腹が減ってちゃ戦はできねえよ
ゴンドワナ大陸では、神聖王国のように国家と宗教とが一体になっている場合もあれば、魔法大国における〝古き魔女〟(エンシェント・ウィッチーズ)のように人の限界をはるかに超えた力を行使する存在を神として敬う場合、あるいは、精霊や妖精のように、滅多に人の前には姿を現さぬ存在をなにか偉大なる存在の使徒であるとして信仰の対象としている場合もある。
そういったなかで、修行僧である無明が信仰しているのは、〝
その信者はゴンドワナ大陸の各地に広がっているが、なかでも機械帝国の領土における信者密度はかなり高い。もっとも、信仰不介入を謳ってはいるものの、潜在的な思想として、機械帝国は〝人智を超えた存在〟という概念を嫌っている。ゆえにその有形無形の迫害をさけ、門徒たちの拠点は、機械都市の外に、その存在を隠し作られることが多かった。
いっぽう無明は、
「……無明」
「…………」
「宿借りといて悪いんだけどよ。腹、減らねえか」
「…………」
「おい、無明」
「…………」
「もしかして死んだか?」
「……儂はいま、
「断食行?」
「貴様の修羅にひきずられ、思わず我を失う大失態……まだまだ修行が足らぬ……」
と、眉間に苦悩をにじませる無明。ドマイナーは、諦めたようにきょろきょろとあたりを見回す。
「おっ、メシ発見!」
周囲の岩々の隙間を這う子供の腕ほどの太さのムカデが、ドマイナーの目にとびこんできた。ドマイナーは電光石火にそれをつかみ取ると、多足の長い体を中央からぽきりと二つにおり、目の前に焚き火のなかにそれをつっこんだ。
ゆらめく炎に、割れ目からのぞく虫の内臓がぱちぱちとはぜ――周囲には、なんともいえない異臭が漂った。
「臭え!」
「ここらに生息する生き物の体は、すべて有毒ぞ」
微動だにしない姿勢のまま、無明が言う。
「食えばその身は内側から焼き爛れ、神経に変調をきたし、五秒と持たずに死に至る。罪深き生を終わらせたくば、食すが良い」
「誰が食うか! 知ってんなら先に言え!」
「坊主の目の前で堂々と殺生を行う愚か者が、まさかいるとは思わなんだ」
「坊主ったって〝修行中の身〟なんだろ。お前、はじめて会った時から今は修行中とかなんとか言ってたが、その修行とやらはいったいいつになったら終わって、いつになったら
「人生とはこれすなわち修行なり。仏の道に、終わりはない」
「気の長え話だな……」
睡蓮寺の本堂や僧坊は洞窟のもっと奥にあるというが、ドマイナーが奥に入ることは、無明の強い反対により許されなかった。
しかし、どうやら寺のほうでも夕飯時の時間らしく、米を炊くときのいい匂いが洞窟の奥からほんわりと漂ってくる。それを嗅いだドマイナーの腹は、再び、ぐうううう、と鳴った。
「……よし、ちょっくら施しを受けてくるとするか」
と、立ち上がり歩き出そうとするドマイナーの前に錫杖がにゅっと伸び、その行き方を遮った。
「なんだよ無明。お前の分ももらってきてやろうか?」
「ここにいろ。儂の目が黒いうちは、これ以上この寺に
「これ以上って……まだなんにもしてねえだろ。メシをわけてもらいに行くだけだ。俺だって、そこまで誰彼見さかいなくケンカを売ってるわけじゃねえよ」
「おぬしの存在が、それすなわち災いだ」
「そこまで言うか」
「おぬしが行くところすべからく争いが生まれる……心あたりがないとは言わさぬぞ」
「…………」
ドマイナーは軽く舌打ちして、ふてくされた表情で座り込んだ。
「一晩くらい食わずとも人は死なぬ……空腹をかかえた長い夜を、己が罪の悔恨に使え」
「なんにしたって腹が減ってちゃ戦はできねえよ……おい無明、誰か来るぞ」
ドマイナーの言う通り、洞窟の奥から、なにかゆらゆらとゆらめく光が近づいてくる。
「あ……」
「
声を聞いて、無明が名前を呼んだ。
光の正体は、松明を片手に持った、若草色の僧衣を着た若い僧であった。しかしそれを確認するより先に、ドマイナーの目はその僧が持っている盆に釘付けになった。
「にぎりめしを握ってまいりましたもので、よろしければと――」
湯仁という名の僧が持つ盆の上には、白いにぎりめしがふたつ、お行儀よく並べられた白い皿が鎮座していた。その横には、ひび割れた茶碗に入ったお茶まで添えられている。
「ありがてえ!」
ドマイナーが手を伸ばす。しかしその手の甲を、無明の錫杖がぴしゃりと叩いた。
「痛て!」
「湯仁、持ち帰れ」
「え?」
「儂は今宵の食事はいらぬと言った。それに、今日はここへは近づくなと――墨羽どのから聞いていないのか?」
片目をあけた無明にじろりと睨まれ、湯仁と呼ばれた若い僧は、きまずい表情になった。
「あ、あの……無明どのが旧知の旅のかたを連れてきたとだけお聞きしておりまして……今宵はそのかたとこちらで過ごされるとお聞きしましたので、てっきり、夜を徹して問答を行われるのかと……それで、腹が減るかと思いまして……」
「湯仁、勘違いも甚だしいな。こやつを相手に問答など、石くれ相手に念仏を聞かせてやるようなものよ」
「石……なるほど! まさに〝石中にも種あり。念ずれば花咲く〟の実践ということですか、無明どの」
「…………う……む」
なにか得心がいった様子でうなずく湯仁に対し、無明は困ったように眉をひそめる。その隙をついてドマイナーが再びにぎりめしに手を伸ばすと、無明の錫杖が、その手をぴしゃりと叩いた。
「痛てっ!」
「あさましきことよ……」
「こっちは腹が減ってんだよ! ったく……おい、お前、湯仁とかいったな」
「は、はい」
「今の言葉はなんだ?」
「今の?」
「あー……〝石中にも種あり。念ずれば花咲く〟か?」
「あ、ええ、それは、雲海和尚がよく言っていた言葉なのですが……石のように硬くなり永劫変わらぬように見える大地にも花の種が眠っていることがある。諦めずに陽の光をあたえ、水をあたえ続ければ、その種はいずれ芽を出し花を咲かせるだろう……と。そういうお話です」
「なるほど……いい話だな」
ドマイナーが、腕組みして、うんうんと何度もうなずく。無明が首を横に振った。
「雲海和尚は偉大なおかた。その法話の意味するところが、きさまごときに理解できるとは思えんが……」
「ひでえ言い草だな。そりゃよくはわからねえが……つまりは、やってみなきゃわからねえから簡単にあきらめんな、ってことだろ。いい話じゃねえか。人を災い呼ばわりしてメシも食わさねえどっかの心の狭〜い坊主には、ぜひとも見習ってもらいてえな」
そう語るドマイナーを、無明は両目をあけじろりと睨んだ。
「あいにくワシは修行中でな。雲海和尚のように、罪深き獣すらも許すような、広い心は持ち合わせておらぬ」
「べつにお前になにか許してくれとは思ってねえよ。とりあえずメシくらい食わせろ」
ドマイナーが、今度こそ、とばかり盆の上に手をのばす。
すると無明は、錫杖の先を器用に動かして盆を下からすくいあげる。それを己の手元へ引き寄せると、皿のうえのにぎりめしふたつを、まとめてぱくりと口中に収めた。
「あっ?!」
「ふむ、
「あ、ありがとうございます無明どの。ですが……」
「無明! てめえ! 断食とかいう話はどうなったんだよ!」
髪が逆立つ勢いで怒るドマイナーに、無明は涼しい顔で答える。
「あいにくワシは修行中でな。悪鬼に施しをするような、広い心は持ち合わせておらぬ」
「上等だ! 食い物の恨みの恐ろしさ、思い知らせてやる……おもてへ出ろ!」
「出るまでもなくここは外だ」
「落ち着いてくださいおふたりとも……! 旅のかた、これでよろしければ……」
湯仁が、ふところから取り出した合成樹脂の紙づつみを開き、ドマイナーに差し出した。開いた紙の隙間から、小ぶりのにぎりめしが顔を出している。
「小さくて申し訳ないですが……」
「おっ、あっ? おおっ! ありがてえっっ!」
どんでん返しのからくりさながらに表情の変わったドマイナーは、大口ひとつあけてにぎりめしを放り込み、幸福そのもの、という顔で、しばし無言でそれをかみしめる。
そして、これまだ一度でごくりと飲みこんで、一言。
「うめえ……」
いっぽう、そんなドマイナーを苦々しげに見ていた無明が、ふと気づいたように湯仁へ尋ねた。
「湯仁、今のはもしや、おぬしの分ではないのか」
「え?」
「おい無明、俺が気に食わねえからって自分の仲間にまで因縁つけんなよ」
「い、いえ、はい違います、大丈夫です。私は僧坊のほうで食べてきましたところで……」
そう語る湯仁の腹が、きゅるるる、と鳴った。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………すみません」
「こっちこそ、すまねえ……」
ドマイナーは肩を落とした。
その目の前で、石の下からちょろちょろと、蛍光三色水玉模様のダンゴムシが這い出してくる。
大人の指ほどの太さがあるそれを、ドマイナーは再び電光石火の速さでつかんだ。
「なあ無明、こいつは――」
「食えん」
「……だよな」
「お、お気になさらず! 実は私、もともとあまり食欲がなくて……!」
「湯仁、このような男に気を使う必要はないぞ」
「いえ、本当のことです! かといって食べ物を捨てるわけにももちろんいかず、無明さまとご一緒したら少しは食欲も出るかと思い包んできたのです……! 私のようなものの腹に渋々と収められるより、空腹で悩まれているかたに食べていただいたほうが、にぎりめしも嬉しいでしょう」
「そうか?」
ドマイナーが、ほっとした表情でダンゴムシを地面にはなす。それを見た湯仁も、ほっとした表情になった。無明は、そんな湯仁をしばし眺めたのち、重々しく口を開いた。
「湯仁、おぬし……
「は……」
湯仁がうつむく。無明は、そんな湯仁から目をそらしながら言った。
「仏の道はあまりに険しく、世はあまりに誘惑にあふれておる。この道を捨てた者のことをいつまでも考えてもせんなきこと。墨羽どのもそのように申していたであろう」
「わかっております。わかっているつもりなんですが……女とともに逃げたというだけならまだしも、仲間たちが持参していたわずかな蓄えにまで手をだしたとまで聞くに及び、さすがに心の整理がつかなくて……垓憲は、私などよりはるかに
「坊主とて人間よ。心に魔の差すこともあろう」
「……いなくなる数日前から、垓憲がなにかを悩んでいることには薄々気づいていたのです。
「湯仁よ、夢は夢ぞ。現実ではない。それはただ、お前の願望の表出にすぎん」
「わかっております、ええ、頭ではわかっているのですが……まこと、修行が足りませぬ」
「……なあ」
無明と湯仁のやりとりを黙って聞いていたドマイナーが、湯仁を向いた。
「その、垓憲とかいうやつが女と逃げたのって、いつのことだ」
「いつ……というなら、三日ほど前のことです」
「もう少し前ではなかったか?」
無明の問いかけに、湯仁は首を横に降った。
「月に二回のヨシワラ参りの日のことですので、間違いありません」
「なるほど……」
「ヨシワラ?」
「あ、旅のかた、あの、ヨシワラ参りと言ってももちろん、その、いかがわしい目的で行っているのではなく……寺のなかの自給自足ではどうしてもおいつかないものもありますので、時々ヨシワラへ行って、生活に必要な物資を手にいれてくるのです」
「なるほど」
湯仁の説明に、ドマイナーが頷くと、湯仁はほっとしたように続けた。
「その日は、墨羽さまと垓憲とでヨシワラに行ったのですが、垓憲だけが戻って来ず……墨羽さまが言うには、垓憲は、以前からねんごろにしていた女とともに行方をくらましたと……我々の私物が荒らされていることに気づいたのは、その翌日のことです」
「三日前……か。じゃあ、違うか……?」
「え? 違う、とは?」
「いやなんでもねえ、こっちのことだ……うん」
ドマイナーが、なにか考えこむように唸る。湯仁は、なにかを期待するような目でドマイナーを見た。
「旅のかた、もしや、ヨシワラからいらしたのですか?」
「ああ」
「垓憲を……ご存知なのでは?」
「いや、それは――」
「もしかしたら、でいいのです。似たような男をヨシワラで見かけたというだけでも……」
「似たような、なあ……そいつ、頭は、こう、角刈りっぽい感じか?」
「その通りです! もちろん僧籍の身ゆえ本当は頭をそりあげておりますが、ヨシワラに行く際には、この睡蓮寺の存在がばれぬようそのような変装をしておりました」
「顔は、まあ、その……女に受けそうな感じで……」
「そ、そういうことはよくわかりませんが……醜男というほどではなかったかとは……」
「それでヨシワラじゃ〝ケン〟と名乗ってた……」
「ああ、そうです! そのとおりです! 旅のかた、お聞かせください。垓憲とはいったいどこで――」
「なるほどな」
湯仁は、突然にぶるりと震えた。無意識の震えだった。ドマイナーは、腕組みをしたまま、湯仁を見ているだけである。しかし湯仁は、その隻眼に目を奥までものぞきこまれているような気がして、身動きがとれなくなった。
「
湯仁の顔からさっと血の気が引く。
ドマイナーの脳天を、なにか強烈に硬いものが襲った。
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