刹那の苦楽に身を焦がすことしか



「……おい」


「…………」


「……なあ」


「…………」


「……なにか言えよ、生臭坊主」


「…………」


「おい!」


「そ、その……すみません。私めが誤解してしまいまして……急に言われたものですから、てっきり、ヨシワラからの追っ手かなにかかと……」


 時に訪れる旅人に一晩の宿を与えるために用意されている、寺の隅の小さな宿坊のなかである。


 床は板ばりで、灯りはといえば壁に一台だけすえつけられている機械式蝋燭のみ。薄暗い部屋のなかで、錫杖をかかえたままむっつりと押し黙っている無明。それとは対照的に、申し訳なさそうに何度も腰をおっているのは、湯仁である。


「湯仁、お前は悪くねえよ。いきなり現れたやつに、隠していたことを言い当てられりゃびっくりするのも当然だ」


「申し訳ありません……」


「ましてや、表向き睡蓮寺は女人禁制とか言ってたくせに、逃げて来た女たちのことはしばらくかくまっていたんだろ? そりゃあ、ばれたら青くもなるぜ。だが……だからって、なんの事情も知らねえ野郎が、それだけで俺が悪いやつだと決めつけていきなり鉄の棒で頭をぶったたくってえのはいただけねえなあ」


 ドマイナーは、無明のほうをちらりちらりと見ながら当て付けがましく語る。


 無明は相変わらず無言である。


 ドマイナーが頭から額にかけてあてていたてぬぐいをおろし、打たれたあたりを手で触った。痛みはあるが、血はすでにとまっていた。


「……ったく、俺だからこれくらいですんだが、普通なら脳天カチ割られて死んでるぜ」


「貴様であるがゆえに、災いが起こる」


 黙っていた無明が、ぼそりと呟いた。


「貴様がそれほどに悪相でなければ、湯仁もそこまで驚くことはなかったであろう」


「問答無用でぶん殴った当人が、言うに事欠いて俺の顔が悪いからいけねえってか。そりゃあ俺は、誰もが振り返るほどの色男ってわけじゃねえが……」


「生まれついての造形の問題ではない。食らえども足らず、殺せども顧みず、己の欲望のままに生きるおぬしの深き業は、もはやぬぐいようもなく染みつき、隠しようもなくまとわりついて、全身からにじみ出しておる。それこそが、お主のまわりで次々に災いが起こる原因よ」


「あーだこーだと、つまりは俺が悪いって言いてえわけだろ? 上等だ。おもてへ出ろ」


 ドマイナーの挑発に、無明が無言のままひざを立てる。


「おやめください! ここはお寺です! そのようなことで騒ぎなど起こしては、雲海和尚がどれだけ悲しまれるか……」


 立ち上がろうとしていた無明が動きをとめ、逆再生のように、錫杖をかかえた結跏趺坐の姿勢に戻った。


「なんだよ、つまんねえな」


 ドマイナーもまた、浮かしかけていた腰をもとに戻した。湯仁は胸をなでおろす。そこでふと、ドマイナーが尋ねた。


「なあ、そういやさっきからお前らが言ってる〝雲海和尚〟って、誰だ?」


「――雲海和尚は、このあたり一帯では名を知らぬ者はない慈悲深く徳高きおかた……」


 無明はそこまで言って、忌々しげに吐き捨てる。


「おぬしのような魔縁のものには、その名を口にされることすら汚らわしい」


「ンだと?」


「あ、あの、雲海和尚は、そもそもこの秘寺を作られたおかたで……」


 またも険悪な空気になったドマイナーと無明との間に、湯仁が割って入る。


「逃げてきたヨシワラの女たちを受け入れるのを決めたのも、雲海和尚です。〝機械とはいえ心あるものが虐げられるのを見過ごすことはできない〟とおっしゃられまして……」


「……会えねえのか」


「え?」


「いやさっきからちょっと気になってたんだが……今の聞いて、ますます興味がわいた。いちいちいいこと言いやがる。直接話をしてみてえ」


「それは……その、難しいかと。雲海和尚は、即身仏そくしんぶつぎょうに入られておりまして……」


「なら、その〝行〟ってのが終わるのはいつだ? その頃に会いにくる」


「は? 終わる、と言いますと……」


「終わる時には、雲海和尚はもはやお話ができる状態ではない」


 なにか言いづらそうに語る湯仁の言葉を継いで、無明が言った。


「だったら、話ができるころに来る。いつだ?」


「即身仏の行を終えられてよりのち、雲海和尚は、その身を持って、仏の尊さを示される」


「? 意味がわからねえよ、だから……」


「あの……旅のかた……」


「ドマイナー、でいい」


「はい、ドマイナーどの。雲海和尚が入られている即身仏の行とは、すべての食を絶ち、欲を絶ち、生を絶ち、すなわちミイラとなりて、その身を仏として後世に投じるもの。雲海和尚が行に入られてよりすでに三月と十日……今では、日に数度、いまだ入滅せぬことを知らせる鈴の音こそが、雲海和尚からの教えに他なりませぬ」


「……つまり、その雲海和尚ってのはいま、時間をかけて断食自殺してる、って話か?」


「きさまの生きる世界の言葉で言うのならば、そうなるであろう。だが、雲海和尚の行われていることは、もっと尊く崇高な……」




「どこだ」




「え?」


 立ち上がったドマイナーの後を追うように、無明が立ち上がる。天井を打つような巨漢二人がたちあがったこの宿坊のなかは、まるで二匹の猛獣を相争わせるために用意した、小さな檻のようだった。


「無明、てめえも知ってんだろ。雲海和尚は今、どこにいる」


「和尚の居場所を聞いてどうするつもりだ」


「決まってんだろ。自殺なんてもんは、やめさせる」


「自殺ではない。〝行〟だ。雲海和尚は、衆生の安寧を願われて……」


「その違いが俺にはわからねえよ。どんな状況でもあきらめんな、って話をしているやつが、てめえの命だけはさっさと断つってどういうことだ。おかしいだろ」


「目先のことしか考えられぬおぬしには到底わからぬ境地であろうよ。人の身など、長く持ってもせいぜい百年。即身仏ともなれば、その寿命は千年万年も夢ではない。雲海和尚のご決意は、一命を投げうち遥か先々の衆生までも救わんとする崇高な……」


「なにが崇高だ。ひとの命は生まれて死んだら終わりだぜ。わざわざ終わりを早める意味がわからねえよ。とにかくだ、こんな近くで腹減らして死のうとしているやつをそのまま見過したってことになりゃあ、この先の寝覚めが悪くてしかたねえ」


「ならば、なんとする」


「止めさせてもらうぜ」


「己が小さな満足のため、和尚の尊き志を妨げるか。つくづく見下げ果てた男よ」


 無明が、錫杖を両手でかまえる。


「む、無明さま……争いごとは、御仏の意思に……」


悪鬼あっき折伏しゃくぶくもまた、御仏の意思。修羅の獣よ、ここは狭い。おもてへ出よ」


「望むところだ」


 小さな宿坊しゅくぼうである。障子襖を開けた向こうには本堂へとつながる細い廊下があり、廊下からはそのまま砂利の敷き詰められた外の庭へと降りられる。


 ドマイナーと無明とは、互いに部屋のすみとすみのふすまをあけ、廊下から直接砂利の上へおりた。


 洞窟のなかではあるが、周囲は広く、天井は高い。チリリーン、と、遠くで鈴の音が鳴り――それが戦いの合図だったかのように、まず仕掛けたのはドマイナーだった。


 砂利を蹴り、一直接に、まだ片足を廊下にかけたままの無明のほうへ走り寄る。その急襲を迎え撃つべく構える無明。その視界から、ドマイナーは突然姿を消した。


「!」


 気づいた無明がその視線を下方へ移した瞬間、小さく体を屈めたドマイナーが、振りかぶった拳を思い切り無明の腹に叩きつける。


 無明の巨体が宙に浮き、背後にあった柱に激突。柱はぐらぐらと揺れ、支えていた屋根が少し傾く。体勢を崩しながらも床板を蹴り、柱を挟んで反対側の砂利の上へと飛ぶ無明。錫杖を地に刺し、ドマイナーにむかってここへ飛び込んでこいとでもいうように、大きく両手を開き胸元をさらした。


「余裕のつもりか? なんにしたってガラ空きだぜ!」


 無明を追って地面を蹴ったドマイナーは空中で体を半回転させ、金属で補強してあるブーツのかかとで、無明の耳のあたりを蹴り飛ばした。無明の首が大きく横にはねる。回転の勢いやまぬドマイナーは、さらにとどめとばかり、もう片方の足の膝を無明の頬へとめりこませた。


 無明の膝が、ガクリと折れる。


「ちっ……!」


 が、直後に表情をゆがませたのはドマイナーのほうだった。


 無明の黒鉄の両腕がドマイナーの体を空中でとらえている。そのままその黒鉄の腕は、万力のごとくドマイナーの体を締め上げはじめた。


「この……」


 ドマイナーは、無明の頭やら体やらを力のかぎり蹴り殴ったが、力の入らないこの状況では、大した攻撃にはならない。


 いっぽう、ドマイナーを締めつける力はますます強くなる。黒鉄に締めつけられている腰のあたりが、パキ、メキ、といやな音を立てはじめ――ドマイナーの体は、通常ではありえないほどに、反り返った。


「このまま絞め殺してくれようぞ……!」


「この俺が……そんなに……簡単に……いくか、よ……」


 ドマイナーの手が、腰にさげている無双八相に伸びる。それに気づいた無明は、ドマイナーを締め上げる力をさらに倍増させる。


 ドマイナーの手が、無双八相のグリップにかかる。が、なにかをためらうように手をはなし――自分を締め上げる無明の両手の親指を掴んだ。


「む?!』


 ドマイナーが、掴んだ。無明の指をそれを反対側に捻り折る。無明が顔をしかめる。


 機械製である無明の両腕は、ダメージを受けてもそれが痛みに直結することはない。が、破損のあおりで電磁波が乱れ、回路の動きがにぶくなったのか、ドマイナーを締め上げる力がわずかに緩む。


 ドマイナーはその隙をついて膝を使い下から無明の顎を蹴り上げると、のけぞる無明から離れ、いったん距離をとった。


「……きさま」


「なんだよ」


「その腰の凶器、使うのをなぜためらった」


「こんなところで使ったら、周りにも被害が出るだろ」


 ドマイナーが、周囲を示すように軽く手を広げながら答える。


 睡蓮寺の本堂や僧坊宿坊が配置されている洞窟のなかは十分な広さ高さがあるが、無双八相の流れ弾が壁やら天井やらに着弾すれば、そこから崩れ落ちてこないとも限らなかった。


「千の都市を滅し万の民を殺した貴様が、いまさら周りの心配か」


「悪いか」


「道具ではなく己の手で殺さねば、気がすまぬのであろう」


「てめえがそう思いてえんなら、そう思っておけばいいだろうよ」


 ドマイナーは額から一筋流れ落ちてきた汗を指先でぬぐうと、無明を中心として、ゆっくり、ゆっくり、円を描くように歩きはじめた。


 無明もまた、ドマイナーの動きに合わせるように、ゆっくり、ゆっくり、体の向きを変える。


 変えながら、ねじまげられぶらりと垂れ下がった機械の親指を、元のところへぐりぐりとねじ込む。


「おい、それで治るのかよ」


「応急処置だ」


「雑だな」


「回路の修復は、貴様を折伏した後でゆっくりとやる。だが、機械の手足なぞいくら痛めつけても意味はないぞ。儂を殺したくば、お前を睨むこのまなこを、修羅を許さぬこの頭を、まっすぐに狙え。それより下は、腹を切らば腹を、臓腑をえぐらば臓腑を、口を裂かばその口を黒鉄に変え、この命尽きるまで仏敵を滅し続けようぞ……!」


「この世の中、メシはうまいし空は広い。なのにそういう生き方、楽しいか?」


「人は、ただ生まれ食らい死ぬだけの獣や虫とは違う。人生とはあまりに短く、そしてあまりに長い。生きるためには、目的が必要なのだ。いきあたりばったりに目の前のものに飛びつき、刹那の苦楽に身を焦がすことしか知らぬおぬしには、とうていわからぬ境地であろうがな」


「目の前に敵がいればぶん殴るし、うまい物があれば食う。生きるってのは、そういうことだろ」


「狭い視野しか持たずまことの救いのなんたるかを知ろうともせぬがゆえに、おぬしは救われることはない。未来永劫に」


 無明は地面に刺していた錫杖をぬきとり、右手でかまえた。


「来い。哀れなその生に、儂が引導を渡してやろう」


「できるもんなら……な!」


 輪を描くように――同じ方向に、同じペースで歩き続けていたドマイナーが、突然後ろへステップを踏んだ。無明の反応が一瞬遅れる。


 その一瞬の隙をついてドマイナーは再び無明へと一直線に駆け寄り、迎え撃つ無明の視界から姿を消した。


「顔を狙えと言うたに、芸のない男よ……!」


 先ほどと同様ドマイナーが下方に身をかがめたと判断した無明は、錫杖をかまえたまま上半身を軽く引き、死角になっている自分の足元を確認した。しかしそこに、ドマイナーの姿はない。


「?!」


「こっちだ!」


 右後方から聞こえるドマイナーの声。無明が思わず振り向くも、そこからもすでにドマイナーは消えている。いまドマイナーがいるのは、無明の左後方だ。無明が後ろを振り向いているために体全体が軽くねじられ、その左足は地を踏み損ね、わずかに力が抜けている。体の反対がわに回り込んだドマイナーは、その左足を、後ろから蹴り上げた。


「ぐ……!」


 もちろん、ただそれごときで倒れる無明ではない。しかし、浮いた足の先をドマイナーにつかまれ、さらに腿から腰にかけてを押さえつけられ――無明の巨体は、右半身から砂利のうえにどうと倒れた。


 ドマイナーはそのまま、無明の膝のあたりを横から足でふみつけると、無明の黒鉄の下腿を、体の横がわに思い切り捻じ曲げる。


 声をかけてからそこまで、わずか一瞬のできごとであった。


「……ッ!」


 バゴキャッ、と、いっそ小気味のいい音がして、無明の黒鉄の足の膝から下が、あらぬ方向へ捻じ曲がる。そのまま下腿部を持ち上げられると、割れ目から覗いた配線があるものは抜け、あるものは切れ、さらに引き剥がされた下腿部から、部品のかけらがぽろぽろと零れ落ちた。


「きさまあっ!」


「よいしょっとお!」


 黒鉄の四肢の、外部は頑丈。だが、精密な機械回路がはりめぐらされた内部は繊細だ。ドマイナーは、手袋をしたままの手を、ひきちぎった下腿部のなかに突っ込む。


 中のコードを根こそぎつかんで引きずり出すと、ぶちぶちとコードがちぎれる音がして、下腿部がエネルギーダウン。ドマイナーはただの鉄の塊となったそれを、ぽいと無明の前に投げ捨てた。


「これでしばらくは動けねえだろ」


「片足を失ったくらいで儂を止められると思うたか……!」


 錫杖を杖代わりに、立ち上がろうとする無明。しかしドマイナーは、無明から少し身をはなす。


「そもそもそのつもりでやっちゃいねえよ。雲海和尚とやらに会うまでの時間稼ぎだ」


「傲岸不遜の畜生外道め! 雲海和尚の尊き行にわずかなりとも手を出さば、地の果てまでも追いかけきさまを八つ裂きにしてくれるぞ!」


「坊主が口にしていい言葉じゃねえな。会いてえだけだって言ってんだろ。会って、ちょっと話を聞いてみてえんだよ。それで、そいつ本人がどうしてもこれが必要だっていって、俺も、ああ、そうなのかもな、と思ったらんなら……まあ、それはそれから考える。さて、さっき鈴の音が聞こえたのは、あっちのほうだったな」


 ドマイナーが、本堂のあるほうへ駆け出す。背後からは、怒り狂った無明の声が追いかけてきた。


「災いの化身め……悪行の権化め……地獄に落ちよ……!!」

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