第6話 パンドラ(3)


 ――それから数日が経った、ある日の夜。

「はっ、はっ、はっ、はっ――」

 日課となっている騎士甲冑を纏っての走り込みを終えて、隊舎へ戻ろうとする途中、ジャックは整備場から光が漏れているのを見つけた。

(ああ、そういえば今日はパンドラの大規模メンテナンスだったな)

 夜遅くまで騎体の為にがんばってくれている整備兵たちに何かおごろうかと、途中で水分補給の為に買っていた飲み物を片手に、整備場へと近づく。

「きゃあああああッ!!」

「!!」

 突然の悲鳴に、急いで駆け出すジャック。

 騎士として鍛え上げられた肉体は50メルトルの距離を刹那の間に走り抜ける。

「大丈夫か!?」

 眩しいくらいの照明に思わず目を細めつつ、ありったけの声で叫ぶ。

「何があった!?怪我はないか!?」

 目が慣れてくると、整備師たちがこちらを呆然と見つめているのがわかった。皆一様にひきつった表情を浮かべている。

 その様子に、何かきな臭い物を感じたジャックは、早足で人だかりができているところへと歩いていく。

 と、あわてた様子の整備師2人が、行く手をふさぐように近づいてきた。

「こ、これはジャック少尉。こんな遅くになどうされました?」

「悲鳴が聞こえたんだ。何があったんだ?」

「そ、そうですか?気のせいとかでは?」

 どこかそわそわした態度と、どもった口調。何か隠し事をしているのは明らかだった。

 自然と、言葉に険しさが混じる。

「とぼけるな。なにを隠している?」

「隠すなんてそんな……」

「埒が明かない。どいてくれ」

 説得に集まってきた整備兵たちを力ずくで掻き分けて、横たえられた《パンドラ》の頭へと近づく。

 軍服の上から白い衣服をまとった、普段見慣れない兵士たちをどかした先に見えたものは――

 

 パンドラの巨大な頭部と、そこから伸びるいくつものケーブル。

 そして、ケーブルが接続されたヘルメットをかぶせられた少女の姿だった。


「なんだ……これは」

 かすかに痙攣する少女を、ただ呆然と見つめる。いったい何が行われているのか、想像もつかない。

「……この少女は……ッ!」

 苦しそうにしている少女は、間違いなく数日前に護衛されていた少女だ。

 静まり返った周囲を見回すと、護衛を担当していた兵士たちの姿があった。

 「……う……ううっ……」

 かすかに開いた口からうめき声をもらす少女の姿に、ジャックはなぜか既視感を覚えていた。

「……そうか」

 瞼を閉じたまま、眉を八の字にゆがめる姿が、数年前の苦々しい記憶を呼び覚ます。

「ジャルバムで助けた娘……だったのか……」

 しかし、それはにわかには信じがたい事だった。

 美しかった金色の髪は銀色に薄い青を混ぜたような奇妙な色味に変わり、ふっくらと張りのあった紅色の頬は色素が抜け落ちたように真っ白になって、やせこけてしまっている。

 あれから、4年の時が経ったとはいえ、この奇異な変化はどうしたのだろうか。

「クワッハッハッハ!」

 まるで人の物とは思えぬ笑い声に、疑問を一旦脇において視線をあげると、少女の座る椅子に寄りかかる白衣姿の小柄な老人が目にはいった。

 その瞬間、ジャックは思わず老人に敬礼をしていた。

「帝国医術師の権威、ドクトル・シュタイン」

 ほほ、と顎をつまみながら笑うその老人こそ、管制心理の開発者であり、帝国における医療技術発展の立役者である。その偉業は、つきまとう黒い噂をも霞ませるほどだ。

「たしか……ジャックとかいったか。ヌシのような若造に知られているとは、ずいぶんとワシの名前も広まったのう」

「いったい、これは何をされているんですか?」

 丁寧な口調にも、刺々しさが混じる。それは、目の前で行われている行為が、人の道にあってはならぬ物だと無意識の中で薄々感づいているからだろうか。

 そんなジャックの態度に気分を害する様子もなく、まるで食事のメニューを答えるような気軽さでシュタインは答えた。

「これこそ、管制心理の正体じゃよ。この娘から記憶や思考をリッターに移しているのじゃ。やはり、人間でなくてはこうはいかぬな。クワッハッハッハ」

 老人の言葉に、最悪な想像が思い浮かび、ジャックは思わず頭をふる。

 そして、恐るおそる目の前の創造者に問いかける。

「記憶や思考を……移す?では、これを続けていたら、少女はどうなってしまうのですか?」

 こんな推測、杞憂であって欲しい――そんなジャックの想いにシュタインは鼻を鳴らして答えた。

「ただの廃人じゃな。いや、肉体すらボロ布以下じゃろうから、何にも使えないただの荷物かのう」

 まるで路傍の石ころへ向けるものと同じ視線を少女に送る老医師。

 周囲の整備兵たちも、バツが悪そうにそれぞれ明後日の方向へ視線をさまよわせる。

「――ッ!!」

 とっさに振り上げそうになった拳を、どこへ向ける事もできずに仕方なく身体の脇で抑える。

 知らぬところで非道な行為が行われているどころか、その成果に甘んじて今まで身を任せていた自分自身に一番腹がたった。

「――この事、皇帝陛下は……」

「むろん知っておるとも。そもそも、この計画自体が陛下の御指示の下にある。『どのような方法を用いてでも、最強の鋼鉄の巨人を創造せよ』とおっしゃっておられた」

「だからといって……」

「小僧、貴様ももう大人であろう?この戦時下、どれを優先するかなどわかりきった話ではないか。この小娘を使えば、その他の大勢が助かるのじゃぞ?それが、結局は民を救う結果につながるのじゃ」

 そう言って、満足そうに笑う博士。

「うっ……ううっ……」

 少女は苦しそうに表情をゆがめ、その口からは再び辛そうなうめき声がもれる。

 民を救う――それこそ、ジャックの行動原理であり、何にも勝る真理。

 これが重大な軍事機密である事は明白だ。となれば、目をつむり口をつぐんでしまえば、監視はつくにしても今までと同じ日々に戻れる。それどころか、口外しようものなら、すぐさま軍法会議にかけられるだろう。

 このまま、何も見なかった事にする方が利口なのだ。と、憤慨する心を帝国軍人のジャック少尉がなだめる。

 それでも、目の前の幼い命を見殺しにはできない。と、私人のジャック・L・マーズが脳内で熱弁をふるう。

 すっかり思考の中へ沈んだジャックをよそに、整備師がシュタイン博士へと詰め寄る。

「ド、ドクトル!なぜあんな容易くに話してしまわれたのですか!?」

「装備の原理を知らねば、うまく扱うことはできぬだろう?当然の義務じゃよ」

「しかし、重大な規定違反です」

「規定なんぞにしばられていては戦争には勝てんよ」

 まるで話しがかみ合わないシュタインに、さらに感情を高ぶらせていく整備兵たち。


 ――かすかに金属のこすれる、厳かにも聞こえる音が整備場に響いた。

 争っていた整備兵たちと博士にはその音が鶴の一声となったらしく、ぴたりと口を閉じて、音の出所へと注視する。

 そして、全員の目が大きく見開かれる。

 そこには、腰の鞘から剣を抜き放ったジャックの姿があった。

「小僧、な、なにをするんじゃ……?」

「しょ、少尉殿……?」

 固唾を飲んで見つめる皆の前で、ジャックは頭上に高々と剣をふりあげ――、

「セイッ!!」

 気合いとともに脇にある装置へと思い切り剣を振りおろした。

 刃の研がれた剣はその落下速度も合わさって、金属の塊である制御装置に深々とめり込んだ。

「な、なにをする!小僧!!」

 火花をあげる装置に、先ほどまでの飄々とした態度から一変し、顔を真っ赤にしたシュタイン博士が怒声を張り上げた。

「これを作るのに、いったいどれくらいの金と労力が払われたと――」

「それもすべて、戦時下の苦しい民から奪ったものだろう!」

 ブン、と引き抜いた剣を老人に向けて、怒りに満ちた大声をあげるジャック。

「戦火で追われた民を再び戦争の犠牲にするなど、間違っている!」

「なにを言い出すかと思えば、民のため、民のため……貴族の、いや、没落したのだったな。元貴族の貴様がその下々の民を語るか」

「ノブレス・オブリージュ。これが我が家の家訓だ。俺は民を思い、民の声を背負う。今まで会ってきた人たちは、決してこんなことは望んでいない!」

「傲慢にすぎるな。して、だとしたらどうするのかね?帝国軍すべてを敵に――」

「無論、こうする」

 博士の言葉をさえぎって言うや否や、ジャックはぐったりとした少女を抱きかかえて《パンドラ》のコクピットへ飛び込んだ。

「全ハッチ、クローズ!」

 ジャックの叫びに応え、つながれたケーブルを強制分離させながら、整備のために展開されていた装甲が閉じていく。

 先ほどからみて一回り小さくなった騎影は、仰向けの状態から立ち上がると、驚きで身動きの取れない博士や整備師たちを一瞥し、ドックの扉へとむかう。

「――だ、脱走……だ」

 だれかのかすれる声が合図になった。

 すぐさまけたたましい警報が鳴り響き、その音にはじかれたように動き出す緑のツナギ姿の男たち。

「今から扉を破壊する!怪我をしたくなければさがれ!!」

 外部スピーカーへつながるマイクへ叫ぶと、ジャックはパンドラに握らせた剣を鋭く一閃する。

 直後、分厚い鋼鉄が、まるでバターにナイフを通すような滑らかさでもって十字に切り裂かれた。

 星や月の光を遮り、今にも降り出しそうな雨雲の中、整備場から漏れでるスポットライトのような明かりを背中に受けて立つ闇色の騎体。

「……いくぞ!」

 決意の声とともに、パンドラは突然降り始めた激しい雨と、ぽつりぽつりとつき始めた明かりの中へと踊らせる。


 鋼の巨人の中で、一人の少女が目を覚ました。

『――……』

 首を周囲にめぐらせて、周囲を確認しはじめる。

「気がついたか?」

 操縦幹を握る腕の中で、小さな体をよじって状況を把握しようとする少女に、ジャックは声をかける。

「君の惨状が見ていられず、脱走してきた。急にこんなことに巻き込んでしまって、本当にすまない」

 頭を垂れるジャックへの返答は、意外なところからあった。

『いいえ。むしろ感謝しています。きっとあのままだったら、私の魂もただの情報になっていたでしょうから』

 コクピット全体に響く、感情の排された声。それは、昨日まで交わされていた管制心理との会話そのものだった。

「え?」

 驚いて開いたままの瞳を、少女に向ける。

 少女はすこし驚きの表情を見せたが、すぐに得心がいったようで、表情を静かなものへともどした。

 原因を察したジャックの表情が、後悔にゆがむ。

「――そうか、俺がさっき接続されたままの装置を無理矢理破壊したから、騎体と不完全に繋がったままになってしまったのか……重ね重ね、本当にすまない事をした」

 少女は、ふるふると首を振ってジャックの言葉を否定する。

『謝らないでください。むしろ、お礼を言いたいくらいなんです』

「お礼?」

『はい。あそこから連れ出してくれたお礼です』

 そして、少女は視線を遠くに飛ばしながら語りはじめた。

『家族を失った私は国の保護施設に入りました。「子供だけの家」という施設を、知っていますか?』

「知っている。領地を失うまではかなり多くの金を出資していた」

『そうだったんですか……あそこは、慈善事業の名を隠れ蓑にして、この巨人のパーツを作るために設立されたものだったんです』

「なんだって!?」

 自分たちの戦闘で傷つけてしまった民へ、少しでも償いを――その想いすら利用されていた事への衝撃と、それに続いて沸き上がってきた怒りを抑え、ジャックは少女の言葉に耳を傾ける。

『保護の名目で集められた子供たちは、昼夜を問わず、戦術などの座学と武器の扱い方の訓練に明け暮れる日々を送っていました。最初は「いずれ軍隊に行ってもらうため」という漠然とした理由だけしか知らされていなかったんです。でもそれからしばらくして、周りの子供たちが少しずつ減っていったんです。大人に聞いても『訓練中の事故』の一点張りでした。そしてとうとう、その訓練が私にも回ってきました――』

 気づけば、騎体はとっくに基地施設を抜けていた。

 雨は今や嵐となり、騎体の装甲を容赦なくたたき続けている。

(この様子では、追撃隊を出撃させてもそう簡単にこちらを見つける事はできないはずだ。大粒の雨はただでさえ視認しづらい騎体を隠し、吹きすさぶ風は抑えられた駆動音をかき消してくれる)

 そんな冷静な判断を頭の片隅でしながら、少女の話に意識を向ける。

『通されたのは、小さな部屋でした。そこで両手足を拘束された私は、ある薬品を注入されたんです』

「薬品?」

『はい。少尉は、マイクローゼをご存じですか?』

「まあ、多少は」

 マイクローゼ――特殊な調整をされた液体を接種する事で、免疫強化や思考の共有など様々な恩恵を受けるという最先端技術である。

 しかし、その副作用は個人によって大きくばらつきがあり、最悪の場合死に至る。その見過ごせない危険性から、公式には研究段階とされているが、裏では違法研究が跡を絶たないと言われている。事実、帝国軍の一部ではマイクローゼを使った部隊運用も行われていると聞く。

『私は、記憶蓄積型のマイクローゼを注入されたのです。私の体内を巡るマイクローゼは私の体組織や脳などを接種して記憶や思考パターンなどを蓄積します』

 少女の説明を理解したジャックの背筋を、冷たいものが流れ落ちる。

「まさか――」

 呆然となったジャックに、少女はしっかりと頷いた。

『私の中のマイクローゼをこの騎体に移す事によって、私がこれまで学習してきた戦術や戦略、さらには感情などをリッターに覚えさせ、擬似的な人格を創造する。それが、シュタイン博士たちが行っていた研究なのです。今は私と直接繋がっているので、騎体の声がそのまま私の声になっていますが、この騎体の管制心理も呼び出すことができるでしょう』

 無感情の音声が、殊更にジャックの胸へ現実を深く突き刺す。

「――なにが、帝国民の安全を守るための戦争だ。結局は技術を試す場所が欲しかっただけじゃないか」

 思わず口からでた言葉を、憎しみと共に吐き捨てる。

『それで、少尉はこれからどうするのですか?』

「君を元に戻す方法を探す。マイクローゼの排出方法が確立されれば、他に適合する人間がでてきても大丈夫だろう」

『それから?』

「それから……どうするかな。貴族の家はずいぶん前に没落してしまったし、これといって頼れる人間もいない」

 どことなく寂しげな瞳のまま、ひたすらに巨人は荒野を駆ける。

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