第5話 パンドラ(2)


 翌日から開始されたテストは、ジャックにとってこれまでを振り返る機会となった。

 立ち上がる、物を掴むなどの基礎的な動きから、武器の扱いにいたるまでのすべてを、パンドラの管制心理に教え、覚えこませていく――それは、初めて《ブレイド》に乗った時の自分を見ているようだった。

 今日も演習場で、剣を振るう。

「――これが、剣の基本的な扱い方だ」

『了解。各部動作、記憶しました』

 コクピットに響く音声を聞きながら、脇に下げていた水筒を口に運ぶ。

『お疲れですか、ジャック?』

「いや、教え子が優秀だから疲れはしないな」

『ありがとうございます』

 無機質な少女の声色の合成音声。ジャックにはその中に、かすかに喜びの感情があるように感じられた。

『しかし、もう6時間近くコクピットの中にいます。いったん外の空気を吸ってきてはどうですか?』

「そうだな……」

 管制心理の気遣いに応じると、ハッチが自動で開く。管制心理搭載騎ならではの機能だ。

 コクピット内に籠もった熱を外から吹き込む涼風がさらい、代わりに心地よい新鮮な空気を運び入れる。

「シャック少尉~」

 足下からの呼び声に、コクピットから下を見ると、数週間前、初めてパンドラを前にした時に熱弁をふるっていたあの青年整備師が馬に騎乗したまま、こちらに大声を張り上げていた。

「そろそろ蓄積されたデータを解析したいので、整備場に戻っていただけますか~」

「了解した。ところで、どうして君が演習場に来ているんだ?」

「もちろん、動くパンドラを直接この目で見るためですよ!」

 整備師のつとめです、と誇らしげに胸をはる整備師は、手綱を操って馬をターンさせると、先導するように整備場への道を走り始める。

『ジャック、彼を追いかけますか?』

「ああ。整備場に戻ったらお互い休憩だな」

『はい。リフレッシュしてこの後の訓練に備えておきます』

 巨人の軽口に笑みを浮かべつつ、ジャックはパンドラとともに演習場から引き上げていった。


 太陽の熱を風が程良く散らす午後、ジャックは売店へ向かって歩いていた。

「パンドラからのデータ収集は極秘である」という一言のもと、騎体から降りるなり整備場から追い出されてしまったのだ。

 普通のテストパイロットといえば、搭乗時の様々な事項を委細漏らさず書類に纏めて上に提出するものだが、その義務もジャックには課されていなかった。

「どうも、普通とは違うようだな……どういうことだ?」

 騎体のコクピットまで知り尽くしている自分に対してすら秘密というのは引っかかったが、機密と言われればそれ以上切り込む訳にもいかず、ジャックは与えられた休憩時間を、少し釈然としない気分で過ごしていた。

「いかんいかん、些事に気をとられていてはテストにも支障をきたす」

 頭を振って雑念を追い出すと、いつの間にか止まっていた脚を再び動かし、売店への道を急ぐ。

「……うん?」

 と、前から妙な一行が歩いてくるのが見えた。

 白く長い裾の衣装で統一された4人の兵士が、菱形の隊列を維持したまま歩いてくるのだ。

 各々が手に長い槍を握り、油断なく周囲を警戒している。

(警護か?それにしても厳重だな)

 ジャックの記憶には、要人がこの基地を視察に訪れる予定はなかった。そもそも、ここまで厳しい護衛をするのであれば、わざわざ外を歩かせずに、馬で駆け抜けるなり他の道を使えばよいだろうに。

 と、一陣の風が吹き抜け、兵士の間から空色の髪が一瞬だけ毛先をのぞかせた。

(長髪……それにあの位置ということは、身長は子供程度か)

 何とはなしに、護衛されている人物を推測する。

 基地関係者の子供かなにかだろう――そんな風に考えて一団の横を通り過ぎようとしたジャックは、兵士たちの奥から自分を見つめる視線があるのに気がついた。

 凝視してくる視線の元をたどると、兵士によって囲まれた人一人分がいるのがやっとの狭い空間の中、小さい少女の姿があった。

 白に限りなく薄い青を混ぜたような空色の髪の奥、精気を失ったような瞳が呆然とこちらを見つめていたのだ。

「……」

「……」

 視線が絡み合う時間は、刹那の間とも永遠とも思える不思議な感覚だった。

「そこ!何を見ている!」

 怒声に意識が現実へと引き戻されると、目の前に鋭い槍の先がつきつけられていた。

 警護をしている兵士たちが一様に向けてくる剣呑な視線に、ジャックの背筋を冷たい汗が滑り落ちる。

「ああ、いや、なんでもない」

「我々は輸送任務中である。妨害するのであれば容赦せんぞ」

「ぼ、妨害……?そんな事は……」

 突然の言いがかりにどう説明しようか口ごもったジャックに向けてさらに釘を刺すように鋭い視線を向けると、兵士たち一行はそのまま歩き去った。

「あの娘……どこかで……」

 売店に入ったジャックは、買い物もそこそこに警護対象となっていた少女の事を考えていた。

「どこかで見たような……」

 記憶のどこかに引っかかる少女の正体を探しながら、ジャックはテスト再開の為に整備場へと戻っていった。  

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