になる――幼い頃にそう豪語していた彼は、復讐心を糧にめきめきと戦闘技術を向上させていった。
そして、彼の卒業から数ヶ月後、ボークの元へ一通の手紙が届けられた。
「珍しいな……」
家族もすでになく、独り身の彼には、差出人に心あたりがなかった。
不思議そうに細められていた目は、裏側に書かれた差出人を見て一気に跳ね上がった。
差出人の名称は、帝国軍人事担当。これだけであれば、驚く事は特になかった。しかし、その文字は、赤い色で書かれていたのだ。
「死亡通知か……」
通常、親族に宛てて出されるものではあるが、希望があれば他の親しい人間に届けられる事もある――規則だけは知っていたが、こうして直接目の前にあると、紙とは思えないくらいに重く感じてしまう。
深呼吸をして、封を開く。
そこには――
「死亡通知書
帝国軍兵士、ヴァルク・アーライト少尉は9月21日、ズォークラ平原において、名誉の戦死を遂げられた」
たった2行だけの文章に、ボークの心は大きく揺さぶられた。
思わず腕から力が抜け、上体が机に崩れる。
「く……っそぉぉぉぉぉぉぉおお!」
悔しかった。
自分たちが力及ばず、ヴァルクの家族を戦火に巻き込んでしまった事。そのためにヴァルクの夢をねじまげてしまった事。
そして、あんなにやさしく素朴だった少年を復讐鬼へと変え、戦場へと送り出す手助けしかしてやれなかった事。
「…………」
手紙を握り締め、あふれ出た涙をぬぐうと、ボークは机に置いておいた書類に手を伸ばす。
「ヴァルク、すまん。もう、おれにはこれしか出来る事は無い。これ以外の道は捨ててきた」
新しく担当する士官学校上がりのヒヨッ子たちのリストを見ながら、鬼教官の顔に戻っていくボークの顔に、もう涙は無かった。
* * *
「おれには選べなかった道を、おまえは選ぶか……」
記憶から現実へと意識を戻したボークは、まぶしそうに迫る漆黒の騎体を見つめる。
そして、表情をきりりと引き締めると、最後の会話になることを確信しながら口を開いた。
「ジャック。では、その覚悟の程を見せてくれ」
『……はい。教官、今まで、ありがとうございました』
両手で握りなおした剣が振るわれる。
己の体が両断される瞬間、ボークの顔に浮かんでいたのは、確かな笑みであった。
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