第2話 かつて、学び舎にて
――ジャック・L・マーズが生まれたのは、帝国の辺境に領地をもつ貴族の家だった。
しかし、彼に施された教育は、ほかの貴族へ行われるそれとはずいぶんと違うものだった。
豊かな者は、それを支える者たちがいる事を忘れてはならない――現在の堕落しきった貴族社会では噴飯ものなこの考えを、マーズ家では愚直に守り、代々の当主へ伝え続けていたのだ。
ジャックも、幼い頃より父から「ノブレス・オブリージュ(高い地位を持つものは、庶民の規範とならなければならない)」の精神をたたき込まれた。
庶民の生活を身をもって知るべく様々な職人の家に弟子入りをしていたため、ひがな一日炉の前で鉄槌を振るい続けたり、夕暮れまで鍬で畑を耕し続ける事もめずらしくなかった。
特異な教育や本人の気質もあってか、青年となった頃にはすっかり当主の風格と若々しい柔軟な思考を併せ持った美丈夫となっていた。
このまま領主として成長していけば、民からは名君と讃えられるだろうと、家や領民たちの誰もが噂をし、ジャック自身はその評判におごる事なくひたすらに精進をつづけていた。
しかし、その順風満帆な生活は、突然の開戦によって打ち砕かれてしまう。
開戦直後に皇帝自らが発布した「国家総動員法」によって、それまで戦争や他国との関係などとは無縁だった庶民にすら戦時下という厳しい日常が陰を落としていった。
一方、その庶民たちから税を集める貴族たちにはさらに厳しい扱いが待っていた。
貴族徴兵制度――貴族次期当主は帝国所定の士官学校に入学しなければならないという法令が発せられたのだ。
これによって、否応なく各地より集められた貴族の次期当主たちは、軍隊という過酷な環境にたたき込まれていく。
しかし、貴族たちも黙って家の担い手を差し出したわけではなかった。
通常、貴族の領地と権利を継ぐのは長男と決められている。そのため、生まれた時間が少しでも違う双子の兄弟ですら、後の生涯は明暗がくっきりと分かれていく。
兄は父親より領地の全てを譲り受け、庶民の苦労など全く知らない怠惰な貴族の暮らしを送る。また、女児が生まれれば例外なく政略結婚の道具として扱われる。
一方弟は、よくて病弱な兄の保険として扱われるか幼い頃に職人の家に奉公に出され、悪ければ財産を狙われる可能性を憂慮した親族によって居城の地下で監禁同然の生活を強いられる事になる。
出生児の生存率が悪いという事もかさなり、次男や三男、あるいは長女などの「貴族としての権利を持たない貴族」は、かなりの数にふくれあがっていた。
そんな貴族たちの前にふってわいたのが「貴族徴兵制度」だった。
少ない金で、扱いにくい立場の人間を遠いところに追いやれる――増えた子供の扱いに悩む貴族たちは一斉にこの法案に飛びついた。つまり、任務に従事できない(させたくない)長兄に代わって、次男や三男などを「長男代理」として士官学校に入学させたのだ。
一方、領地から追放に近い形で士官学校に入学させられる青年たちにとっても、この話は悪い事ばかりではなかった。
どこからか流れ始めた噂話が、彼らの意欲を刺激していたのだ。
「この戦争に勝利すれば、占領した敵地を領地として分配する」
ただでさえ先の明るくない未来が待っている彼らにとって、士官なって戦地に赴く事はいつしか唯一の希望となっていった。
送り出す側と送られる側の利害が一致した結果、各地に建てられた士官学校には続々と「貴族になれない者たち」が入学していた。
そんな中、ジャックは数少ない「次期当主」として学校の門を叩いたのだった。
士官学校での教育は、一兵士としての所作や貴族生活によって身についていた習慣の矯正に始まり、剣での模擬戦や馬術の競い合い、地図や地形の見方、古代から連綿と磨かれてきた戦術など、様々な分野が網羅されていた。
実際に病弱な兄に代わって貴族としての教育を施された者もいたためか、生徒――士官候補生たちは与えられる課題を次々とこなし、着実に一人前の指揮官への道を上っていく。
しかし、新しい環境も時間がたてば日常の一部に変わる。慣れない生活習慣も、身体に身についてしまえば辛さもさほどのものではなくなる。
つまるところ、士官学校に入って1年が過ぎ、生徒たちの中にも段々と余裕が生まれてきたのだった。
「なぁ、次、あの講師だぜ?」
「アイツの話長ぇんだよな~」
「あ~、さっさと戦場出てぇ」
まだ学生という身分故か、それとも実戦を肌で感じた事のない未熟さ故か、多少甘えが残るぼやきをこぼす同輩たち。
そんな彼らの横を無言ですり抜け、ジャックは鞄一杯の書物と共に次の講義室へと早足で向かっていく。
「民の暮らしを知って、民の心を知らねばならぬ」という父親の教えから、居城においても他の貴族たちと比べるとかなり質素な暮らしをしてきた彼にとっては、ほかの士官候補生たちが感じている苦痛など全く辛いなどと思わなかった。
(すべては帝国に暮らすすべての民のために――)
堅い信念を胸に進むジャックは、まじめな性格もあって、いつの間にかクラスからも浮いた存在となっていた。
しかし、どんな所にも変わり者はいるものだ。
「や~、ジャック。相変わらずマジメだな~」
ジャックが気の抜けた呼びかけに振り返ると、へらっとした覇気のない表情の青年がこちらに早足で歩いてくるのが見えた。
思わず、ため息が口から漏れる。
「また寝癖が残っているぞ。エルト」
「にらむなよぉ」
ジャックの厳しい声にもだらけた態度を崩さない彼こそ、ジャックのルームメイトにしてクラス一の落ちこぼれ、エルト・A・オーヴィラルである。
「君は筆頭貴族の次期当主だろう。もうすこし真剣に講義を受けたらどうだ?今教わっている事の一つひとつが自分の命を守ることにつながるんだぞ?」
「大丈夫だよー。ボク、外だとがんばれるからー」
「まったく……だからといって座学をおろそかにして良いわけではないだろう」
馬耳東風な様子のエルトへの忠告を諦め、ジャックは再び早足で廊下を進みだす。
(なんだかんだと、コイツとの付き合いも2年目か)
入学当時は大変でしかなかったエルトの面倒を見ることに、いまやすっかり慣れてしまった。今日も朝に弱い彼を起こしてやる所から始まり、座学が苦手な彼の為にノートを見せたり、いろいろな物を貸したり、教室移動の際に眠りこけたままの彼を起こしたりしている。
最初の頃はルームメイトだから仕方ないと思っていたが、最近では日常の一部となっているので特に気にもとめなくなった。それどころか、勉強に疲れた時の一種の清涼剤のように感じている。
「まってよジャック~」
生真面目なジャックと、親鳥について行く雛のように彼の背中を追いかけるエルトという構図は、この学校の名物のようなものになっていた。
(座学の態度や成績は最低ラインなのに、どうして退学にならないのだろうか……?)
失礼ながらそんな事を考えていたジャックは、午後の野外実習になったときにその理由を身を持って教えられる事になった。
その日の野外実習は、攻撃側と防衛側に分かれての集団戦だった。勝利条件は、攻撃側は丘の上に立てられた旗を奪う事。そして丘の上に陣取る防御側は攻撃側から旗を守りきる事。
「はじめ!」
10分の作戦相談時間の後、槍や剣など、それぞれ得意な武器を手にして丘の頂上まで疾走する攻撃側。訓練の為に当然刃はつぶしてあるが、当たり所が悪ければ怪我では済まない。
「うおおおおおっ!」
ジャックはその先頭で、仲間を鼓舞するべく叫び声をあげながら走っていた。
そんな彼らに、防衛側は丘の上から容赦なく攻撃を開始する。
鏃の無い矢や威力を抑えた魔法が次々と攻撃側の生徒たちを直撃し、戦線離脱を余儀なくしていく。
間断無く襲ってくる矢を手持ちの楯で払いつつ、ジャックは再び声を張り上げる。
「くっ……怯むな!」
(まだ、まだ足りない……)
ジャックたち攻撃側は、一つの作戦を立てていた。
部隊を二つに分け、平地から丘を目指す大部隊と、自分たちの両側面から丘の向こうにかけて広がる茂みの中を移動して、防御側の背後を突く少人数の別部隊を編成したのだ。
例え人数の差に気づかれたとしても、防衛の為に相手も周囲の警戒を強めなければならず、大部隊への攻撃は多少弱まるだろう――そう考えた上での陽動作戦だった。
「……どうしたんだ?」
しかし、いつまで相手の攻撃に耐えても、奥の茂みから本命の隠密部隊が出てこない。
攻撃がもっとも激しくなる時という奇襲のタイミングを完全に逸してしまっている別動隊の動きに、ジャックは焦りを覚えた。
そして、脳裏を最悪の予測がよぎる。
(まさか……)
「ジャックー」
今行われている戦闘にまったく不釣り合いな気の抜けた声が、丘の上から聞こえてきた。
「エルト、君は敵側だろう。軽々しく話しかけるな!……それで、何だ」
「探しているのは、この人たちー?おーい」
丘の上の陣地にひょっこりと姿をさらしたエルトは、まるでとってきた獲物を見せびらかすような様子で、陣地の奥に向けて手招きをする。
ややあって、両手を頭の上で交差させたまま姿を現したのは、ジャックたちが待ち望んでいた別動隊のメンバーだった。
その表情には、作戦が失敗した悔しさよりも驚きの色が強かった。
「くそっ!」
「悪ぃ、ジャック……」
「まさか、エルトに負けるなんて思ってなかったぜ」
「すまねぇ」
「えへへー」
捕らえた4人の言葉に、エルトはまるで子供のように歯を見せて笑った。
「これで実習は終わりだよね?」
「あ、ああ……」
あっけにとられたままのジャックたち攻撃側を後目に、エルトは鼻歌交じりで丘を降りてくる。すでに防御側の攻撃も止み、全員が予想外の活躍を見せたエルトを見つめている。
「じゃ、帰ろう?教官、防衛作戦しゅーりょー。任務かんりょーしました」
「あ……ああ、わかった。せいれーつ!!」
こうして、ジャックはルームメイトの隠れていた一面をしっかりと味わったのだった。
それからしばらくした、冬のある日、深夜の自主鍛錬をすませ、寮へ続く雪道を急ぐジャックの耳に、ごそごそとなにやら怪しげな物音が届いた。
(何だ……?)
普段なら気に止めないのだが、その物音は頭上から聞こえてきたのだ。
「上……?」
見上げると、空に浮かぶ月と星、そして視界の半分ほどを覆う木の枝が見えた。
「何かいるのか?」
詳細を確かめようと目を細めたジャックの視界は、突然降ってきた影によって埋まった。
「うわっ!」
何事かと顔に手をやると、柔らかい感触があった。
「キャン!」
「きゃん……?」
温もりを感じる両手を動かして顔に張り付いていたものをはがす。
「これは……サンレットキャット!」
両手の間で暴れるそれを見たジャックは、思わず驚きの声をもらした。
サンレットキャットは猫の一種で、名前の通り真っ赤な体毛と、成体の時に吐く炎が特徴である。生息数がとてもすくない希少種であったため、記憶の片隅に残っていたのだ。
「お~。さすがジャックだね」
聞きなれた声に顔を向けると、するすると幹から降りてきたエルトと目があった。
「どうしたんだ?」
「いや~、窓開けて外見てたら、ちらっと木の葉の影に赤い影を見つけてさ。どうやら降りられなさそうだったから助けようと思って登ったんだよ。でも、ぜんぜんこっちに来てくれなくて困ってたんだ。さすがジャックだね。動物も懐くんだね?」
「え?」
エルトの感心した声に視線を動かすと、腕の中におさまった子猫は、安心したように眠りに落ちていた。
「やれやれ……どうしたものかな」
「このまま外に放り出すのもかわいそうだし、今晩だけボクたちの部屋に泊めてあげようよ」
「毎朝ある寮長のチェックはどうするつもりだ?」
「突然入り込んだって事にすれば大丈夫だよ。ほら、こんなに寒いんだし」
「それは君が自分の体を暖める努力を――」
と、そのとき、エルトの言葉を後押しするかのように寒風が吹いた。
「ふぇっくし!」
盛大なくしゃみをするジャック。耳元で聞こえた大音量に、サンレットキャットが一瞬だけ目を覚まし、すぐに再び眠りに落ちていった。
手を使えず、情けなく鼻をすするジャックをニヤニヤと見つめながら、エルトはだめ押しの言葉をかけた。
「マーズ家の次期当主ともあろう人が、希少動物を見捨てるなんて、しないよね?」
「……仕方ないな」
「よ~し。んじゃあ名前は――レットンだ」
「明日の朝までのつきあいなのに名前をつけるな。呼ぶ機会だってあるかわからないんだぞ?」
「えへへ~。レット~ン」
ジャックの言葉をさらっと無視して、エルトはその腕に抱えられたレットンの頭を優しく撫でる。
「まったく……」
ほほえましい光景に、思わずジャックの頬もゆるんでいた。
そして翌日、やってきた寮長が仰天したのは言うまでもない。大挙して部屋に押し寄せてきた野次馬の視線の中で、輸送用の檻にレットンを入れる時にエルトが浮かべていた寂しそうな顔は、強烈にジャックの中に刻まれた。
* * *
「フッ……」
小雨の中でストレッチを続けるジャックの口元に、自然と笑みが浮かぶ。
「懐かしい……もう、6年も前になるのか」
食堂で皆と一緒にとった食事も、教官のしごきに歯をくいしばって耐えた実習も、抜き打ちの早朝実習に慌てて跳ね起きた事も、今となっては笑い話だ。
「エルト……思えば、あいつのおかげで仲間たちとも話すようになっていったんだったか。レットン、どうしているんだろうな」
野外で見せた敏腕の狩人の如き冴えの反動か、校舎内でのエルトはたえず緩慢な動きだった。
さらにそのマイペースさもあって、クラスメートからは「お荷物」のレッテルを張られていた。
「どうせ、戦場は外だから、そのときはがんばるよー」
まるで改善する意欲を見せないエルトに、事あるごとにジャックは注意をしていた。ルームメイトという事もあって、早朝から深夜まで口やかましく小言を言っていたような気がする。
レットンとは、あの一夜以来会えていない。野生に返されて親と再会したと思いたいが、もし研究所の檻におしこめられているのなら、かわいそうだ。
「……」
夜風と共に雨雲が一瞬途切れた。
月光に静かに照らされる周囲の風景に、ジャックは顔をあげる。
眼前には、一体の巨人が鎮座していた。
周囲の木々に埋もれるように片足をついて座る巨体は、寒々しい月の光すら吸い取る漆黒と紫に彩られている。
「まさか、送り込まれた戦場でこんなのが戦っているなんて、知る由もなかった……」
微動だにしない巨人を見上げながら、ジャックはつぶやきを漏らす。
「鋼鉄の騎士……シュタールリッター……」
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